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久々のブログ息子が1歳になったのを期に妊活再開してまして半年ちょい経ちました凍結保存分を毎月1つずつ戻していますほぼ毎月戻しているので着床は毎回していない状況です40も半ばでもう1人なんて無理と内心思っているのと1人授かっているので結果を聞いても落ち込みはしないのですがそれでも日頃からサプリやら食べ物やら整体やらお灸やら…それなりに日頃から気を使っている分結果が出ないと多少はガッカリします(頑張れば結果はついてくる‼️とゆー脳筋的思考ゆえ)ありがたいことに元
皆様、こんにちは!今日(米国西海岸夏時間5/21)のサンフランシスコは、BaytoBreakersという名物マラソンの大イベントで街中がごったがえしていました!コロナ禍のうっぷんんを晴らすかのように、世界中から集まったランナーたちの多くがハロウィーンよりも気合の入った仮想をしたり、めちゃめちゃ本気で記録をねらったり、それぞれの楽しみ方で、サンフランシスコ湾から、市内を駆け抜け、ゴールである太平洋側のビーチを目指すのです!サンフランシスコ湾を見渡すロケーションにある私達の提携クリニ
採血でもその看護師さんが優秀かそうでないかわかりますよね他のクリニックに通ってみた経験から浅田LCの看護師さんは概してとても優秀だと感じます!痛覚は面ではなく点だから針を指す場所によって痛みの有無や強さが違うし一定の技術レベルであれば痛いかどうかは運みたいなものかな…と思うけどなんというかそういう技術的なことじゃなくて看護力とでも言うのかな、、?浅田LCの看護師さんたちは仕事の手順というか流れがスムーズで声かけ
とうとう神戸ARTの初診いってきましたよー🙋♂️コロナ禍で出張からもすっかり遠ざかってひさーーーしぶりの新幹線予想はしてたけどガ〜ラガラ、、今回は新大阪で降りて在来線に乗り換えるパターンであっという間に新大阪に着いちゃうことはわかってたけど予約は11:30ランチは抜きになりそうと予想して朝から駅弁食べながらの移動ですww初診で手続きもあるだろうから…と10:45頃クリニックに到着!バッチリじゃーん…と思ったら甘かった!でら混んどるがね!!!もう待合室は
私は、つくづくそそっかしい幼稚園児の育児、パートの仕事、家事全般、不妊治療。スーパーウーマンとは程遠く、日常的に追われて、気づくと時間ばかりが過ぎ、間に合わない〜トホホォ〜、また、やっちゃったかなんて日々、、、そんな採卵3回目を終えたある日、ブログを例のごとく、私はやはり駄目なのかとサーフしているとAMH抗ミュラー管ホルモンというのに当たる。1年前の私は検査したことの記憶すらない。なるほど〜!妊娠能力が後どのくらいあるのか、を確認する検査だったんだ、と雑破に理解。数値が高
2019新年あけましておめでとうございます。今年、47歳を迎えます。不妊治療始めて、2年目。まだ、最終結果は出ていません。でも、後1月後には中間結果が出ます。どうか、叶いますように。願いを込めて、ブログを綴っています。暖かく見守って頂ければ幸いです。また、私がそうであるように、体験談で安心、あるいは情報共有、あるいは気持ちの整理の役に立たせてもらえれば幸いです。初めて、不妊科専門の有名なS病院の門をくぐる。行くまでは、不安ばかりだったけど、門をくぐった瞬間、緊張はしてたけど、ホッと
45歳1ヶ月、不妊科へ通うことを決断。で、どこの不妊科に行こうかな?(・ω・)その頃は、まだ不妊科へ行く気持ちの整理が追いつかず、照れもあり、情報も無く、手探りで、まずは、近所の産婦人科に行く。『はぁー、45ねー、まぁ、むずかしいね、厳しい。え?第一子、42〜?自然妊娠⁈あんた、これ、奇跡!凄いね〜!これは奇跡だよ。まぁ、ひとまず、漢方とタイミングからやってみる?』^_^:ガツンと心をやられる。何でこの病院、流行ってるんだろね😓そう、思うと、開き直るのも早い。ヘイヘイ、奇跡してますよ
41歳の時、あっさりと自然妊娠。激しい悪阻はあるものの、赤ちゃんには問題無く、42歳で第一子を自然分娩にて無事出産。ただ、妊娠前検査の時に子宮ポリープが見つかり、手術日まで決まっていたのに、妊娠発覚。そのまま経過観察での出産。だからかな?後期陣痛と言う胎盤を出す時、胎盤が大きすぎて、出産よりも酷く痛かった。Drもあれ?と先輩を呼び、また先輩を呼びの3人がかりになるほど。結局、砕きながら出すことになった。それから3年後、第二子が出来ず、不妊治療開始。結果は、両側卵管閉塞。原因は、何らかの炎症と
よく確率で例えられたり説明されたりするでもそれは確率でしかないどんなに高い確率もどんなに低い確率もそれが自分に当てはまるとは限らない確率はあくまでも参考その確率が自分に当てはまると信じない方が良い高い確率も低い確率も自分の体に起こることにパーセントで当てはまることはそんなに多くない人はひとりひとり違う確率に左右されて心乱す必要もあきらめる必要もきっと・・・ない
いつもどんなときでも上手く行かなかったときその原因が知りたくなる原因が分からないと先に進めない気持ちになるでも不妊治療には原因がわからないことなんて当たり前にたくさん存在する不妊治療をするまで原因が分からないことがあるそのことを知らなかったような気がする起こる全てのことには必ず原因があるとそう思っていたような気がするでも原因の分からないことのほうがこの分野は多いように感じているだからこそやり続けなければならなかったりその負の感情に心が病んでしまったり
不妊治療中は色んな事を制限してしまうそれが良いのか?それとも悪いのか?長く治療を続けてきて思う私の主治医は二人いたがどちらも治療中の飲酒を控えるようには言わなかっただから私は飲まないけど相手は浴びるほど飲んで翌日採卵なんてこともあったそれでも受精して良好胚盤胞胞になってるし飲んでいないときに受精しないことなんて山のようにあった最近思うあれもダメコレもダメああしなきゃこれやらなきゃ運動糖質制限高酸化力のある食品摂取エトセトラそれが私は心理的に良く
何年も何年も私が受精卵を殺しているその呪縛が最近解かれはじめてきたそれは医師の説得力のある私の疑問に対する説明からそして絶対にぶれない考えから・・・少しずつ私の中に前医が言っていたことは前医の見解で正しかったわけではないかもしれないそういう気持ちが湧いてきたから妊活に限らず信頼する医師の言葉にはとてつもなく大きな影響力が有って医師だからどの医師でも見解は同じで異なる意見は存在しないし治療法もどの医師でもやり方に違いはあっても結果は変わらないと思
リンパ球混合培養NK細胞活性抗核抗体・・・当時行った前医がこだわっていた免疫検査は全て陽性だった私の中で抗リン脂質抗体症候群ではないかとの疑念はずっと持っていたが色々調べた結果現在その可能性は非常に低いと思っているただ抗核抗体80倍という数値前医も現医も治療が必要かというと絶対ではないと答えは同じだった前医はどちらかといえば何かしらの治療したほうが良い現医はしなくていいちょっと微妙な感じだけどただこの抗核抗体単独陽性で抗リン脂質抗体
私は転院してもその気持ちを拭い去ることが出来なかった受精障害を克服できて受精卵が得られても所詮わたしは自分がお迎えした受精卵を殺しているのだからここで得られた受精卵も結局は私が殺してしまうんだ・・・そんな思いをずっと抱えてきただから移植に踏み切ることができなかった原因でもある現在の主治医に私は自分の想いをぶつけた移植しても自分が殺しているという想いを捨てることが出来ず辛いこと・・・でも現在の主治医は前医とは違う意見だった私の免疫に対する治療法がないので
移植した瞬間「いま私が殺した」という感覚は今でも忘れられない前医での最初の3回ほどは希望を持っての移植だったけれどその後免疫が邪魔して上手く行かない自己免疫疾患があるから憎悪させる可能性のある治療しかなく対策が出来ない出来ることアスピリンプレドニン柴苓湯・・・だけコーディネーターさんのカウンセリングを申し込み移植した瞬間「いま私が殺した」と思ってしまう私の子宮でなければ・・・と思ってしまう代理出産しか無いのではないかと思ってしまうそんな辛い胸の内を吐き出し
日常生活でも意外と多いのかもしれないけど私は前医からずっと免疫が着床を邪魔していると言われ続け私は受精卵を自分が攻撃して殺しているとずっと信じてきただから移植した瞬間今わたしが殺した・・・ずっとそう思いながら移植に挑んできただから移植しても授かるとは思えないのに移植しなければならないという葛藤私の子宮でなければこの受精卵たちは命としてこの世に生まれてこられたのにそういう自責の念と自分が殺しているという罪悪感と喪失感を常に持ちながら過ごしてきたそ
甲状腺疾患で不安なまま治療を続けている方へ長崎クリニック参考になるかと・・・
30代もラストスパートが見えてきた時現在の会社から誘ってもらったただもうフルタイムで働けないと思っていたし通勤に1時間かかることも有って現在の勤務形態にさせてもらったフルタイムでなくなった分時間が出来て平日に体を休ませることが出来るようになってやっと妊活してみたい・・・そう思えるようになったそれ以外にも色々と事情を抱えていたことも有って妊活できなかったのだけどちょうど内科も近くの病院に転院しその主治医にも妊活の許可をもらった許可をもらった時は41歳
独身の頃も仕事が忙しくなる時期は特に出かけられない事が多く寝込むことも多かっただから私には結婚しての共働きは無理だと思っていたこの頃のTSHは平均3くらい結婚した後も長くこのくらいの数値だった妊活にはアウトな数値だけど内科医に問題ないと言われていたから妊娠は当たり前に出来ると思っていた結婚後も仕事を辞めずフルタイムで働くことになって週末は動けなくなってしまったいつも寝ている状態今思えばお互いに楽しくない新婚生活だったと思うそんな体調だったから
チラーヂンを飲み始めても体調には波が有った病気が分かる前は徐々に徐々に悪くなっていったからからだも少しずつ少しずつ調子の悪さに慣れていたのだろう悪い状態が普通だったから特に自覚症状も無かったのだけど薬を飲みはじめてから常に体調のわるさだるさが顕著になり始めた調子の良いこともあったけど一度悪くなると1ヶ月くらい悪いまま年齢が上がるにつれて調子が良くなってくるまでにかかる時間がどんどん長くなっていった
私は甲状腺機能低下症と診断された時まだ30歳だったその時すでに生きているのが不思議だと言われるほど粘液水腫に移行し昏睡状態に陥っていてもおかしくないくらいな状態だったらしいその時医師に結婚後妊娠出産には影響しない薬をきちんと飲んでいればこの病気がリスクになることはない安心して出産までいけるそう言われたただし・・・妊娠した場合は妊婦さんの甲状腺ホルモン値に近づけるため薬の増量の必要があるからできるだけ早く妊娠に気づき受診するようにと言われただか
今や不妊治療の分野だけではないけれど医学も科学も・・・年単位ではなく月単位で様々なことがわかってきたり出来るようになったりこの時代に産まれてこられたことは幸せなこと・・・ただ・・・私に間に合うだろうか??不妊診断受託を来月開始熊本大発のバイオベンチャーこれって検査で濃度が高かった時・・・何が出来るのか?何か出来るのか?やってみようか?
採卵すれば無事に受精したか?分割してくれたか凍結できたか・・・心配し移植すればお腹の中で育ってくれるのか?無事に着床してくれるのか?すくすく育ってくれるのか・・・不安になり・・そしてネットでアレコレ不安のネタを検索し心配の種を減らそうとするでも・・・意外とそれって不安も心配もおっきくなるだけで払拭されることはないだから私は妊活ものは検索することが減った全くしないわけではないけれど昔のように行き詰まるたびの原因探しのようなそれで何かしら
前医での移植ではチラーヂンは内科医処方の50マイクログラムのみ何度前医に訴えても毎回同じように体調が悪いと言ってもそして最後の方はチラーヂンが足りてない感じなんだけどエストロゲンのせいじゃないかと振ってみても「気のせい」・・・で取り合ってもらえなかったでもネットで直ぐに見つけられるのに・・・しかも甲状腺機能低下症でチラーヂン飲んでる人が妊娠した時はチラーヂンを増量しないといけないことは産科医も甲状腺専門医も常識・・・なのにまさか・・・その機序とか無視で
やっと最近になって卵子の老化説に異を唱える人も増え卵子は老化しないということも浸透してきたけれど生殖医療の現場では医者や生殖医療に関わる人達が当たり前に「卵子の老化」を言い訳にし上手く行かなかった時年齢が高いと必ず「卵子が老化していますから・・・」と言われる私は前医でも現在の医師にも卵子の老化を言い訳にされたことはない治療する以上上手く行かなかったことの理由を卵子の老化で片付ければ患者を納得させられる格好の言い訳になるしかも医師の技量を棚上げして・・・
採卵で卵子が採れたら当たり前に受精すると最初に採卵した時は思っていたあれから8年・・・色んな経験をして感じている私は3日目初期胚を7個凍結してあるがすべてグレード1で8細胞以上それでもスーパーグレードでも思うこと今までの経験から私はグレード1の初期胚が胚盤胞に育った記憶がほとんどない・・・グレード2の子が育った記憶もない胚盤胞に到達して凍結したのはほとんどグレード3の初期胚いわゆる「普通の」「ごくごく当たり前の」初期胚見た目も大切だと思う
よくAMHはイコール残存卵数と誤解している人がいる自分の卵巣に残っている卵子の数を予測出来る人は居ないAMHは前胞状卵胞から出ているホルモンで育ち始めている卵から出ているもの卵巣に残っている卵から出ているホルモンではないだから検査するたびに数値は変動するしホルモン補充周期胚移植後やピル服用後は低くなるそれを卵子の残りの数だと信じ切って急げ急げ・・・的な思考になるのもちょっと立ち止まってほしいと私は思う確かに常に低ければ残っている卵の数も少ないことが予想されるでも
その時もうひとつ感じたことがある年齢の高い人たちがいかに年齢が高いことを言い訳にしているかということ年齢が高いから若い人より上手く行かなくて当たり前年齢が高いから卵子が老化しているから・・・卵子の老化に逃げられるそれが事実だとしても(私は卵子老化説は信じていない)言い訳できて上手く行かないことをそのせいにして片付けることができるそれは幸せだと・・・若い人たちは上手く行かなかった時逃げる場所がないましてや原因がわからなければふつふつと得体の知れない原因を