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1月31日のネットニュースを見たら、あの山根会長の訃報が出ていました。ボクシング連盟前会長の山根明さん肺がんで死去、84歳18年の辞任後はテレビ番組にも出演(日刊スポーツ)-Yahoo!ニュース日本ボクシング連盟前会長の山根明氏が1月31日、大阪市内の病院で肺がんのため死去した。84歳だった。昨年末に体調を崩し、入院治療を受けていた。山根氏は1939年(昭14)10月、朝鮮半島出身news.yahoo.co.jp私は最近よくミルクボーイの漫才をYouTubeで見ています。そ
平成二十八年(2016年)八月二十日。文楽人形遣い吉田文雀師が死去された。二十一日仕事から帰宅して食事を済ませるとすぐに就寝したのでニュースは見聞していなかった。二十二日の新聞で訃報記事を読んで吃驚した。最後の舞台となった平成二十七年一月国立文楽劇場公演『関寺小町』を、同月十九日に拝見しとてもお元気だったので、「ええ!」と声が出そうになった。師は病を得られて、引退公演は行わず、二十八年三月十日に引退のメッセージのみ発表された。文雀師は昭和三年六月八日に
第2部の、二番目の演目は、『傾城反魂香』。竹本津駒太夫改め、六代目竹本錣太夫襲名披露狂言です。始めに、錣太夫襲名のご挨拶。豊竹呂太夫さんが、紹介します。そして、新錣太夫が、いかに真面目な人であるかとのエピソードを。この錣太夫という名跡は、五代目の錣太夫(1876~1940)から、80年ぶりの名跡の復活であるとのことです。新錣太夫さん、1949(昭和24)年生まれ。広島県出身。1969(昭和44)年、四代目竹本津太夫(1916~1987)に入門。そこで、津駒太夫を名乗るのです。で、翌年
平成三十一年(2019年)国立文楽劇場は開場三十五年の年を迎えます。記念企画として、四月・夏休み特別公演(七・八月)・十一月の三か月に亘って、『仮名手本忠臣蔵』が上演されます。四月大序・二段目・三段目・四段目夏休み五段目・六段目・七段目十一月八段目・九段目・十段目・十一段目第一部午前11時開演通し狂言仮名手本忠臣蔵大序鶴が岡兜改めの段恋歌の段二段目桃井館力弥使者の段本蔵松切の段
文楽義太夫三味線人間国宝鶴澤寛治さん(89歳)が昨日お亡くなりになられていたとは知りませんでした謹んでお悔やみ申し上げます台風のニュースやら、北海道地震のニュースばかり見ていました昨日報道があったのですね文楽ファンの端くれ、悲しむのが1日遅いぞ!床で、ぺたーっとお尻を落とし、チョット右に身体と顔が傾き、一点を見つめて三味線を弾くスタイル可愛いと言っては失礼ですが、もう観る、聴く事が出来ないのですか国立文楽劇場での夏休み文楽特別公演の、サマーレイトショー新版歌祭文
文楽三味線の鶴澤寛治さんが、9月5日に亡くなった。89歳。9月の文楽公演にお名前がなかったから、休演だとおもっていたが、まさか、亡くなるとは思っていなかった。またひとり、文楽の重鎮がいなくなった。お孫さんの寛太郎さんが頑張っているのを見とどけたかな。三味線は、清治、富助、清介、錦糸、燕三、清志郎となかなか層が厚いけれど、年齢を重ねてでる味みたいなものはなかなか出せるものではないから。ご冥福お祈りする。
人間国宝鶴澤寛治さん死去文楽三味線方人形浄瑠璃「文楽」の三味線方で人間国宝の鶴澤寛治さんが5日朝早く、奈良県内の病院で亡くなりました。89歳でした。
芸歴75年の文楽三味線弾き人間国宝鶴澤寛治師匠(89歳)が芸歴25年の竹本織太夫さん(43歳)を指導している場面が流れたのがEテレ達人達(たつじんたち)でした。竹本織太夫さんが共演相手にリクエストしたのは漫才師中川家の中川礼二さん。織太夫さんと礼二さんの芸談が熱くなるのは想定内でしたが、寛治師匠が織太夫さんを指導しているシーンに目が釘付けになりました。「なまってまっせ」と89歳の師匠が織太夫さんを一語一語
加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)◆筑摩川の段豊竹亘太夫・鶴澤清允◆又助住家の段中豊竹咲甫太夫・鶴澤清志郎奥豊竹呂勢太夫・竹澤宗助(人形役割)鳥井又助・吉田幸助多賀大領・吉田玉佳近習山左衛門・桐竹勘次郎女房お大・豊松清十郎倅又吉・吉田簑之歩きの太郎作・桐竹亀次亭主才兵衛・吉田玉佳谷沢求馬・吉田勘彌庄屋治郎作・吉田簑一郎安田庄司・吉田文昇その他大ぜい◆草履打の段岩藤・竹本津駒太夫尾上・豊竹睦太夫善六・豊竹希太夫腰元・豊竹咲寿
休日は国立劇場での公演を観覧その前に国立劇場近くにある平河天満宮にて参拝平河天満宮銅鳥居千代田区指定有形民俗文化財平河天満宮は文化財の宝庫といってよいだろう。鳥居の説明板靖国神社の碑がある。慰霊平和靖国神社宮司謹書碑文より「南支派遣近衛歩兵第一聯隊第八中隊は、平河天満宮の社紋を奉載し小林茂隊と称し南支那各地に転戦し、勲功を挙げた〜」文化財力石文化財石牛文化財百度石文化財常夜燈社殿生命の言葉平成二十九年二月「道にただ身をば捨てんと思ひとれ必