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本日もオンラインのAAミーティングに参加。司会のかた、優しげで知的で仕事めっちゃできそうな感じだった。こういうミーティングなら積極的にめんどくさがり&外出の飲酒欲求を避けるには、オンラインでの参加が良いかも。オンラインとは言え、AAに連続で5日?参加してるけど、これは人生で初めて。成長していると信じたい。とは言え、回復して安定して飲まないようになってきたらリアルのミーティングにも参加したいなあ。自分の仕事のスキルでボランティア的に協力もしたい。いまの私がボランティアとか言っても失笑ものだ
日本のAAがもうすぐ50年になる。2025年3月28日から30日にかけて埼玉県おおみや市で記念イベントがある。そんなこと、明日のこともわからない俺にはどうでもいい。そう思っても構わない。もし、その日が来た時、「行ってみようかな」と思えば、ぜひ行ってみてほしい。無料だし、何の勧誘もしないので、ぜひ行ってみてほしい。いやなら帰ればいい。世界中の各国、地域からAAメンバーが来る。ニューヨークのゼネラルサービス・オフィスの所長も来る。むろんAA日本の常任理事会メン
AAも自分の地域以外のイベントに参加したりすると、その地方の名物おじさん、お姉さんがいたりする。僕がAAに来た頃、地域主催で開催されるラウンドアップめぐりなるものが流行っていた。流行に乗ったわけではないがスポンサーは一年目の頃、僕をあちこちに連れて行ってくれて、その地元のロングタイマーやサービスに関わるメンバーを紹介してくれた。地元のメンバーも僕と面識ができると「アマナ、アマナおいてよ。紹介するからさあ!」と言われ、やめ始めの僕は訳もわからないまま連れていかれ地元の
よく行くミーティングで、よく会う女性メンバーがいた。彼女は飲んでいた頃の話と、その頃から付き合っているボーイフレンドの話を必ずしていた。このボーイフレンドの話の大半が愚痴だった。なぜそこまで詳しいかというと彼女の話を続けて聞いているとそういう関係の二人というのが見えてくる。笑いに苦笑がこぼれる、彼女の話はある種「名物」だった。彼女の話しているのは飲酒問題と今の話をしているので、誰も止めなかった。また、その愚痴は単なる愚痴ではなく、彼への愛情が感じられた。僕も好感をもっ
私は夫の薬物依存症問題をほとんど誰にも話してきませんでした。まともに話したのは、私の実母のみ。私は昔から友達が多いタイプで、例えばクラスメイトの友達だけでなく、よそのクラスメイトや学校のグループにも遊びに誘われて遊んだり、ハンドボール部でもないのに、何故かハンドボール部グループと仲良しで、遊びで練習に混じったり、お出かけに誘われたりしました。しかし夫の薬物依存症問題は、一切、友達には話せず、その結果、友達からの連絡に返信が一切できず、勝手に孤立していきました。「元気?」とメールが
薬物依存症の家族を持つ自助グループ、ナラノンのミーティング2回目。ミーティング会場に車を停めると、ちょうど隣の車から、初老のご夫婦が降りていました。ミーティング会場は、教会のコミュニティホールを借りている為、教会に用事がある一般の方々もいます。この初老のご夫婦も、教会へ行くのでしょう。彼らの車には、退役軍人のステッカーが貼られていました。ご主人は見るからに退役軍人、見てわかります。習慣になってしまったミリタリー・ヘアと呼ばれる短髪、姿勢もよく、肥満大国のアメリカでは対照的な
はじめての薬物依存症の自助グループ、NAミーティングに行った夫。1年半前にアルコール依存症の自助グループ、AAミーティングに行った時、夫は、「あそこにいる人間は、みんな廃人だった。依存症のせいで、仕事をクビになり、妻子に逃げられ、挙句にはアルコールが原因で犯罪を犯した、最低な人間ばかりだった。」とミーティングにいらっしゃった方々を蔑みました。あの時、私は、「それ、来年のあなただよ。」と言いましたが、まさか本当にそうなってしまうとは…。今回、NAミーティングに行っ
夫が薬物依存症回復支援施設から退院した翌日の夕方。ん!?と気づいた時は、夫の目の瞳孔が開いていました。私が絶望する、あの目…。『【閲覧注意】アメリカではカンタンにインターネットで検索されてしまう犯罪歴』今回、A子に似た雰囲気の女性の写真を探す為に、黒人女性のマグショット(逮捕時の写真)を検索しました。アメリカでは、インターネットで、名前と生年月日と、「犯罪歴…ameblo.jp『夫の顔を見て、初めて悲鳴を上げた夜』2013年の初夏の金曜日の夜、私は日本からアンパンマンの幼児用ハサミ
夫が薬物依存症の回復支援施設に3週間の入院中のある日、私は朝から風邪気味でした。異国の地で、シングルマザー状態、未就学の小さな子供3人。絶対に風邪をひくわけにはいきませんでした。私は夫が薬物依存症になり、私自身は、市販薬どころか処方箋すら飲むのはやめました。唯一、飲むのは生理痛の鎮痛剤のみ。風邪薬やら胃腸薬やら、全く信用しなくなりました。風邪や胃腸の不具合は、健康的な食事や睡眠などの生活習慣で治すものだと思いました。しかしその日は、絶対に風邪をひくわけにはいかない。コン
僕がAAにつながった時には、すでにハンドブックはあった。ただ当時から今日まで、いくつかもの編纂、改訂があったことは知っている。2024年現在、僕は最新のハンドブックは持っていないので、具体的には違うかもしれないが以前は12の概念は載っていなかったし、日本オリジナルのアルコール依存症からの回復のプロセスのような図解(以下)が載っていた。これはAA日本が評議会構成になって、全国評議会で承認を得る前のものなので後に削除された。「アルコール中毒の進行と回復」の図ならば、なぜ日本だ
AAには、「AAミーテイングハンドブック」という小冊子がある。一部100円。黄色い小冊子(色は変わったかも)。通称、ハンドブック(以下、ハンドブック)。AAメンバーには、おなじみのもので使用用途として、主にAAグループが主催するミーティングのテーマミーティングで使用される。AA日本全般サービスを司るヘッドクォーターのJSO(※1)や、各地域のセントラルオフィス(※2)にとっては、大きな収益源となっており、AAグループのミーティングに初めて参加したビギナーは、そのミーティン
僕の地元のAAは僕がつながった頃やグループが盛んに増えては減りしていた2010年くらいまで、ミーティング会場やグループの特性によるのだろうが、ミーティングの終わりに「平安の祈り」(SerenityPrayer)をみんなで唱える時、輪になって手をつないでしていた。それは会場が教室形式だろうが、椅子での輪であろうが、工夫してみんなでつないで手をつないでしていた。僕は、あの手をつないで唱える「平安の祈り」が、とても好きだった。AAにつながった頃は「神様、私に・・・」から始まる
ごめんなさい。順番を追って書きたいのですが、モーテルの件は辛くて書けそうにありません。更新が続かないので、家に戻ってからのことを書きます。夫は、私がモーテルから帰ったのを機に、カトリックの神父様に助けを求めました。神父様は、「信仰を持ちなさい。苦しい時は神様に助けを求めなさい。医者は薬物依存を治せません。本当に苦しい時、闇の中にいる時、あなたのそばにいるのは神です。医者ではありません。」夫のカトリックへの改宗は、あっさり決まりました。改宗には毎週、教会の勉強会に通う必要
靴が壊れた、、、先々週から始めたaaのオープンミーティングめぐり来週の今日、夫が退院するので、すせめて私だけでもaaに参加する環境をつくろうと、やっと思えるようになったので、今日も新しいところへ参加のためにきてみた。今日で4箇所、4グループ目本人でなくても、私だけでも参加しやすいグループが見つかることを願って、、、今日の会場は定期券外、駅から20分のところ。遅刻とおもって必死で歩いてきたら靴が壊れた。1年前にもこの靴は同じところが壊れていて直したのだけど同じところ。寿命かしら、、
僕とDが借りようとしていたのは、あるキリスト教会だった。・理由は、駅の近辺で、そのような施設がないこと、・近くにアルコール専門病院があること・国立の総合医療センターが近いこと・僕、個人は家から近い・Dは近くなかったが、この場所を希望していた・そして以前、AAが借りたことがあること(これが大問題だった)大問題とは、その会場とキリスト教信徒の方々に過去、AAは多大な迷惑をかけたことがあるからだ。安易に会場を借りてミーティングを始めたAAメンバーが酒でスリップし、ミーティ
AAのホームグループを創るのは簡単ではない。閉鎖するのも簡単ではないが、始める時はほんとに大変だ。なぜ大変かというと、どんなミーティングをするのか?ここが大事だ。また、オフィスに問い合わせが来たとき二人で、どうやって応えるか?だから僕たち二人は十分な準備期間を以てグループを作った。そしてミーティング場の開設にも時間を費やした。よく誤解されているのはAAミーティングは会場さえ借りればすぐに開設できると思っている人がいる。確かに、その日の1時間から1時間半開けばいいだけなら
僕が先日、辞めたホームグループは、もう一人のAAメンバー、謙虚なるDと創設したグループだ。野心家で高慢なるアマナとともに創ったAAグループだ。1999年当時、僕は酒を止めて約9年、Dは約5年だった。僕は40歳になる直前、Dは40代後半だった。ソーバーも年齢も逆だった。互いに以前から知っていたが仲がいい訳ではなかった。逆に悪かった訳でもなかった。単純に互いによく知らなかっただけだ。当時、僕は別のAAグループのメンバーだった。そのグループに不満があり、グループを創ろう
2020年9月2日の夜、僕はこれまで20年以上、所属していたAAのホームグループを辞めてきた。このグループ、1999年7月28日からスタートした。もう一人のメンバーと十分な準備をして開設したミーティング場であり、グループ準則まで作った思い入れにあるグループだった。当時の手帳のメモには11名参加(うち一人はC.Wとある※)。そのグループを辞めてきた。まさに20年以上住んだ家を引っ越してきたようで帰宅したらかなり感傷的になった。さまざまなメンバーの顔が去来した。
僕がAAにつながった時、僕のAAスポンサーは「飲まないで生きる時間に目標を持つな」と言われた。10年を目標とか20年とか・・・そんな長いのは無理だから3年位にしておこうとか・・・とにかくソブラエティ(飲まないで生きる)時間に目標を立てるなと言われた。僕は意味が分からなかった。僕は広告の世界のプロになろうと、その道に進んだとき、僕の目標はアートディレクターになることだった。だから、必死だった。頑張った。家に持ち帰っても仕事をした時期もあった。目標があるからこそ、その努
アルコホーリクス・アノニマス12のステップと12の伝統届いた。AAミーティングで借りなくてもOK?
家族が破滅への道を歩み始めた僕には「彼女の酒を、人生をコントロールできない」事を認める必要があった。なぜなら、そうしないと僕も幼い娘もアルコール依存症の竜巻に飲みこまれるからだ。僕は今のスポンサーや親しいAAの友人に話を聞いてもらい、今は遠い地にいる、最初のスポンサー(食道がんで亡くなった)の奥様へも電話をした。答えは、みな同じだった。「彼女が選ぶ」だった。「病院に連れて行ってほしい」と彼女から言われた時は本当にうれしかった。どのような診断を受けるか分からないが、大
大きなニュースになったアイドルの事件…私の好きなグループのメンバーなので残念です私は彼サイドに立って考えてみます両方の立場でものを見たいと思うと責められる方をより良く知りたいのが私流「アルコール依存性」本人の自覚はなかったようですが彼がお酒にとり憑かれていたのは間違いなさそうですそうなんですよ自覚のなさそこが依存症の怖さです私はアメリカ在住中に依存性を持つ人と暮らし多くの依存性者の姿も見てきました命をなくす友人たちも何人もいましたネイティブアメリカンのア