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JTCCはマツダも参戦していた
引き続き1994JTCCよりHONDA勢27号車はチークニのSTP号77号車はGathers号88号車は・・・先行開発車?
日本勢はNISSAN、TOYOTAのほかにHONDAからCIVIC11号車はBPTRAMPIO号14号車はMOONCRAFTのJACCS号15号車はNAKAJIMAのPIAA号16号車は無限のCastrol号コンパクトな車格が災いしてか、苦戦のチビッコフェリオ。後年JTCC終焉のきっかけを作ったといっても過言ではないアコード登場まで我慢の戦い
トヨタ勢はトムスやセルモのワークス格以外にも多くのチームが参戦FETはカローラをチョイス2台体制そして爆走坂東組そしてTRAMPIO号
そして国産勢の巨頭トヨタまずはワークス格のトムスそしてセルモ
マツダがJTCCに投入していたランティスなんですが、BTCCで走っていたクセドス(クセの強いみやこびと…ではなく日本名ユーノス600)で使っていたV6をそのまま使ってみたもののクソ重たいわ非力だわ…でファミリアに変更された子。それならバカのひとつ覚えのロータリーエンジンを載せればよかったじゃなイカ?とは思うのです。実際300ps程度の出力だった13Bペリ。「高価なパーツを使用すれば380psは堅い!」とかぬかしたものの、そんなものカタチにすらしないので20年近く進歩しなかったワケですが(ボ
シュニッツアー以外にも海外勢が多数参戦モトローラBMWそういやシュニッツアーは3台目も準備してたな。そしてアルファコルセの155かっけーそしてOPELあれ?初年度はボクソホールブランドで参戦じゃなかったっけか?
JTCC初年度国産勢の一角NISSAN勢P10プリメーラ33系?のスカイラインそしてサニー3車種が登場のNISSAN勢
まさか日本でシュニッツアーを見られるとは。
オペルのベクトラさん。HKSのチーム運営・マシンメンテナンスなどによりJTCCに参戦していました。イギリスでのブランド名ボクゾール・カバリエとして参戦していた先代ではアンソニー・リードの腕前や、国産他車が開発途上だったためか上位に名を連ねていましたが…代替わりしてからは他車の開発が進み、HKS単体での開発には限りがあったと見えて、パッと優勝したこともありましたが後はギリギリシングルフィニッシュ…という感じでした。右回りの多い(唯一の左回りである西日本もMINEになって右回りになる有様)日
Cパドックで、全車揃っての記念撮影。夕刻だったので、少し暗い皆さん若い!
トヨタのJTCCマシンとしてはエクシヴ(つちや)もチェイサー(トムス)も保存されてるのに、コロナだけいなくない?トムスとセルモが使ったあとオブジェクトTとかに譲渡されたけど…その後はどうなったんだろ?トムス車はマカオ戦のあとに海外へ放出された、みたいな話がありますが。後日談的なものが一切出てこないのでわからないんですよね。
93年までの2ドアのツーリングカーから4ドア2LNAのニューツーリングカーへ移行した初年度。4ドアセダン?などと侮るなかれ、スプリント化し過激なバトルの勃発なのだ初年度はBMWワークスともいえるシュニッツアーが参戦、迎え撃つ日本勢は、トヨタ、日産、マツダ、本田、スバル。そして日本チームでもBMWが多くチョイスされた。サポートレースにはフォーミュラトヨタ日産ザウルスゴルフなど。
ついこないだも取り上げたJTCCのアコード。ウイングステーをよくみると…翼断面になっておる!「そこまでやるか?」って声も聞こえてきそうですが、僕としては「やって当たり前」だと思ってます。むしろよそは何でやらないの?っていうね。これでたとえば最高速が5km/h伸びました…とかそういうのじゃないんだけど、オーバーフェンダーの取付リベットが皿ビス的なフラットになるものを選んだりした結果、ライバルよりも「少し速くなる」わけですから。
JTCCでコロナを使っていた頃からエクシヴになってさらに強くなったイメージ。グループAの途中からトムスのレース部門に異動し、関谷選手の担当になった東條力メカニックが「リアサスのリバウンドストローク(伸び側)を極端に短くして、コーナリング時に三輪走行をさせていた。」と証言しています。これって、以前記事にした中子修選手の「フロントタイヤはトラクション確保のために常に両方接地させてリアタイヤは抵抗になるからイン側は浮かせる」という、通称犬の小便走法。中子選手について書いた記事はこちらに貼っておき
ホンダがF1の技術を全力投入…したかどうかは知りませんが(何かにつけてこのフレーズが出てくるから嘘確定)、とにかく強かったJTCCのアコード。勝つためにはドライバーの着座位置までもイジってきた…というのは、なかなか面白いですが、イジっちゃいけないサスペンション取付位置まで手を出すからレギュ違反として記録抹消されてしまうわけで。そのくせ「あまりいい世界ではないな」とお偉いさんが言うあたりは、セコいことをやってでも勝ちたい…という風土があるんでしょうね。ゆえに「都合が悪くなるとすぐ撤退」なわけ
JTCCに出ていたBMW。実質的なワークスであるシュニッツァーが撤退後は318iから320iへと代替わりしても戦力はあがらず、空力関係を中心に各チーム独自の進化を遂げていました。先の一ツ山レーシングのようにGT300と供用かのようなオーバーフェンダーを設けたものや、こちらのような往年のワークスフェンダーのようなものを装備するマシンも。とはいえ、横幅が広がったところで直線スピードは落ちるのでコーナリングスピードで稼ぐスタイルになるんでしょうが、国産メーカーの開発スピードには遠く及ばなかった
プリメーラさん。ヨーロッパ的な方向性を打ち出して、日産にしては珍しく大成功をおさめた車。ただ、やたらとこういうウイングを付けて大失敗するのが日産の悪い癖wwww画像は後継のP11ですが、P10はJTCC初期やBTCCなんかで大活躍してましたね。ただ、このまま盆栽にしとくのも何かアレだし…って思うんですよ。たとえばAttackなんかのタイムアタック競技に、こいつのエンジンをベースにして(そのまま使わなくても横置き用の部品だけ使えばVEヘッドもいけるし)パワーアップすれば、おもしろいことに
中子修。三重県尾鷲市出身の元レーシングドライバー。鈴鹿サーキットをホームコースとしてフォーミュラカーを中心に活動し、業界きっての「理論派」として知られる。しかしフォーミュラカーではステップアップするごとに伸び悩み、そんなときに出会ったホンダ・シビックでの走りが彼の経歴を動かすことになる。全日本ツーリングカー選手権(グループA)では、4度のシリーズチャンピオンを獲得。その後のJTCCではアコードに乗り、1997年にシリーズチャンピオンを獲得した。FFの走らせ方には定評があり、前輪は両方と
浅野自動車、牧口エンジニアリングなどとともにマイナーツーリング時代から活動を続ける一ツ山レーシング。JGTCにマクラーレンを投入したことでもおなじみですよね。多種多様なマシンを走らせてきた一ツ山レーシングのなかでも僕が好きなのが、JTCCのBMW。オーバーフェンダーを自社開発しているのがいいんですよね。特にレギュレーションに引っかからない程度にタイヤをカバーしたリアフェンダー。実際に同じものかどうかは不明ですが、GT300を走った2ドア版も似たようなデザインでしたね。こういう創意工夫を
\ウェ~イ!/320の日だからJTCCのBMW320iで、いっちょ書いたるんべ~や!と思った次の瞬間。こいつ318iだった(詰んだでもエンジンは2リッターなんだぜ?←だからややこしいんだほいで318iから320iに代わったら、車両開発されてなくて戦力にならなかったとかいうね()本来ならボツネタにすべきなんだけど、それでもひとネタ仕上げる力技よ(自画自賛)。
SYMSインプレッサワゴンです。98年3大会のみ参戦しました。スバルから資金、部品供給も無く完全プライベートチームでさんとしましたがトヨタチームには勝てなかったです。98年唯一トヨタ以外で参戦し家からまずまずの場所にSYMSレーシング店舗ありますがもう20年位展示されてないですね。展示したときはエンジン降ろした状態でエンジンメンテナンスが非常に手間かかるとおっしゃってました。解体しちゃったのかな、、実は黄色は2代目マシンで1代目も行方わからずでどうなったか、、SYMS行って聞いてみようかな
複座時代のGC。当時の主流だったBMWの2リッターエンジンに混じって、ロータリーエンジンも走っていました。後年の係数と違って1.7どころか2.0なんて時代もあったわけですが、何とか同等の性能を発揮してしのぎを削っていました。係数による性能調整はあるだろうけど、2リッターエンジンと混ざってレースをしていたんならJTCCに使えばよかったのに。先に開催されていたBTCCの車を逆輸入する手を取り、クセドス(日本名ユーノス500)を使ったのはいいけど…何せ空力性能は良さそうなのにエンジンがポンコツ
タナベスープラがN1耐久に出ていたりなんだかんだ…な時期ですから、1994年とか1995年あたりでしょうか。80スープラの純正が16インチの頃でブレーキが止まらない!って文句を言われてた頃ですね。後に17インチ版が出てブレーキも大型かつ強力(いうても純正対比)なものに置き換えられましたが。そのスープラでレースに出るか聞かれた「シフトポイント」の代表でもある「トムスの豪傑」こと()星野薫選手。ずいぶんと現実的かつ未来を見据えたことを発言していました。「セリカ(時期的にST20#)にJTCC
売却して今は無いけど、グループAレースが終わって、JTCCに移行するって事で、この共石GT-Rを購入したのですが、諸々と諸事情で、結局JTCCには走らせる事が無く、オリジナルの共石GT-Rに戻してショールームに展示したらすぐに売って欲しいと連絡が舞い込んで来て、うちが作った訳でも無い車だから売却する事になって嫁いで行きました緑色のカラフルな共石GT-Rが無くなってしまって気が付いたのですが、ショールームが何だか寂しくなってしまった2015年2月の撮影画像なので10年前の話しです今はN
画像ちっちゃwwww坂東組が走らせていた「カローラのシャーシに空力のいいボディー」という触れ込みで、土屋エンジニアリングのカローラセレスとともにJTCCに出ていたマシン。確かにストレートはめちゃくちゃに速い。ただ、5ナンバーサイズのボディー…それも空力優先?デザイン優先?なボディーですから、18インチのタイヤなんて入れるもんなら無理難題があれやこれやと生じるわけで。案の定、いろいろ都合が悪くなり(駆動輪は他車と同じものの後輪は軽さを求めて15インチのために独自に作らねばならなかった)、コ
このシリーズ続きますというか、久々のRSターボシリーズだ何故このシリーズになったかというと・・・12/8北海道三陸沖地震が発生した23時15分に、携帯からけたたましい音の緊急アラートが鳴り地震予告直ぐに部屋に行きミニカーの棚や積み重ねていたミニカー達を押さえ始めた次の瞬間、激しい揺れが結構長く続いた流石に全てを押さえることができず、落下したミニカーなど破損するミニカーが多々あったただ、ケースに入れているミニカーだけは過去の北海道胆振東部地震で教訓した
皆さんこんばんは。セルモです。今日は先日の土曜日に発売されたホットウィールブールバード135日産プリメーラJTCCカストロールプリメーラを開封したので紹介します。さすがホットウィールのリアルライダー、プレミアムだけあってクオリティがめちゃリアルですね。内装もちゃんとロールバーも入ってます!!(当たり前かwww)最初この車高で果たしてミニカーとして走る、タイヤが回るのか?と疑問でしたが、そこはちゃんと回りました。この出来はイイっすね😆後はこの間言ったカルソニック版がみたい。マ
1990年代後半に活躍したJTCCサニー&BTCCプリメーラGTです。1996年JTCCザナヴィサニー1999年BTCCプリメーラGTイギリスBTCCにて製造メーカー部門、ドライバー部門、チーム部門などを制したマシン。サニー、プリメーラGTともにエンジンはNA。SR20DE300Ps(221Kw)以上27.0kgf(265Nm)以上2台は、同じエンジンだったんですね。次回は、グループC
MAZDAランティスです。とても気さくなオーナーさんでした。ブログ友だちの"おにぎり8さん"から"JTCCのランティスは全て廃棄された"と知らされて残念でしたが、こんなに素敵なランティスに出逢えました。現在では、かなり現存数も少ないと思います。とても程度が良さそうなランティスです。オーナーさんに愛されているのが解りますよね。今回はMAZDAFANFESTA2025で見掛けた素敵な"マツダランティス"を紹介しました。