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こんばんは、ご機嫌いかかですか。尾張地方、日中は快晴で暖かな日になりました。本日はHO(1/80)スケール鉄道模型の画像です。約50年前に作成した、名古屋鉄道の6000形で車です。右側車両のスカートは国鉄153系の真鍮製のパーツを接着しています。ロコモデルのペーパーキットを組み立てました。塗料は、マッハ模型が出していた塗料「名鉄スカーレット色」を使用しました。50年前の塗料ですので固まって使用できません。私が高校生の時に作
週末はまた、車輛の入線整備をしました。K社の155系電車8輌基本セットです。以前から狙ってた車輛セットのひとつですが、先月かなりのお手軽価格で購入することができました。このセットは2018年のリリース以来、現在でも新品で市場に出てるようなんですが、やはり修学旅行用車輛という特殊用途なのが原因なんでしょうかね?ちなみに筆者の世代の修学旅行はすでに新幹線利用やったので、当時155系や167系はすでに改造されたり、波動用車輛として電車区で昼寝してることが多かったと思います。取り
KATO10-344153SERIESELECTRICCAR153系「新快速」直流急行形電車箱には153系とあったので東海色と思っていました。開けてビックリ、水色でした。走行はノイズが酷いです。これまで走らせた事無かったので注油すれば直るのかなと思っています。この他に東海色の「低運転台」と「高運転台」が1箱あります。これも製品番号がありませんのでバラの製品を組んだのかも知れません。
↑113系かぼちゃ最大の珍車を考察。2006年10月22日撮影。↑反対側は通常の塗装。ハロウィンにちなんで。やはり気になるこの車両。なぜ?の回答はなかなか見当たらない。ひとつの手がかりとして、宮原配置に際して施された湘南色であるということ。宮原といえば、かつては153系の一大基地であった。急行は主に湘南色、新快速は主にブルーライナー色であった。↑宮原配置の153系による新快速。その特徴は…。153系は前面の幌枠はもともと銀色であった。後年はオレンジ色
今も走り続ける、京阪神間の新快速電車。50年前(昭和50年)も京都・三ノ宮間の所要時間は現在とほぼ変わりませんでした。電車は急行型の153系電車6連。京阪神間の停車駅は京都、大阪と三ノ宮でした。それより驚くべきことは外側線(列車線)ではなく、普通や快速電車が走る内側線(電車線)を走っていました。その頃の列車ダイヤを切り取ってみました。興味のある方は・・・
大阪駅を出発する名古屋行き急行「比叡」1980年頃撮影1両目が165系、2,3両目が155系、4両目から後ろが153系大阪駅1952年に名古屋~大阪間の準急として誕生した「比叡」、東海道新幹線の開業後も急行として活躍していましたが、1984年2月に廃止となりました。おもに153系の運用でしたが晩年は165系や155系が使われることもありました。写真は165系、155系、153系の混ぜこぜ編成です、デカ目がいい感じですね。155系(2.3両面)だけ非冷房なので
↑国鉄の社会見学で配布された「見学のしおり」。大阪鉄道管理局の発行で153系新快速が看板であることがわかる。小学生のメニューに社会見学がある。当時の国鉄を訪れているので、その「見学のしおり」の一部を紹介したい。1972年ごろである。国鉄は消滅しているので、参考資料として紹介したい。国鉄では管理局の存在が大きく、独自の特色があった。大阪鉄道管理局のエースは153系新快速で、東海道本線の内側線、電車線を疾走していた。↓↑↓1975年頃の東海道本線。内側線を153系新快
アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社が発行してきた「国産鉄道コレクション」(全240巻/発行完了)の付録の模型の写真を中心に、全号を順番に振り返る記事シリーズを紹介を続けています。今回は第101巻の紹介です。お待ちかねのNゲージサイズ付録模型は、新快速塗色の153系急行型直流電車の先頭車、クハ153形の0番台(高運転台化以前の最初期形)の雄姿です。「新快速」のプレートが誇らしげです。ではいつものようにパッケージを解いて、奥底から冊子を撮り出しましょう。
アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社が発行してきた「国産鉄道コレクション」(全240巻/発行完了)の付録の模型の写真を中心に、全号を順番に振り返る記事シリーズを紹介を続けています。今回は第90巻の紹介です。毎号のお楽しみ、Nゲージサイズ模型の付録は、国鉄の急行形電車の嚆矢として名高い153系の先頭車、153系急行形直流電車クハ153形の雄姿です。房総半島では、急行「内房」「外房」「犬吠」「水郷」「鹿島」として活躍しました。いつものようにパッケージを解いて、奥底から冊子を
↑↓大垣電車区の153系、155系を連ねた8両編成。先頭車のみ冷房車である。1980年7月。国鉄時代は郵便、荷物、貨物といった物資の輸送にも重点が置かれていた。そうした列車に人員、ダイヤ、インフラが重点的に充てられていて、大都市圏においても旅客列車は汽車式ダイヤであることが多かった。57-11ダイヤ改正において、広島地区で旅客電車を短編成にして増発、待たずに乗れる「ひろしまシティー電車」が発足、たちまち全国に波及した。それと入れ替わる形で、郵便、荷物、ローカル貨物が衰退、旅客輸
久しぶりにレンタルレイアウト旭ヶ丘線へ行って来ました。行く前に何を走らせるかで迷ったりするんですが、今回は目に止まった物が有って割とすぐ決まりました。持って行ったのはお題から分かるかと思いますが(笑)KATOの115系800台とN化した鉄コレの71形、俗に言う山スカ新旧と些か古い製品ですがKATOの153系と113系のブルーライナー色、何故この組み合わせとなったのかは自分でも分かりかねます(笑)。どれも長年走らせていない状態で、走らせようとした直後はグズり気味な物ばかりでしたが
↑京都5番ホームに入線する153系西明石ゆき新快速。1978年。153系、165系ブルーライナー新快速には、三種類の前面形態があった。↑はクハ153の低運転台タイプである。データイムを中心にした運転で、草津、堅田発の新快速は西明石ゆきとなって京都は5番ホームに入線した。↑こちらは京都始発の姫路ゆき新快速。クハ153の高運タイプである。1978年。一方、京都折り返しの新快速は4番ホームに発着。行き先は姫路であった。当時は快速のほうが混んでいて、ボックス席は閑散としてい
アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社が発行してきた「国産鉄道コレクション」(全240巻/発行完了)の付録の模型の写真を中心に、全号を順番に振り返る記事シリーズを紹介を続けています。今回は第76巻の紹介です。毎号のお楽しみ、Nゲージサイズ模型の付録は、急行形直流電車の嚆矢、153系の先頭車です。では、いつものようにパッケージを解いて、冊子を取り出しましょう。巻頭記事は、本号はJRの車両です。軽量化やライフサイクルの見直し等を徹底して分割民営化後のJR東日本の通勤形車両の
マイクロエース153系特急「こだま」新幹線開業のおよそ半年前、151系「富士」が踏切事故で大破し、その補填として急行用の153系が「こだま」に入りました。所謂遜色特急で、「かえだま」と揶揄されました。そんなイレギュラーな運行を再現した実にマイクロエースらしいセットですが、153系の非冷房の完成品はここしか出していないので、何気に普通の急行として重宝する製品だったりします。セット内容は基本セットがサロ、サハシを1両ずつ入れた8両、増結がサロ1両を含む3両。「かえだま」編成では通常の急行か
毎日暑い日々ですね~今日は、ご縁あって鉄道模型クラブさんが出展されるとのこと、久しぶりのビッグサイトへ。テーマ『貨物列車』⇒いやぁ~苦手な手つかずな分野。皆様きれいな長い編成で、フリーランスローカル列車にはない魅力ですね。ELにDLにSLと牽引機も多岐に渡り選べるし私も、一編成揃えようかな。Nゲージ、HOやその上のサイズもありましたね。大きいのでいじり甲斐ありそうですね~レイアウトも、みな工夫され勉強となりました。他に、パーツメーカー様、ショップ様と販売もされていましたね。
週1回の日本語学校勤務のためにいったん帰京したが今日また蓼科へ。その蓼科高原鉄道のテーマ別運転日の第2回は、JNRExpressDayすなわち国鉄時代の急行電車。国鉄時代の特急電車の代表が151系こだま型なら、電車急行の代表は153系、いわゆる東海型だ。地味だが端正な顔立ちでけんじいは好ましいスタイルだと思っている。その後少し前面窓の高いタイプになったり、勾配に強い165系が現れたりしているが、塗色はお馴染みの湘南色、オレンジとグリーンだ。模型の方はボール紙の自作3
皆さま、体調いかがですか?今日は、天気強風雨でしたね。トラック運転、なかなか辛かったです。今日、明日は通勤&配送コース上で静態保存SLを2両見られ少々鉄分補給にめぐまれはしました。で、早めのあがりとなりましたので、4トントラックの運転のあと、ポポンデッタ南船橋ビビットスクエアにて久々の電車の運転してきました。新しい車両を含め楽しく過ごした1時間、いろいろ手直し必要箇所の確認もできました。415系常磐線4連、とクハ165先頭車とした新快速。415系とクロハ先頭のスカ色4連415系に1
先月6月に営業運転を終えたり廃車されたりして引退した車両たちとの私の思い出をつづるシリーズ、最終回の今回は湘南・伊豆方面や北関東方面への特急を中心に、「湘南ライナー」「ホームライナー」といったライナー列車、間合い運用での普通列車運用や各種臨時列車などとマルチに活躍した国鉄型特急型電車185系編です。185系電車はまだ国鉄時代の1981年に登場した特急型電車で、結果的に国鉄時代に登場した最後の特急型電車の新形式者となりました。185系登場の目的は、東京から伊豆方面へ向かう急行「伊豆」に使用され
アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社が発行してきた「国産鉄道コレクション」(全240巻/発行完了)の付録の模型の写真を中心に、全号を順番に振り返る記事シリーズを紹介を始めています。今回は第30巻の紹介です。本号の付録は、急行形電車の嚆矢として東海道線の準急「東海」や急行「なにわ」等で一世を風靡した名車、153系急行形直流電車の先頭車=クハ153形のNゲージサイズ模型でした。いつものように、パッケージを解いて、奥底から冊子を出しましょう。いつもは私鉄の名車の特集が掲載さ
↑153系新快速、ブルーライナーが山崎を駆ける。1979年。国鉄~JRの優等列車にはネーミングが付けられる。特急サンダーバード、急行立山などである。快速系にもネーミングを付けてアピールされることもある。関西の新快速は国鉄時代から主力商品として力が入れられてきた。113系の次に登場した153系が特にそうで、国鉄の社会見学のパンフレットにも表紙になったりした。新快速という列車と153系を合わせてアピールがされた。急行型の転用ではあったが、塗色をブルーのラインの入ったスマートなものに
形式消滅となった185系特急型電車を振り返ります。南チタ(東京南鉄道管理局田町電車区)の153系急行型電車置き換え用に開発された185系0(100)番台車1981年9月の記録0番代車の「JNR」マークは小ぶりながらもステンレス切り抜きでした。撮影:1981年9月東京駅
2025.06.18今日も暑すぎる早朝06:00から農作業をして08:00から二度寝夕方に再度作業と、鉄分がかなり不足して来ましたが、これで鉄分補給もし易くなる年金暮らしの辛い所50年前の今日1975.06.18社会人となって漸く慣れた頃でした。職場には誰も同業者はおらず、学生時代の鉄友にも中々会うことも...今なら即連絡が出来る便利な時代になりました。小生の撮り鉄黎明期の記録記憶も思い出も掠れてしまいました。定番の山科築堤デビューです、何も知識もない、撮影技術も無
お久しぶりたいへんご無沙汰しております夏日となる週末、いかがお過ごしですか?私は、また55歳新人研修をまかされ仕事に、プライベートにマイペースを作れず、鉄分もなかなか補給できない状況です。歯科通院もできていません(T_T)鉄分は、細かい車両メンテナンスに明け暮れ、走行会や車両工場稼働には至らぬ日々になります。久々に非鉄分投稿、京成大久保駅前のポストです飲み会帰りの、鉄分理解なき妻お迎え時撮影。市政70年、痛ラッピングポストです。習志野市マンホール企画ものマンホールふぅ~夕
1965年頃の撮影譲り受けたネガから1枚。。当時、東京~伊豆急下田・修善寺を結んでいた急行「伊豆」です。1964年11月に登場。登場からしばらくは157系電車が使用されていましたが、1969年4月のダイヤ改正で誕生した特急「あまぎ」に157系を譲り、以降は153系での運用になってしまいました。写真は157系時代の姿、たった3年半のデラックス急行でしたね。。この他にも「40年前の鉄道風景」をちょっとだけyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー
根府川を行く165系「東海」。中央西線を走っていた165系をかき集め、153系を置換えた見応えある?組成♪1984
日々のお仕事、お疲れ様です。家事に養育、お疲れ様です。変わりやすい天気、体調調整たいへんですね。さて、取り置きの品を買い求め18km先のポポンデッタ蘇我に仕事帰りに訪問。ピックアップだけのつもりが、なんと助手席足元に土曜日の走行会の車両がそのままあり、走行会もしてきました。DF50牽引『夜行山陰』&新快速『山陰』を逆から2扉スカ色4連と新快速『山陰』と新快速113系スカ色と関西線色153系新快速とスカ色11連蘇我店は初の走行会。レイアウト、外周見渡せて運転しやすかったです
1週間ブログ投稿があいていました。皆様、寒暖差ありいかがお過ごしですか?ここんとこカプラー交換から車両整理、メンテナンスと細かい作業ばかりの日々でした。生活リズムもあまり余裕なくて😆今回は車で5分ほどの近所にて、J-TRAKSociety様による走行会に、なんと1日長時間滞在し満タンに鉄分補給してまいりました。😁👍全景は投稿いたしませんが、雪景色、ラッツ&スターに路面電車走行など、細かい演出に感動いたしました。来場者も、園児からシニアの私まで幅広く皆楽しい走行会でした。🤗これもみ
非冷房ながら食堂車部分だけ冷房付きですね(4両目のサハシ)1968年頃の撮影譲り受けたネガから1枚。。昭和30年代後半は新幹線開業などいろいろ大きく変わった時期でもありました。この急行「宮島」は新大阪(大阪)~広島のイメージが強いですが、昭和37年から約2年半だけ東京~広島で運転され、距離が894.8kmという日本最長距離運転の急行となっていた時期もありました。153系「宮島」といえばセノハチ越えで補機(EF61)の間に使っていた控車オヤ35のイメージが強いですね。(サ
小田原駅で80系の普通電車を追い抜く153系「準急」東海道本線の電車時代を築き上げたとも言える湘南電車、初期の80系とそれに代わる153系の共演ですね、、、。写真は小田原駅のひとコマです。電車もさることながら、屋根の少ない駅も時代を感じますね。。(モノクロ写真をパソコンでカラー化しました)写真はK.K様よりネガを譲り受け公開しております。この他にも「懐かしい鉄道風景」の写真などをyoutubeにて紹介しています。※みなさまが「懐かしいなぁー」と感じていただければ