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NHKのタモリでの番組で黒部ダムのトロッコ電車を見ましたむかし三船敏郎、石原裕次郎が出演した「黒部の太陽」という映画を見たことがありますそれで前々から黒部へ行ってみたいと思っていました5月1日朝東京駅9時半発の北陸新幹線に乗って11時半に黒部宇奈月温泉駅に着きましたそこから10分ぐらいバスで移動黒部峡谷鉄道宇奈月駅に着きましたここからトロッコに乗ります黒部ダムに資材を運んだトロッコです12時過ぎトロッコ駅前には靄がかかっています宇奈月駅から見え
おすすめの邦画は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようおすすめ邦画熊井啓監督「黒部の太陽」(1968)『黒部の太陽(1968)…』🎬️映画『黒部の太陽』(1968)予告編映画『黒部の太陽』(1968)════════════════映画『黒部の太陽』(1968)上映時間196分黒部ダムは、富山県東部の立山町を流れる黒部川水系の黒部川に建設された水力発電専用のダム。1956年(昭和31年)着工、太田垣士郎指揮の下、171人の殉職者を出し7年の歳月をかけて、1
三船プロと石原プロがタッグを組み、熊井啓監督がメガホンを取んで1968(昭和43)年に公開された、昭和の日本映画史に残る屈指の名作、『黒部の太陽』(↓)。この作品の中で、名優・滝沢修さんが演じていたのが、黒四ダム建設の決断を下した太田垣士郎氏今日は、この関西電力初代社長の命日・没後60周年にあたります。太田垣氏は1894(明治27)年に現在の兵庫県豊岡市に開業医の息子として生まれました。父は自分の跡継ぎとして息子を医者にしたかったようですが、そんな思いを
前回立山黒部アルペンルートを訪れた時に行きたかったけど時間切れで辿り着けなかった黒部ダム。遂に到着しました!!!(標高2450m)の室堂とは雰囲気が違います。曇っていますが(標高1470m)の黒部ダムは視界が良いです。黒部ダムえん堤の高さ186m日本一の高さで有名。長さ492mで左右のウイングが特徴です。7年の月日と総工費513億円。1000万人の人手によって完成しました。映画「黒部の太陽」でも放映されたように建設当時の苦労が偲ばれます。黒部ダ
さすらいは、石原裕次郎ファンでもあります。ただし、「太陽に吠えろ」や「西部警察」などのテレビドラマは、殆ど見ておらず、映画の世界での石原裕次郎が好きで、殆どの映画を見ています。高校生時代、今から60年も前の事、映画館に毎週のように通っていました。特に飛びつくように見ていたのは、吉永小百合・浜田光夫の共演映画でした。封切から3か月近く経って、地元の小さな映画館にかかる映画は、3本立てで、日活だけではなく、東宝や大映といった作品も、上映され、時には洋画も上映されていました。その中で
月刊「シナリオ」2024年3月号では『黒部の太陽』他について書かせて頂いています。
配信までやや時間持て余し気味のすえっこです。ニュースとスポーツ以外、あまりリアルタイムでTVみることありませんが、今日も雨でテニス無しですので、「十勝平野命をつなぐ防風林」「小さな旅~徳島県三好市祖谷(いや)~」「親子三代冬物語~大阪・北新地~」「神々の道をたどる~宮崎高千穂天岩戸神話」・・・ずっとNHKつけっぱなしでした。昨晩も久々に”ブラタモリ"を。こちらはリアルタイムで遭遇してしまうと”ついついみてしまう番組NO.1”かも?昨夜は
石原裕次郎さん石原裕次郎(いしはらゆうじろう)1934年12月28日生まれ、1987年7月17日、満52歳没。兵庫県神戸市須磨区生まれ、北海道小樽市、神奈川県逗子市に育ちの俳優、歌手、司会者、モデル、実業家、ヨットマン、マルチタレント。兄:石原慎太郎(政治家、小説家)1956年5月17日、石原慎太郎原作の映画『太陽の季節』が封切り。石原裕次郎が映画デビュー。太陽の季節[DVD]/長門裕之,南田洋子,石原裕次郎¥3,990Amazon.co.jp日活100
さてこの黒部峡谷と云うのは元々水力発電に適した土地で戦前から大阪に本社のある会社が発電所を作って関西地区に送電していました。欅平駅近くの仙人谷ダムが黒部第3発電所なのです。終戦後、電力不足を補う為に送電網も資本力もあった関西電力が山の向こうに黒部第四発電所を作る事になったのですがこの黒部峡谷鉄道を利用して資材を運んでいたのでした。その苦労を描いたのが小説黒部の太陽で映画化もされました黒部の太陽Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}黒部の太陽Amazo
高地マラソンから始まった黒部ダム。バスの終点から地中を220段上ってA点に到達。崖面の外階段をB点まで下りてきました(*1)。ここでVターンして下りるとダム新展望広場です。また上ってくる覚悟があればですが。で、覚悟はないけど深く考えず下りてしまいます。新展望テラスからもう一段下がったところにレインボーテラス。ここまで来たら、また下りてしまいます。レンボーテラスから眼の前に広がる迫力の放水。しばし記念写真を撮ったり、下を覗き込んだり。新展望広場の特設会
牧田甚一氏。明治25年に現在の倉吉市内にある西郷村に生まれる。18歳の時に岩倉鉄道学校で学ぶために上京するが、雪の中国山地を峠越えして岡山県に行った伝説が残っている。当時はまだ鉄道山陰線は通っていなかったのである。建設会社に就職するが、昭和13年、後の熊谷組社長となる熊谷太三郎氏に出会い、熊谷組に入社する。当時はまだ北陸の中小企業であった。戦後復興から経済成長に向かう時期に甚一は熊谷組の番頭格として頭角を現し実績を伸ばす。建設の仕事は機械化施工が進みつつも難工事に対してまだ施工
2023年読書21冊目は木本正次著「黒部の太陽」あらすじは1千万人に及ぶ巨大な人間の集団が働いた黒部の谷底。そそり立つコンクリートの岩壁に積み重なった7年の歳月の重さ―。黒部ダムを含む黒部川第四発電所の建設プロジェクト(通称くろよん)は、戦後の経済復興の本格化に伴う電力不足を受け、昭和31年に着手、38年に完成した。高さは186メートルで国内一。昭和39年、毎日新聞に連載された同名の記録小説に、数十枚の加筆を行ったこの作品は、「黒四で苦労した大勢の人たちの、人間の記録を書きたい。こ
ダム・電力開発・土木工事史に興味が出て、観ることにした。糸魚川構造線とかフォッサマグナとか、地学ヲタクにも堪らない内容であった笑すごい迫力で、3時間超という長時間にも関わらず、ダレることなく殆ど一気呵成に見通してしまった当時最先端の巨大機械や坑法を駆使していたとは言え、トンネルの穴掘り作業というものが原始的だったことに改めて驚いた。工事で「犠牲者は一人も出しません!」という口癖が出てきたが、調べると百人単位は出ていたようだ。失敗続きで絶望の余り投げ出す労務者が続出するが、関電の社長と技師は
ひとつ前の当ブログの続きです。「野麦峠の唄」という曲に深く感銘を受けた吉永小百合さんは、これを自分の主演作として映画化したいと熱望します。小百合さんのマネージメントを一手に引き受けている吉永パパは、娘が熱望するこの企画を実現しようと奔走します。『忍ぶ川』で失敗したからでしょう、今度は主導権を握ろうと吉永事務所の自主製作という形で作ろうとします。当時、石原裕次郎さんが石原プロを設立、『太平洋ひとりぼっち』(1963市川崑監督)を製作したり、『忍ぶ川』が頓挫した熊井監督が『黒部の太陽』(19
大観峰も満喫したので、ロープウェイで黒部平へ標高2316メートルから下ります。黒部平からケーブルカーで黒部湖へ仲良しウォンバットさん達…うおんちゃん達も大人になりました。黒部ダムに戻り、慰霊碑に拝礼しました。『尊きみはしらに捧ぐ』休憩を兼ねてダムカレーを注文しました。番号が「96」クロでした!ダムカレーです。黒部ダムの模型です。なかなか会えない『くろにょん』君と黒部ダム60周年くろにょん君に会いたいなぁ映画『黒部の太陽』のコーナーです。私は教育映画として学校で上映し
・・・と言っても、缶コーヒーじゃありません。今日は、映画・TVドラマで一世を風靡し、また歌手としてもヒットを連発した昭和を代表する大スター、石原裕次郎さんの命日・三十七回忌にあたります。石原(本名同じ)さんは、1934(昭和9)年に山下汽船に勤務する会社員の父の次男として神戸市に生まれました。その後小樽や逗子で育った彼は、慶應義塾農学校から慶應義塾高校に編入し、慶應義塾大学法学部政治学科に進学。在学中から俳優を目指し、東映・大映・日活のオーディションを受
7月5日(水)この日は妻は仕事が休みと言うこともあって『セーラームーン』の映画を観に行くと言ってたけど入場特典が次の週の方がいいとこの前、一週遅れで5日(水)に観に行ったんですがとなると5日の日は?朝、起きたら天気も、それほど悪くないし・・・と思い立って妻とふたりで黒部ダムへ行くことに・・・と言うのも以前黒部ダムまで走っていたトロリーバスは最終年に乗ることができたけど新しく電気バスに変わってからは、まだ一度も乗ったことが無く一度、乗って黒部ダムまで行きたいと思っていたんです
そうとう古典的な映画らしいが興味をもってたのでレコーダーに録っておいた。物語は日本最大級のダムである黒部ダム建設の為に工業用のトンネルを掘り進める土建屋の漢(おとこ)たちの物語。まさに命がけの戦いで凄まじい情熱を感じました。当時のトップスターだった三船敏郎と石原裕次郎がタッグを組んでの超大作だったらしいのでそうとう話題になってのでしょう上映時間も三時間を越えた映画で途中で休憩時間もあったらしいてかこのTVでの放映バージョンでもしっかりと休憩時間ってテロップ
今日は2023年7月1日(土)です。僕は旅番組が好きです。今朝は神田正輝さんの「旅サラダ」を見ました。今朝の現場中継の旅は黒部ダムからでした。僕は2010年に立山黒部アルペンルートへ行った事が有ります。いいとこです。懐かしいので一部振り返って見ました。過去記事です。↓===========2010年5月1日の出来事です。5月1日(土)「立山黒部アルペンルート」黒部駅に着きました。出発する前に駅の構内で展示物を観まし
今日は2023年7月1日(土)です。僕は旅番組が好きです。今朝は神田正輝さんの「旅サラダ」を見ました。今朝の現場中継の旅は黒部ダムからでした。僕は2010年に立山黒部アルペンルートへ行った事が有ります。いいとこです。懐かしいので一部振り返って見ました。過去記事です。↓==========2010年5月1日の出来事です。5月1日(土)「立山黒部アルペンルート」黒部湖駅に着きました。駅を出て外に出ると、もう・・
令和5年6月11日(日)梅雨入り先日の新聞時事で、黒四ダムのことが書かれ、」ダムが完成して60周年だと書かれているのです。見出しに「信頼の和広げ、難工事に成功」「元熊谷組社長•太田氏笹島氏を語る」とか書かれていて、読むと、くろよん完成60周年記念講演「映画黒部の太陽」のモデルになった男」は8日黒部市芸術創造センターセレネで開かれ、もと熊谷組社長の太田弘氏(70)宇奈月町が黒四ダムに伴うトンネル工事を指揮した笹島信義氏、入善町を語ったというのです。この笹島信義氏が映画「黒部の太陽」で陣頭指揮を
日本には数多くの観光名所がありますが、私にはどうしても訪れてみたいスポットがあるんです。生まれ故郷・長野からあまり遠くないなのに、未だ一度も観ていない絶景・・・それは黒(部第)四ダム戦後復興期に更なる電力確保を目指した関西電力・太田垣士郎社長の決断により、当時の同社年間電気料収入の半分・資本金の5倍にあたる513億円の巨費を投じ、1956年から建設が開始されたアーチ式ダム。当時の最先端技術を結集し、鹿島建設・熊谷組など日本を代表するゼネコン5社が工事を分割して請負った国
黒部ダム(黒部川第四発電所通称くろよん)の竣工は1963年(昭和38年)の6月。👇今年で60周年を迎えた黒部ダム⬆️ダム完成の前年1962年(昭和37年)8月に撮影された写真だそうです。この写真を使った『60周年記念ダムカード』限定版が配布されているらしい⁉️それは欲しいよね・・・👇で、貰ってきました🎵放水実験❓している完成1年前の荒削りなダム。建設中の足場やクレーンのケーブルらしきものが写っている。モノクローム画像が60年の歳月を感じさせる。これはいいものいただいた😅
「ガメラ2」製作にあたり、大作感を出すために金子監督の声かけでスタッフ達が各自大作と思う作品を持ちよったそうです。この時、樋口真一が持ってきたのが「連合艦隊」ってのが、ほほえましいですが、あたしが今観てる「復活の日」は、間違いなく大作でしょう✨他に大作として浮かぶのは「黒部の太陽」「2001年宇宙の旅」「パットン大戦車軍団」「タワーリングインフェルノ」「乱」って、とこでしょうか(^_^;)「十戒」や「アラビアのロレンス」は観てないんですよね(ToT)あ!
う~む世の中せまいのぅ知り合いばかりじゃ知らぬあいだにしり合わせ曲者じゃー!であえであえ~!!~別れ~なんど言ったらわかるんだー!√2と言ったら1.41421356……だろ!黒部アルペンルート2じゃないんだよおまえの頭は黒部の太陽かぁ!?わかれよ!また明日人気ブログランキングへお仕事のご依頼はこちらから
キネマ旬報主演男優賞三船敏郎授賞作品:「黒部の太陽」「祇園祭」「連合艦隊司令長官山本五十六」「黒部の太陽」「黒部の太陽」予告編1968年2月17日公開。毎日新聞で連載小説「黒部の太陽」を映画化。三船プロ・石原プロの合作。興行収入:16億円。1968年キネマ旬報ベストテン4位。脚本:井手雅人・熊井啓監督:熊井啓出演者:三船敏郎、石原裕次郎、滝沢修、志村喬、佐野周二、、芦田伸介、岡田英次、信欣三、加藤武、高津住男
長々と続けてきました立山黒部アルペンルートの旅の最終話です。もう少しお付き合いくださいませ。ひとつ前の記事ではケーブルカーで黒部湖の駅に到着したところまで書きました。標高2,450mの室堂から1,454mまで約1,000m下りてきました。雄山の頂上からかすかに、大観峰の展望台からはそこそこ見えていた黒部湖がようやくすぐそばに。ここはダムの中心真下はこんな風に。放水している様子がよく見える展望広場・レインボーテラスに行くためには、こちらの階段を降りな
鑑定実績約4万人の「千葉の母」悠鈴です。芦田愛菜ちゃんとサンドイッチマンのテレビ朝日「博士ちゃん」を、毎回楽しみにしています。昨日は「黒部ダム」でした。自然と人間の戦いがあって、今の「黒部ダム」があるというお話。難しい場所の工事を掘り進めて行ったことは、映画にもなりました。昔むか~し、その映画「黒部の太陽」も観ましたが、壮絶さを感じていました。実際の「黒部ダム」には、2回訪れています。独身のときね。たくさんの犠牲者がいらっしゃったこと。こういう放
ずっと行きたかった黒部ダムと室堂到着〜❣️扇沢駅からトロリーバス🚎つり革かわいい💕黒部ダム到着〜♪松本駅では汗だくだったけど黒部ダムのトンネルはめちゃくちゃ涼しい風も吹いていてトンネル内は14度ほどの気温ですトンネルを抜けたら黒部ダム‼️楽しみだった放水も見れました😊黒部ダム建設の困難や破砕帯を抜けるまでの過酷さなどの資料館もありました石原裕次郎さんと三船敏郎さんが主演の映画黒部の太陽のモデルは熊谷組の工事ですね多くの人が亡くなった黒部ダム建設困難
Aloha〜埼玉県越谷市のハワイアンキルト教室waileaのブログへようこそホームページはこちら↓http://wailea-aloha.com/『7月下旬〜8月中旬のレッスンスケジュール』只今、2名様までの少人数レッスンを基本とさせていただいております。マンツーマンレッスンにも対応しますので、ご希望でしたらご予約時にお申し付けください。追加料金…ameblo.jp山の日の休日ですね今日は夫ファミリーと食事会の予定でしたが、義父と義兄が体調不良中止になりましたまあ、