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毎度ご覧いただき有難うございます。今回は、2018年に退役した東急電鉄7700系です。7700系は、1987~91年に7000系を改造したもので、その種車は1962~66年に東横線と営団地下鉄・日比谷線の直通運転を念頭に登場したわが国初のオールステンレス車体の電車で134両が製造されました。東横線・日比谷線・大井町線などで使用された後、目蒲線・池上線で使用するため改造により56両が7700系となりました。その後、2000年8月に運転系統の再編成があり、目蒲線は多摩川園駅(現・多摩川駅
桑名から大垣を経て揖斐へ向かう養老鉄道養老線は元近鉄の路線だったこともあり、同社から引き継いだ600系列がマルーン1色など懐かしいカラーで活躍していますが約半数近くが東急から来た7700系によって置き換えられており、1編成だけの存在であった625形(元6020系)も廃車されてしまいました。7700系は東急時代の車番をそのまま使用しており、近鉄時代に導入した車両が3桁の形式に改められているのとは対称的ですが一部の車両は東急時代のデザイン(赤帯・赤歌舞伎)のまま運用に入っており、桑名付近では池上線
こんばんはhatahataです。養老鉄道、元東急の緑歌舞伎を初撮影しました。下深谷~播磨普通桑名行7700系緑歌舞伎ーーーーーーーーーーーーーーーー三岐線で撮影した後は関西線へ移動する予定でしたが、養老鉄道が近くを走っていることに気付き寄ってみる事にしました。普通大垣行7700系緑帯普通桑名行600系600系が帰って来ました。普通大垣行600系養老鉄道は以上です。ご覧頂きありがとうございました。
今回は、過去の撮影記となります。ちょうど7年前の2014年5月22日、この日は東急池上線で撮影しました。この頃は、東横線から捻出された1000系の改造車・1000系1500番台が池多摩に登場したての頃でした。1000系1500番台の第一陣として登場したのは1503F(元1003F)で、その次に登場した1504F(元1004F)は撮影日の22日に池上線で試運転を行っていました。今回の撮影では、その1000系1500番台を中心に撮影をしました。懐かしの7700系も登場し
📅2021.02/20(土/Sat.)2月20日は『歌舞伎の日』なんですって⦿‵₋|∧|₋´⦿有名な歌舞伎役者といえば?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう📚『歌舞伎の日』とは何ぞや?1607年(慶長12年)2月20日に、出雲阿国(いずものおくに)が、徳川家康や諸国大名の前で、「歌舞伎踊り」を江戸城にて披露したといわれており、この日をもって「歌舞伎の日」として定められることになりました。▼@DIMEアットダイムより一部引用2月20日は歌
須磨から18きっぷで帰る途中大垣で見つけたので途中下車して撮影へ。デビュー記念HMを掲げて走る2両になった7906F木製電柱の横を通過する7912F養老線にいた7903F
11/4名古屋トラックステーションにお休み中なので、子供を送って行ってから向かいました今回は3両同じ場所に居ましたそしてツイートで見ていましたがまた歌舞伎塗装…中間車先頭車もうひとつの先頭車7712には今回も凝ってますねこちらも側面の窓にも同じ様に社章と社名が顔アップでこのくらいで終わりにしました
【平成30年10月22日本文加筆】というわけで恩田です。いつも管理人は、恩田駅到着前のこどもの国線の電車の中では、車窓両側に全神経を集中するのですが、今回の注目点は「木になる電車」こと1017Fが入場していること、2000系の先頭車(2002と2102)が先頭部を突き合わせた状態で留置されていること。特に後者は驚きで、後で高台に登って見てみたら、2001と2101も同じ状態で留置されていると思われました(先頭車の無線アンテナが向かい合っていたので、先頭車同士が向かい合っていることは
昨日は東急線の撮影にまずは溝の口で東急8500系を撮影順光で二枚を撮影ただお尻に少し影が……そのあとさらにもう二枚露出をいじるをめんどくさがり暗い写真に(次はしっかり調整しようと思いました(さらに大井町線を撮影これもやっぱり暗い状態で撮影しっかり調整しなきゃ(そのあともう一度お天道様が帰ってきて大井町線を撮影こちらは二子玉川より先の各駅にも停車するタイプなので外側を走行その後移動し旗の台で少し撮影一応これで大井町線の車種は全てコンプその喜びに浸りながら池上線へまず石
歌舞伎、生でみたことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう歌舞伎は生では見たこと無いので、東急の歌舞伎塗装でも。東急7600・7700・8000系のうち、更新工事を施工された編成は、前面に歌舞伎の隈取りに似たエナメル塗装を施していて、歌舞伎と呼ばれてました。テレビで見た平成中村座の歌舞伎は、歌舞伎を全く知らなくても分かるように、コメディを取り入れて面白かったですね。まぁ、亡き中村勘三郎が志村けんを師の1人と仰いで、バラエティーでも度々共演してましたね。