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いつもご覧頂き誠にありがとうございます。今回は、鉄コレ第1弾の静岡鉄道モハ20を投稿したいと思います。■TOMYTEC鉄道コレクション第1弾静岡鉄道モハ20静岡鉄道モハ20は、私鉄買収国電のモハ1500形(元鶴見臨港鉄道110形)で昭和32年(1957年)に譲渡されました。譲渡時は、塗色は初代のスカ色(に近い?)塗色で静岡清水線を走行していましたが、のちに胴回りが臙脂、上部がクリームに変更されました。譲渡から10年後の昭和42年(1967年)に休車、その後は
いつもご覧頂き誠にありがとうございます。今回は、鉄コレ第1弾のフリーモ1031を投稿したいと思います。■TOMYTEC鉄道コレクション第1弾フリーモ1031フリーモ1031は、文字通りのフリーランス型の車輌で、鉄コレでお馴染みの富井電鉄の車輌となっています。種車は鶴見臨港鉄道モハ100形で、塗色は関西急電色に近い茶色(微妙にマルーン)とクリーム色となっています。地方鉄道の雰囲気が出ていい感じですね。塗色も落ち着いています。鶴見臨港鉄道モハ100形は結
いつもご覧頂き誠にありがとうございます。次回からは、鉄コレ第1弾を投稿したいと思います。第1弾はBOX購入ではなく、ジャンクやバラなどから調達した調達した車輌となっていまして、結構保管場所が異なっていることもあり、バラで紹介した感じになってしまいました。写真は箱に入ったものですが、バラの物も多数で、整理もしたいのですが、中々…先ほどさらっと見た感じ、見つかったのが数輌ありましたので、後日紹介したいと思います。と云いつつも、以前既に2輌程投稿していました…『【鉄コレ】
当時、銚子電鉄イチオシの車両がデハ301(旧.鶴見臨港鉄道)でした。既に、近江や伊予鉄から来た新参者が主力でしたが、幸い運用に就いていました。昔から銚子電鉄は仲ノ町車庫での撮影に寛容で、車庫の扉に吊された見学ノートに記帳することで自由に撮影できました。(ノートをめくると10年前に、私が中学生の頃に書いた文字が出てきました)この頃、デハ301はビューゲル装着でローカル色満載でした。その後、内野屋工務店傘下となって奇天烈な塗装となり、最後は犬吠駅で荒れ放題だったのが残念です。
この前も書いたが『鶴見線は典型的な工業地帯の路線の通勤路線と大川支線の思い出』ご存知だと思うが横浜・川崎を走るJR東日本鶴見線は工業地帯を走る通勤路線なのですつまり朝と夕のラッシュ時は本数が多く日中と土曜休日は少なくなる工…ameblo.jp横浜・川崎の工業地帯を走るJR東日本鶴見線なのですが元は私鉄だったことは書きましたが正式社名は鶴見臨港鉄道でしたなぜこんなことを書きだしたかと言いますと昨日のTwitterで「鶴見臨港鉄道」を「鶴見臨海鉄
自分の父方の祖父は鉄道員でしたとはいっても自分が生まれたときは生きてませんでした当然写真の中でしか知りませんそして亡き父も小さい時だったのでこの祖父への思い出はあまりなかったというか話してませんでした祖父は父が未就学児時代の戦前に業務事故で亡くなったそうです1940年の事でした場所は鶴見臨港鉄道(現・JR東日本鶴見線)浅野駅構内でした本線と海芝浦への路線が分岐し工場も多い場所で貨物取り扱いも多かったと思います浅野駅-Wikipediaja.
📅2022.02/19土曜日/Saturday■JR東日本/JREast🚉鶴見駅TsurumiStation/鹤见站/쓰루미역▮(JK-15)京浜東北線/Keihin-TohokuLine▮(JI-01)鶴見線/TsurumiLine神奈川・横浜市鶴見区|TsurumiWard,YokohamaCity,Kanagawa,Japan京浜東北線で暗くなりつつある鶴見駅へ。🚃E217系/EMUSeriesE21
手抜きエントリ…というか、タイトルのとおり、スマホのメモリの肥やしになりそうな写真を掘り起こしてアップするものです。今回は、今年のお正月に鶴見に立ち寄ったときの写真。まずは、京急鶴見駅下りホームから撮影した写真。「ビデ郎」っておいw個室ビデオ鑑賞のお店のようですが、それにしても看板の圧が凄い(^_^;)夢に出てきたらうなされそうですが。こちらは鶴見駅東口、京急鶴見駅とJR鶴見駅の間に挟まれた場所にある、立ち食いそばのお店。写真を撮影したのは1月3日だったので、営業して
皆さま、おばんです!先週末のこと、2年ぶりに鶴見線・弁天橋(べんてんばし)駅を訪れました。理由はズバリ、今年の春に駅舎が建て替えられたから。ここは長らく有人駅時代からの木造駅舎が使われてましたが、老朽化を理由に昨年秋から改装工事がスタート、今年の3月に新駅舎が竣工したそうです。解体された駅舎は鶴見線が国有化される以前の鶴見臨港鉄道が手掛けたモノらしいですぜ☆以前の駅舎は確かこんなんだったはず。電車に揺られて弁天橋駅に着いたところ…わぉ、全然変わっちゃってる!!!
《鶴見線のれきし》鶴見線は、横浜市にあります。南武線支線(尻手(しって)~浜川崎)と併せて、京浜工業地帯の貨物輸送・通勤客輸送の屋台骨を背負っていますが、大昔は浜辺の湿地帯でした。明治時代まで、干潟が広がるのどかだった今の京浜工業地帯ですが、大正2(1913)年に、その様相は一変します。欧米を外遊して、港湾施設の重要性を目の当たりにした実業家の浅野総一郎たちによって、海岸の埋め立て工事が着手されたのです。その規模は150万坪に及びました。実に東京ドーム100個分です。埋め立て地には多くの
皆さま、こんにちは!今日は「昭和の風情が漂う駅」として大人気の鶴見線・国道(こくどう)駅の訪問記です。最近はテレビ番組でもちょくちょく紹介されてる駅ですよね。なぜ国道駅が世間に知れているのか、その件は後ほど触れることにしまして…自分は鶴見線が好きで、国道駅にも高校生の頃(今から35年前ぐらい)に何度か訪れてました。しかし当時は「ただの古い駅」という認識しかなく、この歳になり、ようやく魅力に気付きましたよ。歳を取ってお酒の美味さを知ったのと一緒なのかも。この日は鶴
皆さま、おばんです!京浜工業地帯の中を縫うように線路が伸びている鶴見線。いくつもの支線が分岐していたり、「都会の中の秘境駅」と呼ばれる駅があったりと、鉄道ファンの間では超人気の路線でした。支線が多いってことは当然、分岐駅もあるわけでして、ここは鶴見本線と海芝浦支線の分岐駅。ユニークなホーム配置に注目ですよ。鶴見線・浅野(あさの)駅です!大正15年に鶴見線の前身である鶴見臨港鉄道の手により開設された駅でした。鶴見線の駅は人名から由来する駅名が多いことで知られてますけど
皆さま、おはようございます!一昨年の夏、大都会の中の秘境路線(すべての区間ではないですけど)として知られている鶴見線の駅巡りを楽しんできました。電車をひょいと降りる自分。電車とホームの段差はバリアフリーの面では何かと問題視されますけど、嵩上げされていないホームって、ファン的には魅力的なのですよね。古いままのホームが残っているということで。出迎えてくれた駅名標は国鉄表記のまま。あ~たまらん!訪れた駅はここ、鶴見小野(つるみおの)駅でした!小さい頃に読んだ少年誌
今回のプチ廃線跡探訪コーナーは、かつて横浜市内の鶴見線本線に存在した本山駅跡について超簡単に紹介致します。駅名の読みは「ほんざん」です。總持寺への参拝客向けに開設された駅でした。鶴見線の鶴見~国道に存在します。本山駅は鶴見線全通時(鶴見駅は仮駅)の1930年に開業しましたが、1942年、太平洋戦争の激化が影響して廃止されました。現在でもホームと階段が残っており、駅跡の高架下は川崎鶴見臨港バスの車庫となっています。今後、廃線跡を正式に探訪した際には、廃線跡探訪の記事を
皆さま、おはようございます!昨晩のことですが、アメブロの運営さんがブログで、当へっぽこブログを紹介してくれました。運営さんにはお世話になりっぱなしで本当に申し訳ないです。これを機に、読者になっていただいた方も大勢いらっしゃいますので、改めて自己紹介を。駅が大好きで、休みの旅に全国の駅を旅してました。基本、観光地には行きません。自分にとっての観光地は駅ですから。今まで周った4千弱の駅を少しずつブログにUPしてましたが、ブログに挙げた駅はブログヘッダーの下のここで確
天気予報を見なくてもなんとなくわかってたデス。→「治ってるぞー!」と、信じきってますけど体は正直者w大して疲れてもないのに疲労感まんさーい!どんよりな気持ちして、灼熱の嵐。ちょっぴり痛かったり。こんな日は憂鬱でっせ。なんてーの?朝目覚めてスッキリ…なんてことはもう、期待しちゃダメなのね贅沢は言ってられません、気にしない作戦決行中ですの。なので、楽しくゆるーい鉄。思い出して書く…再び鉄な気分に浸るfrogちん。4月のお話ですっ♪横浜から京浜東北線
皆さま、こんにちは!以前、駅の外に出ることが出来ない鶴見線・海芝浦駅のことを書きました。駅構外がすべて東芝本社工場の敷地(私有地)のために駅構外が立ち入り禁止(&撮影禁止)でしたが、そのひとつ手前にある駅もすごかったです。昨年8月に訪れたこちらの駅でした。鶴見線・新芝浦(しんしばうら)駅です!海芝浦駅とは違い、駅の構外に出れるのですけど、駅舎の撮影をしていたところ…「すみませ~ん!こっちには絶対にカメラを向けないでくださいね!」と。振り返ると、そこには2名の守衛さん
皆さま、おはようございます!神奈川県の川崎市と横浜市鶴見区を走る鶴見線。「都会の中のローカル線」とか「都会の中の秘境路線」とか言われてますが、自分の中では「貨物線の中をこっそり走る旅客路線」というイメージがありました。今では大部分が廃止されてしまいましたが、貨物専用線が網目のように張り巡らされた路線だったんですよね。大好きな貨物列車を見るために子供の頃、よく来た路線でしたが、一昨年2月、大雪が降った日に再び訪れました。この日は鶴見駅から鶴見線に乗車。鶴見線は前身が私鉄の鶴見臨
皆さま、おばんです!駅、線路、景色、いずれをとっても魅力だらけの鶴見線ですが、中でもこの駅に強い思い出を持つお仲間さん、多いんじゃないでしょうかね?今回はこちらの駅です。鶴見線・武蔵白石(むさししらいし)駅です!ちょっと前…というか、18年前の平成8年までの話ですが、こちらの武蔵白石駅から大川駅までの通称・大川支線で、JR最後の17メートル旧型国電クモハ12が運行されていたのですよ。この電車に乗りたくて自分、はるばる仙台から来てましたもんね。そんなファンの方、きっと多
皆さま、おばんです!前回に引き続き、浜川崎駅の訪問記を書かせていただきます。今回は鶴見線側の浜川崎駅ですよ。浜川崎支線側の浜川崎駅の項でも書きましたが、鶴見線の前身は鶴見臨港鉄道、南武線の前身が南武鉄道と別の鉄道会社であったために、浜川崎駅は全国的に稀な2つの入り口を持つ駅になってしまったんです。しかも入り口が隣り同志ってのなら解るんですけど、道路を隔ててってのは、なかなかありませんよね。浜川崎駅には簡易suica端末が設置されておりますけど、南武線‐鶴見線乗り
■【鶴見線】↑(鶴見駅方面)‐【京浜東北線】国道駅(平成28年8月28日)鶴見小野駅(平成28年8月28日)弁天橋駅(平成28年8月28日)・新駅舎(平成30年11月3日)浅野駅(平成28年8月28日)┃新芝浦駅(平成28年8月28日)┗海芝浦駅(平成28年8月28日)安善駅(平成26年2月9日)・改築後(平成30年11月3日)┗・浜安善駅跡(平成30年11月3日)┗大川駅(平成28年8月28日)武蔵白石駅(平成26年2月9日)浜川崎駅(平成26年2月9日