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仕事柄、政治的、宗教的には中立な立場で発信したいと思っているでも今回のロシアのウクライナ侵攻はひどいどう中立に考えようにもロシアに大義がない大国のメンツって何だろう?犠牲者のニュースを見る度にリトアニアのシャウレイにある十字架の丘を思うここは十字架が所狭しと林立している近くで見ると圧巻である事の始まりは1830年〜1831年の11月蜂起までさかのぼるポーランドとリトアニアでロシア支配に対する武装反乱が起きたその時の犠牲者の鎮魂のために家族がこの
9/6の都響B定期は選曲が凝っていて面白い。ポーランドの指揮者ヴィット(ヴィト)による、ポーランド・プロ。ワーグナーの珍品《ポローニア》、ショパンのPf協2(w/リシャール=アムラン)、ルトスワフスキの交3。ポーランドでは11月蜂起(ロシアからの独立運動)が失敗した後、蜂起に参画した人々が一斉に亡命します。ワーグナーの姉ルイーゼの夫はポーランドからの亡命者を支援し、自宅を開放していたらしい。そこで亡命者との交流を通して触発されたワーグナーが作曲したのが、《ポローニア
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。---------昨年の記事からの続きです。ショパンはフランス7月革命の翌年の1831年9月末にパリに到着した。鉄道の時代の前夜であり、乗合馬車の旅でまだ21歳であった。パリに到着して最初の住まいはポワソニエール大通り27番地のアパルトマンである。私がこの場所に立った時、何を感じることになるだろうか・・・パリに着くまでの若きショパンの苦難の旅路を想わずにはいられないだろう。ショパンの苦悩、そして