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鶴ヶ城🏯(福島県会津若松市)『つるがじょう』と読む鶴ヶ城🏯は、1384年に築城された梯郭式平山城であり、戊辰戦争において、天守を含む多くの建造物の傷みは激しかったが修復は行われず、しばらく放置された後、解体、現在の天守は1965年に鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたものであり、正式名称を『若松城』、別名を『会津若松城』『黒川城』というようです▼案内図▼▼梅坂(西出丸入口)▼▲櫓跡▲▼西中門跡▼▲旧鐘撞堂▲▲▼天守閣▲▼
昼食を食べ終わるころには、雨が弱くなったので、会津若松に向けて出発。12時半ころ、鶴ヶ城に到着。30分ほど散策。平日ですが学生っぽい人や家族で来ている人など、思っていたより人がいました。雨上がりで蒸し暑かったですし、人が多い所は苦手なので、天守には登らず、次へ向かいます。次は向羽黒山城。鶴ヶ城から30分ほどで到着。車でだいぶ上ったと思いましたが、駐車場からさらに登るみたいです。15分ほどで登れました。すでに汗だくなので、走って下山。車のエアコンで涼みます。ここまで、予定し
今回は奥三河です。子どもと一緒に言ってきました。まずは刈谷ハイウェイオアシスで朝食。子どもは朝マック、私は横綱ラーメン。ニントン(辛いやつ)いっぱい入れました。No.36田峯城址(設楽町)難易度★★★☆☆配布場所:歴史の里田峰城(9:00-16:00休:月・祝の翌日)御城印は田峯城入場のときにもらえます。入場するのは有料です。戦国の館といった感じでとてもよかったです。まずは駐車場から。トイレはここで済ませましょう。そこそこの規模があります。簡単
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2021/11/19)【城を観る+】《黒川城(三河国)》2021〜熊谷玄蕃の居城!黒川城跡を観る〜【城を観る+】《黒川城(三河国)》2021〜熊谷玄蕃の居城!黒川城跡を観る〜《黒川城(三河国)》[読み方]くろかわじょう(みかわのくに)[撮影地]愛知県[撮影日]2021/11/19[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[Twitter]バイソン(城を観る)https://twitter.co
城ミニ会津黒川城・秋完成#上杉景勝#蒲生氏郷#会津黒川城#お城#会津若松城#鶴ケ城#イベント
会津黒川城縄張り製作
会津黒川城七重天守
本日は修了検定も終わったし講義もないので完全休みとしました。という事は山登りですが来月に結構ヤバい日程で行く予定が有ります。そのトレーニングの為にも今回長時間でのトレーニングを念頭に入れて試して見ました。題して自宅から歩いていく山登り自宅からトレーニングコースの高坪山までウォーキングして更にトレッキングする計画です。せっかくなのでいつまで行ったことのないコースを狙います。自宅近くからだんだん高坪山に近づいて来ました。道の駅胎内今回はこちら坪穴コースです。ちょっと判りづらい
目覚めるとホテルの窓から新潟駅朝風呂入ってチェックアウト胎内(たいない)市へ正直ど田舎~街の明かりとかネオンなどメチャ少ないのでその鄙の暗さを利用して阿智村みたいに星で売っている今年は新型コロナ感染対策として星祭(8月21日PM3:00~23日AM1:00)ネット生中継される。因みに今夜はペルセウス流星群のピークhttps://news.yahoo.co.jp/articles/01f4fac81380b26f7314
《若松城》[読み方]わかまつじょう[別名称]鶴ヶ城、会津若松城、黒川城[所在地]福島県[城分類]平山城[築城主]蘆名直盛[築城年]元中元年(1384年)(奥御殿跡)(御三階跡)(御三階跡解説板)(鐘撞堂)(鉄御門)(鉄御門と天守閣)(荒城の月碑)(茶室麟閣)(鶴ヶ城解説板)(天守閣)(天守閣からの景色)(天守閣塩蔵)(南走長屋石おとし)(南走長屋狭間)(武者走り)[登城日]2017/08/12にほんブログ村
簡易ブログにてお伝えします。〖国盗りクイズ答え〗①京極高次〖城めぐりクイズ答え〗◎黒川城内この方が見やすい?!とか言われちゃう?笑広告も載せさせて♪笑これからもよろしくお願いします(*^^*)
〖すっかり秋です、寒さ対策も!〗↓♪こちらからどうぞ♪↓☆紋次郎SHOP☆入口↑こちらをクリック↑入口★11月のおすすめ商品★《ラグカーペット》【1畳用あったかラグ】ラグマットカーペット1畳シャギー無地北欧マイクロ…¥3,770(税込)極細繊維、長毛マイクロファイバーフィラメント糸を使用しています。北欧テイストの4色展開ですので、お部屋に合わせてお好きなカラーをお選び下さい。表地にはフィラメント糸(極めて長い繊維)を使用、。遊び毛が出にくく耐久性に優れています。
8/24~8/26までの遠征で観光で最後に立ち寄ったのがこちら。2年前は夕方になって天守閣は終わっていたので西出丸から石垣上っただけでしたが、今回は3の丸から。二ノ丸、伏兵廊はテニスコートが整備されています。廊下橋石垣の間を通り、鶴ヶ城稲荷神社観光案内所には飲食店もあります。西出丸からくるお客さんの方が多いですね。そして本丸へ。茶室麟閣は別な記事に分けます。本丸の敷地をぐるっと回った後、
鶴ヶ城♪#福島県#会津若松#鶴ヶ城#会津若松城#黒川城#会津若松駅
Alohakakahiaka!おはようございます。一昨日から頭痛が続いていて、昨日の午後からは寒気がして部屋でも厚着しています。これは風邪?!😵風邪、寒暖差疲労、インフルエンザ、花粉症等症状が似ているから何なのかよくわかりません💦鶴ヶ城を散策した後、お土産屋さんに戻ってきました。照姫稲荷というお社がありました。🔹照姫稲荷についてお昼はお蕎麦屋さんへ🔹ざる蕎麦美味しいかったです😊🔹鶴ヶ城会館のパネルやえちゃん可愛いです💕鶴ヶ城はこれでおしまい、次へ向かいました。今
Aloha!こんにちは。ブロックした人から「いいね」がつくのは何故か?アメーバさんに問い合わせしました。まだ回答はありませんが、早く問題を解決したいです😓鶴ヶ城稲荷神社を参拝した後は、神社そばの紅葉が綺麗だったので紅葉を楽しみました🍁モミジとイチョウの紅葉綺麗でした✨💕✨つづく#風景#境内#旅行#旅#写真#カメラ#福島県#会津若松市#城#銀杏
Alohakakahiaka!おはようございます。今日12月7日は、二十四節気の「大雪」です。雪が激しく降り始めるころという意味があります。日がさらに短くなって寒さが増し冬が深まっていくころです。最近は暖かい日が多かったですが、この週末は冬らしい寒さとなりそうです。体調管理をしっかりしてお過ごしくださいませ☺️🔹拝殿前の階段🔹狛狐🔹階段🔹拝殿🔹拝殿のアップ🔹扁額お参りしました👏🏻🔹拝殿左側にあるお社🔹お社のアップ何のお社かは不明です。お参りしました👏🏻鶴ヶ城
天守を拝観した後は、城内にある稲荷神社へ。💠鶴ヶ城稲荷神社💠●所在地:福島県会津若松市鶴ヶ城内●御祭神:宇迦魂命●歴史:社伝によれば、約600年前に城がつくられた頃から守護神として祀られていたとのこと。当時は東の三ノ丸にあったものが、現在の場所に遷されたそうです。また、このような伝説も残されています。鶴ヶ城の築城にあたって苦心した芦名直盛が、この鶴ヶ城稲荷神社の勧請先である田中稲荷神社に祈願したところ、霊夢を見ることとなりました。そして目覚めてみると、降り積もった雪の上に狐
Aloha!こんにちは。今日は冷たい雨が降っています☔️12月だというのに今年は雨が多いですね。🔹青空と若松城🔹紅葉と若松城🔹イチョウと若松城🔹若松城色々な角度で撮影📷絵になる美しい風景を満喫しました😊💕つづく#風景#境内#旅行#旅#写真#カメラ#福島県#会津若松市#天守閣#紅葉#モミジ#もみじ#イチョウ#銀杏
福満虚空蔵尊圓蔵寺の次は鶴ヶ城へ。💠若松城💠●所在地:福島県会津若松市追手町1-1●別名:鶴ヶ城、会津若松城、黒川城●城郭構造:梯郭式平山城●築城主:蘆名直盛●築城年:1384年●主な城主:黒川城蘆名氏、伊達政宗城若松城蒲生氏、上杉景勝、加藤氏、保科氏、会津松平家●廃城年:1874年(明治7年)●遺構:石垣、土塁、堀●指定文化財:国の史跡●再建造物:天守・門・櫓・長屋●概要:会津鶴ヶ城は至徳元年(1384)葦名直盛
皆の者達者であるか?大ふへん者前田慶次じゃ!我が日記帳開き大義。本日も戦国の今日は何の日?参る一五九〇年十一月五日蒲生氏郷、黒川城を出陣本日は蒲生氏郷が陸奥の大崎・葛西一揆鎮圧に向け黒川城を出陣した。蒲生氏郷殿の拠点黒川城当世では会津若松城の名で通っておる。この後の一五九二年に蒲生氏郷が黒川城を改修し近世城郭へと変貌し城下町も築いた。この時の名前を黒川から若松へと変更したのじゃ。皆、勉強になったか?関東、東北地方の者には是非覚えてもらいたい。して、此度我前田慶
皆の者達者であるか?大ふへん者前田慶次じゃ!我が日記帳開き大義。本日も戦国の今日は何の日?参る一五九〇年八月九日豊臣秀吉、天下統一本日は戦国乱世が一つにまとまったそう、天下統一された日なんじゃ。何をもって天下統一と思うたか?全土の領土を掌握すること。即ち、全国の大名が従う。形上従うのではなく本に下らせる。それが今日である。豊臣秀吉様が会津黒川城に入り豊臣秀次様に検地を命じ奥州仕置を発令。天下統一が叶った。検地をするは己の領国でどれだけ米が取れるか、其れは相手
別名、鶴ヶ城、若松城、黒川城。日本100名城の1つ。1384年、蘆名直盛が東黒川館を造ったのがはじまりとされる。鶴ヶ城という名になったのは、豊臣秀吉が伊達政宗から会津を取り上げ、代わりに入った蒲生氏郷により天守が建てられた1593年。1868年の戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として有名。天守閣1965年、外観復興再建された。北出丸天守閣展望台から会津磐梯山方面を望む天守閣展望台から飯盛山方面を望む
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。皆さん、雨は大丈夫ですか?私の地域は結構危険な状態です。本日は愛すべき残念な武将シリーズをお送りいたします。前回の続きです。男色が原因で、城を乗っ取られるという前代未聞の大事件が起きてしまった蘆名盛隆君。この事件で懲りたかと思いきや、更に男色にハマっていく盛隆君。さあ、どうなっていくんでしょう?ある時、盛隆君の実家、二本松家の大庭三左
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日も愛すべき残念な武将シリーズをお送りいたします。前回の続きです。鬼義重に惚れられるくらい美男子な盛隆君。実は、言い寄られるタイプではなく、なんと自分からグイグイ行くタイプだったんです。しかも、男子に・・・あまりにも、グイグイ行くので重臣達に諫めらていたと言われています。そんな盛隆君に、ある日蘆名四天王と呼ばれた松本氏輔さんの息子が
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡地域活性活用専門アドバイザー」であり「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。本日は、久しぶりに、大人気の「愛すべき残念な武将」シリーズをお送りします。今回の主役は、蘆品盛隆(あしなもりたか)君です。東北には、安東家(秋田家)、伊達家、最上家など名門の家が沢山ありますが、蘆名家も源頼朝と鎌倉幕府創設依頼の名門です。黒川城を拠点とした佐原義連(さはらよしつら)が初代で、二代目から蘆名氏を名乗ります。盛隆君は、そん
黒川城081-1黒川城
本日から3回に分けて、「会津若松城」(福島県会津若松市)をお届けしていきます。干飯櫓出た所から鉄門と天守まず最初に、「会津若松城」の歴史と城主について触れておきます。当城の前身は、会津守護職であった「蘆名家」によって築かれた「黒川城」ですが、「伊達政宗」が奪いました。しかし、「豊臣秀吉」の命で、「蒲生氏郷」を会津に入封させて新たに築城したお城に「若松城」と命名しました。その後、「上杉景勝」が入城すると、「徳川家康」による「上杉征伐軍」に備えるために、会津領内のお城を大改築
11/17(金)~18(土)に行った“みちのく紅葉めぐり”なかなか終了しな~いw11月18日(土)鶴ヶ城(若松城)別名黒川城とも言われるらしい🏯あんなにいっぱい朝食☕🍞食べたのに、お腹空いたと思ったら12:00を回っていた。鶴ヶ城会館の中にある朱雀亭でお昼食べちゃおう‼夫が食べたいって言っていた、ソースカツ丼があるじゃあ~りませんかぁ喜多方ラーメン&ミニソースカツ丼セット1,000円喜多方ラーメン🍜🍥680円トンカツ厚くて柔らかくておいしかった♪ラーメンも食べたかった
城を観る今回は...(撮影2017/8/12)若松城〜奥御殿跡〜ここに...ね。。。なんちてにほんブログ村