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撮影日2025.2.20撮影場所熊本市交通局健軍線健軍町電停(1・2枚目は動植物園入口電停付近)前回まで熊本市電5000形5014編成のお別れ乗車の記事を掲載しましたが、今回はその際に撮影した他の車両の写真を掲載します。乗車日は他にも特徴的な車両が走っていました。(一枚目)・終点、健軍町電停へ向けラストスパートの9701号です。この辺りは郊外の新し目の街並みで、流石にのんびりとした感じを受けます。中心部の呉服町付近の古い家並を走る区間
2005年6月17日、熊本市電水前寺公園電停にて。9700形9702号(右)と9705号の並び。1997(平成9)年から熊本市電に導入された超低床電車9700形のうち、2次車として1999年に製造された9702・9703号の2編成が廃車となることが決まり、昨日28日、9702号が陸送で搬出された。熊本市電ドイツ製の超低床車両「9700型」2編成を廃車へ運行20年、7年前故障も修理叶わず|熊本のニュース|RKKNEWS|RKK熊本放送熊本市交通局が、機械の故障を理由に市電の超低
皆様、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。さて、年末は模型工作を中断して、半ゴミ部屋となりかけた部屋の整理をせっせと行いました。貨車や機関車の資料等、使用したときに元に戻すのが億劫で、そのままにしていたら、カオスになっていたのです。完全にはできませんでしたが、マシにはなったので、あとはボチボチ片づけます。大晦日の夜は、模型を再開しました。ということで、今年の年賀状です。9700形をフィーチャーしました。背後は8550形で。今年の抱負を一応・秘密結社KK〇の課題
秘密結社の集会の報告を続けます。諸先輩の秀作の続きになります。※解説に作者の方から訂正のメッセージをいただきました。大変失礼いたしました。訂正いたします。もっと丁寧な取材をするべきですね【反省】SZ師匠の自作9200形です。13㎜は、下回りが落ち着いて特に古典機にはこの方が良いですね。昔ながらの木製道床のレールを13㎜にスパイクを打ち換えたものです。こちらは1/87,12㎜の9200形。こちらも足回りの落ち着きが良いです。9200形、当局も1982年に買ったマイクロキャストの完成品があります
11月17日に待ちに待った秘密結社「KK〇」の集会があり、充実した一日を送ることが出来ました。その前乗りで国立公文書館にも1日半調査し、精神的には充足(おなか一杯)肉体は疲労困憊となりました。PCも古い所為で調子が悪く、集会の模様をお伝えするのが遅れてしまい申し訳ありません。辛うじて展示できるように9500形はここまでとなりました。この写真は前日、柏のホテル内での予行演習です。テンダも磨いていけばよかった。課題のD型機展示スペースです。昨年の未完成が多かったのと比較し、完成が大半でした。ま
ここの所ペースダウンしていた9500形を再開しました。キャブの作り方が8550形と異なるので、考えていたのです。側面は8550形と同じですが、9500形では前妻板が突合せではなく曲げになっているので、これを表現します。コーナーR部展開は板厚の中央を中立軸とみなして2㎜としました。リベット打ち出し、窓を大まかに曲げた後、t1板に半田付けして曲げます。押しただけでは綺麗に曲がらず、ゴムハンマで叩いて成形しました。折り曲げ後、前窓を仕上げました。この後、窓枠兼裏打ちとか、妻ドアとか部品を製作、取り
10月13、14日、埼玉県伊奈町にある埼玉県民活動センター「通称:さいたまけんかつ」で開催の関東合同運転会に参加してきました。今後数度に渡って報告します。先ずは当局参加車輌の活躍??から。慶応鉄研三田会のゲスト参加です。新作デビューということで、出来立てほやほやの9700形、前作で未発表の160形と貨車、ホイロを持参しました。これは開催直後の状態で、未だ他社鉄道の車輛が線路に乗っていない状態です。貨車はできるだけ古いものをと選んだのですが、ト1(エコー)、私鉄のワ(エコー)、ツ2500(天)
10月8日火曜日は、亡父の7回忌と、亡祖母の33回忌の法事のため休みました。法事は午後なので、午前中も9700形の仕上げを行いました。前部標識灯LEDは交換。試運転していたら突然ショートして動作不能。どうやら前部標識灯へテンダアースを給電するポリウレタン線がギヤに接触し、被覆が取れてショートしたことがわかりました。それで普通の被覆線に交換しました。ポリウレタン線の末端に半田付けして引っ張り込みました。ショート対策後、試運転も好調に戻りました。ボールドウィンの銘板も張り、いちおう完成です。標
10月6日の日曜日は、雨予報だったものの良い天気となりました。午後には半田SL資料館で緊急会議があり、出かけましたが、あとは9700形の仕上げに専念しました。組立てて試運転。最初はLED点灯も、PFMシステムによるドラフト音も含めて調子よく走りましたが、途中から何故かショートしてしまい、走らなくなってしまった。ショート原因は不明で、ボイラを分解して、ショートしそうな部分に絶縁テープを貼りました。対症療法です。それで治りましたが、今度は走行中に標識灯のLEDが玉切れしてしまいました。当たり外れ
カツミ9700形のレストア、組立て完了後、塗装待ちでしたがこの夏の酷暑では塗装中に熱中症で絶命必至、お彼岸以降涼しくなった、と思ったら悪天候の週末で、10月4日、ようやく天候回復して塗装が出来ました。前日夜半にも雨が降り高湿度が懸念されましたが、朝55%、徐々に下がっていったので安心して塗装にかかりました。いつもは芝生の上で塗装するのですが、まだ地面に湿気が残っているので、玄関タイルの上で行いました。洗浄後、1週間経っていて、真鍮が黒ずんでいますが、完全脱脂しているので気にせずに塗装しました。
昨日のブログで広島電鉄5000形「グリーンムーバー」の置き換えのことについて書きましたが、その一方で日本初の超低床電車である熊本市交通局の9700形電車にも動きがあるようです。1997(平成9)年に製造が始まった同車ですが、故障により長期に渡って運用を離脱した後に9701号車は復帰はしたものの、1999(平成11)年製の9702・9703号車は長らく休止の状態になっており去就が注目されていました。しかし先日、熊本市交通局は「市電9700形2編成の廃車業務の入札」を公告し、これによって9
土日は雨模様でしたが、9700形も終盤。模型工作にいそしみました。クランクピンの丈が長く、メインロッドが幅方向にぶらぶらするので、旋盤でΦ3-2パイプからt0.5厚のカラーを切り出し、メインロッドとサイドロッド間にはめ込みました。ピン径がΦ2.010だったので穴をヤスリで拡大しました。カラーを輪切りの際、カッターナイフ突っ切りバイトの刃先が食い込んで、カッターがずれてしまいました。粉砕、飛散などの危険な破壊をせずに、半田が粘ったのが注目されます。炙ってカッターを外すと、カッターの黒皮のせい
会社は経営者が交代し、7月から新体制になります。気分も心機一転ですが、よく考えたら自分は65歳以降も延々延長で、子会社とはいえ第一線の管理職。どっかの政党有力者みたく、しがみついているみたいで体裁悪いですな。煙室扉のハンドレール、最初は洋白線だったのですが、一番目のハンドレールノブに繋ぐのには柔かったので、リン青銅線に変えました。火室部にも補重しました。キャブ屋根裏にも鉛板を貼ってあります。これら鉛板は東急ハンズで買ったもので、以前マッハで売っていた鉛板よりは薄いものです。エンジン側のサウ
9700形は終盤ですが、機関車製作の終盤になると、製作が終わってしまうのが寂しくなるのか、ペースが落ちる傾向にはまっています。作るものは一杯あるので、そんな呑気な事は言っておれないはずなんですが。関東合運で、補機用機関車に5KΩの可変抵抗を入れて調整し速度を合わせるという方法を教えていただきました。本機のモーターFK-050SHが高速なので、マネして可変抵抗を入れることにしました。しかし5KΩを入れたら制御性が悪い。1KΩでも悪い。「楽しい鉄道模型」記載のレオスタットは40Ω、松本風雅亭さんの
ようやく、遅れていた梅雨に入りました。この週末は東京出張で、名古屋も東京もあいにくの雨。こっちは仕事メインなのでよいが、修学旅行の生徒さんにこの雨は気の毒でした。今は修学旅行もリュックではなくキャリーケースを転がしていくんですね、時代を感じます。自分は、父親の形見のクロス製キャリーケースをカラカラ引きずっています。9700形は補重に取り掛かります。試運転するとテンダー前台車が浮き気味で脱線しやすい。ドローバーに接触用のスプリングが付いているため、これがテンダを押し上げてしまっていました。そこで
今年は梅雨入りが遅く、晴れた日は日差しが強いがカラッとていますね。でも会社では暑い暑いという人もいて、これじゃあ夏の猛暑は乗り切れんぞ、と内心思うものの、黙っています。9700形のデティールの残りを付けました。ボイラ梯子の頂部には珊瑚の木目板を張り付け。右側ランボード下の逆転テコを0.4洋白板をz型に曲げてロッドの先に貼り付けました。キャブ下の”ちり取り”ステップもこんな感じです。これで終わり・・・あ、機炭間渡り板と、ブレーキシリンダ前方の水平テコに繋ぐフォーク部分を忘れてた。そろそろウェイ
ここ一週間は、例の貨車研究の月例会のため模型と貨車レポートの兼務でした。貨車の方はワム400形の解説を仕上げたのと、明治黎明期の油送貨車・・・後の鉄製有蓋車、鉄張有蓋車を整理しましたが、やはり明治26年4月のトレヴィシック形式図に現れたBD形「covered_oiltruck」№417~505,89輌の存在が、鉄道局年報等と合わず謎の状態です。また、貨車記号の「ワ、ト・・・」は明治30年、さらに真空ブレーキホース付きの「ホワ,ホト、ホカブ」制定は明治35とされていますが、明治34年7月発行の本に
8日土曜日、”都内某所”で行われた模型運転会に参加しました。当局の参加車輌は、C53燕編成、C10,C11+オハ31系普通列車です。最初燕が特定の場所で脱線して気が滅入ったのですが、線路の不調が原因で、優秀な保線区員により解消されて調子よく走りました。普通列車の方は他のゲストの参加車両がひっきりなしに走るので、運転機会がありませんでした。まあ、昨年の関東合運で沢山走ったので別にいいのですが。新作蒸気として165と9705、C1170と155を展示。9705は一応走る状態にして持って行ったので
水曜日は、3か月に一度の眼科検診の日です。2年前(8550形完成直後)に網膜の「黄斑浮腫」手術後の経過観察のためですが、左右とも眼圧や網膜を診てくれるので、安心です。手術の左目も視力0.9に回復しており、現代の医学の進歩に感謝です。テンダー端バリにも自連化後の真空ブレーキホースを設けます。Φ0.6線を芯にして0.2ポリウレタン線を密に巻きます。これをカーブしたホースの芯線に移します。巻を緩める方向に回しながら押し込んでいくとスムーズに差し込めます。ステップに解放テコも設けました。KDは#6で
武豊線沿線の田んぼで、夜、カエルの合唱が始まりました。もうじき梅雨を予告するかのようです。自連タイプのフロントデッキのヘッドライトステップを作り直します。Φ3真鍮丸棒から旋盤で挽き出しましたが、XYの送りを同時に調整してテーパーで削りましたが、上手くできました。技能が向上したというより、偶々調子が良かっただけのまぐれです。さて、9700形の大正期の写真は見たことがありませんで、フロントデッキの様子も不明です。まあ、自連化前に廃車になっているので、真空ブレーキホースは明治のままでしょうが、ステ
取材や、写真など資料の分析で、真空ブレーキホースの構造や、自動連結器改造後の真空ブレーキホースの変更が解明できましたので、工作に戻ります。カウキャッチャータイプの方は、普通のスタンドパイプ式で、9750形キットに付属していたものがそのまま使えました。デッキ上板前端には、馬蹄形の金具を添えて取り付けました。さらに、t0.8板を切り抜いた標識灯掛けを取り付けました。皿回し状のヘッドライトステップは最初前端付近についていましたが、これは間違えと考え煙室戸付近に付け直しました。さて、自動連結器改造
9700形のカウキャッチャータイプの真空ブレーキホースは、9750形キットの中にロストパーツを発見。これを取り付けるだけになりました。一方、自連タイプの方は、時代も下ってくるので、ブレーキ管がスタンド式に立ち上がったものではなく、端梁にクルンと丸めるタイプにしなければなりません。これの資料がなく、捜索しました。まず手持書籍の写真を見まくります。まず、テンダ機関車。9900形左にのみホースが見えます。8700形、18900形×2枚、C53、1枚に6400形と5500形。テンダ機関車は向かっ
ここのところ忙しく、模型もあまり捗りません。筑前参宮鉄道もデータ入力して眺め直すと、やはり大正8,9年の鉄道省文書が欠けているのが痛いですね。鉄道省年報とも照らし合わせると、有蓋緩急車の増トンとかもあって、公文書館だけでは全貌把握は難しそうです。さて、バックプレートは、加減弁ハンドルと圧力計を付けました。ハンドルは、軸をΦ1にすり割を入れて帯金を差し込み、プレートにはΦ1管接手に、リベットを2個打った菱形上の板を挟んで取付。圧力計はΦ2.5棒をスライスし取付板に適当に貼りました。IMONで買
17~18日の国立公文書館取材で得た情報整理に日~火曜日を費やしてしまい、水曜日やっと模型工作に復帰しました。情報整理も、大正から昭和にかけての私鉄・車両の変遷がわかって勉強になります。出張時、横浜のモデルズIMONで購入したパーツ類。珊瑚の担いばねも最後の1個でした。ネットでは池袋店しか在庫なしになっていたスクリューカプラーがあったので購入しました。9700形に付けようと思いますが、カウキャッチャーと干渉するかな?ウィストジャパンの米国型焚口戸が入手できたので、板だけだったバックプレートを
ここのところブログ更新が止まっていましたが、心身とも健康でした。ただし11日が振替出勤、12日の貨車研究会もあって、ブログを書く暇がなかったのです。貨車研究は、明治の貨車について、トレヴィシックの形式図の有蓋車輌数と、鉄道局年報の輌数が合わず、迷宮に入りかけ。一方でトム5000形で新発見がありました。煙室扉の頂部には、前部標識灯を取り付けます。取付座としてt0.5板をL字に曲げて裏面に半田付け。標識灯本体はΦ1.8-1.5パイプで、取付座をΦ1.8でザグッテ、そこに嵌めて取り付けました。ハン
いよいよゴールデンウィークも最終日。9700形も終盤になってきました。フロントデッキの取付改良が決まったので、ブレースを取り付けます。ブレースは製品転用ですが、ボイラ取付部はフラットバーを大きいボルトで止めてあります。そこでt0.3に1.5㎜ピッチでリベットを3個打ち出し、これをポンチマークとして真ん中をΦ0.8穴、上下をΦ0.4を開け、ブレース受けとしました。上下の大きな六角ボルト頭は、アドラーズネストのボルトを差し込みました。フロントトデッキは台枠前の張り出し部分に、下からM2超低頭ネジ
ゴールデンウィークもあと残り1日。だんだん日数が減っていくと思うとブルーですが、今日から3連休、今日から土日休み、明日未だ休み、と残り主体で考えると気持ちがガラッと変わります。人生の残りの時間も、このように考えればいいですね!スプラッシャーの取付のため、ジグを作ることに。動輪径Φ14(天賞堂)に対して、スプラッシャー内径はΦ17としました。Φ17のベーク板を糸鋸で円形に切り、2枚重ねにして旋盤で削正し円盤を作りました。円盤を固定するシャフトはΦ5丸棒の両端にM3♂ネジを作り、ナットで円盤を締
爽やかな五月晴れが続いています。こういう日は模型工作もはかどります。キャブ床下の逆几形断面ブラケットは当初、製品寸法をそのまま洋白板で作り替え、周辺パーツもそれに合わせていました。後で「国鉄蒸気機関車設計図集」掲載の6600形図面に気づきました。9700形と共通部分も多く、特に火室とキャブの関係は9700形も同じと思われます。製品では逆几形断面の幅が、DH棒型モーターを避けるために18㎜と広かったので、これを実車に近い14㎜に変更することにしました。火室底も上方に広がるテーパーになっているので
5月2日は爽やかな一日でした。引き籠もって工作を続けます。キャブ屋根は製品オリジナルだと薄くてレール面からの高さが低くなるので、t1で新造することになりました。左右方向は大きめに切って、ガスコンロでなまし、半丸の材木に当てて曲げます。多少曲がったら、屋根板材に当ててゴムハンマで叩いて、所定のカーブにします。ゴムハンマはKK○の工作法に倣ったもので、気持ちよく曲がり、今後曲げ作業が楽しくなりそうです。キレイに曲がりました。キャブに合わせて左右も切断、仕上げます。写真右が製品オリジナル。屋根
5月1日からゴールデンウィークの6連休が始まりました。模型工作に専念します。リヴェットを打った外板を頑張って仕上げました。リヴェットはやや協調気味です。裏打ちはt0.4で、十文字窓枠を一体にしています。十文字枠を仕上げるのは中々難しいものです。外板と裏打ちを貼り合わせ、下端には□3パイプを取り付けて、組立て時の安定を図ります。写真を見ると後窓の下辺には肘掛け用?の板が出ているものがあるので、アクセントとしてt0.4板を曲げて取り付けました。キャブを取り付けました。今回の工作のハイライトは、