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「85第八十三代土御門天皇」今日は、川中島の戦いみなさん、おはようございます9月10日は武田信玄と上杉謙信による川中島の戦いです第4次の戦いです両者は直接戦いました第八十三代土御門天皇後鳥羽天皇(八十二代)の第一皇子譲位により三歳で即位されました後鳥羽院の院政です1199年、幕府合議制2代将軍の源頼家の時13人の御家人によって成務が行われます幕府将軍の発言力は低下し北条氏の執権政治につながりました二毛作の開始米と麦です
第42話「夢の行くえ」和田一族は義時によって滅ぼされる。しかし、そのことが実朝を覚醒させた。強大な義時に対抗するため、実朝が頼ったのは後鳥羽上皇頼朝は後白河法皇の夢を見た、実朝は後鳥羽上皇の夢を見た。頼朝は上洛して晩年の後白河法皇とあっているが、実朝はそれができなかったですね。「頼朝が作った鎌倉を源氏の手に取り戻す」と泰時に言って助けを求める。しかし、泰時も北条であるが義時にものを言えるのは泰時だけとわかってのこと。「頼朝が作った鎌倉」と代替わりがあると、そう思っ
大河ドラマ鎌倉殿の13人第29回放送後の紀行では、三浦一族の本拠地横須賀。自分が予想していた安達藤九郎盛長の墓所じゃ無かったので、番外編として再び紹介します。伊豆市修善寺に、安達藤九郎盛長の墓所があります。修禅寺の裏山桂谷トンネルの側です。安達藤九郎盛長平安時代末期から、鎌倉時代初期の武将。源頼朝が伊豆蛭ヶ小島に流された時からの側近中の側近。頼朝が三嶋大社に、平家討伐の日参をしているとき、相生の松の場所で待機・警護。頼朝の死後、出家して蓮西と名乗る。二代将軍源頼家に仕え
三谷幸喜の代表作に12人の優しい日本人という作品がありこれは三谷さんがアメリカ映画12人の怒れる男が大好きだから作った作品そしてこの鎌倉殿の13人も13人の合議制が三谷さんの心を掴んだから前置きが長くなってしまった吾妻鏡で13人の合議制が実際行われた記録は残ってないらしいけど今日の冒頭が三谷さんの描きたかったシーンそして13人の一人が去ることに頼朝が上総ノ介を討ったように頼家が景時をあれほど強く善児を従えた景時が哭いたそして動いた自ら名刀でいたかったと言う景
『鎌倉殿の13人』~後追いコラムその107第27回鎌倉殿と十三人今回は、二代将軍源頼家(金子大地)の近習たちについて。参院選開票速報で大河ドラマがお休み??これまでは時間を前倒しして放送していたのに・・。と思った方も多かったのではないだろうか。コラムを書き続けてきた私もちょっと拍子抜けというか、張り詰めていた糸が切れたような気持ちになり、今回のコラムを書くまでに時間がかかってしまった。しかーし、第27回を観て、一週お休みということが、素晴らしい効果をもたらしたことに気づいた。
第27話「鎌倉殿と13人」権力継承の時はあまりにも突然訪れた。頼朝亡き後の大きな空白。若き頼家はそれを埋めることができるのか。「鎌倉殿の13人」ではなく、今回は「鎌倉殿と13人」になりました。「鎌倉殿」の決意文「私は父、頼朝の成し遂げてきたこと、また成し遂げることかなわなかったことを引き継ぐ。その上で、父を超える」立派になってと思ったり、気負いすぎと思っていたけれどこれも後からわかったけれど、梶原景時が指南していたのですね。また、最初に政子と義時から「源義朝の髑髏
先祖の墓参りに修禅寺に行きました。大河ドラマ鎌倉殿の13人源氏ゆかりの場所です。墓参りに行く前に、安達藤九郎盛長の墓に手を合わせました。安達藤九郎盛長平安時代末期から、鎌倉時代初期の武将。源頼朝が伊豆蛭ヶ小島に流された時からの側近中の側近。頼朝が三嶋大社に、平家討伐の日参をしているとき、相生の松の場所で待機・警護。頼朝の死後、出家して蓮西と名乗る。二代将軍源頼家に仕え、13人の合議制の一人になる。正治2年(1200年)4月26日に死去。享年66。安達藤九郎盛長役の、野添義
『鎌倉殿の13人』~後追いじゃない先走りコラムその103第25回天に望まれた男今回は、今話の雑感と今後の展開についていやぁ~洋ちゃん、しぶとい。いやいや、洋ちゃんじゃない、頼朝しぶといですねぇ。区切りのいい第25回で終了かと思ったら、まだ来週も前半部分くらいまでひっっぱりそうですね。ある意味、さすが洋ちゃん!忙しいのに大変だ。『水どう』藩士の端くれとしては、洋ちゃんを心配してます。出なきゃ出ないで寂しいのですが・・・笑。NHKに助命嘆願か何か来たのかな?でも頼朝はもう800年以上
●島津忠久(丹後内侍)の家系図(番外編)(丹後内侍たんごのないじ。比企掃部允・比企尼の長女)◎比企掃部允(ひきかもんのじょう)&比企尼妻・比企尼(惟宗忠康の親族?)(源頼朝の乳母)長女・丹後内侍(夫・源頼朝)島津忠久(落胤説)(夫・惟宗広言)養子・島津忠久(夫・安達盛長)養子・島津忠久◎惟宗朝臣(これむねのあそん)惟宗忠友(八文字民部太夫)(出自不詳)惟宗忠康妻?
●畠山重忠の家系図B※江戸氏。武蔵国豊島郡江戸郷(江戸城周辺)畠山重能正室・三浦義明の娘側室・江戸重継(四郎)の娘畠山重忠畠山重保(しげやす)長野重清(ながのしげきよ。三郎)渋江重宗(しぶえしげむね。六郎)蓬莱経重(ほうらいつねしげ。三郎)深妙(しんみょう)(夫・大友能直。父・源頼朝。落胤説)伊地知重光(六郎。いちじしげみつ)?畠山重忠(11
●畠山重忠の家系図A※秩父氏※畠山氏(平姓)。武蔵国男衾(おぶすま)郡畠山(埼玉県深谷市畠山)※武家家伝・畠山氏(源義家系)※世界帝王辞典・畠山氏(足利義純系)高望王(たかもちおう)平良将(たいらのよしまさ)平将門(まさかど)平良文(たいらのよしふみ)平忠頼平良文(村岡五郎)(?~?)平忠頼(村岡次郎)(930年7月16日~1019年1月25日)平将恒(まさつね。六郎)(1007年~1057年)秩父武基(?~?)(武蔵国
●八田知家⑬C(13人の合議制)八田宗綱宇都宮朝綱八田局(夫・源義朝)⑩八田知家(落胤説)③源頼朝寒川尼(夫・小山政光)(源頼朝の乳母)結城朝光養子・八田知家八田知家(朝家)(1142年~1218年3月30日)(鎌倉手帳)妻?小田知重(ともしげ)(八田左衛門尉)伊自良有知(いじらありとも)(八田二郎左衛門)茂木知基(
●八田知家⑬B(13人の合議制)※八田氏(コトバンク)※藤原氏北家13(藤原宗円)藤原兼房(かねふさ)(1001年~1069年6月25日)妻・源高雅の娘藤原兼仲八田宗綱粟田宗円(あわたそうえん。宇都宮兼綱)(初代宇都宮氏)養子・八田宗綱(世界帝王辞典・宇都宮氏)藤原兼仲(ふじわらのかねなか)妻・益子正隆の娘(益子氏ますこし)(武家家伝・益子氏)八田宗綱
●八田知家⑬A(13人の合議制)※小田氏。武家家伝・小田氏。※小田城※宇都宮氏(栃木県宇都宮市・日光二荒山神社)※中原氏※八田氏(コトバンク)常陸国(ひらちのくに)八田(茨城県筑西市ちくせいし八田)藤原鎌足(ふじわらのかまたり)(614年~669年11月14日)藤原不比等(ふひと)(659年~720年9月9日)藤原房前(ふささき)(681年~737年5月21日)藤原真楯(またて)(715年~766年4月25日)藤原内麻呂(うちまろ)(756年~812年11月13日
●三善康信⑫(13人の合議制)三善氏(ウィキペディア)武家家伝・三善氏三善宿禰氏吉(みよしのすくねうじよし)三男・善相公(清行。よしすけきみ?)→三善(みよし)?三善朝臣清行(みよしのあそんきよゆき)(善相公。大学頭だいがくのかみ)(847年~919年1月16日?)三善文江(ふみえ?)(文章博士もんじょうはかせ)三善連行(つらゆき)(式部少輔しきぶのしょうすけ)三善茂明(しげあき)(主税頭しゅぜいのかみ・算博士さんばかせ)三善
●和田義盛⑪の家系図C(横山時重氏)●横山時重の家系図(小野妹子祖)※小野氏。山背国小野里(やましろのくにおのり)(京都市山科区小野)近江国小野村(滋賀県大津市小野)※横山党(武蔵7党)武蔵国多摩郡横山荘(東京都八王子市横山)八幡八雲神社(はちまんやくもじんじゃ。HP)(八王子市元横山町)※渋谷氏(武家家伝・渋谷氏)相模国高座(こうざ)郡渋谷荘(東京都渋谷区)小野妹子(おののいもこ)(?~677年)小野毛人(えみし)(?~677年)小野毛野(
●和田義盛の家系図⑪B(13人の合議制)三浦義明杉本義宗和田義盛(小太郎)(1147年~1213年5月24日)(和田氏)正室・度合康高(わたらいのやすたか。伊勢神宮の禰宜ねぎ)の娘側室・横山時重の娘和田常盛(つねもり)(左衛門尉)和田義氏(よしうじ)朝比奈義秀(あさひなよしひで。三郎)和田義直(よしなお)(金窪四郎かなくぼしろう)和田義重(よししげ)和田義信(よしのぶ)和田秀盛(ひでもり
●和田義盛の家系図⑪A(13人の合議制)※和田氏※和田合戦相模国三浦郡和田郷(神奈川県三浦市初声町)相模和田城※相模・杉本城(大蔵山・杉本寺)※朝比奈氏(相模国鎌倉郡朝夷名あさいな。横浜市金沢区朝比奈)(朝夷奈峠あさいなとうげ)朝比奈の名字の由来。※佐久間氏。千葉県安房郡鋸南町(きょなんまち)佐久間。●三浦氏三浦義明(大介)(1092年~1180年9月18日)妻・秩父重綱の娘三浦義澄三浦義村杉
●一条忠頼の家系図(武田信義。三浦義村)B武田氏武家家伝・武田氏源頼義(988年~1075年8月27日)源義光源義清源清光武田信義一条忠頼源義家源義国新田義重娘(夫・武田信光)源義光(新羅三郎しんらさぶろう)(1045年~1127年11月25日)源義清(武田冠者かんじゃ)(1075年5月3日~1149年8月27日)源清光(悪源太あくげんた)(1110年6月27日~1168年8月12日)
●源頼朝・武田信義・一条忠頼の家系図A甲斐国山梨郡一条郷(山梨県甲府市)土地区画制度による条里制。一条(甲府城と茶臼山を結ぶ直線にもとづく)。山梨の魅力再発見・マチコレ(上・下一条町)甲府市・甲府城跡(一条小山。舞鶴城公園)源頼義(988年~1075年8月27日)源義家源義親源為義源義朝源頼朝源義光源義清源清光武田信義一条忠頼
●三浦義澄の家系図⑩D(和田義盛⑪。三浦義村)三浦氏武家家伝・三浦氏三浦義明妻・秩父重綱の娘杉本義宗(すぎもとよしむね)和田義盛(13人)三浦義澄(荒次郎。新介。三浦介みうらのすけ)(13人)佐原議連佐原盛連(妻・矢部禅尼)三浦盛時三浦義澄(1127年~1200年2月9日)妻・伊東祐親(すけちか)の娘三戸友澄(みとともずみ)(神奈川県三浦市初声はつごえ町三戸)?
●三浦義澄の家系図⑩C(和田義盛⑪)〇横須賀市鴨居、多々良浜。鎌倉遺構探索・鴨居と多々良氏。多々良城(館)。〇長井氏。神奈川県横須賀市長井。長井城(館)(荒崎城)。鎌倉遺構探索・長井城荒崎公園〇鎌倉遺構探索・三浦氏系図(三浦義明)三浦義明(大介)(1092年?~1180年9月18日)(衣笠城)妻・秩父重綱(ちちぶしげつな)の娘(秩父氏)①杉本義宗(すぎもとよしむね)和田義盛②三浦義澄(みうらよしずみ)三浦
●三浦義澄の家系図⑩B(和田義盛⑪)※横須賀市津久井(浜&駅)(津久井氏)(三浦津久井氏系図)※神奈川県津久井郡。相模原市緑区(旧津久井町)。(津久井城)※利根局波多野経家(大友経家)(相模国足柄郡大友郷、所領。神奈川県小田原市大友)上野国利根荘(群馬県利根郡片品村・川湯村・昭和村・みなかみ町)。沼田氏の縁起上野国の荘園一覧※相模国余綾郡(よろきぐん)中村荘(神奈川県小田原市中村原)。●三浦氏。武家家伝・三浦氏。三浦為通(平大夫
●三浦義澄の家系図⑩A(13人の合議制)梶原氏・三浦氏・津久井氏(ウィキペディア)武家家伝、梶原氏・三浦氏・津久井氏。相模国三浦半島。御浦(みうら)。御宇良崎(みうらさき)。津久井城(筑井城)(相模国津久井郡。神奈川県相模原市緑区一帯)三浦津久井氏系図武家家伝・蘆名氏蘆名氏(相模国蘆名あしな。芦名・葦名)(横須賀市芦名)相模国大住郡石田郷(伊勢原市石田&近江国石田村)相模国三浦郡大多和(大多和城)相模国・佐原城(横須賀市佐原)(佐原さわら氏)上総国長柄郡金田郷(かずさの
●13人の合議制⑦C(梶原景時)丸子氏(ウィキペディア)(安房国朝夷郡丸郷あわのくにあさひなぐんまるごう。朝夷郡あさいぐん満祿みろく)鎌倉遺構探索(中世安房国の勢力図と三浦一族)丸子部と丸部鎌倉氏(ウィキペディア)梶原氏(ウィキペディア)武家家伝・梶原氏(大庭景親含む)※相模国鎌倉郡梶原(鎌倉市深沢大字梶原)梶原景清(五郎)(?~?)妻・横山孝兼(たかかね。隆兼。新大夫。横山党)の娘梶原景実(かげざね)(宮城県気仙沼市唐桑町石浜けせ
●足立遠元D⑧の家系図(安達盛長⑨)足立氏武家家伝・足立氏小野田氏?小野田兼広(三郎)(又は小野田兼盛・盛兼?)妻・藤原国重の娘?藤原遠兼(武蔵国足立郡)足立遠元安達盛長(陸奥国安達郡)安達景盛藤原遠兼妻・豊島康家の娘足立信家(のぶいえ)?足立遠衡(とおひら)?足立遠元(あだちとおもと。四郎遠基)足立遠助(とおすけ)足立遠弘(とおひろ)足立遠元(1130
●安達盛長の家系図C(丹後内侍・比企氏)比企一族の歴史藤原北家秀郷流系図藤原北家4(藤原秀郷)藤原氏北家6(藤原公光)伊賀家和気郡友延村(いがけわけぐんとものべむら)伊賀氏(伊賀公季)。武家家伝・伊賀氏。◎藤原秀郷(ふじわらのひでさと。田原藤太)(891年?~958年3月10日?)藤原千常(ちづね。田原左衛門尉)(?~1012年7月10日)藤原文脩(ふみなが)(?~1018年3月22日?)藤原文行(ふみゆき)(?~?)藤原公光(きんみつ)(?~?)(藤原氏北
●13人の合議制B(足立遠元⑧・安達盛長⑨)安達氏安達氏・千葉氏の一族世界帝王辞典・安達氏陸奥国安達郡(福島県本宮市・二本松市)奥州合戦(1189年)安達盛長の屋敷址(甘縄神明神社あまなわしんめいじんじゃ。鎌倉市長谷)日本通信百科事典・藤原国重武蔵武芝(むさしのたけしば)(?~?)(武蔵国足立郡司判官代むさしのくにあだちぐんじはんがんだい)数代小野田遠兼(遠基)(小野田の名字の由来)小野田元春(基春)小野田元重(基重)
●13人の合議制A(足立遠元⑧・安達盛長⑨)足立氏。安達氏。足立遠元(鎌倉市観光協会)武蔵国足立郡(東京都足立区~埼玉県北足立郡伊奈町?)藤原氏北家1藤原北家2藤原氏北家3(武家家伝・足立氏)藤原鎌足(ふじわらのかまたり)(614年~669年11月14日)藤原不比等(ふひと)(659年~720年9月9日)藤原前房(さきふさ)(681年~737年5月21日)藤原魚名(うおな)(721年~783年8月27日)藤原鷲取(わしとり)(?~?)藤原藤嗣(ふじつぐ)(773
●大庭景親の家系図②鎌倉景明大庭景宗(景忠?豊田次郎)(?~?)妻・横山隆兼の娘?大庭景義(平太。懐島太郎景能ふところじまたろうかげよし)大庭景兼大庭景親(おおばかげちか)(三郎)?豊田景俊(四郎)?娘(夫・波多野義常)波多野有常妾?俣野景久(おお