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ソフビ好きの気ままなコレクション第112回目はジャンクショップドッグ製ソフビプロレスシリーズ2“ジャイアント馬場”をご紹介~!!商品–JunkShopDogBI砲!!
6月8日日曜日〜その32時半に休す。4時25分、目が覚める。キリンのやわらか天然水、ピルクル400で喉を潤す。プロレス専門誌『GスピリッツVol.71日本プロレス70周年』P032〜039のザ・グレート・カブキ聞き手=小佐野景浩「BI砲の激闘を読み解く」を読む。ミル・マスカラスの事が語られている。(写真)菊水丸コレクションのミル・マスカラス選手のスナップ。
元巨人の投手であり、生涯現役のプロレスラージャイアント馬場の墓参りです。前々から、墓参りに行きたいと思っていたのですがタイミングが合わなかったので・・・・ライバルのアントニオ猪木の墓参りは先に済ませているので、これでBI砲の墓参り完了。25年1月に、ジャイアント馬場没25年追善興行が行われました。ジャイアント馬場とは和・平成期のプロレスラー。本名・馬場正平。新潟県三条市生まれ。高校2年時に読売ジャイアンツにスカウトされ、1955年(昭和30)、プロ野球界に入る。2メートルを
お疲れサントワマミーそろそろ東京の桜も開花かな…と思っていたら、春分の日の前日(19日)に雪が降りました。暑さ寒さも彼岸まで因みに春の彼岸に食べるのはぼたもち、秋の彼岸に食べるのは萩本欽一(欽ちゃんを喰うな)おはぎですね。靖国神社の桜の開花予想は3月26日、満開予想は4月2日だそうな。もうちょっと早まりそうな気もしますけどね。去る3月11日、歌手であり女優のいしだあゆみさん(76歳)が甲状腺機能低下症により逝去されました。やはり70代で亡くなった八代亜紀さん同様、自分がガキの頃から
今は様々な配信で、昔は観ることができなかった映像をかなり自由に観られますね。最近、若き日の『ジャイアント馬場』にハマっています。アメリカで活躍中の白黒映像、全日本と新日本に分裂する前の日本プロレス時代に猪木とタッグを組んでいた時の映像などです。60年代〜70年代前半の映像を観ると馬場サン凄いです。動きが速いし、すげー強いですわー!中学の頃、バリバリの新日派だった私、その当時は正直、馬場サンをバカにしてました。ガリガリの身体、スローモーな動き、ブッチャーとのカードなどは、それはそれであ
Instagramやfacebookのストーリーズでレスラー名鑑をUPしてるのだが…。どうせならとfacebookで『プロレス名鑑。』というグループを創ってしまった😅まんまプロレスファンみんなでプロレス名鑑を創ろうという趣旨👍facebookをやっているプロレスファンの皆様…。まだまだ参加者少ないのでもし良かったらグループに参加してください。宜しくお願い致します🙇♂
今から64年前の今日、東京台東区体育館にて馬場正平(後のジャイアント馬場)と、猪木寛至(後のアントニオ猪木)が同日デビューを果たしました。デビュー当日の2人。後年のプロレス界の両巨頭となる雰囲気はまだ感じられません。写真はお借りしましたそのBI砲も馬場が1999年に亡くなり、猪木も壮絶な闘病の末に一昨年亡くなり、(奇しくも明日10月1日は猪木の3回忌に当たります)名実共に力道山亡き後のプロレスを支えた二人の時代の終焉を迎えましたが、私は現役時代の両者のファイトを観戦する機会に恵まれ
『今日はハグの日』今1番ハグしたいのはだれ?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう左腕がまったく動かない私はハグすることができません。大体、今はハグする…ameblo.jp今一番ハグしたい人は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
今日は《昭和の日》。昭和と聞いて自分が連想するのはBI砲。ザ・ファンクスON王さん、長嶋さん。そしてやっぱりザ・ドリフターズ素敵な時代をありがとうございました🙇♂昭和、大好きです👍
記憶を遡りそして辿りつつ。。。。。王&長嶋、馬場&猪木、ラモス&森保、メジロライアン&横山典弘etc名コンビと言われるのは人のみならず、物や食事と多岐にわたっていますよね。食べ物と言えば「餃子にビール」。でもこれは「アテと酒」で名コンビと言うよりは「迎え撃つ」感じがしたりなんかして。となると「ラーメンにチャーハン」なんぞは「独立した大人の二人」が手を取り合っているようで「名コンビ」な感じがしますよね。で、お昼。本日いただくそんな「名コンビ」は「もりそばとカツ丼」。しかもホッコリ街蕎麦
今日、1月31日はジャイアント馬場さんの命日です。馬場さん…1999年1月31日、馬場さんは逝ってしまいました。当時、前年の全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦のシリーズを欠場、新春ジャイアントシリーズも欠場…それでも馬場さんは復帰すると信じていました。当時の週刊プロレスの表紙だねそれが…馬場さん逝去のニュースを知り、大変なショックを受けたのを今でも覚えています。馬場さんの笑顔から見る人柄、とっても優しく温かい感じで好きでした。今のプロレスは全く見てませんが、今でも198
Flipper'sGuitar-GrooveTubeyoutu.beプロ奢ラレヤー「プロ奢(ぷろおご)」本名は中島太一。「他人のカネで生きていく」という信条のもと他者から食事や金品を無償で提供される(おごられる)ことで生計を立てており、「ひとに奢られて生活してる浮浪者」と自称している実際には毎年確定申告をしている個人事業主。いやぁ、色々な職業というか、生活・人生スタイルがあるもんだなと思う。多様化ってこういうことですな。社会が変わる、ことは変じゃなく当然と言え
仰天!令和5年の【BI砲】vs【ジャニーズオリジン】#ジャニーズ問題#アントニオ猪木#プロレス#真実の愛youtu.beそもそも、である。ジャニーズファンもプロレスファンも違うでしょ(笑)先ずは【先入観】とれよ
BI砲・・・1960年代後半から1970年代初頭にかけて日本プロレスで活動したジャイアント馬場とアントニオ猪木のプロレスのタッグチーム。プロ野球界で王貞治と長嶋茂雄のコンビが「ON砲」と呼ばれていたことから、同じように名づけられた。名付け親は日本プロレスの中継で実況担当していた徳光和夫。9月30日は、くるみの日らしいですが・・・1960年9月30日・・・ジャイアント馬場とアントニオ猪木は同じ日にプロレスデビューをしたそうです。もっともBI砲と
それにしても連日、暑い…暑すぎる!この暑すぎる夏をどう乗り切るか…その答えは、、、と、猪木さんが語ってました(爆)!元気ですかー‼︎京王デパートで『燃える闘魂アントニオ猪木展』が開催してた。リング中央には猪木さんのパネルが!よく見ると「立ち上がれ元気があればコロナもノックアウト」と書かれてる。これは現役時代のファンには有名な闘魂ガウンだね。よく見ると、右側の写真には猪木さんの付け人だった若き日の藤波辰爾の写真が見えるのだが、(画像はお借りしました。)↓実際に来場して
買った買った。シングル【レコード】とシングル【CD】とリットーミュージック社が発売していた黄色と黒を基調としたパッケージのバンドスコア譜面をこん時は、バンドじゃなかったから独りで自宅でステレオで曲流してそれに合わせてシンセ🎹やらピアノでそれに合わせて、悦に入っていただけだけどねラッキーセブンと云う名のコント師芸人ってゆーのが今みたくもてはやされる就職先ではなかった頃のプロフェッショナルです立ち技史上最強は天心でもタイソンでもなくこの、どっちかです大人に
数回に渡り、自分がリアルタイムで見たジャイアント馬場さんのタッグパートナーを書きました。ジャンボに始まり、ハンセンまでだったね馬場さんのタッグパートナーというとリアルタイムでは見ていませんが、アントニオ猪木さんが最高だったと思います。この2人がタッグを組んでいたと思うだけでゾクゾクワクワクしてきます。過去の動画でも猪木さんのタッグは見ましたが、見たことないのが、吉村道明さんとのタッグ。インタータッグを最初に取った日本人タッグが馬場さんと吉村さんのタッグだったのです。馬場さんと吉村さん
https://twitter.com/gb_memorial/status/1629685184714113025大好評!!「BI砲復活Tシャツ」再販中!!デザインは前回より大きくまた、明るくプリントしています。坂井永年先生が、1979年「プロレス夢のオールスター戦」の勝ち名乗りシーンを元にデザイン。https://t.co/aoEVD60hcR皆さま是非ご覧くださいませ。#ジャイアント馬場#アントニオ猪木pic.twitter.com/8RsZ20mZVV—【公式】ジャイアント
https://twitter.com/gb_memorial/status/1628643317281062913「BI砲復活Tシャツ」が、ファンの皆さまからのご要望を受け、株式会社猪木元気工場様の許諾を得て再販致しました。デザインは前回より大きくまた、明るくプリントしています。坂井永年先生がデザイン。https://t.co/aoEVD60hcR皆さま是非ご覧くださいませ。#ジャイアント馬場#アントニオ猪木pic.twitter.com/ffYc0Qz7CM—【公式】ジャイアン
ソフビで揃ったBI砲。ジャイアント馬場とアントニオ猪木馬場さんはHAOさん原型の16bソフビコレクションの頭部とリバティプラネット製馬場さんソフビボディのニコイチ。
昨日、1月31日は、ジャイアント馬場さんの命日でした。馬場さんが逝ってしまって24年も経つのかぁ…馬場さんのお話を何か書こうと考えていました。全日本プロレスでは今なお続いているシリーズ、世界最強タッグ決定リーグ戦。全日本プロレスでの馬場さんは新日本プロレスの猪木さんと比べ、タッグを重要視していた感があります。猪木さんもタッグでいい試合もあるけど、シングルの方が光っているかなそこで、馬場さんのタッグパートナーについて書いていきます。ただ自分がリアルタイムで見たタッグを書きます。馬
かつてジャイアント馬場さんの全日本プロレスの会場にアントニオ猪木さんが来場したことがありました。え〜、猪木さんがライバル団体の全日本に上がったの?1984年4月のことでしたね。全日本プロレス岡山武道館での試合場に猪木さんが訪問したのでした。自分は、この出来事を週刊プロレスの記事で知りました。えいたろうは週刊プロレスを当時は毎週買ってたんだよね猪木さんが馬場さんを訪ねた理由…2人だけの密談があったようですが、当時UWFの旗上げ前で、その事ではないか…と記事に出ていた記憶があります。第
以前に日テレジータスで放送されたこの番組、『至高の昭和プロレス名勝負列伝~力道山・BI砲伝説の貴重映像一挙公開~』をご覧になったことはありますか?タイトル通り、馬場、猪木の日本プロレス時代の貴重な映像が次々と出てきます。馬場、猪木組の名勝負の数々はもちろん、馬場の試合を猪木が解説するなど、我々世代には信じられないような中継が当たり前のように実現しているのですから、これは本当にお宝映像です。そもそも、アントニオ猪木の代名詞ともいうべきあの卍固めが、日テレの中継でファンに公募してその名が
過去にアントニオ猪木さんの記事を複数書いています。猪木さん…まだ亡くなって信じられないねその中で気に入っているのがこちら⬇️みんなの回答を見る新日本プロレス、全日本プロレスとも最後の蔵前国技館興行で見せてくれた奇跡でした。やはりジャイアント馬場さんとのBI砲はスーパースターであり、神々しい。2人ともオーラが凄いよね2人の画像、どれを見てもスーパースターです。猪木さんが2019年2月に行なわれた馬場さんの追悼興行に出た時の動画を見ると、今思えば、猪木さん、この時、病と戦っていたん
アントニオ猪木さん訃報永田裕志、前田日明らゆかりのレスラーが追悼「いつも黙って背中で語り行動する人でした」昭和・平成を代表するプロレスラーとして愛されたアントニオ猪木(本名・猪木寛至=いのき・かんじさん)..........≪続きを読む≫[アメーバニュース]おはようございます。誰もがいつまでも若々しく♪美容教授の杉山です。昨日、大変残念な知らせが世間を駆け抜けました。“アントニオ猪木さんの訃報”詳しくはこちら!大学生と社会人初期に考
写真はお借りしました。昨日アントニオ猪木が死んでしまった…。どちらかと言うと昔から馬場派ではあった私ではあるが、猪木はまだ日プロに在籍中からずっと見ていた。もちろんあの伝説となった1969年の日本プロレス、第11回ワールドリーグ戦の決勝戦で、クリス・マルコフの凶器攻撃で血だるまにされた猪木が、開発されたばかりの新必殺技『卍固め』で悲願の初優勝をしたシーンも白黒テレビの前で釘付けになって見ていたし、クーデター騒動から日プロを追放されて、新日本プロレスを旗上げして、テレビ放送が付いてからも、
10月1日土曜日〜その1022時10分帰宅。(写真)コンビニの袋には、飲み物と大阪スポーツが入っています。おやつに、かっぱえびせん。緑茶を飲み、オンセンス・パインバスを使っての入浴。HDDに録画したニュース番組をチェック。アントニオ猪木さんに関する秘蔵映像は、NHKがイラク・バグダッドでの『平和の祭典』に向かうトランジットの空港を歩く猪木さんの様子を蔵出し。新日本プロレスの中継を独占していたテレビ朝日は、アリVS猪木をはじめとして、現存するVTRの殆どを、すでにソフト化しているので、やはり
今朝のネットニュースを開いて、驚きました。驚いたと同時に泣きそうになりました。アントニオ猪木さんがお亡くなりになったのです。闘病中なのは知っていましたが…まさか…自分は昭和から平成あたりまでプロレスをよく見てましたが、その中心にいたのはジャイアント馬場さんと猪木さんでした。卍固め、最高でした。タイガージェットシンとの対戦は見入ったよね病気から回復してリングに上がって「元気ですかー!!」「1・2・3・ダァー!!」見たかった。見れるって思ってました。あの世で馬場さんと再会してる
アントニオ猪木さん自宅で死去79歳燃える闘魂プロレス黄金期けん引-スポニチSponichiAnnex格闘技元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。share.smartnews.comまた一つ、大きな時代が終わりを告げた‥。ご冥福をお祈り致します。四角いジャングル格闘技世界一Amazon(アマゾ
8月31日というと昭和プロレスファンの自分が思い出すのは、全日本プロレスで行なわれたテリーファンク引退試合。まぁ、テリーは約1年後には復帰しちゃったけどね『全日本プロレス中継』は当時、土曜日の夕方17時30分からの1時間枠で放送されていましたが、テリーファンク引退試合とジャンボ鶴田がインターヘビー級王座を奪取した試合は土曜日の19時30分から21時のゴールデンタイムにスペシャル番組として放送されました。この番組の中でインターヘビー級王座の歴史とテリーファンクの過去の試合が流れました。そ