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「そうきっと急ぎ疲れたんだほんの少し情熱を抱えたままで立ってたのさ」(GRAPEVINE「光について」)2024年9月9日で望月さあやが24歳になった。高校卒業だラストティーンだ大学卒業だとずっと忙しくしているうちに、あっという間に20代前半最後までやってきた気がする…なんてことはない。長い道のりだった。過ぎてしまえば一瞬だが、走っているうちは永遠に続くようにも思える、長い長い道程だ。とても良い一年だった、とは本人は言わないだろう。良いことももちろんあった。その前
望月さあやの生誕祭が行われる。山あり谷ありを乗り越えてなんとか開催までは漕ぎ着けたし、なんとか何事もなく、しっかり望月さあやを出し切った内容で終わればよい、と願うだけだ。そして、ここまでを乗り越えた望月さあやが主役となる生誕祭はよいもの、味わい深いものになるのではないか、という予感がある。単にそう願っているだけかもしれない。もっちゃんがアイドルになってからは7回目の誕生日であり、ひとさいが始まってからは3回目の生誕祭、前世も含めると4回目(前世の一回目は特に銘打つイベントも行われず、
瞬きする間に夏が来た。早くもひとさい3度目の夏である。どうも1年目のように突飛な大イベントがあるわけでもなく、2年目のように王道の大イベントに数多く出るわけでもなさそうだ。今年の一つの山は東名阪フリーライブだ。しかも計5開催中の名阪含む3開催は、通常のライブハウスイベントではなく、WEGO店舗でのインストアイベントなのだという。5月の5日間連続ライブ、あの動員目標が掲げられた日々に比べれば、そこまでの熱量ある仕掛けをしているものでもないが、それでもYouTubeを1週間ほど連続で更新し
気がつけば6月である。未だに5日間連続ライブの余韻を少々感じてはいるが、それは碌に現場に行っていないせいだろう。ほとんどに行っている時もそうでないときも思う、ライブに行かない者にとってはそのライブは存在しないに等しい、と。また行きたくなれば行くし、全く行かないような未来は見えていない。そんなものはとにかく、「Halfway」は良い作品であった、という話を書いておきたい。ライブ前からライブ本番、そのあとに至るまで、ひとさいとしてはこれまでで随一と言っていいほどに、一つのものを、ヤマを
たいしてなにか書き記すことがあるわけでもないのだが、個人的なこのライブとその後に対する、開始前時点での所感の整理のため、また駄文を書き連ねる。結論から言えば、僕はこの5日間を非常に楽しみとする心境に至ったし、その結果とその後に展開されるストーリーも含めて大いなる期待をしている。だから迷っている者はぜひ1日でも来るべきだ。来てほしいという懇願もする。願うくらいは自由だろう。ライブのチケット販売元については、一つ一つリンクを貼るのは骨が折れるため、以下のグループ公式Twitterの投稿
つまり提灯記事だが提灯を掲げきれないし、#PRなどと書くにはあまりにPR力が足りない。ぴーあーるちから。オーラちから。極力否定をせず肯定をしていきたいと思うが、もはやなにを肯定したものか。なにはともあれ。僕がそのようなやり方について徹頭徹尾嫌いというのはあるが、そんなことを言っている場合でもない。全く、そんな場合ではない。1つ足りない賽は投げられた5日間連続単独ライブ『Halfway』2024/05/13(月)~2024/05/17(金)【5/13DAY-1@恵比
そんなに悪く言わなくてもいいのだと思う。まずはよくやった、それでよいのだと思う。良いライブだった、それでよいのだと思う。満足していない、複雑な思いを抱いた客も、そこまでいなかったのだと思う。ひとさいの東名阪ツアーがめでたくファイナルを…迎えなかった。大阪が延期となった。流行り病である。昔から季節でよく流行る方の。2名ほどかかり、それで延期となった。東名阪で一つ延期となれば、それはツアーの体を成していない。流行り病については、僕はついてない、で片付ける。誰を責める気も何かを言う気も
前提:これは望月さあやさんが振付をした曲である。それ以外の要素が必要だろうか。否。あーえらいねもっちゃん。てんさい。他の曲では、特に1メロあたりで多用するコールにつき、たとえばさあやー!さあやー!あーーーーーー…さあやー!とする僕ですが、この曲だけはさあやー!さあやー!おー、れー、の、さあやー!としますね。そういう曲でしょうと思って。他の曲でも俺のと言うこと自体は勿論全く自由だし、前にも書いた気がするが、世の中ではそちらが圧倒的多数派とは思う。ちなみに、現場に来ている人
ひとさいが東名阪ワンマンツアーを行うのである。それはめでたいことである。昨年も東名阪でのライブは行ったが、ツアーと銘打ってはいなかった。昨年夏の大勝負、東京O-EASTライブへの導線という位置づけであったり、唐突に名古屋だけ行ってみたり。何をワンマンと称するかというのは多分に気持ちの部分があるが、少なくともこれまでよりは名阪の位置づけが上がる、気持ちとしてはライブの中で最上級の位置づけである「ワンマン」を各地で行う、そう、行うことが出来るまで来た、と運営が判断した、つまりそれは喜ばしいことだ
今年の簡単な振り返り。・アイドル以外部署は変わらずも業務内容が変わり。感謝されることは増えた気がするので、やっていてそこまで悪い気はしない仕事。弊社内で前例がないだけに、妙に振り回されたりなんじゃこりゃなことも多かったり、そりゃあ苦労もあるが。旅行は2回しかしていないのだね。長野の別所温泉・霊泉寺温泉と、宮城の鳴子温泉・中山平温泉。まあこれはをたくがおわってからの楽しみということで。2023年はチバユウスケが亡くなった年として永遠に記憶するのだと思う。僕にロックを教え
望月さあやの良い客でありたいな、と思う。望月さあやを作り上げていく、磨き上げていく過程で、一緒にそれを成し遂げられるような客でありたいな、と思う。それはただの出すぎた真似とも思う。彼女に共感して、少しでも理解して、もうそうしたら良い客なのかもしれない、と思う。何かを書こうとは思うが、何を書いたものか、とんと見当がつかぬ。9月に誕生日お祝いとして、一つ駄文をしたためた。その前くらいから最近まで、均してみるとそんなに良い時を過ごしてはいなかった、それが正直なところだろうと思う。これだけ
つまりは題名をパクっているのである。ただの気分でパクっているのである。『優雅で感傷的な日本野球』、高橋源一郎氏の名著。別にそれにならって、失われた望月さあやを、望月さあやについて書かれた文章を集めることで見つけ出すわけでもないし、望月さあやは特に失われてもいないし、図書館に行っても望月さあやについて書かれた文章はおそらくほとんどない。だいいち、僕は『優雅で感傷的な日本野球』を読んだこともないのだ。ふとこのタイトルが浮かんで衝動買いしてこれから読むので許して。ともすると、望月さあやと連
久々に、何も言うことがない。いや、言うことはある。事前情報の不足、物販の大きすぎる混乱。運営陣には反省すべき、改善すべき点がいくつもあると思う。そんなことをここで詳述しても仕方がない。ただ、ライブについては、僕は満足だった。久々に、燃えた。ステージから降ってくる強大なエネルギーに対し、全力で打ち返せた、ような。それは僕が感じるところの、真剣勝負。息の詰まるような斬り合い。笑顔と笑顔の殴り合い。「『あの頃は良かった』って?それはお前が止まっとるんじゃ」(吉野寿(eastern
何を書くわけでもないしまとまる気配もない。何を書こうというのもない。ただ、1つ足りない賽は投げられた、通称ひとさいのワンマンの前に何かを記そうという衝動だけで書いている、その事実があるだけで、(前)などと言っても(後)があるかどうかもわからない。また夏がやってきてしまった。アイドルにとって最も光り輝く季節かもしれない、夏が。今年の夏はとても暑い。大須夏まつりと神宮外苑花火大会への出演というずいぶんな傾奇者路線から1年、ひとさいの今年の夏は王道ライブアイドル路線へ進んでいる。
先に書き始めて温めすぎているものもあるのだが、ひとまず衝動的に書く。ひとさいがTIF2023への出場を決めた。正直に言ってしまえば、今年出場できるとは全く思っていなかった。もはや主催とのコネが全て、という言説すらよく聞く、それこそ古き良きものからは逸脱してしまったような感すらある昨今のTIFだが、それはそれで、出場までこぎつけた運営には素直に敬意を表する。TIFのみならず、最近決定していっている対バンのラインナップを見ても、何か業界内でのつながりを掴んでいっているような感もあり、
「月に手を伸ばせ。たとえ届かなくても」(ジョー・ストラマー(TheClash))ひとさいの1周年ワンマンが無事に終わった。満員御礼だそうだ。雑多に書いていく。構成する気もない。思いつきで書くし、書き終わってから、書くべきだったことをあれやこれや思いつくのだろう。忌憚のないものを書いていく。正直なところを書いていく。思うことをすべてネットの海に放つわけでもないが、そこまで遠慮もしたくはない。今時は神輿を担ぐように褒めたたえるのが普通なのだろう。特段そうしようとも思わない。素直に今思
君は明日の望月さあやを見るべきだ。これは5年をかけた愛と憎しみの物語だ。憎しみなのか哀しみなのか、もはやただの一つの対バンなのか。ただの一つの対バンだろう。で、あるなら。僕は明日の望月さあやを見るべきだ。これは望月さあやの物語であり、それ以上に、僕の物語だ。望月さあやと槙田紗子が重なり合う、いや、路上ですれ違うくらいの話かもしれない、僕が勝手に意味を見出し、もっちゃんをたきつける、負けたくないと願う、勝ち負けとは何か、アイドルのライブにおける真剣勝負とは何か。いったい何を問う
「1曲1,200円ね」生でなければイケないんです…生をください…。ライブが欲しいんです。ライブが。配信じゃ足りない。いつだって生のライブが欲しいんだ。僕には行くか行けないの選択肢しかない。行かないという選択肢がない。ライブに行ってないのは行けないだけだ。そんなことを言ったって、仕事だから行けないって、それは働かなければ食っていけないような稼ぎしかしてない僕の不徳の致すところで、もっとライブに行けるような職に就かない、就けないのもまた不徳の致すところで、だから偉そうなことは言え
「喜びも苦しみ尽くしたその先にあるって確かに」(syrup16g「MaybeUnderstood」)アイドルをやって、辞めて、もがいて、アイドルになろうとして、落とされて、もがいて、またアイドルになって、日々走って。その裏で人知れず、自分と志を同じくする才能の中で溺れて、もがいて、必死に汗と涙を流して、きっと無数に絶望して、それでも負けずに腕を磨いて、そんな4年間の集大成を、一つの舞台として結実させていた。先日、4年間在学している大学の卒業公演として、望月さあやは一つの舞
特段捻りのあるタイトルも思いつかなかった。『ふぁーすと、ふらっしゅ、おぶ、「ひとさい」』1つ足りない賽は投げられた。賽は投げられた。ほんとうに賽は投げられた。遠い未来だと思っていた、望月さあやのデビューである。それはつまり、僕自身の10年近くぶり…ameblo.jp2022年が暮れてゆく。彼女たちと出会ってからおおよそ10ヶ月が経った。順調だったか否か。まあ、楽しくやっている。彼女たちもおおよそ仲もよさそうで、和気あいあいと日々のライブアイドル活動や各種SNSに精を出している。一
ひょっとしたら涙を流しているかもしれない。自らの不甲斐なさに。望月さあやというのはそういう人だ。本人も表立って言っているわけでもないし、公式に何かアナウンスされたわけでもないから、あんまりそのことを言われるのも本人の気に召さないところはあるだろうが、とはいえ実際にライブを見ている客からすれば、全く誤魔化せていない、誰にでもわかるくらいにバレているのだから、ここに書いてみたってかまいやしないだろう。もっちゃんはちょっと体調を崩している。特に昨日の定期公演「あけさい」VOL.4はなんとかス
気がついたら秋刀魚の季節になっていた。ガキの頃から僕は秋刀魚が好きだ。シンプルに塩焼きで、大根おろしをつければそれでよい。大人になって、刺身でも食すようになった。居酒屋で秋刀魚があればとりあえず頼んでしまう。つまり今年も秋だ。100円を切る値段で生きのいい大ぶりな秋刀魚が買えた時代は終わってしまったようだが、それでも今年もそうたいしたことのない秋刀魚を買っては、焼いて(焦がして)酒のあてにしている。つまりは秋だ。春、夏。そんなタイトルをつけて駄文を重ねてきた。夏から秋になって、も
10月10日(月・祝)、小雨のなか、#八王子市の#日本工学院八王子専門学校にて開催された#学園祭『第18回紅華祭#八王子大作戦2022』へと行ってまいりました🏫八王子駅前より、送迎バスで移動🚌.校内では、片柳記念ホール前の野外特設ステージ「WHITESTAGE」にて、観覧無料の#アイドルグループのライブが開催されておりました💃(撮影禁止🙅♀).本番の様子③あそこでくまが踊ってるっっ!さんの本番中の様子です❕ご出演ありがとうございました💖pic.
たとえば、こんなをたくの言葉から振り返りを始めたっていいわけだ。「さあやちゃんが絶対に一番かわいいから、絶対に一番の生誕祭にしたいんですっ!」なにをもって一番の生誕祭か、という話はとにかく、よいものにしたかった。3年ぶりの生誕祭だった。初めての単独生誕祭だった。だからこそ、しっかり祝いたかった。生誕祭に関わったいちをたくとして、企画についての振り返りと当日の感想を書き残しておく。あくまで僕の眼から見た、今年の望月さあや生誕祭の備忘録である。1.企画内容まず、ご協力いただ
先日、このご時勢ではまだまだ珍しい、声出しが可能なライブを見ていた。元々僕はコール馬鹿とでもいったような、ひたすら推しの名前を呼んでライブを過ごすような人種だった。だからそのようなライブは血沸き肉躍るべきだった。前日からの成り行きによる寝不足のせいか、ほかに何かあったのか、とにかくぼんやりしていて、そのようなライブの時にいの一番に声を出すはずのSEで何もせず佇む僕がいて、それでまったくいつも通りのライブと相成った。曲中に声を出してみるものの、どこか空を斬るように手応えもない。声を出すという
「夏のマジックなんかに頼るんじゃなく、わたしたちは狂い咲くところを見せることはできたかな」(早崎友理(ASTROMATE))夏はアイドルにとって特別な季節だ。何をしてもそれなりの形になり、汗と共に思い出となる。夏の前に配信ライブという不本意な形にて解散した前世を思えば、たとえ主要なフェスに出られない裏街道の夏でも、その代わりにヲタクをしていてもなかなかご縁もないようなステージに出たり、なにかしらの仕掛けをしてくれている、と思える今は幸せなのだと思う。ちょうどこれを書いている今も、
1つ足りない賽は投げられた、の1stワンマンが終わった。簡単に当日の記録、思ったことを書き残しておく。特段構成も考えないし、深くもならない。直前の躓きはあれど、無事に1stワンマンを乗り切った。まず、誰も流行病にかからずワンマンをつぶすことがなかった(そしておそらく神宮外苑花火大会にも出られる)というのは、当たり前のようでいてこのご時勢では大きな話だ。正直、もっちゃんがかかってしまったとき、全員一気にかかっていればなあ、と思ってしまっていた。高い確率でそう大したことにもならず、ワンマ
望月さあやが来たるべき季節に向けて怯えを隠さないようになれば夏の前触れであるし、どれだけ気を使っても結果として体調を崩すようなことが出てきてしまえば真夏を迎えた合図だ。本人はかわいそうなくらいに夏に対して恐怖を口にし、そして備えている。毎年その備えは厳重になっていく。そしてその甲斐もなく、毎年のように夏に調子を崩すことを繰り返している。キャラと真逆、とにかく暑さに弱く寒さに強い。冬以外はずっと暑い暑い、早く冬になれとのたまう。そして冬になると目を輝かせながら駆け回る。それは犬か。駆け回ら
最近の僕は望月さあやの元へ行っても何も話すことがない。もっちゃんは僕が話し出さないことをよくわかっていて、だから特典会の際の会話はすべてもっちゃんがリードして進んでいく。もっちゃんは話したいことを話したり、聞きたいことを聞いたり、僕をからかったりする。それを1回のライブごとに数回行う。そうやって新しい日々は過ぎていく。2022年春の望月さあやと僕だ。2022年春の望月さあやはとてもアイドルだし、隙も無くよいパフォーマンスをしている。それを見ていればおおよそ満たされるのだ、だからこ
とても素晴らしいASTROMATEは、しかしどこか歯車の狂うことが多くあった。そうして、必ずしも十分な栄光の時間を過ごしたとは言えないうちに、2020年6月13日、コロナ禍を受けた配信ライブという、最後としてはあまり幸せとは言えない形で、その歴史を終えた。今振り返ると、あすとろにおいては個人的にも様々なことがあり、僕にとっては実に狂った季節だった。良いことも悪いことも思い出される、愛憎二つの思いもないまぜになる。最後にあらゆる意味で全力で対峙できたグループだったと思う。学ぶこともあった