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〜バイク事故その⑬最後に…〜バイク事故から15年が経った年にシリーズにして分けて更新していた「15の夜シリーズ」。最後にそんな15の夜で乗っていたバイクをよく隠していたトンネル。近所のコンビニに行く途中にある小さなトンネル。当時バイクに付いてたマフラーが走行中知らぬ間に落下していたみたいで、エンジンをかけると物凄い爆音だったなぁ笑そんなバイクを夜な夜な家を抜け出してはここまで取りに来て、友達と二人乗りして乗り回してた尾崎豊さんの「15の夜」に憧
娘さん、いよいよ明日は高校受験の日。あんなに小さかった娘さんがもう高校受験とは恐るべし。とってものんびり屋で受験生らしさゼロでしたが、、、まあ、あなたの人生だしね。とりあえず明日は全力で頑張ろう!万が一失敗した場合は存分にバイトでもしながら来年再チェレンジということで笑ママは甘やかしませんよ~!さてさて、娘さんが明日頑張れるように今日はもう帰ってご飯作ろう。
〜バイク事故その⑫-END-〜バイク事故から15年を迎えてか、シリーズで書いてきた「15の夜シリーズ」。最後に最近ふと思ったことを。。それは「中学時代の3年間」は、「子供から大人へ」と成長する年、期間なんだなと。自分の経験上思ったことやけど、長い人生の中でたった「3年」という短い期間で、子供から大人になるために色んなことを一気に経験する。中学時代は最も多感な時期で成長期。一般的に20歳を迎えるまで子供として扱われる事が多いけど、でも個人的には小学
〜バイク事故その⑪〜「15の夜シリーズ」を書き終えて早4ヶ月。最近思い出した事があったので追加です…笑事故して病院に運び込まれた日の夜、すぐに学校にも連絡を入れ、教頭先生、担任、数学の先生でバイクの運転手の子と共通の友人だった子の担任の先生がすっ飛んで来てくれた。教頭先生と担任とは会えなかったが、遅れて来た数学の先生はベッドまで来てくれて、「生きてて良かったな。」と、「昔亡くした子がいるから。」と話をしてくれた。あんなにも心配した先生の顔を見たのは初めて。
〜バイク事故その⑩〜最後は退院後に母から聞いた話で締めたいと思います。事故した日の夜、当時7歳だった愛猫ミラがずっとおかしな行動を取ってたみたい。一日中母の後をついて歩いてたみたいで、しかもずっと顔を見上げて目を見つめながら、どこへ行くにもついてきたみたい。一緒に住み始めて7年間、あんな行動は初めてだったと言っていた。それにあの日は家の周りを何台もの救急車が通っていて、騒がしくいつもと違う日だったとも言っていた。動物は異変を察知する能力があると聞いたこと
〜バイク事故その⑨〜約一ヶ月半の入院生活を終え、4月末には無事に退院地獄のリハビリに耐え、半年後には松葉杖も取れ、遅めの退院祝いに家族で熱海旅行に行った。それで事故の影響でてんかんの発作が起きる可能性が一生ある後遺症が残ったため、発作を抑える薬5錠を3年間毎日飲み続けた。そのせいかしばらく尿の臭いが強烈に臭かった。笑さらに将来子供を授かった時奇形児が産まれてくる可能性があるとも宣告されたけど、奇形児に関してはその時という感じで、てんかんの発作は一度も起きたことはな
〜バイク事故その⑧〜生死をさまよってから一ヶ月半後…ついに退院の日が訪れる。とにかく入院生活が楽しくて、本当は退院したくなかったし、ずっとここにいたいって思ってた。でも長くはいられないし、看護師さん達にも厳しいこと言われて泣いたことあったけど、元気になって笑顔で退院していくことが一番だと気付き、外出許可から数日後に正式に退院しました。これはその時に撮った写真。事故から15年経った今でも髪の生え際から耳にかけて20センチぐらいの傷跡が残ってる。
〜バイク事故その⑦〜手術した日は忘れたけど、多分4月上旬やったと思う…。午後一から手術で、終わったのが夕方やった。麻酔の事は同じ病室のおばあちゃん達から数秒で眠るよって聞いてたけど半信半疑やった。手術室に入った時看護師さん達が大勢おって、「若〜い」ってキャーキャー騒がれたな。笑そんな手術室では若い世代の子が聞くような音楽が流れてて、手術台に乗り、足の手術なのにスッポンポンになり、誰の歌か聞いてたら先生が入ってきて、「○○ちゃん頑張ろうね」って言われて、左腕に麻酔の
〜バイク事故その⑥〜整形外科病棟に移って数日後、同じ病室の人達とも少しずつ打ち解け合ってきた頃、俺らが運び込まれた日の夜俺らを見たって人がおって、夫婦喧嘩をして怪我をした夫婦かと思ったって言われた。笑この頃から男の子に間違われてるから、今じゃ全然慣れっこになりましたよ笑整形での入院生活は骨折している以外みんな元気やから、同じ部屋で入院してたおばあちゃんたちがめっちゃ良い人達ばかりで、お見舞いで来ていたご家族の方もとても良くしてくださり、ご配慮くださり、ほんまに感謝しかな
〜バイク事故その⑤〜事故の代償はあまりにも大きく、あまりにも酷いものだった…。・左膝脛骨顆間隆起骨折・頭蓋骨骨折・顔面骨骨折・全身打撲・脳挫傷・症候性てんかん・首の鞭打ち全治一ヶ月以上の重傷やった。この時医師から説明を受けた時に母が書いたメモが出てきた。親父に伝えるために書いたメモだろう。脳挫傷の影響からてんかんの発作が一生起きる可能性がある後遺症が残り、さらには将来子供を授かった時奇形児が産まれてくる可能性があることも告げられた。
〜バイク事故その④〜「15の夜」は人生で初めて救急車に乗った年でもある。事故が起きたばかりで意識も朦朧としているのに、乗るシーンもしっかり覚えている。事故が起き、救急車が到着した時、友人は倒れたまま微動だにしなかったのか、救急隊の人達は友人を重傷者だと判断し、先に友人をストレッチャーで救急車に乗せた。俺は半分起き上がってたから軽症だと思われたのか、なんと二人がかりで立ち上げられた「立てる」って聞かれて答える間もなくよっこいしょテキナブ━━━━∵;(;:゜:
〜バイク事故その③〜15歳の誕生日からわずか11日後の2002年、平成14年3月6日の午後20時半ごろ、友人が運転する50ccバイクの後ろに乗り、縁石に乗り上げて派手に転倒する自爆事故を起こした。二人ともヘルメットを被っておらず、当然無免許だった。その日は朝から友達とバイクに乗り、昼食も食べずに遊び呆けていた。夕方になって腹が減り、俺の家でインスタントラーメンを作って食べたあと、また隣町に遊びに出かけた。行きも帰りも運転した友人は、きっと緊張と疲れがピークに達していたんだろう
〜バイク事故その②〜盗んだバイクで走り出す行く先も解らぬまま暗い夜の帳の中へ誰にも縛られたくないと逃げ込んだこの夜に自由になれた気がした15の夜故尾崎豊氏の「15の夜」この歌を知らない人はいないでしょう。初めてこの歌を聞いた時、言いようのない衝撃を受けた。初めはタイトルの意味さえわからなかったのに、母にその意味を聞き、以来尾崎氏の虜になった。今でも心に響く名曲だ。俺の15歳は波乱万丈と言えるかわからないが、当時中学3年生で卒業式
昨日は、バイク事故から15年が経った。事故については去年長々書いたけど、改めてシリーズにして分けて更新笑「15の夜〜憧れ〜」「15の夜〜事故〜」「15の夜〜救急車〜」「15の夜〜入院生活〜」「15の夜〜入院生活②〜」「15の夜〜手術〜」「15の夜〜退院〜」「15の夜〜後遺症〜」「15の夜〜エピローグ〜」「15の夜〜お見舞い〜」「15の夜〜子供から大人へ〜」「15の夜〜隠し場所〜」15年前友達が運転する50ccバイクの後ろに乗り
今日は疲れが抜けないのと花粉症もひどく、ずっと病院に行きたかったのもあったから仕事を休み、朝から耳鼻科へ行ってきました飲み薬と目薬、それと点鼻薬を処方されました。効くことを祈るよ…笑それより今夜はしゃぶしゃぶ先週からしゃぶしゃぶが食べたくて、自分で材料全部買ったった中でも宮崎県産の黒豚はうますぎた甘くて柔らかくて最高でしたさすがちょっと高かっただけある…笑ほんで今日はバイク事故から15年。去年事故について長々書いたけど、分けて書きたく