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久しぶりに出た2スト250ccのレーサーズ誌を本日購入クリスチャン・サロン特集の外伝を含め、2スト250ccのレーサーズ誌購入は10冊目
2009年の全日本ロードレース選手権第5戦岡山大会のDVDなのですが個人的に観戦にも行き、そしてメモリアルな大会でした…🏍️JSB1000クラスでは優勝は酒井大作選手(ヨシムラスズキ)、2位亀谷長純選手(桜井ホンダ)、3位伊藤真一選手(ホンダ)DVDには入っていませんが2009年度で最後となる「GP250クラス」がありました。そのGP250クラスで友人が最後のレースとなりました…🏍️前年に山口県美祢サーキットで国際A級に昇格しましたが突然のサーキット閉鎖で主戦場を岡山国際サーキットに移し
勝つかリタイヤか、#カルロスラバード#carloslavadocarloslavado#yamaha#好きなライダー#motogp#gp250#yza#tz
今日は天気いいけど、風が強い。陽射しも強くて、日中気温が30℃くらいまで上がっています。昨日に引き続き整理整頓の今日です。朝の還元茶からです。ヨモギ茶なのでー700越えています。朝は書類関係を整理しています。これでラック関係をだいぶ空けることが出来ています。書類って、いちいち確認するから結構時間取られるし、疲れるんですよね。だんだんしんどくなって来ます(;∀;)昼前くらいに朝飯にしまして、味噌汁だけはマイタケ煮出しから作って、ザーサイと納豆3パックを青の
おはようございます。悲しいお知らせが飛び込んで来ました。バーニングブラッドを率いていた小園さんが亡くなられた。ライダーとして現役の頃はガッツの有る走りで観客を魅了し、そのライダー哲学(の様な)の元に作られたスイングアームやフレームを使ったGP250の車両はRBB250と名付けられ、世界グランプリにも解き放たれました。コゾノフレームとも言われていましたね。刀のような鋭い切れ味のコーナリングを持つと言われていたRBB250亀谷長純さんや、高橋巧選手等が駆ったこの車両、2008年には高橋巧
KAWASAKIKZ1000細かいチューニング作業が出来上がりのスムーズさにつながります。レースエンジンに必要なことは一般車両にもフィードバックするべきです。エンジンや車体の細かな作業が一味違った乗り心地になります。このKZ1000欲しい方・・・・お早めにお電話くださいね。SUZUKIGS750EこのGS750Eも細かな所までこだわって作った一台です。(▽´
先だってインタビューを受けた記事が日経ビジネスオンラインに掲載されました。フェル号主治医の壮絶バイク人生北は北海道から南は九州まで、多くのバイク乗りからのメンテナンス依頼が引きも切らない。「鈴木さん以外にはバイクを触ってもらいたくない」、と遠路はるばるバイクを飛ばしてタイヤ交換だけを目的にやって来る顧客もいる。business.nikkei.comだいぶ格好良く書かれ過ぎていますが、昔から変わらない部分もあり、今の僕がいます。自分が正しいだなんて1ミリも思わないけど、信念を持ってやらなけれ
YouTubeを観てたら関連動画になんか懐かしい名前があるんですよ。「ライディングChHONMATOSHIHIKO」って。普通はチャンネル名を「RidingChannel本間利彦」とか「本間利彦のライディングチャンネル」とかにすると思うんですが英語と日本語の使い分けが微妙でやはり天才は違うなと思わせるものです。本間と言えばその昔、全日本のGP250で手が付けられないぐらい速くて「ストップ本間!」が合言葉にな
寒い時期にヒマ潰しも兼ねて昔の写真をデジタル化する作業を行っていたところ、家族にすら見せられない古い写真に混じってお宝を発見しました!***************FIMロードレース世界選手権日本GP鈴鹿サーキット(1989←推定)当時はエラい貧乏だったため、決勝はおろか予選の入場料さえ惜しくて一番安かった公式練習を観戦しました。練習だから観戦ではなく見学だな...この頃はデジタルカメラはもちろん、AF(オートフォーカス)などという機能は存在せず(あったかもしれないけど私は無関係)、
昨日の夜は、宮城県から元全日本選手権ST600クラスのチャンピオン❗️リュウちゃんが来てたんで飲み1番乗りだったからフライングして生ビール🍺ほどなくして全員集合やっぱ夏といえば鍋でしょっって事でもつ鍋を注文❗️エアコン効き過ぎな店では鍋もいい感じだったリュウちゃんはその昔、全日本GP250クラスで全戦ポールtoWinを成し遂げてる凄い男…って事を実は今まで知らなかった俺リュウちゃん…ゴメンってか、早く言えよ右手しか使わないシンヤ生意気言うから左肩
第6戦イタリアGPの日テレG+MotoGPの放送は、解説に原田哲也氏と実況は中野謙吾アナウンサーでした。哲也は、1993年の世界GP参戦1年目で世界チャンピオンに輝きました。おそらく、今後のGP界で世界GP参戦1年目でチャンピオンを獲るライダーは現れないのでは?!1993年ロードレース世界選手権GP250チャンピオンWGP(ロードレース世界選手権)通算17勝(日本人最多タイ)WGP(ロードレース世界選手権)通算表彰台55回(日本人最多)哲也は私とは違うクラスで
「1990年代に活躍したドイツ人ライダーのラルフ・ウォルドマンが心臓発作により逝去された」と言うニュースがありました。彼とは1991〜1993年まで同じ125クラスで戦いました。1993年スペインGPで私が初優勝を挙げた時、背後に迫ってきていたライダーがウォルドマンでした。グランプリでのチャンピオン獲得はありませんが、粘り強い走りで常にチャンピオン争いに絡み、玄人好みの走りをするライダーでした。今のMotoGP界で言うと、ドビツィオーゾのような感じです。見た目とは違い、話すと
こんにちはもぅもぅです。本日は中々ご紹介出来なかったワークスKR250の続きです。↓スリムなパワーユニット周り↓おゃ・・・?(・ω・)乾式クラッチとEngマウントの間に突き出しているシャフトは・・・キックシャフトではありません♪始動方式は押し掛けです。え~正体はギアチェンジシャフトです。現在は左チェンジが一般的ですが、日本車の台頭前に右チェンジの英国車が一世を風靡した時代が御座いまして、70年代までは右左が混在していました。左右対応とした理由は、おそらく主にK
偶然YouTubeで自分の懐かしい姿を見付けてしまいました(笑)因みにライダーではないです( ̄▽ ̄;)この頃の写真も殆どないので個人的には貴重ですね(^_^;)この翌年から農業の研修に行ったんだったよなぁ~
GP250クラスのRace2は大雨となりました。しかも、ST600の赤旗とJSBの再スタートでスタートが50分ほど遅れた上に、上空には雨雲と言うことで夕暮れのレースになりました。GP250クラスのラストランです。世界GPと同じマシンで争われるクラスで、ここで優勝することが世界への近道と言われていました。ほとんどのトップライダーが、このカテゴリーを経験しています。泣いても笑ってもこれが最後です。で、レースはと言うと、及川選手が優勝し、宇井選手が2位。3位には星野選手が入り、シリーズチャンピオン