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今年の龍口法難会では、かつての輪番八ヶ寺が副導師として出座します。『(予定)令和7年藤沢市片瀬龍口寺法難会』9月11、12日は、龍口寺の法難会です。今年は警備上の問題で片瀬側からの練りはなく全て腰越側からです。江ノ電マニアは大喜びでしょうね。…ameblo.jp
9月13日、日本の夜が明けます。今日は水曜日、横浜ラグーンの放送があります。9月12日は龍ノ口の御法難の記念日。ご存知ない方もいると思いますが、私たちにとって極めて大切な意味のある日です。Wikipediaには下記のような概要の解説があります。「文永8年9月12日(ユリウス暦1271年10月17日)、平頼綱により、幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮を捕縛し連行、翌日の9月13日子丑の刻(午前2時前後)、日蓮を土牢から引き出し斬首しようとしたが、(伝承による
本日9月12日は、日蓮大聖人の龍口法難の聖日ですね鎌倉の龍ノ口の処刑場に連行され、まさにお首を切られようとされますしかし不思議と轟音と共に満月のごとき光り物が現れ、役人の刀がバラバラになったと伝わっています。まさに『観世音菩薩普門品第二十五』の刀尋段段壊~とうじんだんだんね~の如く、諸天善神のご加護を頂かれたと、後世語り継がれております法華経を色読(体で読む)というのは、大変な事ですね。なぜなら幾度も、迫害や、嫉
菩提寺龍口山本蓮寺では、平成28年から毎年龍口法難750の法要を行っております。
著者:岡元錬城[日蓮のことば365日]より引用【十月十五日】「但、おおけなく、国土までとこそ、おもいて候へども、我と用(もち)いられぬ世なれば力及ばず。」[転重軽経受法門]508「雄渾で壮大な志願力。果断で壮烈な実行力。強靭な意志の人日蓮。獅子王のごとき日蓮。ひき退く事のなかった日蓮。法華経のために命を捨てた日蓮。その日蓮が、はからずももらした慨嘆のことば。ふとこぼれおちた一種弱気のことば。ほとんど例外に属することばである。破格の弾圧・龍口法難。門
龍口法難の光物については、種々御振舞御書に書かれています。恐らく口伝を文章化したものと思われます。但し、文章化した時期の片瀬川の河口が、龍口法難のときとは変わっておりそのことがわからないまま書いたため、現在でも偽書説が出ています。種々御振舞御書には、「光物が辰巳(南東)から戌亥(北西)へ飛んで行った」と書かれています。龍口法難は片瀬川河口付近で起きました。鎌倉時代は、片瀬川が現在の位置よりも東側を流れ、腰越の神戸川と並んで相模湾に注いでいました。今、その場所から南側を見る
(↑画像は藤沢・片瀬の龍口寺)お祖師様自らが「少々の難は数知れず、大難四箇度なり」と仰るご生涯の中でも、龍ノ口の法難は最も生死の境に近づいた事件ではないかと思います。当時、度重なる天災や疫病、それから内乱に蒙古の脅威などにより、日本は疲弊し荒廃していました。これを憂えた日蓮聖人は、著作「立正安国論」を幕府に奏上するとともに、二度にわたり幕府に諫暁しました。(龍口寺祖師堂と五重塔)一方、幕府側にしてみれば自分達のお膝元・鎌倉の路傍で日々政権を批判し、評定所では声高に国の行く末を予
本日10月10日は、日蓮大聖人の佐渡法難の聖日文永8年の10月10日に、神奈川県の依智を出立されて、佐渡に向かわれたことから、この日が佐渡法難の聖日に指定されています(。-人-。)ちなみに佐渡の地に入られたのが、10月28日と伝わっています日蓮大聖人がお首を切られそうになった、龍口法難の大弾圧によって、1000人中、999人が信仰を捨て、大聖人の元を去っていったそうです法華経、お題目を信仰すると言うことは、命がけであり、とても
8月30日から9月14日まで、名古屋の法音寺さまで開設されていました、日蓮宗布教院も無事に閉院を迎える事ができました12日には、龍口法難会が執り行われ、法要後は、高座説教による卒業試験もおこなわれました大本堂を埋め尽くした聴衆による大音声の唱題のもと、菊地妙光部長による卒業試験は、本当に素晴らしい説教でした多くの聴衆が涙を流し、信仰とは何なのかそれを教えて下さいましたまた布教院開催中は毎朝、晨朝説教がおこなわれ、多く
1271年9月12日日蓮は悪名高い平頼綱に捕らえられ龍ノ口の刑場へ連行され袈裟が血に染まるのは恐れ多いと松の枝に袈裟を掛けたそうです現在松はありません石碑が建ってます稲村ガ崎の住宅地の中にありました行合橋七里ガ浜にあります今となってはただの道でただの道路ですそもそも極悪な平頼綱の勝手な憎しみにより日蓮は処刑されようとしたわけですそれが将軍北条時宗の知ることとなり処刑中止になったとのこと龍ノ口刑場で処刑寸前の日
常栄寺1271年日蓮が龍口の刑場(現在は龍口寺)に連行された時ここに住んでいた桟敷尼が日蓮にぼた餅を捧げたなのでここは「ぼた餅寺」と呼ばれているそうなおら〜、ぼた餅食いてえだ坊や〜、いい子だ、ねんねしなぁ〜まんが、日本むかしばなし寺が建立されたのは1606年龍口の刑場に引かれて行きましたが諸天善神に守られました9月12日にはぼた餅が配られるとのことですおら〜、ぼた餅食いてえだ南
龍口寺ここはもともと処刑場でした1217年平左衛門地獄と言われ後に滅ぼされ偏執的な恐怖政治を敷き虐殺を行った悪名高き平左衛門頼綱なんと鎌倉幕府8代執権北条時宗の承諾を得ずたった一人の日蓮を数百人で襲い日蓮を処刑しようとしたわけです平左衛門頼綱がまさに日蓮の首を切ろうとした時江ノ島の方からまばゆい光と雷が落ち斬首できなかったという逸話があります実際はどうだったのかそれは分かりませんが時の執権北条時宗は平左衛門頼綱の勝手な処刑を
今年初めに龍口寺を訪問した際、お土産として「難除けのぼた餅」を買って帰りました。寂光山龍口寺(藤沢市片瀬)毎年9月12日、腰越の龍口寺では、「龍ノ口の法難会」が開かれます。日蓮聖人が頸の座に座られ、まさに太刀が振り下ろされようとしていた真夜中の12時に合わせて、「ぼた餅供養」が行われています。日蓮聖人の御草庵があった松葉ケ谷からほど近い場所に、ぼたもち寺があります。妙本寺の総門脇に、看板が出ています。徒歩2分!ありました!すぐ裏にお山を背負っているので、境
地名の由来っていろいろあるんでしょうが、日蓮聖人が関係しているものも結構ありそうです。先日訪れた「洗足池」もそうでしたが・・・星頂山妙福寺(大田区南千束)この「行合川」にかかる「行合橋」も、その名前の由来は龍ノ口の法難にまつわります。龍ノ口の刑場で、まさに今、日蓮聖人の首に刀が振り下ろされるという時に、光り物が現れるという奇瑞が起こったため、幕府に内密に行われようとしていた処刑は中止になりました。この超常現象を幕府に伝える使者(御家人・宇都宮貞綱公という説があります)は
歴史に疎い僕にもわかる解説付きの、由緒寺院がありました。星下りのご霊跡訪問、3連チャン目!!星下りの逸話が伝わる依知の3か寺のうち、最も南に位置している妙純寺。信号機の地名にもなっています。境内の北側には、交通量の多い246号線が通っています。すぐ西側は中津川です。デーン!!!立派な門構えです。スゴくないですか?合掌した日蓮聖人が、東を向いていらっしゃいます。落ち着いた表情をしていらっしゃいます。ここ依知に到着されたのは龍ノ口法難の
田んぼに囲まれた杜に、素晴らしいご霊跡がありました!昔は相模川の流域だったのではないでしょうか、奥に河岸段丘が見えます。豊かな杜をたたえた一画が、星下りの霊跡、妙伝寺です。本間六郎左衛門尉重連邸だったそうです。平左衛門尉頼綱から、正式に3年間の佐渡配流を伝える書状がここに届いたそうで、今でもお寺に保管されているそうです。山門までの道がキレイに整備されています。いきなりスゴいのを発見!この山門は「二天門」と呼ばれ、厚木市の重要文化財に指定されているそうです