ブログ記事61件
・川添昭二氏の『中世文芸の地方史』(法蔵館文庫)を買った書店で購入する。・戎光祥出版の本13冊目。図説シリーズ7冊目。・黒田基樹氏の著書6冊目。久々に黒田氏の著書を読む。・北条氏康の簡潔な伝記である。本格的な評伝書はもう少し時間がかかると「はじめに」で書いている。・戎光祥出版の図説シリーズが素晴らしい事を再認識する。図説シリーズは良いぞ。・関東地方の史跡を巡る時に持っていこう。・香川元太郎氏の葛西城と北条氏康時代の小田原城のイラストが素晴らしい
本書は言うまでもなく、永禄年間以降に活躍した戦国武将を取り上げた『戦国武将列伝2関東編【上】』の続刊です。最後の古河公方・足利義氏(奇しくも先祖と同名)や北条氏康といった当時の関東を代表する武将太田資正や佐竹義重などの反北条氏として知られる武将、武田豊信(上総武田氏最後の残滓)や宇都宮広綱、小田氏治といった通好みのマニアックな武将に小山秀綱・皆川広照・結城晴朝といった小山政光の子孫たち常陸大掾氏(平将門の乱以前から土着する常陸平氏の末裔)や常陸土岐氏(いつの間にか関東に土着し
羽柴という名字は、元々木下藤吉郎秀吉が織田信長配下の国持大名となった辺りから使用するようになったものです。信長が自身の立場の上昇に伴い一門であっても織田の名字を名乗らせなくなった(見方を変えれば、将軍家とその連枝だけで「足利」名字を独占し、一門には「吉良」や「渋川」「石橋」「斯波」といった名字を名乗らせた室町的な発想とも言えますがお)のに対して、その信長亡き後の秀吉は自身の一門以外にも「羽柴」の名字、そして天皇より賜姓された「豊臣」の姓も一部の大名に与えるようになりました。その
関東の戦国時代は1455年の享徳の乱から始まったとされ、一般に知られている応仁・文明の乱よりも12年前から戦乱が続いていたことになります。本書はその享徳の乱を起点に、天文年間(1532~1555)までに主要な活躍が見られた51名の武将を取り上げています。当時関東の中心となる武家は鎌倉を離れて下総国古河を拠点とするようになった公方足利氏と関東管領を代々務める上杉氏。公方家の足利成氏・政氏・高基・晴氏に始まり関東管領山内上杉顕定やその家宰である長尾忠景・景春、扇谷上杉氏の定正やその
・近所の書店で同著者の『家康の正妻築山殿』と一緒に購入。・本書はお市の方と三人の娘(茶々・初・江)の評伝である。・お市の方に関する重要史料二編(「渓心院文」と「某覚書」)の原文(と現代語訳)を収録している。・先日読んだ『家康の正妻築山殿』と同じ位の労作である。・浅井久政・長政は戦国大名でなく国衆だという事を知る。・お市の方を含む織田家一族の研究が進展することを強く望む。・「戦国大名家・国衆家同士の婚姻関係は、いわば国家と国家の外交関係にあたった。敵対関係になったからといって離婚したの
・近所の書店で購入。・大河ドラマ『どうする家康』のおさらいの為に読む。・「戦国大名家の妻妾については、「正室」「側室」の用語が使用されることが多いが、「側室」は江戸時代に展開された一夫一妻制のもと、妾のうち事実妻にあたるものについての呼称として生まれたものになる。戦国時代はまだそのような状況になく、一夫多妻多妾制であった。」本書11㌻11~13行を引用・築山殿の他に子息の信康、信康の妻である五徳の人生にも紙幅を割いている。・築山殿生存時の史料が少なすぎる(ほぼ無いと言っていい)事を知る
・駅ビルの書店で購入する。・国衆は独自の領国と家臣団を有し、それを自立的に維持していた。しかし戦国大名同士の抗争のなかで、単独で大名に対抗することは難しかったため、他方の大名に従属して、その軍事保護をうけることで、自立的な領国を維持したのである。そしてその大名との関係は、簡単にいえば、契約に基づいた緩やかな主従関係、と表現できるであろう。したがってそれは「戦国領主」論が想定した「守護権」などのように、室町時代までにみられた職掌に基づいたものではなかった。それはあくまでも、戦国時代
・駅前の小さな書店で購入する。・平山優氏の『真田信繁』の隣にあった本である。・残念ながら真田昌幸の伝記はなかった(伊勢宗瑞(北条早雲)と北条氏直、今川氏親の本はあった)。・本書は永禄九(西暦一五六六)年から元和二(西暦一六一六)年までの信之の半生について書いている。・巻末に主要参考文献と真田氏発給文書一覧(慶長六年~元和二年)有り。・上田領と沼田領の復興政策を読み、信之が仁政を行っていた事を知る。・政治家真田信之について多くの事を教えてくれる本である。・大河ドラマ『どうする家康
私の年間チャート2023講演2023年に色々な場所で拝聴した講演・講義のランキングです。私の年間No.1、No.2は、いずれも朝倉智也さんでした。こうやって見ると、全体的には歴史系が多いですかね。
・近所の書店で購入する。・大河ドラマ『どうする家康』を全話視聴後に読もうと思っていた本である。・黒田氏の文章は簡潔で明解である。黒田氏の他の著作も読んでみたい。黒田基樹著長田匡司編集『徳川家康の最新研究伝説化された「天下人」の虚像をはぎ取る』242㌻850円(税抜)朝日新聞出版朝日新書902カバーデザインアンスガー・フォルマー田嶋佳子2023年3月30日第1刷発行
12/16土曜日に続いて翌17日日曜日、パシフィコ横浜ノースで開催されたお城EXPO2日目にも登城しました。先ずは予めチケットを購入していた厳選プログラム!歴史学者平山優先生の「小牧・長久手合戦と城郭」。90分です。会場は4階の本丸御殿会場という広い部屋でしたが、満席。先生は、大河ドラマどうする家康の時代考証をなさっているとのことで、当日はその後新幹線で岡崎に移動され、パブリックビューイングに出席されるとおっしゃっていました。先生のお話は昨年もお聴きしましたが、今回も相変わらずマニアッ
さて…本日のライオンズ対ロッテ戦は…雨で中止~~~~、、万歳三唱🙌🙌~~~~🎊🎊、、この喜びはライオンズファンにしか判るまい、、ホント…イヤなら見なきゃ良いのですが…それが出来れば、、、ほんと、トホホです。で、戦国史研究中ですが最近読んだ黒田基樹氏の御本を二冊ほど紹介。黒田基樹氏は1965年生まれ。専門は私の地元・後北条氏の研究です、自分の子供の頃、北条早雲は88歳で大往生でしたが…実は64歳で死亡してる。この書き換えというか年齢詐称を見破ったのが黒田基樹先生。干支
徳川家康ほど有名な人物の正妻でありながら、同時代資料はわずか一つだけでその事績を伝える資料のほとんどが後世によるものである築山殿。(当然本名は伝わっていません。ドラマや小説では「瀬名」と呼ばれることが多いですが、江戸時代中期以降からしか確認できません)これまでその存在すら「知る人ぞ知る」という感じで、自害という形で生涯を終えたとはいえ江戸時代に「神君」とされた家康に敵対する武田勝頼への内通が原因であったこともあり悲劇的に語られることも少なかった女性と言えます。この事件について
戦国時代は名だたる大名が天下を巡って争ったというイメージが世の中では定着していますが、近年はその傘下に従属する国衆と呼ばれる彼らの支配する領域内において排他的な権力を持った存在が知られています。本書ではかつて国人と呼ばれていた国衆の実態を、国衆の側をクローズアップする形で解説した一冊です。国衆は戦国大名に従属する存在でありながら一定の独自性を持ち、どの勢力に属するかはあくまで国衆の意思によるものであり、その結果として真田昌幸や宇喜多直家のように生き残るために大勢力の間を遊泳する国
我らが滝川恒昭先生率いる友好団体の里見氏研究会の総会・記念講演会が開催されます。ご興味のある方はぜひ足を運んでください!また同会では入会者も募集中です!ご検討ください。2023年4月22日(土)14時~15時30分(受付13時30分~)講師黒田基樹氏(駿河台大学教授)講演内容「古河公方足利義氏の軍事行動(仮題)会場千葉経済大学2号棟101教室参加費300円詳細はリンク先へ
平凡社の「中世から近世へ」シリーズでは羽柴秀吉の妻だった茶々や北条氏康の正妻だった惴渓院殿(本書の主人公・寿桂尼の娘でもある)、そして寿桂尼の夫・今川氏親の母(寿桂尼にとっては姑)であった北川殿と、戦国時代の女性を(間接的にせよ)扱ってきた著者が次に手を付けたのは大河ドラマでも戦国時代の今川家が絡むと重要人物として登場する確率の高い女性である寿桂尼でした。中御門宣胤という中級の公家の娘に生まれながら駿河の戦国大名今川家の初代当主だった氏親に嫁いだことでその法名と共に彼女の存在を後世に
Cesontlesmangasausujetdel'époquedelaguerred'Ōninetsengoku"Shinkurō,Hashiru!".----------「応仁の乱」という言葉は知っていても、実際に何が起こったのかは、人間関係・勢力図が複雑すぎて分かりづらいと感じている人も多いかと思います。文献でコツコツ調べながら関係図を作っていくのもいいかもしれませんが、気軽に楽しく分かるのがやはり漫画の力。僕のオススメは「新九郎、奔る!」(しんくろう
京極家・・・出雲、隠岐、飛騨、近江の4カ国の守護大名。尼子家・・・清貞の代で出雲の月山富田城を本拠に出雲の国人と抗争し、勝利して京極家の出雲支配を実質的に担う。尼子経久は1476年から4年のどこかで当主となり、京極政経に出雲守護代を任されていた。尼子経久は幕府の公役をことごとく負担せず、幕府から追討令が出された。京極政経も出雲にいたが、出雲支配ができず、尼子経久に蔑ろにされていた。だから幕府に訴えたと思われる。主家と重臣の対立である。1484年京極政経は周りの国人と協力
斯波家・・・室町幕府の管領。尾張、遠江、越前の守護大名。斯波氏は基本京都にいて、遠江・越前守護代は家宰の甲斐家、尾張守護代は織田家だった。朝倉孝景はそれに次ぐ地位で、斯波氏に付き従って京都にいた。1458年、斯波家が庶流の斯波義敏が家督を継ぐと、家宰の甲斐常治と対立し、越前で斯波義敏は越前の国人と組み、甲斐常治は朝倉孝景と組んで越前長禄合戦に発展した。幕府(将軍:足利義政)は斯波義敏を追放し、子の松王丸を家督に据え、甲斐・朝倉を支援。これに勝利。朝倉孝景は任官。甲斐常治は病死
講談社現代新書:黒田基樹著:「下剋上」河出書房新社:西股総生著:「東国武将たちの戦国史」北条早雲の前に、鎌倉公方だった足利成氏が古河に移り古河公方になり、それを認めない室町幕府が将軍家の血筋の足利政知を堀越公方として韮山を本拠に擁立した。一方、長尾景春の乱で大活躍した太田道灌が関東北部の長尾景春領を接収し、扇谷上杉家が兄分の山内上杉家をしのぐ勢いを持とうとした。山内上杉家の中から乱の時の太田道灌(扇谷上杉家の家宰)の差配に不満を持つ者もいた。やがて両家は対立を深めて、この原因は
講談社現代新書:黒田基樹著:「下剋上」第1章「長尾景春の叛乱と挫折」を読んだ。応仁の乱以前に、東国で下剋上の兆しが見られた。長尾景春による関東管領:山内上杉顕定への反乱。山内上杉顕定の家宰であった長尾景信が死去し、家宰職を誰に継がせるか問題。1.一族の有力者で景信の実弟:長尾忠景。2.景信の息子:長尾景春。ここで山内上杉顕定は1の長尾忠景を指名した。長尾景春は祖父の代から受け継いだ家臣までの所領を、長尾忠景によって再分配されることになる。そこで長尾景春は実力行
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。信玄さんの時代、最大の衝撃となり、未だ謎に包まれている事件…。それが信玄さんの嫡男であった義信公の「義信謀反事件」です。今川義元公が桶狭間の戦いで戦死すると信玄さんは駿河侵攻に向けて動こうとしていきました。それに対して今川家から妻を迎えた義信公との間に徐々に軋轢が生じていくことになりました。義信公は家臣とともに信玄さんの暗殺を計画したとされ東光寺に幽閉
戎光祥出版の「薄い本」こと「実像に迫る」シリーズ第1弾は、その実像があまり知られていない真田信繁です。「真田幸村」という後世に生まれた名の方が有名な信繁の生涯を大河ドラマ『真田丸』放送時点での最新の知見をもとに短くまとめた一冊です。前ページカラーで、図版も多く収録されていることから初学者向きでもある一冊ですが、押さえるべき点はしっかり押さえているのである程度以上に詳しい人も満足できる一冊です。シリーズ・実像に迫る001真田信繁歴史、城郭、神道など書籍の出版・販売|戎光祥
細木数子さんや、瀬戸内寂聴さんの訃報に触れたと思ったら、菅田将暉さんと小松菜奈さん結婚のニュースが流れ、残念ムードがかき消された昨今ですが、ニュースで石油高騰の対応で、お国が補助金を出すと耳にして、これから値上がりする季節ですし、少しでもガソリンが安くなって欲しいと期待しています😊日記は程々に本題の感想へ~📚今回読み終えたのは、黒田基樹先生の「下剋上」です下剋上とは「下位の者が、主体性をもって、実力を発揮して、上位の者の権力を制限したり、それを排除したりすること」と定義して、戦国時代に活
11/3は文化の日。コロナ前は毎年ブルーインパルスを観に行ってましたが、今は当然やっていません。武蔵の国に住んでいるので全く知らなかったのですが、どうやら武田信玄の誕生日でもあったらしいのです。11/3は全国各地で色々なイベントをやっていましたが、ヒストリーチャンネルや英雄たちの選択で見掛ける先生達が参加するイベントを見付け、行ってみる事にしました。生で千田先生と平山先生を観られるの、楽しみ。場所は甲府でしたが、まああずさに乗れば新宿から90分位だし、日帰り出来るだろう。
信玄公生誕500年記念シンポジウム「武田信玄研究の最前線~最強戦士夢の競演~」に出演いたします!開催日:2021年11月3日(水・祝)午後開場会場:YCC県民文化ホール小ホール【出演】平山優先生千田嘉博先生黒田基樹先生丸島和洋先生小栗さくら名だたる先生方とご一緒するのはとても光栄であり緊張しますが、信玄公生誕500年をともに盛り上げることができたらと思います!↓詳細はこちら!↓https://www.yamanashi-kankou.jp/shingen50
恐るべき勢いで著書を発行し続ける著者のメインフィールドと言える小田原城を居城とする戦国大名北条家五代目当主・氏直の評伝です。氏直の出自が父・氏政の正室黄梅院殿(武田信玄の娘)ではなく側室(氏直の幼名が国王丸で弟・太田源五郎の幼名が国増丸であることから同母とされる)で、今川氏真の養子となり一時的に駿河守護今川家の当主となっていたこと、今川家と離縁し氏政の後継者となり歴代最年少で家督を継いだこと、小田原開城後ほどなくして30歳で亡くなった氏直の人生は思った以上に濃密で急激な転換を余儀なくされて
こんにちは。【1日5組限定浜松市肩こり腰痛女性専用】おざき均整院長“オザミー”こと尾崎正文です。ブログにお越しいただけてありがとうございます🙆ごゆっくりお読みください。ご予約お問い合わせ方法は本記事の下にございます😊最後までお付き合いいただくかスクロールして飛ばしてください。「図説享徳の乱」黒田基樹著図説享徳の乱Amazon(アマゾン)1,790〜6,481円図書館で借りてきた本なのですがこれまでなんとなーく理解していた「享
ほとんど月刊と思えるほどのハイペースで新刊が発行される中世史研究者による戦国時代に起こった下克上の解説書です。本書では下克上を「下位の者が、主体性をもって、実力を発揮して、上位の者の権力を制限したり、それを排除したりすること(p4)」と定義しており、上位者による引き立て(織田信長が羽柴秀吉を重臣に取り立てたようなケース)とは一線を画した事例を指して用いています。また、長年下克上の代名詞のように言われてきた松永久秀も、上位者による引き立てが主な身分上昇の要因ですので本書では扱っていない