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2016年1月から集め始めた御朱印を順番にアップしています増上寺東京都港区2016年4月21日(木)参拝《御朱印》黒本尊の御朱印です。増上寺。。。徳川将軍家とのゆかりの深いお寺。素晴らしい立派なお寺です!ご本堂の後ろにそびえ立つ東京タワー🗼‼️ミスマッチのような。。。はたまた絶景か‼️
平成30年9月15日港区芝増上寺を参拝しました。東京タワーのすぐ目の前の大寺院。増上寺は浄土宗大本山で、上野の寛永寺と並び徳川家にゆかりのある寺院です。増上寺安国殿本尊、黒本尊は通常秘仏であり、正月、5月、9月の15日だけ開帳されます。黒本尊は徳川家康の念持仏。その黒本像阿弥陀如来を見るため、増上寺へ。年間で3日間のみの開帳であるため、前回は黒本尊は厨子の中でお目にかかる事は出来ませんでした。混雑を予想していましたが、曇天のためか、想像していたような混雑はありませんでした。法要中に中に入る
増上寺の大門から汐留シオサイトあたりを歩きます。歴史の残る地域と近代的な地域が隣接しているところです。⚫︎増上寺江戸城の鬼門にある上野寛永寺に対して、裏鬼門にある芝増上寺です。どちらも徳川家の菩提寺で徳川将軍15代のうち6人が葬られています。増上寺2代秀忠(ひでただ)家康三男、江(ごう)の夫6代家宣(いえのぶ)家光の孫、生類憐みの令廃止7代家継(いえつぐ)家宣四男、8歳で死亡9代家重(いえしげ)吉宗長男、虚弱で言語障害12代家慶(いえよし)家斉次男、水野忠邦を
さいたまスーパーアリーナでライブに参歌した後、どーーーしても、私が行きたいと言い張った場所へ。恵比寿ガーデンプレイス『花より男子』で待ち合わせした場所。恵比寿ガーデンプレイス時計広場1時ならぬ・・・恵比寿ガーデンプレイス時計広場9時15分から30分(〃゚艸゚)プッ写真を撮りまくってる間にどんどん時間が・・夜の写真って難しい(;-ω-)ライトアップされた東京タワーも遠くに見えたし。いやぁ~。満足満足(♡´艸`)でも滞在時間より移動時間の方がずーっと長い2日目。増上寺
増上寺でも御朱印を頂戴してきましたしょうがないこととはいえ御本尊に参拝できなかったのが心残り。帰りに向かいの道から三解脱門を撮ってみましたが信号が邪魔をする大門こんなりっぱな門があるとは知りませんでした。
5月4日ゴールデンウィークの真っ只中にお参りをさせていただいたのが東京タワーの下にある増上寺です。増上寺安国殿のご本尊さま。黒本尊の御朱印です。黒本尊は三河岡崎の明眼寺にあったものを徳川家康が貰い受け増上寺に寄進したもの。金箔が落ち香煙で黒くなったそうです。安国殿で一筆写経をすることで「南無阿弥陀仏」のお念仏が書かれている御朱印もいただけるそうで今度はそちらも。お寺様のホームページに大殿までの道のりで面白いことが書いてあったのですが・・・。芝大門交差点の少し増上寺寄り
【鎮座地】東京都港区芝公園四丁目7番35号【正式名】三縁山広度院増上寺【宗派】浄土宗鎮西派【御本尊】阿弥陀如来【HP】http://www.zojoji.or.jp/【電話】03-3432-1431当寺については今まで、御本尊、西向き観音、江戸33観音霊場21番札所などの記事を書いてきました。そんな増上寺でいただいていなかった御朱印がこの『黒本尊』の御朱印でした。増上寺の安国殿に安置される黒本尊阿弥陀如来像は徳川家康の
正確には「正五九黒本尊祈願会」最初の3文字をどう読む?ワカラン!「しょうごくくろほんぞんきがんえ」と読むそうだ。東京は芝にある徳川家の菩提寺でもあった増上寺で、年間に行われる様々な行事の一つ。多くの人は「正五九黒本尊祈願会」の読みを正確にはできない。読めたらきっと意味も知っている人だろう。正月と5月、9月に行われる祈願と言うと、なんとなく理解できてくる。新年、田植、収穫と繋がっている。そもそも神話や仏教の話は広く、深く、ややこしい。専門的に学んでこない限り、人に説明できる程
皆様、無事に楽しい2018年を迎えていらっしゃいますか?スナカケでーす🎵私は、旦那の里帰り兼ねて、昨年末に東京へ行って来ました✨前々から、参拝したかった神社仏閣へ行って参りました✨前回書かせて頂いた「富岡八幡宮」さんや、素敵な神社仏閣で沢山の神様と出逢えました🎵2018年、始めに書くのは....徳川家の菩提寺である寺院。「増上寺」さんです(〃^ー^〃)「お久しぶりです✨」増上寺は、2回目の参拝です。初めて訪れた時の印象は、ただただ強いパワーを肌で感じて、圧倒される程でした。
青森県深浦町にあります浄安寺です。西方山浄安寺、本堂です。宗派浄土宗ご本尊阿弥陀如来津軽八十八ヵ所霊場第七十一番札所由緒平安時代(794~1185)、鯵ヶ沢長平の岩木山麓に、西方寺という庵寺が存在していました。(一説では約一千二百年前に庵寺が長平から関の現在地に移転、浄安寺と改称されます)慶長四年(1599)、初代住職の安誉上人が居を構え、山号を西方寺にして弘法大師(774~835)作の黒本尊(青銅の観音像)を安置します。*弘法大
芝増上寺。山門(1622年建立重文)は現在は修繕中なので、一階部分は覆われています。プリンスホテルと芝公園の一帯が江戸時代の増上寺境内でした。↑写真は去年撮影のもの。増上寺は1590年に徳川家の菩提寺となり、江戸城拡張の際、裏鬼門の抑えのため、1598年に芝に移転となりました。↑『三解脱門』この門をくぐると『貪り、怒り、愚かさ』3つの煩悩から解脱されるといわれています。↑今の増上寺。↑桜の頃の増上寺と東京タワー🗼↑家康の法名『安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士』からつけられた安国殿。↑安
今日はとても良い天気だ。風も無く波は胸肩くらいのファンウェーブらしい。が、しかし。。。そんなレジャーを横目に今日も仕事。事務所まで書類を取りに行き、その後本腰を入れて作業。明日は大切な面談があるので、その資料作成と整理に追われる。ずっと使っていなかったデジカメの充電やらも。笑まったくそんな事で一日過ごしてしまう。。。珍しく(笑)休日のない一週間の始まりである。ひと段落したところで、いつもの更新のためにシュワちゃん御用達のしゃちょの所へ。今日も心地よく受けて頂き感謝である。
葵紋とは三河豪族といわれる松平、本多、伊奈の諸氏が戦国時代において用いたとされ、家康公が征夷大将軍となってからは権威あるものとして、一般の使用を禁止し一門親藩のみ使用を許した、、そもそも葵とは賀茂祭に用いられた霊草であり、例えば「枕草子」には、神代よりの習わしとして、菖蒲、菰(こも)、葵などを祭の折り飾りとしたとあるようだ時下って、永禄九年(1566年)十二月三河を統一した家康公は、松平姓を改め、本姓である徳川氏に戻したい旨を朝廷に願い出ている徳川家が新田氏
平成29年9月9日重陽の節句に、お話会の下見に出掛けたら龍神さまに招かれて、増上寺に呼ばれました弁天さまや、龍神さまとお話をして、呼ばれた理由などがわかったので、追記しました私を増上寺に呼んだのは、山内家の龍神達でした門の前に、増上寺の龍神さまが、お出迎えで、既にいらっしゃいました観音様の前にも、虹龍がしっかり写ってます大殿のすぐ後ろには、東京タワーが見えます。法要中は撮影禁止なのですが、この日は何も無かったので、大殿の阿弥陀如来さまを写真を撮ってる外国の方、私の髪色とシンクロして
皆さん、こんにちは!スナカケです~✨今回は、徳川家の菩提寺であり、都内でも存在感が大きい寺院。増上寺です~✨一時期浅草で働いていた時に、是非行きたい寺院だったのが、この増上寺です。転勤で引っ越しする前に行けました。なので、写真はずいぶん前に撮ったものです。f(^_^;都営地下鉄浅草線で「大門」で降りると、徒歩5分の距離です。駅から近くて行きやすい場所にあります。しかも、すごい存在感です~✨まず、大門駅で降りると、それこそ大門がドーンとあります。とりあえず、圧倒されますΣ(
東京を代表する寺院のひとつ、港区の増上寺さんです。徳川のお寺さんですね。○増上寺・宗派:浄土宗(大本山)・御本尊:阿弥陀如来(秘仏)・住所:港区芝公園四丁目7番35号酉誉聖聰上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されましたが、その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきたとのこと。徳川将軍家の菩提寺で、徳川秀忠公など6人の将軍様が眠っておられます。
本日、大本山増上寺へまずは大門をくぐりそして芝公園を通り三解脱門へただいま改装中でしたこの門をくぐると素敵な光景が大殿本堂と東京タワー別の角度から安国殿から突き抜けるように東京タワーが都会のお寺ならではの景色なんともいえないコントラストです明日の夜は七夕キャンドルナイトが開催されるようです短冊に願いを…四菩薩像徳川家霊廟西向聖観世音菩薩今回の増上寺訪問は祖父の勤めていた会社の物故者慰霊法要のためでした在職中に亡くなった方々の合同慰霊法要祖父が勤めていたころは
烏森神社から歩くこと20分ほど。10年ほど前にこの辺で仕事してたので、もうないだろうと思いつつ、ぼんやりとした記憶を頼りに歩いていたらまだ働いていたお店がありましたー。さすがにガラス越しに見えるスタッフは、知らない人ばかりでしたが。あの頃はお寺や神社は初詣や厄祓いの時にしか行ったことがなくて、こんなに近いのに増上寺の端っこさえも見た覚えがない・・・【大門】【御成門】【芝公園】から歩いたらとっても近いです。お寺用の御朱印帳がもう少しで無くなりそうなので、次はこちらのと決めていました
今朝も過ごしやすい涼しい感じでスタートである。さぞかし昨日の「おやじ」も機嫌良く出社したことだろう。天気予報では今週は徐々に下り坂らしいがまだ大丈夫だろうな。そんな今日は朝からホームページのコンテンツをいじったりする。新しい業務の開拓も、徐々にであるが進めている状況だ。相手がある程度大きな企業、某大手個人事務所諸々なので時間がかかる。会議や担当決め、他既存事務所との兼ね合いなんかもしょうがない。今までだとこんな冒険する時間も無かったから。メールのやりとりなども何軒もやっていると
増上寺の宝物館のロビーにありました(増上寺さんに写真撮影とブログ・Twitterなどに載せていいかお聞きしてOK頂きました)柳田泰雲さんの書かなりの大きな書ですとってもステキです写真がピンぼけすいません柳田泰雲(やなぎだたいうん)さんを、簡単に説明すると、とっても偉い書の先生ですもう少し詳しい説明→「書家・明治35年1月1日に東京日本橋に生まれる正斎・泰麓と三代に続く書道家の家柄。日展参事・東方書道院審査員・全日本学生書道連盟理事長・学書院々長・日本書道文化研究所所長。平成二年三
今年も『増上寺』で「勝運」祈願!!もちろん「開運」もね♪安国殿に祀られている徳川家康公が深く信仰した黒本尊は、勝運・厄除けのご利益で有名!!仕事もプライベートも「勝」に恵まれますよーに!!今回もお決まりの写真!で、たまには違う角度から!その①で、たまには違う角度から!その②「黒本尊」御朱印これまたちゃりんは勝運(開運)GETです!!『増上寺』東京都港区芝公園4−7−35http://www.zojoji.or.jp/
徳川家の菩提寺『増上寺』に、行ってまいりました。都会のど真ん中。東京タワーの麓にあり、こーんな構図でお写真が撮れます。今日はとっても良い天気~。本日は「黒本尊阿弥陀如来」御開帳とのことで家康公の勝運にあやかるべく、ぜひぜひ、手を合わせたかったのです。↓↓増上寺HPより(一部略)↓↓安国殿安置の「黒本尊阿弥陀如来」は、徳川家康公の念持仏です。家康公出陣の際は、戦勝を祈願し共に戦場に赴いたと伝えられています。幾多の危難を逃れ家康公が勝利を得ることができたのも
大本山増上寺黒本尊大本山増上寺南無阿弥陀佛(一筆写経を納めた後に頂ける書き置きタイプの御朱印です)大本山増上寺阿弥陀如来大本山増上寺西向聖観世音大本山増上寺の御朱印帳
増上寺は港区芝公園4-7-35にあります。最寄り駅は都営三田線御成門駅、芝公園駅より徒歩3分、JR浜松町駅より徒歩10分。山号三縁山宗派浄土宗鎮西派寺格大本山御本尊阿弥陀如来黒本尊の御開帳の日に行ってきました1月15日、5月15日、9月15日の年3回黒本尊の御朱印です。御開帳の日なので正五九の印を押してもらえました安国殿でいただきました。東京タワーと本堂。
先日増上寺に行ってきました。普段近くで撮影仕事時に寄ってるのでスーツケース持って観光客のような出で立ちで参拝してます。今日は身軽でスッキリ♪年3回の黒本尊のご開帳があると聞き時間ぎりぎりでしたが拝観してきました。安国殿はとても明るいのですが扉は半開きでご本尊が小さくて黒いのでお顔は全く分からなかったです…(涙)ご朱印はこんな感じ。通常のご朱印に『五五九』の印が入ります。当然ながら徳川の紋も入ります。時間があったのでこの後芝大神宮に寄りました。この日はお祭りの前日で
たまに、「阿弥陀さまに普通のお願い事をしてもいいのですか」と訊ねられることがある。普通のお願いとは、健康維持、試験合格、病気平癒、会社繁栄、無事成長、安産などなど。阿弥陀さまの最大のお救いは、「臨終に際し極楽浄土へと導いて下さること」。だから、疑問に思うことも納得である。そこで、そんな時には誰もが知っている徳川家康公のお話をしている。時は慶長19年、1614年。豊臣秀頼と徳川家康の戦い。大阪冬の陣。開戦に具え10月頃から両陣営の準備は進められていた