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世の中はGW我が家はのんびりGW(今だけ)街なかで大きなおなか抱えたオシャレなプレママさんたちに目がいく👀プレママ🤰さんと、その母親らしき2人がベビー用品をショッピング🛍️している姿カフェ🍰でお茶している姿が目に入る貴重なマタニティライフを愉しむことも出来ない病院着のみの娘を可哀想😢におもう母。当の娘は病院生活日課のベビ'sの心拍確認が今日も元気で嬉しそう。そうやって貴女もまた、母親になっていくんだね。おねえ。。。デカっ🐈⬛‼️
狭いリビングを時おりダッシュする猫🐈⬛そして…伸ばしていた私の脚を蹴っていくご…ごめん…🐈⬛娘20週まだまだ、先は長いけれどここまでも長かったぁ1日、1日の積み重ね
3つ子超音波エコーの日。なかなか3人分のエコーは大変らしく今日はAちゃん、Cくんともに263g昨晩から左胸下が痛い😣という娘。今日、エコーで確認していただいた結果、Bくんがおなかの中でママの左肋骨を頭突きしていたそうな(笑)元気‼️元気‼️
里帰り出産ということでしばらく熊本実家に滞在できる、はずが早々の入院となってしまいなかなか会えない娘🤰コロナやはしかと、総合病院🏥には持ち込めないものがまだまだあり毎日会いに行きたいのに面会規則は週に1〜2回、15分面会ルームのみもどかしさはあるけれど数年前(コロナ禍)まで誰とも会えずに病いと闘っていた方たちをおもうとまだ、我慢できる次の面会は何を持ってってあげよう娘に叔母である妹ちゃんが「どんな花が咲くか育ててみて」と持ってきた苗🌱今、娘のかわりに母が育
ほんとに、妊娠わかった時から3つ子とわかった時から一生懸命にコツコツ、コツコツ積み重ねる1日、1日🗓️ベビ’sの生命力は強く、これからも1日、1日、娘のお腹の中で育っていくのでしょう✨スイカカットを持参して面会完食🍉してくれた。食べれるものを食べれるときに、ね。おねえ、おなかおもそう…🐈⬛
3つ子妊婦が早々と入院したことで本人は元より私も安心し、久々花を飾るやっぱり花は心の余裕と直結娘は例によって不調のようですが、ベビズは今日も元気!元気!元気!エコーの結果、Aちゃん207g(平均)Bくん250g(デカい!)Cくん207g(平均)
久々、登場🕷️蜘蛛の介おい、おい⚠️落ちますよーなんだか、楽しそう♪です入院食も一食、間で30分ほど休憩をはさむという体力激減娘心臓精密検査。同時に血栓🩸検査。どちらも異常なし。ホッとするが、やはりベビズをひとりで形成していってるので相当に体力を奪われているよう。現在5ヶ月だけれど今の娘のお腹は8ヶ月に相当する大きさらしい。「がんばれ‼️」としか言えないのも辛い😢
愛妻(?)を残しムコどのは東京へ✈️熊本空港へ送る途中広大な阿蘇へドライブし熊本ラーメンを堪能し何度も、何度も3つ子妊婦の娘を「よろしくお願いします🙇」と、頭を下げうしろ髪引かれ、引かれて帰って行きました。急に寂しくなりました😢入院中の娘は出される食事を好き嫌いせず、ベビズに食べさせるつもりで、と1時間半もかけて食べてるそう。毎日確認のベビズの心音も超音波での動きもすこぶる元気らしく嬉しそう
5月?6月?イギリス🇬🇧単身赴任が決まっている3つ子パパが娘入院を知ってたかのように東京より来熊娘入院してからは毎日面会💕だけど15分の限られた時間もどかしいね娘抜きの3人での夕食はトンカツ病院の娘の夕食もトンカツらしい食事すすまない娘に罪悪感…朝はムコどのがホテル朝食に我々夫婦を呼んでくれた❣️(パン、焦げた💦)食べれない娘は栄養不足、心臓に負担も、と、言われ来週月曜日は心臓精密検査。それでもベビたちの力強い心音が聴けた!と喜んでいた。日々、母🤱にな
3つ子妊娠18週の41歳娘なかなか寝たきり生活から脱出できず…毎日顔を合わせているのに毎日、朝に夕にお腹は大きくなりそれとともに体調も日に日に悪くなり…通院も必死💦車椅子での異動今日、早々と入院🛏️絶対安静⚠️2月から背中をさすり、トントンし、リンパマッサージ立ち座りの支え、栄養管理できることは親としてやってきたけれどここ、数日の容態の悪さに限界を感じていた親としては入院させることに安心するとともにポッカリした寂しさがあります😢これからは1日でも長くお腹でベビ
かわいいお客さまがいらっしゃった街なかで突然お声かけしてお友だちになったママ👩と遊びに来てもらったよ。なかなか調子の戻らない娘もかわいいお客さまに元気もらった様子先輩ママ👩にいろいろ教わります✏️📖おチビさんたちは驚くほどにおしゃべり上手で3人の個性もそれぞれあって、社会性もあって素晴らしいなあ✨と感動しました我が家のこの光景ももうすぐ上手にお姉さん役(同い年か)接待役してお疲れのぐり🐈⬛♡(お客さまは大のねこ好きでした)
最近、自分から声をかけてお友だちになった方がいます(勝手に友だち⁉️)最初の出会い、街なかの交差点ですれ違うなんと!双子用ベビーカーに乗せた3つ子ママ👩私は踵を返し、追いかけて「み、み、3つ子ちゃんですかッ!?」と。それからはおばちゃん本領発揮3つ子妊娠中娘の話しペラペラペラ3つ子ちゃんママ👩はとてもイイ方でママ👩のほうからLINE交換してくださったそんなママ👩&ベビと今日また、街中で偶然再開!またまた、立ち話だけどお話しできて嬉しかったそして、2歳になったちゃんた
ぐりちゃん🐈⬛!おねえのデッカいお腹を蹴り台🐈⬛にして展望所にあがるのは止めてくれるー⁉️
今日は3つ子妊婦は絶不調昨日は調子よかったのにねえ…やはり、41歳一人のお腹の中で一度に3人の人間を創り出すのは相当大変なことなのでしょう(世の若い妊婦さん方のようなマタニティライフは無理!)立ちくらみ、体のだるさで外を散歩することも出来ず、ほぼ寝たきり夜、起きてきた娘は「お腹すいた」と鮭そぼろご飯と納豆を食べれた完食…と、おもったらゔぐッと口を押さえてトイレへ…ああ、便器のフタを上げるの間に合わず😭大爆発!!母はトイレの大掃除と相成りましたとさ。
ぐり🐈⬛オチッコいっぱい出るようになったよ相方さん退院したその日からグビグビ🍺ですつわり娘今日は体調落ち着き、食事もとれましたぐり🐈⬛の肉球ハミ毛をカットしたいけど…切らせてくれないのよーハミ毛、ボーボー滑りまくりもう10年余り、愛猫ブログだったけど近く、猫🐈⬛と3つ子のブログになる予定しております
今日の時点で産後より12日が経ちました。産後はあんまり外出するのも良く無いだろうしじっとすべきだったんでしょうが、妊娠中より嫌でも安静を強いられていた私。どうしても外出したくて車で何度か外出してしまいました。えへ。明後日には産後2週間後の診察があります。まだ悪露が赤黒いのが気になるのでしっかり診てもらおう。出産手当などの書類関連も徐々に揃い初めて少しづつ進んでいます。経過が良ければ9月2週目から復職予定。体力的な自信はないけど、社会復帰したという思いは強い。まだ
火葬も終わり、夫もしばらく休みをとった。二人でちゃんと話をすることが増えた。そういえば必死であんまりわかってなかったけど、立ち会いしてみてどうだった?って聞いてみた。「なんかすごかった。先生の手両方入ってたで」・・・。??・・え?痛い痛いとは思ってたし先生も謝ってたけど、そら痛いに決まってる。自分の目で見てたら正気じゃおられんかったから見えない位置でよかった。「あと、分娩中に助産師さんか誰か鼻すすってなかった?誰か泣いてたんかな?」「あーあれな、主治
この日は朝から天気が悪かった。火葬の日は晴れてて欲しかったんだけどなー・・・まぁ空も悲しんで泣いているということにしておこう。久しぶりに喪服に腕を通す。自分の子供を見送るために喪服を着るなんてなぁ。夫と義母とともに火葬場へ向かい、私の両親と合流する。両親は二人に会うのは初めて。乾燥して二人とも生まれた時とは顔が変わっちゃったんだよな〜。でも二人ともすごく鼻が高いねって褒めてくれた。そして火葬の時間になった。小さな棺を横並べにしてもらう。スタッフの方がボタン
前回とは違い、夫婦二人の部屋に帰ってきた。私が退院するまでに夫と義母で家に祭壇を買って帰って設置してくれていた。やっとみんな揃った。賑やかになったね。お昼はお寿司の出前を食べた。次の日の午後から火葬だったので、5人で過ごせるのはこの日だけだった。クーラーを17℃に設定し、保冷剤を変えながら夏なのにもこもこの服を着て過ごした。夜には友達夫婦が来てくれてピザを食べた。「お疲れさま、頑張ったね」そう言って抱きしめてくれた。泣きたかったけど、友達が私より先に泣くから、なんか
朝から血液検査、診察を経て退院許可が出た。前日から退院する気持ちで荷物はまとめておいた。退院手続きを終えて、荷物を持ち、いのりの部屋へ移動する。夫と義母が来てくれていた。前回は一人、今回は二人の棺になった。母が塗ってくれた可愛い服(私のものとは比べ物にならないクオリティだった)を着せる。先生たちも可愛いねって言ってくれた。折り鶴も入れて、手紙も入れて。私と夫は笑顔だったけど、義母は泣いていた。前回はここで私だけ病院に残らなければならなかったが、今回は違う。一人
前回と違うのは、悪露が出る、後陣痛の出現だった。十月十日までいかなくても一丁前に起こるんだな〜と変に感心した。あとは今回は2人分の服や折り紙、手紙の用意になった。一人分でも服を手縫いするのに半日以上費やしてしまった私。そこで裁縫が得意な母に頼ることにした。LINEでお願いすると、「ばぁばとして初めての仕事だね、頑張るよ」と快く受けてくれた。折り鶴は手際が良くなって、20羽をひたすらに折り続けた。手紙はすんなり書けた。あとは面会が週1回良くなったのでそのタイミングで夫
第一子の時、とにかくショックな気持ちと、これからどうなるのかという不安と、自分だけ病院に残らないといけないという淋しい気持ちがずっと渦巻いでいた。ただ、第二子・第三子出産後は産後ハイもあるかもしれないが、「経過が良ければ帰れるんだ・・もう頑張らなくていいんだ・・・みんなで帰ろうね」と退院が待っていることに嬉しくなった。悲しくなって泣くこともあったが、不安になって泣く・寂しくて泣くことはなくなった。出産後、病室を訪れてくれたどの看護師さんにも「こんなこと今言うのは不謹
前回同様に助産師さんの計らいで4人で過ごす時間を作ってくれる。第二子と第三子はあまり似てなかったけど、両方とも女の子だった。第二子は身体が大きくて手足が長く、顔は夫と私のハイブリッド。第三子は身体が小さくて手足も普通、顔は私に似ている。大きくなってたら、どんな子たちに育ってたんだろうね〜。なんて夫と話しながら、いっぱい4人で写真を撮った。まひるもだったけど、こんなに小さくても、みんなすごい可愛い。それはそれはとんでもなく、可愛い。こんな可愛い子たち、もし目が開いたらどんな顔だ
第二子誕生から引き続き第三子出産へ。と思ったが、立て続けに出てきてくれる訳でもなく。内診ずっとされながらいきむも出ない。全然出てこない。そのうちどんどん陣痛の波が引いてきた・・・。それに午前3時ごろより覚醒していた私。陣痛で力んでたのもあってか急激な眠気に襲われる。主治医「もう少しかかりそうやから、一旦陣痛誘発剤入れて様子見よう」(え〜〜〜そんなんしたらもっと痛くなるやん・・・ガーン)でも仕方ないか・・・。そしてここから陣痛が第二子の時ほど強くなることはなく、間隔も
どんどん強くなってくる陣痛。ふと気になって助産師さんに聞いてみた。「今って子宮口何センチぐらいですか?」「だいたい7センチかな」え!?この痛みでもうそんなに開いてたのか。自分の身体ながらわからんもんである。9時過ぎになり、主治医が到着。「リトドリンのこと聞きました。でも多分もうここまで来てたら2人とも生まれると思う。」うん。なんとなくわかってた。もう3人一緒になれるほうがいいと思う。さらに強くなる陣痛。コロナ禍で立ち会いは無理と思ってたけど、主治医が「ここま
診察後、即LDRへ入室。ここまでは前回と一緒の流れ。まだ主治医の先生は来ていない時間帯。LDR、とんでもなく電波悪いねんな〜と思いながら夫に電話。思っていたより冷静に話せていた自分。そのあとより、徐々に弱気になっていく。当直で見てくれた先生はもし陣痛が引いたらCちゃんだけでも助けるためにリトドリン開始しようって看護師さんに話してたみたいで、そのために追加でルートを取られる。ただ、「もういいです・・・」「もう何もしなくていいです」って看護師さんに返事をした。もう頑張れな
睡眠導入剤を飲むと、悪くて6時、良くて7時ごろまで眠ることができていた。ただ、この日は3時半ごろに目が覚めた。また病院に来ちゃったからかなぁ。双子になったけど、ここから流産ってありえるのかなぁ。って思いながら、「双子流産」で検索をかける。そういえば子宮内胎児死亡って言われた時も、夜中ずっと流産や死産について調べたな。全てがあのときと似てる。4時ごろ、便意を感じるけどもう少しトイレ行きたくなるまで待とうと思って4時半ごろまで待つ。4時半ごろ、ようやくトイレへ行く。
また戻ってきてしまった。結局家で過ごせたのは4日と半日。でも、家に一旦帰れてよかった。少しの間だったけど息抜きできた。前の病室よりもう一つ奥の個室になった。大部屋からまた少し離れたから、何かあった時のために考慮されたのかな、とも思ったり。夕方、夫が荷物持ってきてくれた。会えないかと思ってたけど、先生より追加で病状説明があり、また張り止めを止めている状態で私だけで荷物を片すのは危険なんじゃないかという看護師さんの判断により病室まで入ることが許可されて夫が荷物かたしてくれ
退院してから四日半ぶりの病院。あー。せめて22週までの1ヶ月は自宅で過ごす心意気だったのに。また私の体はこんなにも不甲斐ないことになってしまった。自分に対する落胆の気持ちしかなかった。診察では遺残していた胎盤の位置が少し下側に移動してきているんじゃないか、とのこと。なんか全体的にみんな下に下がってるかなぁ・・・と先生。まぁ遺残胎盤がうまく吸収されるなんてそんな奇跡起こらんか〜3人とも同時に生まれなかっただけ十分奇跡やもんな〜と診察されながら思う。「数日で胎盤出てき
この日も朝、血圧正常、発熱もなし。お腹が張ったら横になって、お昼ご飯つくってもらって。お昼は冷凍のちゃんぽん麺を食べた。けっこう量食べられたな〜。14時ごろ、トイレに行く。ん?ナプキンに茶色い出血みたいなのがついてる。拭いてみると、トイレットペーパーには赤色のものがつく。お腹痛くないのに・・。また病院受診しなきゃやん。予定では明日が受診日だったのに。夫に報告してから病院に電話。今から来てくださいとのことで車で病院へ向かう。この時、車の中では少しだけ泣いた。