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2026年5月土佐町にて『黄昏がくる』夕暮れは、音もなく山あいへ降りてきます。高知県土佐町高須の棚田を見下ろすこの一枚には、その「くる」という気配が、たしかに写っています。まだ空は青さを残しているのに、西の稜線の向こうでは、すでに一日の終わりを告げる黄金の光がにじみはじめている。田植えが終わったばかりの棚田の水面はその光を静かに受け止め、空の色、雲の輪郭、山の影までも抱き込みながら、地上にもうひとつの夕空をつくっています。その美しさは、ただ「きれいな夕景」という言葉では足りません。
2026年5月いの町にて『私はこういうものになりたい。』いの町の国道わきに、この季節毎年楽しみにというか、勇気をもらうタチアオイがある。国道を行き交う舗装路の脇、ほんのわずかなコンクリートの隙間から、今年もまたタチアオイが空へ向かって伸びていました。やわらかな初夏の光のなかで、鮮やかな桃色の花がいくつも縦に連なって咲く姿は、可憐でありながら、見る者を黙らせるほどの気迫をたたえています。背景には家並みや国道の生活の気配があり、決して“花のために整えられた舞台”ではありません。それでも
2026年5月高知県にて『茜色の羊たちが駆ける黄昏時』日没後の西の空に現れたのは、二度と同じ姿では会えないだろうと思わせる、まさに一期一会の黄昏でした。画面の大半を占める空には、細かくちぎれた雲が一面に広がり、そのひとつひとつが夕光を受けて、橙とも茜ともつかない火照った色に染まっています。地上では山々がすでに黒い影へと沈み、空だけが最後の熱を抱いている。そんな、昼と夜の境目の短い人々を魅了するドラマチックな時間です。この雲を「ひつじ雲」と呼びたくなる気持ちは、とてもよくわかります。
2026年5月31日高知市にて『青くはないけど、ブルームーン』この夜の満月は、俗にいうブルームーンだった。ブルームーンと聞くと、どこか青白く神秘的な月を思い浮かべる人も多いかもしれない。けれど、実際のブルームーンは青いわけではない。NASAによれば、ブルームーンとはひと月に二度満月が起こるときの、二度目の満月のことだ。月の満ち欠けの周期は約29.5日。月初に満月があると、月末にもう一度満月がめぐってくることがあり、その珍しさが「onceinabluemoon」という英語表
2026年5月土佐町にて『黄昏の空に沈む、冬のダイヤモンド』水を張ったばかりの棚田に立つ。まだ田植え前の静かな田は、風ひとつない夜になると、空をそのまま受け止める大きな鏡になる。この夜、西の空には季節の終わりを告げるように、冬のダイヤモンドがゆっくりと沈もうとしていた。5月ともなると日が長くなり、完全な夜が訪れる前に、冬の主役だったオリオン座はすでに半ば山の稜線に隠れてしまう。それでもなお、かろうじて残った星々の並びが、西の低い空に冬の名残をとどめていた。空には淡い夕光がまだ残り
2026年5月いの町にて『山は遠くにあるほど、心に近づいてくる』天空の回廊とも呼ばれるUFOラインの夕暮れどき、目の前に現れた瓶ヶ森は、ただ高く美しいだけではなく、どこか人の心を静かに招き入れるような山の姿をしていた。左にゆるやかなな、氷見二千石原を見せる瓶ヶ森。その右側やや下には子持権現山、こっちから見ると全然違う表情だった。二つの峰が寄り添うように並ぶことで、風景には単なる山岳写真を超えた、物語の気配が宿っている。空は澄み、淡い雲が山の上をやさしく流れ、夕暮れの光が山肌の陰影を
2026年5月いの町にて『上流で待ってくれた、鯉のぼり』清流・仁淀川を目指して波川公園へ向かったその日、会場は多くの来場者でにぎわい、駐車場には入れなかった。けれど、薫風の風を受けながら上流へ足をのばした先で、思いがけず、こちらを待っていてくれたかのような鯉のぼりに出会えた。旅先では、ときに予定どおりにたどり着けなかった場所よりも、偶然に導かれた風景のほうが、深く心に残ることがある。写真のなかでは、澄んだ川の流れの上に、色とりどりの鯉のぼりが一筋に連なり、まるで水の道と空の道が一本に
2026年5月いの町にて『これは何だと思いますか?』何気ない坂道を走っていって、気になったので車を止めた。ふと足元を見たとき、コンクリート舗装の海に浮かぶ謎の幾何学模様に目を奪われました。見つめると、まるで現代アートか、あるいはどこか遠い惑星の地表を捉えた写真のようにも見えます。どこか無造作に埋め込まれた、この黒い塊。「これは何だと思いますか?」一見すると、誰かが落としたゴムの破片が熱で溶け出したようにも見えますが、実はこれ、私たちの安全を静かに守ってくれている「隠れたヒーロー」
2026年5月高知県と愛媛県の県境にて『天空の回廊を歩く』高知県と愛媛県の県境に伸びるUFOラインは、「天空の回廊」と呼ばれるにふさわしい景色を持っている。写真の中には、その名に偽りのない世界が広がっていた。こちらは過去の動画になります。左右から大きく抱き込むような山の斜面、中央へ深く落ちていく谷、そしてその先に幾重にも連なる山並み。視線は自然に稜線へ導かれ、気づけば空の高さと山の奥行きの両方を、ひと息に感じさせられる。まるで人が山を歩いているのではなく、空と大地の境
2026年5月高知県にて『森の小宇宙』一枚の写真の前に立ったとき、私たちはまず、方向感覚を失う。上も下もない。右も左もない。あるのは、ただ漆黒の闇だけ。そして、その闇の中に無数に散りばめられた、ホタルの光だけである。それはまるで、深宇宙を覗き込んだときの感覚に似ている。銀河が渦を巻き、星雲が生まれ、名も知らぬ星々が果てしない奥行きの中で脈動している。けれど、この光景は何万光年も彼方の世界ではない。これは、日本の初夏の森で起きた、ひどく小さく、ひどく壮大な現実だ。私たちの足元
2026年5月高知県にて『森に潜むホタルを追って』この夜、森の中で本当にヒメボタルが飛ぶのか、その確信はなかった。けれど、わからないからこそカメラを据える理由がある。自然を相手にした撮影には、予測よりも祈りに近い時間がある。期待しすぎず、しかし諦めきれず、ただ静かに暗がりの気配を待つ。その慎ましい構えが、この一枚の出発点になっている。写真の中でまず心を奪うのは、深い闇そのものだ。黒ではなく、緑を含んだ湿った暗さ。葉の重なりが天井のように垂れ込み、森の内部へと視線を誘いながら、光
2026年5月24日高知競馬場にてこの日のメインレース第17回福永洋一記念優勝馬ライラボンド号父キズナ母ベガグレシヤス(母父アドマイヤドン)ライラボンドが制した第17回福永洋一記念、その名に恥じぬ一戦雨を含んだような、不良馬場。重たい空気の下で行われた第17回福永洋一記念は、ひとつの名前が鮮烈に夜を切り裂くレースになった。勝ったのは、船橋から参戦したライラボンド。野畑凌騎手を背に、2番手から堂々と流れに乗り、2周目の3、4コーナーで先頭を射程に入れると、直線で
『日本競馬の歴史が動いた日』(写真は2023年高知競馬場第37回新人王争覇戦での今村騎手)歴史を切り開いた、人馬のまっすぐな末脚今村聖奈騎手とジュウリョクピエロが示した、競馬の美しさ2026年のオークスは、ただ一頭が先頭でゴールを駆け抜けた日ではない。日本競馬の歴史に、新しい扉が開いた日だった。5月24日、東京競馬場で行われた第87回オークス(芝2400メートル)。5番人気のジュウリョクピエロに騎乗した今村聖奈騎手は、JRA女性騎手として初めてGⅠ制覇を成し遂げた。しかも、そ
2026年5月高知県にて『見つめていたい、いつまでも。』森は、昼の喧騒をかすかに残しながら、もう夜のものになりかけていた。足もとには濃い緑の草。その上を、無数のヒメボタルが舞っている。舞っている、という言葉だけでは足りないほどだった。それは点ではなく、波であり、息づかいであり、森そのものが光になってあふれ出したような飛翔だった。まるで、冬のクリスマスのイルミネーションのようだった。まず心を奪われるのは、その数の多さである。一匹、二匹の美しさではない。林床を埋め、斜面をのぼり
2026年5月高知県にて『名もなき森の切り株で舞う』森には、ときどき名前を持たない場所がある。地図にも記されず、道案内の杭もなく、誰かの記憶の中にさえ曖昧なまま沈んでいるような、深い緑の底である。この写真に写っているのは、そんな「名もなき深き森」の一角だ。画面の中央には、役目を終えてなおそこに踏みとどまる一本の切り株がある。かつて空へ向かって伸びていた木は、いまは低く、黙って、森の時間を引き受けている。上にはやわらかな苔が厚く積もり、まるで長い歳月そのものに、静かな緑の毛布をかけ
2026年5月高知県にて『竹林に潜む銀河』この夜は新月から二日目、月齢2.6の細い月が西の低い空へ傾き、そのすぐそばには宵の明星・金星が寄り添うように沈んでいった。空に残る光はわずかで、地上には湿り気を帯びた夜気がゆっくりと満ちていく。こういう夜には、風景が先に変わる。目に見える前に、まず空気が変わるのだ。竹林に足を踏み入れたとき、すでにその気配はあった。今夜は、飛ぶ。そう思わせるだけの湿度と静けさが、竹林に満ちていた。まず空間構成にある。視点は低く、地面に近い位置からわずか
2026年5月高知県にて『竹林に潜む』雨が降っていなくても、山の気配はいつも少しだけ湿り、土はやわらかく、葉は暗がりの中で黙って水気を抱いている。とりわけ竹林は、その湿度を逃がさない。外の風景から切り離されたように、そこだけが青く、深く、静かに沈んでいる。この夜、視線は空ではなく地面の近くにあった。草むらの高さにまで身を落として竹林を見つめると、世界の形が変わる。人がふだん歩く高さでは見えてこないものが、足もとのすぐ上で息づき始めるのだ。濃い緑の下草が幾重にも重なり、その向こうに
2026年5月高知県にて『竹林を舞う、小さな星々』竹林で出会ったヒメボタルの夜新月がすぎて、西の空にはシュールな月とその下には宵の明星(金星)が並んで沈む夜。竹林に足を踏み入れると、まず空気の密度が変わる。湿り気を帯びた冷たい気配が肌に触れ、まっすぐ天へ伸びる無数の竹が、外の世界の音をひとつずつ遠ざけていく。青く沈んだ竹林には、風の形さえ見えるような静けさがあった。足もとでは草が深く息づき、見上げれば竹の幹が幾重にも重なって、夜そのものに柱を打ち込んでいるように立っている。その
2026年5月、高知県にて『道先案内人』竹林の小径を包む深い闇のなかで、ヒメボタルの光だけが、ことばを持たぬ案内人のように点りはじめる。人の姿はどこにもないのに、たしかに「こちらへ」と誘われている気がする。そんな不思議な感覚を呼び起こす一枚である。両側から迫る竹は黒く沈み、夜の空気をさらに深く、さらに静かなものにしている。道は細く奥へと伸び、その先だけがわずかに明るい。まるで現実の終わりと、別の世界の始まりとが、ひそやかに接している境目のようだ。その境へ向かって、ヒメボタルの金色
2026年3月仁淀川町別枝にて『雨に咲く、生芋のひょうたん桜』雨に濡れた山道の先で、淡い紅をまとった一本が、山の気配そのもののように静かに立っていた。左へと曲がる道、濡れたガードレール。その景色の中で、生芋のひょうたん桜がやわらかな春の灯をともしている。強い雨に打たれ、長くは滞在できなかったとしても、満開の瞬間に立ち会えたこと自体が、この桜の記憶を特別なものにしてくれる。高知県仁淀川町別枝地区の生芋に立つ「生芋のひょうたん桜」は、エドヒガンザクラの一本桜です。仁淀ブルー観光協議会
2026年5月高知県にて『宇宙(そら)へかえる』新月の夜完結編星の軌跡とヒメボタルが結ぶ、地上と天上の物語。高知県の夜の斜面で撮影されたこの作品は、スタートレイルとヒメボタルの飛翔を比較明合成によってひとつの画面に結晶させた一枚です。天では星々が悠久の円環を描き、地ではヒメボタルが儚い命の光を連ねる。そのふたつの時間がひとつの夜に重なったとき、この写真は単なる自然風景を超え、命と宇宙のつながりを語る詩になります。最大の魅力は、「天の光」と「地の光」が、同じ“帰路”をたどっている
2025年5月土佐市出間松本さんの早咲きのひまわり園にて『新月の夜その3』高知県土佐市出間の初夏を彩る風物詩、松本さんの早咲きのひまわり園。この夜は新月。星空を撮る者にとって、月明かりのない夜は、宇宙がもっとも深くその姿を見せてくれる特別なエンペラータイムです。(晴れていれば)この日、私は高知県津野町で天の川アーチを撮影した帰り道にいました。行きがけには曇っていた空も、帰路には少しずつ表情を変え、須崎市のあたりでは、雲の切れ間からうっすらと星が見えはじめていました。その瞬間、
2026年5月高知県津野町にて『新月の夜その2』新月の夜は、星を追う者にとって特別だ。月明かりがないぶん、空は深く沈み、普段は見えない微かな星々までその存在をあらわにする。星空を見上げ、その瞬間ごとの宇宙を追い求める者にとって、それはまさに「約束された夜」と呼ぶにふさわしい時間である。だが、その夜の始まりは決して順調ではなかった。高知市を出発した時点で、空には薄雲が広がっていた。須崎市へと差しかかる頃には、その不安はさらに濃くなる。見上げても、あるはずの星の気配はない。厚い雲
2026年5月高知県にて『新月の夜』月のない夜の森は、光を失ったというより、光だけを際立たせるために存在しているようだった。夜空は木々に覆われ、足元の輪郭さえ闇に溶けていく。その漆黒の底から、ぽつり、ぽつりと黄金の閃光が湧き上がる。やがてその数は増え、森の奥行きそのものが、無数の光の粒で満たされていく。この一枚は、ヒメボタルの飛翔を約1時間にわたって比較明合成したものです。あえてベース画面や光を整理せず、間引かず、その夜の密度をそのまま重ねました。見慣れた「ホタルの情景」よりも
2026年5月高知市にて『銀河への参道』新緑の香りを含んだ夜風が吹く、高知の静かな夜でした。街明かりから少し離れた場所で見上げた空に、私は思わず息をのみました。長い時を越えてそこに立ち続ける石の鳥居の向こうに、圧倒的なスケールをもった天の川が、まるで神域の奥へと続く道のように横たわっていたのです。この一枚に、私は『銀河への参道』というタイトルを付けました。鳥居の真下から見上げるようにカメラを構えたことで、左右の柱は視線を奥へ導く“道”となり、その先には鳥居という重厚な額縁に切り取られ
2026年5月高知県にて『神域に舞う』新緑の匂いを含んだ夜気に包まれながら、私は高知県のとある神社の拝殿に身を置いていました。狙うのは、森の宝石と呼ばれる小さな光の命ヒメボタルです。けれど、その夜の撮影は決してスマートなものではありませんでした。便利な機能に支えられた快適な撮影ではなく、経験と勘、そして最後は自分の感覚をどこまで信じ切れるかが試される、静かな真剣勝負でした。今回も相棒は、もはや重たい・頑丈が取り柄だけのEOS-1DX。いまのカメラのようにバリアングル機能はありませ
2026年4月大豊町大滝にて『大滝地蔵堂の彼岸桜』急峻な山々に抱かれたこの地に、春の訪れを告げる一筋の光のような名木があります。それが「大滝地蔵堂の彼岸桜」です。今回、私が目にしたのは、雨に濡れ、時折深い霧に包まれるという、まさに「幽玄」を形にしたような姿でした。晴天の下で輝く桜も美しいものですが、湿り気を帯びた空気の中で、ぼんやりと浮かび上がる薄紅色の花びらは、見る者の心を静かに揺さぶります。大気と地上の境界が曖昧になる濃霧の中、その桜はまるで現世(うつしよ)のものではないよう
2026年5月高知県にて『主役不在だけど、見事なスタートレイル』この夜の撮影テーマははっきりしていました。狙っていたのは、初夏の気配をまとって舞うホタルと、頭上をゆっくりと巡る星々、その儚さと壮大さがひとつの画面に収める、贅沢なコラボレーションです。主役はもちろんホタル。地上すれすれの暗がりに灯る小さな命の光を、夜空の星たちがそっと引き立てる。そんな一枚を思い描いて、静かな夜のフィールドに立っていました。けれど自然は、いつもこちらの期待どおりには応えてくれません。きっと、普段の
2026年4月高知県にて『山郷の春』高知県の山あいで出会ったこの満開の桜は、ただ「美しい」のひと言で片づけてしまうには、あまりにも惜しい存在でした。目を引くのは、花の量そのものだけではありません。深い山の緑に抱かれ、まだ水を張る前の棚田の脇で、淡い薄紅がふわりと浮かび上がっている。その姿は景色の一部でありながら、同時にこの土地の春を告げる“主役”でもありました。華やかなのに騒がしくなく、むしろ山郷の静けさをいっそう深く感じさせてくれる桜です。そして私は、この棚田が今年も田として使わ
2026年5月10日高知市若宮八幡宮・第12回長宗我部まつり『十人十彩・よさこい演舞』高知市若宮八幡宮で開かれた「第12回長宗我部まつり」。数ある催しの中でも、「十人十彩(じゅうにんといろ)」によるよさこい演舞は、ひときわ眩い光を放っていた。会場を包むのは、突き抜けるような初夏の青空と、踊り手の熱気だ。写真の中の彼女が見せる弾けるような笑顔と躍動する姿からは、祭りの熱狂が真っ直ぐに伝わってくる。大きく広がる袖と鮮やかな衣装のコントラストは、一瞬の動きの美しさを鮮烈に写し取り、観る者