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龍及國から琉球国、そして沖縄へと変化してきたが、それは名称と政治に過ぎない。独立国として確定できるのが龍及國であり、琉球国は半分独立国となる。そして、沖縄県はもはや独立国ではない。龍及國から琉球国の大きな時代の変化にいた人物こそ「尚寧王」であった。尚圓王から7番目の国王であり、島津侵攻と対峙した。尚寧王で極めて重要となるのが家柄である。尚圓王の子である尚真王。その嫡子「浦添王子朝満(尚維衡)」は、尚寧王の曽祖父にあたる。尚寧王も曾祖父と同じく浦添王子であった。浦添王子朝満は、正当な王位継承者
2016年NHK大河ドラマにより全国的に有名となった「真田丸」。この真田丸を大阪市天王寺区真田山から全国区にした張本人が筆者である。2026年6月6日「真田丸ファイナル」をメジャーにするプロモーションを開始中。しかも、大阪や長野ではなく沖縄で。沖縄が龍及國と呼ばれた鎌倉・室町時代。日本の戦国時代よりも早く、城(グスク)が築城されていた。それも驚くほどの多さである。沖縄では有名な歴史上の人物「護佐丸盛春」は築城の天才の異名を誇る。真田丸と護佐丸。最後が「丸」であり、三文字である。
鎌倉・室町時代の古い地図「日本扶桑國之図」に記載された「龍及國」。この地図が無ければ、完全に歴史から消えていたかもしれない。龍及國こそ、平家の本拠地であった。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be
龍及國。その存在を知る者は少ない。現在の沖縄を大和では鎌倉室町時代、龍及國と呼称していた。これにより、現在の沖縄を明は琉球としていたが、大和は龍及國としていたことが判明した。我々が知る琉球は、真の歴史にあらず。真の歴史は龍及國にある。
【超学歴史】あなたは沖縄が龍及國だったことを知ってますか?#超学#龍及國#歴史youtu.be
江戸時代。米沢藩と立て直した人物として有名な上杉鷹山がいる。江戸時代。琉球國を立て直した人物がいた。琉球國摂政の羽地朝秀である。彼は一体、何者で何をしたのか???羽地朝秀を分かりやすく説明した動画を作りました。ご覧ください。【歴史考察学】琉球國摂政羽地朝秀「基本編」【真田丸ファイナル】https://youtu.be/kLDdsKHhgn4琉球國最高の政治家と称される「羽地朝秀」。しかし、彼の存在は全国どころか沖縄でも、ほとんど知られずにいた。まず
現在の日の丸は、ご存知の通り「白地赤丸」です。これは源氏の日の丸です。龍及國と関わりの深い平家の日の丸は「赤地金丸」です。
伊國と名國が沖縄に存在したことを知る人は皆無だろう。沖縄本島北部の中心に「伊國」と呼ばれ、沖縄本島南部を中心に「名國」と呼ばれていた。
父:尚円王母:宇喜也嘉/世添大美御前加那志妃:居仁(生没年不詳。尚宣威王の長女)夫人:思戸金按司加那志(号は華后。生年不伝-1516年(正徳11年)3月11日。父は謝氏二世知名親雲上成良、崎山村仲里家の祖)銘苅村銘苅子の娘子女:長男:尚維衡・浦添王子朝満(童名・思徳金、号・月浦。1494年(弘治7年)-1540年(嘉靖19年)11月11日。小禄御殿一世、母は妃)次男:尚朝栄・大里王子(生没年、母、葬地不詳。後裔なし。位牌は天界寺)三男:尚韶威・今帰仁王子朝典(
有名な勝連城の阿摩和利の前に、勝連按司だったのが「茂知附」という人物である。この人物に関して、これまで不明な部分が多かった。勝連半島や勝連城における「女性」の関わりから、私は女王の城だと考察をしてきた。そして、一つ歴史的状況証拠を発見した。写真は那覇市史の記述である。神女の中に「望月」とある。「望月=茂知附」となれば、女性だったことになる。
沖縄の歴史を代表する人物の一人である勝連の阿摩和利昨年、オープンした「あまわりパーク」こと「あまパー」には迫力満点な音響と、胸躍るライトのライブシアターが存在!!これだけでも観る価値あり🚙【沖縄歴史観光】あまわりパーク「ライヴシアター」【グスクチューブ勝連城編】https://www.youtube.com/watch?v=byQfLZrfwuE#あまわりパーク#ヒストリーパーク#うるま市#沖縄観光www.youtube.co
3年ほど、沖縄の歴史を学び、考察した結果、日本の歴史との深いリンクや沖縄自身、深い歴史があることがわかった。1186年から現在に至るまでの沖縄史に関しては90%ほどの考察が完了している。難解なのは、それ以前の沖縄の歴史である。これらに関しては、諸外国の史書などが手がかりになると思われる。文章で沖縄の歴史を配信する一方、YouTube動画でわかりやすく提供していく。歴史考察チャンネル【龍及國】【目的】①鎌倉・室間時代。日本国扶桑之図によると、現在の沖縄は「
普天間宮の宮司さんより「護佐丸・阿摩和利の乱」の後、護佐丸の子である盛親が普天間宮に来ていたという話を伺いました。「南走盛親」YouTube動画をご覧ください。チャンネル登録よろしくお願いします。【沖縄歴史】豊見城盛親は普天間にいたご視聴ありがとうございます。チャンネル登録よろしくお願いします‼️【豊見城盛親】護佐丸として知られる中城按司盛春の子が盛親。盛親は赤ちゃんのとき、中城が攻められ滅んだ通説があります。盛親は乳母と国吉(現糸満市)に逃げ延びたと言
新しい沖縄観光は、歴史観光になります。秘めたる歴史を誇る沖縄。あの明治維新の立役者「ジョン万次郎」が、アメリカから上陸したのが糸満市大度海岸です。170年ほど前の出来事なので、自然はそのままです。ジョン万次郎が上陸した気分や、上陸から歩く体験ができます!!【沖縄歴史観光】ジョン万次郎気分を味わおう‼️ご視聴ありがとうございます。チャンネル登録お待ちしています。当動画チャンネルは、3つの目的で配信しています。①歴史考察の面白さを知ってもらうこと②歴史
沖縄に残る「三名刀」。千代金丸・治金丸・北谷菜切。1400年代前半、千代金丸は北山王が所有していたとされる。千代金丸の素材は沖縄のものではなく、日本のものであり「日本刀」とされる。であれば、日本のどこかで作られ、北山に献上されたのではないかと推測される。この時代と言えば、室町幕府であり3代目足利義満の時代。寺をゴールドにするような人物である足利義満は、日本国王という肩書きまであった。金閣寺があるならば、金刀があっても不思議ではない。よって、千代金丸は足利義満時代に作られたモノか
沖縄の歴史は、ほぼ、改竄である沖縄の真の歴史を知れば、日本史が変わる🆕【沖縄歴史】久高島の名前由来#沖縄#龍及國#歴史#島津侵攻#歴史改竄#真実www.youtube.com
鎌倉・室町時代、現在の沖縄は龍及國と呼ばれいていた。龍及國の存在は、日本国と沖縄の隠された歴史である。
1400年代の沖縄の地図の説明動画です。チャンネル登録お待ちしてます♪🆕【沖縄歴史】国頭城と島々youtu.be
鬼大城と呼ばれる大城賢雄の子孫が、夏氏摩文仁殿内となったのは有名な話である。そして、この摩文仁は現在の沖縄県糸満市にある。摩文仁は「まぶい」とも発音される。さて、大城という言葉であるが1300年代ごろに存在した「大城真武」が最初だと考えられる。真武は「麻普尉」という呼ばれ方をする。「麻普尉=まふい」と発音すると、「摩文仁=まぶい」とほぼ同じとなる。
明治政府による「廃國置藩・廃藩置県」が行われた琉球國。余談ではあるが「琉球王国」なるものは歴史観点からは存在しない。これは観光でのネーミングである。さて、琉球國の謎を解明するにおいて、明治政府の存在と島津の存在がポイントなる。これに閩三十六姓なる渡来系大陸民族やグシなども絡んでくるから極めてややこしい。島津侵攻までを前期琉球とし、その後を後期琉球とする。「間切」とは、村的な区画名であるのだが、この間切が設置されたのは島津侵攻後である。
琉球國において最高の政治家と呼ばれる偉人がいる。琉球國摂政の羽地朝秀である。彼の政治は「黄金政治」と称されるほどである。羽地仕置や中山世鑑の存在は、いずれ、多くの日本国民が知ることになるだろう。この羽地朝秀が豊臣家であり、真田幸村の関係者だと言うことを知る者は、沖縄でも、ほぼいない。1617年6月6日生まれ大坂の陣1615年から2年後に誕生である。さらに、真田幸村の戦家紋である六文銭の6月6日生まれという事実。
ご覧の地図が大坂の陣の数年前に行われた島津侵攻である。注目して欲しいのは「運天」と「牧港」に上陸していること。もし、この時代、首里が本拠地であるならば牧港ではなく、直接、那覇港へ進出すればいいのである。これは、この時代まで浦添に王都があったことを意味する。さらに、この「運天」という地は、壇ノ浦での合戦後に平家と安徳天皇が上陸した場所としても有名である。
現在の沖縄県うるま市石川に「伊波」という地域や「伊波城」がある。調べて見ると、1610年の島津による検地では「伊覇」だった。しかし、1737年の琉球国による検地では「伊波」になっている。「覇」から「波」に変わった、あるいは、意図的に変えられたことがわかる。島津侵攻、明治政府侵攻、アメリカ侵攻、琉球政府、そして、沖縄県による歴史改竄を解読するのには、これら知名の変更を見抜くことがベストである。
1609年の島津侵攻後に生まれ、のちに琉球国の摂政として大改革を行った羽地朝秀。その功績の凄まじさは、ほとんど知られていないのが現状である。筆者は、この羽地朝秀は、米沢藩を立て直した上杉鷹山を遥かに超える存在だと考える。さて、羽地朝秀の中山世鑑を解説して行こうと思う。まず、この国書は島津にチェックされたということを頭に入れてもらいたい。真実を語ることはできず、島津の意向を入れたものとなっているのだが、事実を解読できるヒントも記載されてされている。写真は尚家の系
邪馬台国が沖縄にあり、卑弥呼がシャーマンのノロだったら。。。魏志倭人伝をもとに、北九州説と関西説のある「邪馬台国」だが沖縄の可能性が浮上している。
鎌倉・室町時代の地図「日本扶桑図」に記載されている「龍及國」。現在の沖縄島であり、琉球とも呼ばれる。幾度の外部からの侵略により、いつしか龍及國の存在は消えていった。令和時代。私は、「龍及國」という「パンドラの箱」をひらく。日本の歴史そのものが覆ることになるだろう。
尚泰久の娘である百度踏揚の付き人?として、勝連城内にいたり、百度踏揚と勝連城から逃亡したり、阿摩和利を滅ぼしたり、結局、百度踏揚を嫁にしたり、金丸系に火攻めで知花城で滅ぼされたという忙しい人生を送ったのが鬼大城である。シンプルに見ると、百度踏揚とずっと一緒にいた人物と言える。伊覇系喜屋武按司の子であるので、渡来系源氏系である可能性が高い。であれば、大和系平氏である護佐丸などは、絵に描いたような敵となる。
イザナギ・イザナミ降臨伝説を誇る「聖地ユザ」。糸満市と八重瀬町の威風堂々と在り続ける存在。俗に与座岳と呼ばれている。この聖地ユザにあった王統が第0尚氏「尚里王統」。尚里王統の都は「大里」と呼ばれる。「里」は、現在で言うところの「集落」を意味し、中心を「大里」とした。「承察度」を「うふさと・おおさと」と読むのはナンセンスである。この第0尚氏の存在の解読・解明こそが、その後の護佐丸時代や金丸時代につながることは確実であり、今後も研究を進めていく。©️YAMAZATO