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まいど❗❗やっと週末……😅💦お盆休み明けからとにかくハードで忙しくて忙しくて……😅💦クタクタな週末を迎えてます💦そんな本日の記事は昨日の続きとなります。……西神南で《かき氷》を食べた後、しばらくのんびりしてから皆で晩飯を🎵向かった先は毎度お馴染み焼肉屋【牛やとみた】👍たくさんの人で乾杯を🎵ワイワイと皆で食事って楽しいよね✨あ、でも俺……運転手なんで水ですがね😆⤴️さぁ食うで~😄⤴️⤴️《馬刺しユッケ》👍牛のどっかの部位(笑)焼いて……💡焼いて……😆⤴️色んな肉を
1年間留学するので、大学最寄り駅の駐輪場に置いていた自転車を回収しに行きました。😄高速道路を使って約2時間少し渋滞は有りましたが、無事回収出来ました。😄
チャーチャーチャッチャッラーラー<(__)>皆さん、コンバンワD-XNEWSの時間です。キャスターの古舘D-Xです。本日、3つ目のニュースはコチラです『AKB48入山杏奈、4月からメキシコ
またもや朝早く起床して、急いで準備をして、昨日と同じくトースターポジションに立つ。そして、パンを並べて、トースト、トースト、toast‼昨日と同じく100人分くらいのパンを絶え間なく焼き続けた。そういえば、食パンだけれども、日本の食パンとは少し違う。サイズ&薄さがサンドイッチ用のパンくらい(約15㎝四方)のもので、1人2~3枚は軽く食べるのだ。だから焼けるのも早い。スライスして売ってることがほとんどで、その薄さに最初はびっくりした。そして一斤?一本?の大きさも‼トースター業務が一段落
14時に一旦調理作業が終わったので、部屋に戻って持ってきた英語の宿題のプリントを訳しはじめた。気の遠くなるような量の知らない単語。一行進むのに私は何個の単語を調べなきゃいけないんだろう…調べるといえば、当時まだ電子辞書はメジャーなものではなく(うちが持ってなかっただけかしら?)私は分厚いサンシャインの英辞書を常に持ち歩いていた。そして、知らない単語があったら、それを調べてまず黄色の蛍光ペンで単語をなぞった。(調べたという記録)そして、それを別のノートに書き留めて、夜意味を詳しく調べて、次
Morningtea(モーニングティー)はそのままキャスィと一緒に食べた。あ、モーニングティーとは…2時間目が終わった後の10時半位から20分くらいの午前休憩のこと。その時間は補食タイムみたいなもので、お昼とは別にスナックやら、持ってきたリンゴをかじったりして過ごす時間らしい。私はランチ以外持ってきてなかったし、そんなお腹も減ってなかったので、何も食べなかった。ちなみにオーストラリアはかつてイギリスの植民地だったこともあって、このモーニングティータイムについてもイギリスの紅茶文化の影
初日が終わり安心して寝床についた。少し経って目を覚ますと、足元の方にあるドアが10センチほど開いているのに気がついた。『あれ?寝る前に閉め忘れちゃったかな?』薄明かりの中、重いまぶたをこすってよく見ると、ホストマザーがその10センチの隙間からこちらを覗いてるその足下には、2歳の男の子チャーリーもいる!そして、チャーリーはどんどん部屋の中に入ってきて、ついにわたしのベットにまで来た。そしてわたしを指差しずっと笑っているのだ。「It‘ssofunny!!!」(超面白い!)その言葉だ
朝は珍しく緊張してはやく起きた。こういうときだけはさすがの私もあんまり眠れないのだ。朝御飯にシリアルとフルーツを食べて、制服に着替える。制服はえんじ色のポロシャツまたは白ブラウスに、グレーのチェックのスカート。靴は体育もあるので、スニーカーだ。今日は初日ということもあって、白ブラウスを選んだ。下の子達は違う学校に行ってるらしい。あぁ心細いとりあえず、ここから2本のスクールバスを乗り継いで、私が通う予定の学校につく。ちゃんと乗り継ぎもできるかな?家の前で停まってくれるスクールバスに
午後に、ホストマザーと二人で初めて学校の内部に入った。入ったとは言っても、正門らしきところから事務室までの移動だけ。そこで、制服の購入や(日記には110ドルと書いてあった。)、受ける授業の選択をさせてもらった。そう、オーストラリアでは高校2年にあたるYear11からは習う予定の6教科のうち、必須科目の国語と数学(AorB、レベルがいくつかあるみたい)の2教科を除いて残りの4教科は自分の興味のあるものを選択できるのだ。このシステムにまず衝撃を受けた。しかも選択肢がかなり多い。全部ではない
今日は国民の休日、Australiadayという祝日らしい。どこもかしこも休みらしくて、また朝はゆっくり寝かせてもらった。朝はシリアルを食べて、ホストマザーの友人が来ていたので私は部屋でくつろいで、ランチには昨日の残りのカレーを二日目のカレーはやっぱり美味しいってここは日本じゃないのに午後は家族みんなで急遽ボーリングに行くことになった。2ゲーム+貸し靴+ドリンクで8ドルだった。やすーーい!確か当時はオーストラリアドル1ドル=85円とか?だから700円くらいだったんだよね。ちなみに私、
今日は午前中特に予定はないのでゆっくり寝てて大丈夫と言われたので、お言葉に甘えて10時くらいまで寝ておりましたあーよく寝たっと思いきやそうでもない。嫌な夢を見たから、ぐっすり寝れた気がしないのだもともと不安な時は夢でうなされることが昔から結構あった。今も極度の不安状態なのだろう。どんな夢かというと、日本に電話をかけようとすると、すぐに違う場所に繋がってしまい、「本当は寂しいんでしょ?」とか、「怖いんでしょ?」とか言われて急いで電話を切る夢。もう一度かけ直すと、また同じ場所に繋がってしまい「
朝は子供達の元気な声で目覚めたのは6時半朝、シャワーを浴びてご飯を食べました。私は昔から夜型で朝が結構弱いしかも、昨日ついたばっかりでまだ疲れもとれない…けれどもこの家族は信仰深いクリスチャン(キリスト教信者)らしく、毎週日曜日9時には教会に行って祈りを捧げるようで…。ついていかないわけには行かず、一緒についていきました。Churchは協会のことです。チャーゥチのように発音します。でも、私は仏教徒。しかも困った時だけしか頼りないとりあえずの仏教徒…だから、お祈りに毎週行くことや、
イケメン(希望)の18歳のお兄さんはどこにいるかって?!残念ながら、その方はどこか遠くで大学かなんかに通っているので、こちらには全く戻らないのだそう。ガーーーーーン色々妄想ふくらませてたのに・・・(笑)この1年で会えることも無さそうなんて・・・ショックすぎるそして、この家でのルールなども少し教えてもらった。この家の1日の生活リズムについてや洗濯物の出し方についてなど。朝は6時〜6時半には起きて、夜は7時半〜8時くらいにみんな寝るらしい。就寝7時半当時、まだ高校2年生だった私には
まずは紅茶を飲みながら自己紹介。耳を大きくして、しっかり聞き取ろうと構えた。「私はバルです。あなたのオーストラリアのホストマザーよ。困ったことがあったらなんでも話してね。」「私はリンです。バルの娘で24歳です。でも、仕事でブリスベンに住んでいるので、ここには1週間位しか滞在しません。」そして、子ども達の紹介。本人達ではなく、バルさんがゆっくり私に説明してくれた。「彼女はキャンディ。12歳」私の心の声『あ、家族構成に書いてあった子だ。』「友達なの。でも、今はここにちょっと理由があ
さあ着いたぞ、ギンピーへ。街は栄えてるのか、それなりかな。とにかく丘が多い。上ったり下ったりの繰り返しだ。↑これがメインストリートらしい。そしてこの市街地から、更に2-30分位車を走らせた。え・・・森の中、山の中なんですけどどこまで進むんだ・・・?こんな道からこんな道まで・・・。家畜もいる。「Wearealmostthere.」(もうすぐよ。)「あの家がお隣さんよ。」と言われてからまた車を走らせる。え・・・?お隣さんて隣り合わせだからじゃないの?もう丘を一
1人だけこのブリスベンの空港まで一緒だった日本人留学生がいた。その名もあやちゃん。大阪出身の面白い子で、その子はブリスベンから2時間くらいの海沿いの街Noosaという場所にホームステイする予定だ。このだだっ広いオーストラリアで、かなり近いところにステイ先があるのもなにかの縁。絶対1回くらい遊ぼうね!辛くなったら連絡を取り合おうね、と連絡先も交換して、あやちゃんと別れた。ちなみに今でも大阪と埼玉で数年に1度は会う仲であるドキドキは止まらない。いよいよこれから1年間お世話になる家族に会うのだ
ここにいるのも残すところ2日となった。最終日である明日の夜は、みんなでお別れパーティーをするらしい。しかもそれぞれの国から出し物を一つして、と言われたんですけどそんないきなり言われても・・・。そして、みんなで案を出し合っても大した案は出ず誰か空手とかお茶とか日本舞踊とか出来たらそれで済むのに・・・。そしていよいよ最終日。ここにいるのも今夜で最後だ出し物が何より不安な日本人チーム各国の出し物を見ていく。ブラジルの子達も歌を披露してた。写真下部の裸の男性達はニュージーランド人で、な
楽しい誕生日を迎えた後は、あっという間に1日1日が過ぎていった。フリーな日があると、仲良くなったコロンビアやブラジルの子達と出かけたり、寮の中では数人で集まってお互い片言ながら、ここにいるイケメンは誰だと思う?的な会話で盛り上がったり結構日本に興味がある子が多くて、特に日本語には何で文字が三種類もあるの?(平仮名、カタカナ、漢字)私の名前をその三種類で書いてー、とよく頼まれていた。確かに、英語も中国語も日本語で言えば全部平仮名だけで文を書いているようなもので、そりゃ、カタカナや漢字も入って
何とか気持ちを取り戻して、部屋に戻る。とにかく、一週間後には新しいホストファミリーの元へ向かうしかない。「もう手紙でやりとりする時間もないから、1度くらい電話で挨拶もしといた方がいいよ」、そう言われた。いやいや、あなた、軽く言いますけど、私にとっては電話はかなりハードル高いっすよ・・・表情も見えないし、ジェスチャーも使えない。絵もかけない。声だけが頼りの電話なんて・・・またまた話すことを箇条書きにして、伝えたいことを文章で英語で書いて、直して・・・準備に1時間もかかったわいざ、決意を固
早くも少しずつここの生活に慣れつつある私。初日に驚いた食事の回数も日が経つにつれて、朝ごはんを食べたのに、10時半になるとクッキーやらウエハースに手が伸びて、その後のまたランチが楽しみになってくる。慣れって怖いわ。。。二日目の夜には、原住民のアボリジニーのダンスをスタッフが披露してくれた。途中で、君たちも参加しろと言われ、何故か私も運悪く目が合ったことで呼ばれて前で20人くらいで踊らされただから、リズム感ないんだってばっ!!!エジプトでも、ディスコの楽しさが全く分からなかったんだって
離陸の準備が整った。本当にもう日本を離れるんだ。1年間は帰ってこないのだ。エジプトに旅行に行った時のワクワクだけの気持ちとは全く違い、不安と期待が入り交じっていた。飛行機がスピードを出して、遂に日本の地から飛び立った手にはさっきみんなから貰った手紙やプレゼント。「手紙は飛行機の中で読んでね」、そう言われた。シートベルト着用のランプが消えたのと共に、少し気持ちか落ち着いたので、手紙を開いてみた。読み始めた瞬間からポロポロと涙が溢れてくる。「HANAなら絶対にやり遂げられるよ!」「
怖い、行きたくない。いや、行って成長して帰ってきたい。英語を話せるようになって、かっこいい女性になりたい。私はいつか英語で喧嘩したいのだ。でも、やっぱり今の友達と家族と離れるのは寂しい。離れたくない。寂しい思いまでして行かなくてもいいんじゃ・・・?行かなくても充分これから楽しく高校生活送れるはず。普通の女子高校生でそのまま大学に行って、就職する道だってあるはず。何で私はわざわざ辛い道を選んでるの?そんな色んな気持ちが頭の中をグルグルしてた。それでも一日ずつ日は過ぎていく。いよい
出発に向けて本格的に色々と準備が始まる。ホストファミリーとは数ヶ月かけて何度か手紙でやり取りをした。もちろん辞書を沢山使いながら・・・。しかもほとんどの文は「I」(私は)〜からしか作れない頑張っても、「Myfamily(私の家族は)〜」。かっこよく、違う単語から初めてみたり、関係代名詞とかthatとか使いこなしたいけど、すぐに文章を思いつく程の英語力は無かったのだ。だから、現地で使うかもと思って購入した「英語で日本の文化を説明する本」から季節の情報を丸写ししたりしてなんとか手紙っぽく