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1日の終わりに哲学で精神を深めるひと時。令和哲学者Noh先生と5人の侍で開催している第822回令和哲学カフェ。テーマ「精神とは」人間の尊厳危機であるAI時代。自分の考えで考えたい、核個人時代を生きる心の時代。精神と言えば侍。侍に聴く精神とは?日本には、巨大な愛のエネルギーがある。それを爆発させる時が今。月曜日:小林隆人さん火曜日:大場龍夫さん水曜日:池田健吾さん木曜日:一龍飛さん金曜日:長岡美妃さん昨日は火曜日担当の大場さんから会の全
休戦か停戦か、プーチンも悩んでいるでしょう。秋の空首を回せば骨が鳴る…©台風はそれてくれました。すがすがしい青い空の速い雲を見上げると、肩か首のあたりでゴリゴリと音がします。台風をどこで過ごすか旅ガラス…©下五は旅乞食としたのですが、差別用語らしいのでカラスに変えました。ホームレスにしろ、浮浪者にしろ言い換えて済む問題ではないと思います。敗戦を終戦というようなもんです。1945年8月15日の新聞には、「休戦の大詔降る」と書いているのもありました。敗戦忌、明るい墓地に草
🇺🇸米退役軍人メディアと西側の嘘は崩壊し、人々はプーチンとロシアの真実を学び始めています🇷🇺ロシアの背後には長くて古い歴史があります。彼らは崩壊しません。ロシアは自由のために戦い、かつて世界を救い、またそうするだろうから、神はロシアを支持する。Themediaandwesternliesarefallingapart,peoplearelearningthetruthofPutinandRussia🇷🇺Alongandancienthi
1945august15dayfinishedsecondworldwar.Secondworldwarhadpassedawaythemanycitizen.Manycitizenhadlostedfamilyanddwellinginadditionpropertythiswar.Still,manycitizenhaveinjuredheart.Don'trepeatsamemistakeagain
今日は、終戦の日。玉音放送を、最初から最後まで、全部聞きましょう!玉音放送は、昭和天皇が文語で語られております。1945年の本日。当時、国民の多くは、初等教育しか受けておりません。陛下が、何を言っているのか、意味のわからない人が、大勢いました。中等教育を受けた人でさえ、陛下は、戦争が終わったことを伝えられたのだ、というくらいしか、理解できませんでした。そのため、市町村役場には、玉音放送の解説が、あらかじめ配られておりました。放送終了後、役場に玉音放送の意味を聞きに行った国民も、多かったそうです
今夜も令和哲学カフェを視聴しました。令和哲学カフェ#695☕️令和哲学カフェのご案内☕️令和哲学カフェ今ここスッキリBeyondEverything時代のパラダイムが大きく変化しています。新型コロナウィルス感染拡大、そしてAIの台頭。今までの当たり前や常識が大きく揺さぶられ、「哲学」や「軸」がなければ、環境に左右され、変化に対応するだけで精一杯になってしまいます...www.youtube.com今週は第6期の締めの週になります。月曜日は、1945年から1960年にフォーカスしていま
このイラストは、有名なGHQのマッカーサーです彼が大きく関わる日本の終戦世間では毎年8月15日は『終戦記念日』とか言われてますが僕は、この言葉には昔から抵抗があります百歩譲って終戦は、無条件降伏したんで分かりますが、記念日とはいかがなものかと思ってしまいます僕は、、、と言うより多くの日本人は、もちろん戦争は反対ですしかし、先の戦争がどう言う戦争だったのか?日本は、何と戦ってたのか?今の戦後77年間続けられてきた反日とも言える自虐史観を植え付けられた日本教育その教育にどっぷりと
2022年8月14日「松山千春ONTHERADIO」(1)番組全般を通して、8月8日に開催した松山千春自身が主催する「シンガーソングライター・オーディション」最終選考の様子を詳しく伝えていた。番組の中で、その時の音源から、最優秀賞の小川哲央(おがわてつお)さんの楽曲「橋戸公園」と、優秀賞の紫牟田吏沙(しむたつかさ)さんの楽曲「琥珀の雨」をかけた。シンガーソングライター・オーディションに関する松山千春の語りは今後掲載予定。明日が日本における「終戦の日」※
、、、戦争は負けたんだ、だけど、ハモニカが吹けるんだ、、、泣けるね、小沢昭一のブルース。2022年8月15日、ワタチは生きています、、、(^o^)
戦争体験談、聞いたことある?▼本日限定!ブログスタンプ過去に祖母が戦争の話をしていたことは覚えている。父が1945(昭和20)年生まれなので、生まれてすぐの事だっただろう。あと、私が小学6年の時修学旅行で、行き先が広島なので、行く前にみんなで千羽鶴を折った事や、その時の広島の映像を観た事、行った当日もその話を聞いた事、原爆資料館に入って見物した事。まさに惨たらしかったです。二度と起きて欲しくないですね。◎忘れてはならない4つの日沖縄慰霊の日(6月27日)広島原爆の日(8月6日)
亀の歩みのシンガーソングライターで、チェコ親善アンバサダーの大橋歩美です。今日は終戦記念日です。私は、祖母と言うものを知りません。祖父も母方の祖父は生前に会ったことはあるけれども、ゆっくりお話をすることもなかったので、祖父母についての話はほとんど両親と親戚からしか聞いたことはない状態です。戦争体験の話も然り。母方の祖母は、群馬出身で兄弟も多く、長女だったこと、料理上手だったこと、祖母が猫を拾ってきて、母親も一緒に可愛がっていた時期があったこと、早くに亡くなった以外はあまりよく知りません
今日は8月15日。「終戦記念日」と呼ばれています。昨年のこの日,そして数日にわたり書いたブログがあります。その頃はまだ,ボクのブログを読んでくれていた方が今よりもはるかに少なかったので,まとめて再掲します。長文になりますが,最後までお付き合いいただけると幸いです(1)父の8月15日ボクの父はもう亡くなっている。1921年3月に東京・渋谷で生まれた。1945年8月15日,父は24歳。兵役につかず東京・狛江の軍関連の工場で働いていた。昼,従業員が呼び集められた。そこで聞かされたの
現場に向かう途中でしたが、ちょうど靖国神社の前を通ったので、まだ時間も少し余裕があったため終戦記念日にとはいかなかった参拝をしてきました。目の前を通ることは多々あるものの、参拝に毎回寄ることも出来なかったのでちょうどいいと思い立ち寄ったのてすが、相変わらず雰囲気は独特のものがありますね。荘厳というにふさわしい。参拝にあたっては前から取っておいた、平成31年の10円玉と令和元年の5円玉、昭和の100円玉をお賽銭箱に入れて手を合わせてきました。私は特に右寄りでもその反対でもありませんが、そう
韓国人の女性と結婚して28年目の昨日(8月15日)の会話ボク「今日は8月15日だね。おめでとう」奥さん「えっなんで?・・・お盆だから?」ボク「クヮンボクチョル(光復節)」奥さん「えっ・・・あぁ・・・いやだぁ忘れてた。もう日本に長く居すぎ~」今日8月15日。日本でも,韓国でも,朝鮮でも,「1945年8月15日」を胸に抱いて,人々が集まる。その思いはきっと一人ひとり同じじゃない。そしてまた「1945年8月15日」を忘れていく人,その日になんの感慨も持たない人々が増えていく。
ボクは韓国人の女性と結婚した。結婚した年の8月15日。ボクたちは韓国にいた。奥さん「行ってみようか」ボク「どこへ?」なんとソウル市庁前だったかで開かれる大規模な「光復節」を祝う集会を見に行こうというのだ。「いいのか?」と一瞬ためらったが,好奇心の方がはるかに勝るのがボクの性分。会場が見えてきた・・・奥さんが,真顔になって声を潜める。奥さん「絶対声を出しちゃだめよ」ボク「なんで」奥さん「日本人ってわかるでしょ!」えぇ~そんな心配するなら連れてこなかったらいいの
(昨日書いたものですが・・・)今からもう28年も昔のこと。高校時代の友人から久しぶりに電話が来た。「夏休みに韓国へ行こう」という誘い。お隣の国なのになぜか機会がなかった。快諾し8月の盆休みに行くことにした。彼の会社に旅行を手配する部署があるというので任せた。数日後に電話が来た。彼「日程を変えようぜ。8月15日に韓国にいるのはまずいらしい」ボク「?」彼「その日の前後は反日感情が高まるんで旅行はやめた方がいいってさ」8月15日は,日本では「終戦記念日」と称されているが,韓国
前々から記していた事実ネットでググると不思議と沢山事実が出てくる事巷では創価公明が【日本国を支配した】と喜び己惚れる有様では、改めて終戦後に如何してこのような蛮行が出来たか軽く記して行く事にする1945年以前日本陸軍に在日朝鮮人が居て軍部上層部にも輩が居た事これ等は顔、言動で中国を出し抜きたいと言う現れで行動していた事如何して中国を敵視していたか?簡単な理由=奴隷と成って朝鮮人は憎しみを抱いていた。日本の軍事力に目を付けた在日朝鮮人
今日は8月15日・・・となると,やっぱり「1945年8月15日」にふれたくなる。「社会科のセンセイ」だけに。ボクの父はもう亡くなっている。1921年3月に東京・渋谷で生まれ,一生を終えた。1945年8月15日,父は24歳。兵役につかず東京・狛江の軍関連の工場で働いていた。昼,従業員が呼び集められた。そこで聞かされたのが,いわゆる「玉音放送」だった。ここからは晩年の父とのやり取り--父「ラジオはピーピー言ってよく聞き取れなかった。でも,戦争に負けたということは分かった」私「放送を聞
敗戦から75年が経てしまったね。日本人や世界の人々は何も学んでいないようだね。水木しげるの「総員玉砕せよ!!」。一家に一冊だな。敗戦75年目の夏はとてつもない猛暑だよ。オイラの人生もアッチィじぇ。しかして、無駄に玉砕はしないじぇ!、、、(^o^)/
ViewthispostonInstagramMASATOAIHARAさん(@wnw4new22wew1969)がシェアした投稿-2019年Mar月14日pm6時46分PDT
本日は久しぶりにOFF!てーことで、久しぶりにDVD📀鑑賞!「樺太1945年夏氷雪の門」を鑑賞しました。露国との関係を悪化させるという理由で上映が出来なかった映画だそうです。日本固有の領土である南樺太西海岸の真岡町を舞台に、真岡郵便局電話交換手の女子局員9人が青酸カリを飲んで集団自決するまでが表現されています。終戦後敗戦国に国際法は存在しないという露国は、白旗を揚げている帝国兵士や民間人を容赦なく虐殺し、民間人で溢れかえる引き揚げ連絡船を撃沈し、海上から南樺太西海岸の街々を焼き払
1945年(昭和20年)8月15日が終戦の日とされていますが、その後も日本では戦争が続いていました。戦時中に日ソ中立条約で日本とソ連は互いに領土を侵略してはいけないという条約を結んでいました。しかし、ソ連のスターリンはそれを破ります。73年前の1945年8月18日に千島列島の最北東の島の占守島(しゅむしゅとう)に侵攻します。激しい戦闘があり、日本軍もソ連軍も多数の犠牲を出します。占領軍のマッカーサーからスターリンに侵攻をやめるように伝えましたが、スターリンは黙殺します。そして1945
終戦日(無条件降伏敗戦日とも言う)1945年8月15日、東京の天気はどうだったのだろうかと調べたくなった。気象庁の過去記録を検索したが雲度は分からず、別サイトから「快晴ではないが晴れ」ということが分かった。暑かったのだろうか?これは以下の気象庁サイトから分かった。気象庁過去観測データhttp://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/annually_s.php?prec_no=44&block_no=47662&year=1935&mo
今から73年前の1945年8月15日太平洋戦争が昭和天皇の「聖断」によって約3年6ヶ月続いた戦争が終わりました……たくさんの犠牲の上にある「今の平和」心の底から感謝しなければいけません………そして平成最後の「終戦の日」戦争の記憶や教訓が薄れていく今…………決して「あの戦争」を忘れてはいけませんこれから先………もう二度と戦争の無い………平和な世界と時代がずっと続きますように………先の戦争でお亡くなりになったすべての方のご冥福をお祈りいたします………………
2018年(平成30年)8月15日、今日は73回目の、そして平成最後の終戦記念日です。1945年(昭和20年)8月15日正午に『大東亜戦争終結ノ詔書』を昭和天皇が朗読したレコードがラジオ放送され(玉音放送)、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられました。日本政府はこの日を『戦没者を追悼し平和を祈念する日』としています。終戦記念日は第二次世界大戦が終結した日ではありません。それについては昨年の日記でほんの少しですが触れましたので、リンクを貼っておきます。終戦の日【