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以前から入線している165系、横浜のぽちに大量にあったのを思い出し、購入してきました。KATO165系ピンク包装なので約25年前の製品になります。セットの中間車はパンタ付がメインとなっています。編成上パンタなしの中間車がほしくこの度入線となりました。またなぜ大量に165系が販売されているのが気になります。同車両を購入しに行ったはずが、まさかのセット2個も合わせて入線となりました。嬉しい入線となりましたが、予想以上のコストを費やすことになりました。やはり「
昭和59年2月20日東海道本線近江長岡~柏原再スキャンしました。当時は雪が深かったです1m位積もってまして釣り用のウエーダでもあればよかったのですがそんな物は持ってなくて現地で合羽のズボンに長靴、ズボンと長靴の継ぎ目をガムテープで巻いて撮影地へ。目的の58撮影し合間の撮影です。165系です当時は快速や普通列車ですね。12連の489系の特急「しらさぎ」です。以上。
昭和55年5月4日中央西線多治見駅構内に廃車待ちの車両がたまに置いてありましたクモヤ165-1興味無い為今まで放置のネガです車番見ましたらクモヤ165-1と有ります食堂車改造の事業車窓の配置が食堂車ですね佐久間レールパークに展示佐久間レールパークが閉館した時に解体。Wikipediaよりクヤ165形クヤ165-11974年に名古屋鉄道管理局の教習用車として、浜松工場でサハシ153-15の改造により製作された事業用車。客室を運転実習室とし、旧ビュフェ
6月の長浜運転会の2日目。夕食を挟んで、夕方から夜にかけて楽しみました。テーマの中央東線にふさわしい、旅情をそそる列車のラインナップに酔いしれることができました。183系が特急「あずさ」を演出してくれました。室内灯も綺麗に灯り、細かな表記も旅をイメージさせてくれました。山男、EF64は今日はサロンエクスプレス東京を牽引しました。カンタムサウンドを奏でながらの軽快な走りでした。EF13箱形の牽く準急アルプス。素晴らしい編成になりました。今回も鉄道模型友人が、関西出張に絡めて自宅レイアウト
いつもご覧頂き誠にありがとうございます。今回は、国鉄167系電車修学旅行色を投稿したいと思います。167系電車は、広義の165系電車の1系列になり、今回投稿します学生の修学旅行用電車として昭和40年(1965年)から1年間製造され、東京・田町電車区、山口・下関運転所にそれぞれ配置されました。昭和34年(1959年)には155系が、昭和36年(1961年)には159系が、そして昭和40年(1965年)に167系が登場した形になります。ちなみに車輌の方ですが、ほぼ狭義の165系電車と
進化・進歩を感じること▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう人間の進化が地球上では一番ダメな進化の仕方とか。・・・(-_-;)民営化したはずの道路公団の後継会社に贅沢に税金投入されている可笑しさ。これが何を意味するのか、考えてみてみるのも良い機会かもしれません。1984年1月撮影白馬左が【アルプス11号】南小谷行右が信濃大町から?急行になる列車だったと思います。
こたつで寝ちゃったことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
昨日で福岡県への緊急事態宣言は終了しました。食事処御来欧音の居酒屋営業も、今週金曜日から再開予定です。先日頂戴したKATO製キハ20と・・・・先日修理が完了したKATO製キハ20。こちらも以前師匠に頂いた車両。元気に本線に復帰しました!こちらも先日ナンバープレート取付が終了して本線復帰したばかりのDE10-1756号機ハイパーサルーン牽引機。因みに、こちらは先日試験線で走行問題なし、と判定したトワイライトエクスプレス仕様のカニ24。と
昨日、紹介させて頂きました「きのくにシーサイド号」で白浜へ出かけた、復路は165系電車に紀伊田辺から和歌山まで乗車しました。やはり急行形電車は旅情を掻き立ててくれますね。編成は中間のモハは800番台でしたので、パンタの部分だけ低屋根車でした。運転台の後ろにはATS-Pと思うのですが、設置されていました。ゆっくりと紀州路の旅を・・・と思っていましたが、クラブ帰りの学生さん達が大勢乗って来られて、にぎやかな旅路となりましたが、楽しい思い出となりました。本日もご覧いただきありがとうご
皆さんこんにちは。1994年の冬ですね。何度かご紹介している呉羽山を訪問してから夜行急行能登で早朝大宮へ。そこからまたまた鉄道ダイヤ情報を参考に訪れました。特急新特急なすの4号新宿行です。どうもネットで検索して出てくる有名撮影地ではないようなんですが、雪山も望めました。普通池袋行です。115系の7両編成は関西圏ではそんなにみなかったので。良い思い出に寝台特急北斗星4号上野行です。EF81に柱が被ってしまいましたが、なかなか満足していま
今日は昭和61年5月の国鉄浜松駅に出掛けてみました。今日のお散歩カメラPanasonicLUMIXDC-TZ85写真4DCVARIO-ELMAR1:3.3-6.4/4.3-129ASPH.写真1~3昭和61年の浜松駅ホームには堂々12両編成の165系電車が停車しています。浜松発東京行き、急行東海4号です。静岡までは普通電車として運転されていました。下りホームには当時新鋭
磐越西線への列車だったと思います。キハ47系主体の列車でした。撮影年月不明。新潟地区から165系電車が引退する前に運転された、急行【懐かしの佐渡】号です。この列車の指定席が取れたので、仲間内との乗り鉄だけで新潟まで来ました。おまけに581系使用の急行【きたぐに】もゲット。この塗装は2回目の変更だったと思いました。
国鉄の急行形で一番に利用し形式はキハ58系と165系電車でしょう。急行【こまがね3号】冷房を使用する時期を過ぎていたので、窓の空き方からするとそこそこの乗客はいたみたいです。高速バスに完全に敗北してしまいました。急行【伊那】急カーブが多い飯田線では、急行列車としての速度が上げにくい欠点がありました。165系電車としても性能を持て余していたと思われます。急行【なすの・わたらせ・日光1号】新前橋電車区配置の165系には、専用のヘッドマーク入れ
107系電車。JR東日本が国鉄時代に急行型電車として活躍していた165系電車を廃車し、機器を流用して車体を近郊型として新製した電車です。高崎にて。1988年から1991年にかけて製造された形式で、国鉄分割民営化後まもなく設計・製造されたこともあり、車体のデザインは末期の国鉄近郊型電車の雰囲気を醸し出しています。165系急行型車両は国鉄の増収策の一環として実施されていた急行列車の特急格上げによりローカル列車に転用されていましたが、ドアが片側2箇所、デッキ付きという優等列車スタイル
たつみ鉄道管理局にもようやっと新規金型のキハ58系がやって来ました(笑)先ず入手時のスクリーンショットですが予算の都合でキハ58(M)とキハ65にしました。キハ65は東日本には所属が無くて馴染みの全く無い車輛ですがいつもの気動車好きが高じて入手した次第です。さっそく手持ちの旧製品のキハ58(M)とキハ65を自室の模型棚から掴み出してきたので比較してみました。先ずキハ58から見てみます。下段が新規品でM車のトレイはウレタンフォーム入りとなり塩化ビニール
お昼はデリカステーションで購入したエビカツサンド食べた後は、ガイドツアーに参加しました。車両は165系電車。普段は入る事も近づくこともできませんが、ガイドツアーに参加すると中に入れてもらえます。なので普段は写真を撮る事ができない車両番号も撮り放題そして車内にも入れます。今回は車内から隣に並んでいる車両も撮ってみたら夜間に駅で隣に並んだような雰囲気になったような感じ。車内もいろいろ撮影して終了。あっという間の30分でした。こちらは165系電車のグリーン車です。
2017年1月27日ごろの入手ですが諸般の事情により当ブログでは記述していなかった記事です(´・ω・`)さて部品の状態で模型をいくつか入手して来ました。KATO74103-1モハ80373飯田線ボディと共通部品の床下セットとDT20台車KATO4869-1クモニ83816ボディ床下台車の組み合わせセット各車のパンタグラフとクモニのジャンパ栓は在庫品が有るので入手しませんでした。それとトラムウェイ都電用明石ビューゲルキット(N)コレは
これまで訪問しました中では、訪問しなかった数年の間に残念ながら姿を消しました電車も見られておりまして、番外でもご紹介しました209系3000番台・3100番台電車も姿を消しておりまして、現在はE231系電車から改造されましたE231系3000番台電車、209系500番台電車から改造されました209系3500番台電車に姿を変えております。209系3000番台電車は、平成8年に八高線八王子-高麗川間電化開業時に4両編成4本が導入されておりまして、当時所属しておりました103系300
埼玉県横瀬町・秩父市の武川岳から蔦岩山、焼山の縦走登山帰りに林道焼山線(焼山林道)を下山していると、採石場の資材置き場に秩父鉄道の古い廃車体が放置されていた。物置に使われているようだった。車体は急行運用に使われていた秩父鉄道3000系。元国鉄165系電車を秩父鉄道用に改造したものだ。「3」の文字がかろうじて見える。車番はクハ3203だったという説も。そうすると相棒だった反対側の先頭車両はデハ3003であり、寄居町の国道254沿いのラーメン屋として使われていたが、いつの間にか解体されてしまっ
1986年7月26日上越本線の水上駅迄、EF55-1が旧型客車を引いて、お散歩をした日😁水上~上牧9730レEF55-1+E×7後閑~上牧9731レ同上当日の余録写真☝後閑~上牧165系普通電車同上115系冷房準備車特急谷川185系200代水上~上牧8042M485系鳥海同上この、高崎~水上は、復活組のお散歩定番コースになりましたね☝人出の少ない所を探すのに、苦労したおっさんでした😁☝EF55は、いつのまにか大宮に収館されていた😱以上、お
みんなの回答を見るこの時からもう28年も経過しましたか・・・。なんかウソみたいな感じしかしないのはなぜ?時間の経過の感じ方がおかしくなっているのでしょうか?上越線の顔を選べ・・・と言われたら165系電車を間違いなく選びます。この系列のデビューした路線でもあります。他にも候補はいますね。EF58形もそうですが、どうしても「東海道・山陽の顔」というイメージが強いので選択からは漏れました。181系【とき】も有力な候補になりますが、転属
昭和55年5月4日中央西線多治見駅構内に廃車待ちの車両がたまに置いてありましたクモヤ165-1興味無い為今まで放置のネガです車番見ましたらクモヤ165-1と有ります食堂車改造の事業車窓の配置が食堂車ですね佐久間レールパークに展示佐久間レールパークが閉館した時に解体。Wikipediaよりクヤ165形クヤ165-11974年に名古屋鉄道管理局の教習用車として、浜松工場でサハシ153-15の改造により製作された事業用車。客室を運転実習室とし、旧ビュフェ部分にはCS15形
3763M快速「ムーンライトえちご」新潟行。平成15(2003)年10月16日、山手線・新宿駅にて撮影。165系電車の印象が強い「ムーンライトえちご」ですが、この2003年から485系電車に置き換えられました。しかし、2009年春で定期運行を終了し、臨時列車に。2014年以降は設定がなく、485系電車も引退。実質的にフェードアウトした格好。夜行はしんどいですが、情緒はたっぷりなんですよね。
今夜は猫たちの写真はありません(^◇^;)【キナ鉄鬼奈川本線を走るJR165系電車】「天井に例の扇風機がついているとなお良し」と、魔王様が言ったので、天井にあの扇風機をつけてみましたが、扇風機も一緒に写るアングルはなかなか思いつきませんでした。【例の扇風機】最近の列車はエアコンを装備しているので、このようなシーリングファンを列車の中で見かけることも少なくなってしまったかもしれません。【そしてポリ茶瓶】魔王様のコメントでは、今でも地域によっては販売されているという
豪雨の富士ハイを後に大月行きのFCTで下吉田駅へGO、次の列車迄は何と30分以上も有ったのでこれまた2年ブゥリとなる横のブルトレテラスへ‼例のベロ出し初代Mt.FUJi車な2000系とソレの種車で有る165系湘南色が14系を挟み保存、原型最後にして唯一保存の同系列なだけにもはや走らぬとは謂え逃せないシロモノです‼例によって先頭車だけのマミった状態ですが嘗ては「外房」や「なのはな」で房総にもIN、開業間もない頃の京葉線にもシャトルマイハマ号として入線歴が有るので仄かに親近感も。同車の魔改
この超絶インパクトに勝てる電車は…居たらEF65牽引で連れて来い‼↑富士ハイで5時間以上もシャイニー後はまた上りで大月方面へ、既に果南の「雨乞い」により超大粒のゲリラ豪雨でしたが再び下吉田で初代Mt.fuji特急を見学。01年秋にJR東海から譲受した165系改のパノラマアルプスEXを3両短縮の上で魔改造、富士山をモチーフにしたユニークなキャラ…と言う事ですが何をどう間違ったのかコレェ‼外部に約98体も描かれた「彼ら」の夫々に一体ずつ名前も当時は付いてたりもしたらしく、当時は富士急行のサ
昨日は40枚も写真を貼ってしまって、見るのに重かったかたもいるかもしれないのでそこそこに抑えておきます。飯田線急行【伊那】1981年3月撮影急行【天竜】も似たような編成でしたが、【天竜】は時折変則的な編成で現れることがあって【伊那】とはまた違った雰囲気もありました。【伊那】は大垣電車区の受け持ち、【天竜】は神領電車区が担当していました。もっと前だと、【天竜】はディーゼル急行として運転していたのですが、その時代には間に合いませんでした。急行【こまがね
1974年3月号の時刻表からです。この部分だけで書けることが2つあります。急行【おくいず56号】なぜか真鶴に停車しています。こんな設定があったとは。そして特急【あまぎ2号】横浜の次は網代まで停まりません。小田原、湯河原、熱海も通過。そして最後の活躍を見せていた、西鹿児島行急行【桜島・高千穂】大船は通過してたのかと。もっとびっくりなのが・・・岐阜を出たら、大垣、米原を通過していたことでした。これはちょっと意外で
平成14(2002)年10月10日、3763M・快速「ムーンライトえちご」村上行。山手線・池袋駅にて撮影。デカ目の165系電車、ぼんやり灯る白熱灯のヘッドライトがたまりません。終点・村上から酒田へ抜け、当時はまだあった酒田駅弁の取材。陸羽西線~陸羽東線を乗り継いで、鳴子温泉・滝乃湯で奇跡的な独泉!古川から新幹線で仙台へワープ、常磐線455系~415系乗継ぎの帰京でした。