ブログ記事26件
愛知県岡崎市で行われている岡崎ジャズストリート2024今年は、18回目とのことで、11月2日(土)3日(日)と2日間開催岡崎市内の複数会場で催しが行われ・・・プレミアム会場となっている5会場では、著名なジャズ・ミュージシャンのライヴまさにジャズ祭りです。このフェス、近年は、お馴染みユッコ・ミラーさんも出演・・・ですが、昨年はこの時期、家族と東京在だったので、行けませんでしたが・・・今年は・・・さらには、友人が実行副委員長をやっておられるので、情報も色々お聞きして・・・2
「中山道歩き旅」で高崎駅まで歩きその後「番外編」として世界遺産の富岡製糸場を見学さらに「りんりんらんち」でシャンゴのパスタを食べた後両毛線に再び乗り前橋駅に到着しました。リサーチ不足で慌てて撮影した前橋駅の発車メロディ「チューリップ」。童謡「チューリップ」の作曲者井上武士は現在の前橋市出身という縁からだそうです。前橋
龍海院@岡崎市家康公の祖父・松平清康公の創建境内のいたるところに「是」の文字がある家康公の天下統一とも関わりの深いエピソードが残されている松平清康公が元旦の初夢に「是」の字を左手に握る夢を見、遅くとも清康公の三代後までには、必ず、天下人が現れるであろう、と予言それを聞いた清康公は大喜びして龍海院を建立「是字寺」と呼ばれるようになった予言どおり、清康公の三代後にあたる家康公は、1603年に天下統一を果たしたどうする家康にて、えびすくい踊りの得意な酒井家3代の墓家康公継母の
今月2度目ですラン友さん達と観光ランニングしましたよこの日は…徳川家康に関わる寺社などを巡ろう♪ということでどうする家康・岡崎マラニック岡崎市役所に集合して…まずは岡崎城下二十七曲り岡崎城付近の東海道はクネクネ…いろは…の文字と金のワラジが道案内してくれてますどんどん進んで行ってある場所で「ココを曲がるんだね!」と話してたら聞こえたみたいで…笑この日ココの資料館を担当だった方が出て来られて…「ちょっと待って」となり色々と教えてくれました旧岡崎銀行本店
より詳しく・新しい知見をお望みの場合「石造物を巡る」をご覧ください(2024年2月24日追記)。曹洞宗龍海院(前橋市紅雲町)。徳川家康の祖父清康が1530年(享禄三)年に岡崎城下に満珠山是字寺龍海院を建立しましたが、徳川氏には既に大樹寺という菩提寺があったため、家老の酒井正親に守護するよう命じ、以降は酒井氏の菩提寺になりました。その後酒井氏とともに、川越、前橋と移転しました。立派な枯山水。酒井氏はその後姫路藩に転封となりましたが海龍院は前橋に残り、姫路藩主となった後
【所在地】愛知県岡崎市明大寺町字西郷中34-1【山号】満珠山龍海院是字寺【宗派】曹洞宗【御本尊】釈迦如来(札所本尊:聖観音馬頭観音)【電話】0564-51-5410【HP】なし7番札所である龍海院は1530年に松平清康が創建した寺で通称『是之字寺』と呼ばれています。清康が20歳の時、左手に『是』の字を握る夢を見、これを模外和尚に占わせたところ「これは吉兆、『是』の字を握るは天下をとることなり」と答えたという逸話によります。『是』の字を分解する
8/7日曜日おかざき散歩の続きです。名鉄名古屋本線東岡崎駅東岡崎駅からバスで帰ろうかと思いましたが、待ち時間があるので、歩いて帰ることに。岡崎駅南口ピンクの花が目立ちます。何だろうね。龍海院お墓のアパート?手水個性的な本堂別名是之字寺家康の祖父松平清康が20歳のとき、「是の字」を左手に握る夢を見ました。これを模外和尚に占わせてみると、「是の字を握るは天下を取ることなり」と答えました。
この投稿をInstagramで見る庭野剛治(@niwano_history)がシェアした投稿
下馬将軍・・・江戸初期の大老酒井忠清の異名。忠清は上野国前橋(厩橋)藩主。寛文6年(1666年)に大老に昇格、4代将軍徳川家綱を補佐し、政治の実権を握ったため「下馬将軍」と呼ばれた。「下馬将軍」の由来は、大手門の下馬札前に屋敷があったため。10月末の土曜日、群馬へ日帰り旅行してきました。今まで、紹介してきた先は群馬県庁周辺を中心とした前橋城の跡地になりまして、前橋駅から2km程度の距離なので徒歩で向かって、そのまま観覧してきました。群馬県庁周辺の臨江
この投稿をInstagramで見る#酒井忠顕#酒井雅楽頭家#酒井雅楽頭#姫路藩主#龍海院#前橋#前橋市#紅雲町#大名墓#墓石の傾斜がとまらない#崩壊が始まっている#修復費用を捻出するのは大変TakeharuNiwano(@niwano_history)がシェアした投稿-2020年Jul月22日am2時36分PDT
以前一度お参りしましたがお留守でいただけていなかったお寺が無量寺から近くなのでそこにも立ち寄り。参拝日2020/4/34/4龍海院(2)りゅうかいいん山号:満珠山宗派:曹洞宗本尊:釈迦如来〒444-0864愛知県岡崎市明大寺町西郷中34‐10564-51-5410霊場三河三十三観音霊場第7番2回目のお参りで御朱印をいただけました。直書き寺標山門扁額是字寺?とかかれています。なぜ?境内にも通称:是字寺(ぜのじでら)らしいです。帰宅後に
群馬県前橋市の中心部にお寺はありました。寺院専用の駐車場はありました。こたらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺曹洞宗』)。「源英寺は、前橋市中心部、大手町にある。本尊は釈迦如来で、前田ちが十一面観音、後立ちが釈迦三尊像となっている。釈迦如来は中世の作という。江戸時代のはじめ、慶長六年(1601)、前橋城主となった酒井重忠が川越から前橋に移った際に創立したという。開基重忠の葬儀にあたり愛知県岡崎市にある龍海院の興巌春隆和尚が導師をつとめている。葬儀は源英寺で行
装いも新たにブログは続きます!『江戸歳時記の551』《龍海院》1790年8月27日播磨姫路藩主酒井忠以(ただざね)公が逝去され、初七日が済むと、国家老河合道臣は分骨された御遺骨を抱いて前橋の龍海院に向け慌ただしく出立致しました!《日本橋高札場》丁度其の朝、近くの日本橋に高札が上がり、加役方人足寄せ場が創設半年を迎え、これまでに50人余りの出所者を出したと言う知らせでした!長谷川平像は、前年の1789年に松平定信に人足寄場を創設して、軽い罪
【NeufLesMilleetUneNuits=ヌフレミレユンヌニュイ=ニュー千夜一夜物語No.996】《龍海院》此れは此れはようこそお越し下されました!手前は浅草は御籾倉に店を構えます〔赤札付き〕の結城屋滉衛門と申します!江戸時代の変わった職業の第73位(貸本屋)の続きです!「それは難儀な事だのう!不昧公なら如何為さるであろうか?」「左様で御座いますな!良き思案では御座いますが、洒脱過ぎるのも如何かと!能ある鷹は爪を隠すと申します!
お寺への車での入り口が分からずに行ったり来たり。参拝日2019/9/283/8龍海院りゅうかいいん山号:満珠山宗派:曹洞宗本尊:釈迦如来〒444-0864愛知県岡崎市明大寺町西郷中34‐1☎0564-51-5410上空写真(Google)駐車場は👆の写真の矢印部を参考にしてください。交差点から直ぐの所の少し狭い道を入って行くと境内に駐車場が有ります。山門この山門は道路わきにあるので直ぐに見つかるのですが車で入る所が見つからない。境内本堂御
【NeufLesMilleetUneNuits=ヌフレミレユンヌニュイ=ニュー千夜一夜物語No.934】《茂林寺の釜》此れは此れはようこそお越し下されました!手前は浅草は御籾倉に店を構えます〔赤札付き〕の結城屋滉衛門と申します!江戸時代の変わった職業の第73位(貸本屋)の続きです!元服の儀と御目見得に気を取られていた河合は、国元へ戻る前に江戸で遣らねばならぬことに目を向けようと決意致しました!「河合様!古川大全戻りまして御座いまする!」
はじめましての方はこちらの記事をご覧ください♪https://ameblo.jp/aya-88aya-88/entry-12468540936.htmlこんばんは!Ayaです。月曜日は姫路城横にある美術館!が休館だった為側のベンチでお昼ここで今後のセッションメニューについてあれこれメモしたり瞑想したり🧘♀️気付けば1時間以上経っていて慌てて無添加味噌を買いに老舗の味噌屋さんに姫チャリを走らせたところ姫路神社⛩の看板が目に飛び込んできました何度かこの辺りは通っているけ
こんにちは。こちらは、群馬県前橋市や結城松平家の失われた歴史文化を掘り起こす、御手杵歴史文化研究所!今日は、松平大和守家と同じく前橋藩を治めた酒井雅楽頭家のお話!◎東京都豊島区駒込5-5-1の染井霊園には、著名人の墓が多く存在する。その中に江戸時代最後の大老務めた姫路藩主酒井雅楽頭家16代、酒井忠績(ただしげ)の墓がある。余談だが、初代前橋藩主は酒井重忠(しげただ)である。(名前が似てるので記載してみた)酒井家の菩提寺である龍海院に歴代の墓があるのではと思ったが、明治維新後亡くなった藩主
寺社No.4573御朱印No.4554満珠山是字寺龍海院愛知県岡崎市曹洞宗三河観音7番2017年11月24日群馬県前橋市には、大珠山是字寺龍海院があります。岡崎から前橋に移ったようです。https://ameblo.jp/ks57971104/entry-12453235509.html?frm=theme
寺社No.3842御朱印No.3695大珠山是字寺龍海院群馬県前橋市曹洞宗2015年10月11日岡崎市には、満珠山是字寺龍海院があります。
こんばんは。先日、夢を見たので「これは呼ばれているわ!」っと思ったので行ってきました。龍海院へ。昔は駐車場にたくさんの桜の木が植わっていたのですが、今は整備されたため数本程度。当時は、桜の花びらが吹雪の様に舞って、まるで異世界への入口に吸い込まれるみたいだったの🌸まあ、仕方ないですね、おかげで駐車場は広くなりましたし、駐車しやすくもなりました。はい、見事な山門です。こちらは是字寺としても知られています(前橋の歴史・伝説・神話的な本にはよく掲載され
ViewthispostonInstagram龍海院の隠居所天和四年1684年前橋城絵図によると龍海院の総門出てすぐに龍海院隠居とある。いつまで存続したのかはわからない#松平大和守9代典則公は前橋城三の丸を出た後、紅雲町柿ノ宮に住んでいる。この場所がどこかは断定はできていない#紅雲町の今昔の中で前君様こと松平典則公の住んでいた場所について近所の方の伝承として書かれている。松平家の紅雲町柿ノ宮邸の可能性もあるようで今後の解明が待たれる#空白の屋敷の歴史にも光を当てたい!#龍海院
前橋龍海院には、前橋藩主酒井雅楽頭家の歴代墓所がある。文政年間に改築された建物が並び、戦争でも燃えなかったことに感動する。二対の灯籠が並ぶ所にはかつて総門があった。総門は系列の祝昌寺に移築されたが、近頃、老朽化のため改築された。残念である。これも時代の流れか。ただし、旧総門の形を踏襲して再整備したのは歴史の継承となりるので語っていってもらいたい。龍海院には山門や鐘楼、庫裏、位牌堂などがあり景観が素晴らしい。参道には、松並木あり独自の空間になっていたが今はない。龍海院の敷地は、石垣と水路で結界
岡崎市で毎年「岡崎ジャズストリート」なるものが開催されていることはご存知でしょうか。私は岡崎のお寺の申請業務で市役所へ伺った際、偶然知りました岡崎市内のお寺や会議場、ホテルのラウンジなど様々なステージでジャズの生演奏が聞けるイベントです△龍海院本堂龍海院というお寺さんも会場になっていました屋根がおっきいなあ・・・と思いながら堂内へ入ると天井がすごく高い天窓から光がさしておりなんだか神々しい雰囲気でした--------------
お引っ越しブログ〜〜2017年1月より龍海院@岡崎市明大寺町岡崎歴史探求班家康公の天下統一を見事に予言した和尚さんがいた!?日曜日に参加した、岡崎語り人しーちゃんの講座「於大の方に人生に学ぶ」たくさんのおもしろ情報がありましたその中でも特に興味深かったのが「是字寺(ぜのじでら)」の話家康公のおじいさんである清康公が初夢で、左手に「是」の字を握る夢を見たその意味が知りたくて領内の寺院を訪ね歩いたところある和尚さんが言ったそうです
龍海院の御朱印平成30年4月8日に頂いた御朱印〒444-0864愛知県岡崎市明大寺町西郷中34−1
今日も岡崎市内をお散歩。●乙川●岡崎城菅生川端石垣1月に説明に行った日本一の長さを誇る菅生川端石垣。2月の説明会があるので見に来ました。前回とは違うところが見られると聞いたので来たのですが、基本的には同じエリアで少しずれただけでした。説明を聞いても前回とは変わらなさそうなので、資料を貰い、少し見学し、説明はパス。Tの字に見える刻印。岡崎公園に向かいます。梅が咲いていますが、後の店は桜茶屋。家康公。●グレート家康公「葵」武将
圓通寺から続けて向かったのはこちらの寺院です。紹介します。龍海院といいます。寺号標山門是字寺とあります。説明はあとでいつものアレ寺号標の横はこんな感じ岡崎市の観光案内板山門を入ってすぐに鐘楼が石碑観音堂石燈籠同じ燈籠をこっちとあっちから地蔵堂岡崎三十六地蔵巡りの木札お地蔵さま手水鉢ではありません。たぶん観音菩薩さまご本堂岡崎空襲で焼失し、現在のご本堂は鉄筋コンクリート製?屋根が四角錐らしいです。ご由来正式には満珠山是字寺龍海院といい、曹洞宗の寺院です。
少し歩いて龍海院前橋駅から歩いて5分程山門整備された境内再び高崎に戻ります
日曜日のJUJUライブ、その前のローズマリーちゃんとのお茶その前に、曹洞宗『龍海院』に立ち寄りました。ナビでたどり着いたところは裏門の駐車場だったようで作務衣を着た方に、表の駐車場を教えて頂き、無事到着しました。山門も、仁王像、本堂、鐘楼堂も歴史を感じる趣で、静かな境内は、枯山水のとても美しいお庭でした。御朱印は、ご住職が不在で、書き置きのものでしたが白檀のお香が焚きしめられていていい香りご住職のお人柄が伺えて、うれしくなりました。私はほぼ予習なしに