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みんな大好きブラックモンブラン。九州に帰ると自動的にはじまる、ブラックモンブランチャレンジ笑帰省中にどれだけ食べれるかというチャレンジ。写真は全部ないけど、最高5本の人が1名笑合計でたくさん食べたけど、半分くらいはあたり棒なんともうれしい。そしてはじめてアーモンドミルク、さっぱりした味で、これもおいしい。前回時間の関係で渡れなかった桜島。今回大隅半島から車で入島!陸続きだって知らなか
霧島温泉朝風呂楽しみました♨️朝食鶏飯、さつま揚げ、桜島大根味噌漬け、あくまきなどご当地メニューがいろいろありましたあくまきはわらび餅みたいな感じで美味しかったです鹿児島城(鶴丸城)🏯篤姫像丁度、企画展やってたので見学ドラマで使われた篤姫の籠天文館むじゃきしろくまとっても美味しかったです午前中でしたが人気店でほぼ満席でした仙巌園(せんがんえん)写真撮れてなかったけど旧集成館反射炉跡は世界遺産です桜島園内の薩摩切子のショップお高くて買えませんでしたが素敵でした名物
友人の願舟氏と連れだって鹿児島を旅したのは、もうずいぶん昔になります。あの時は西南戦争(明治10年:1877)の史跡を辿る旅で、熊本城から田原坂、そして鹿児島城を訪ねたのでした。鹿児島の街に入るのはそれ以来なんですが、城山をバックに屹立する西郷さんの銅像もあの時と変わらず、何やら懐かしい気分がします。そう、ここは「鹿児島県民の前で悪口を言ってはいけない人」で知られる西郷隆盛最期の地。また彼が率いた鹿児島県士族、いわゆる「薩軍」壊滅の地でもあります。西郷さんの銅像
日本ブログ村に参加していますよろしければクリックお願いしますにほんブログ村九州車中泊旅24日目-2_黎明館鹿児島県庁から移動してきました黎明館14時着15時40分発島津家の居城であった鹿児島城(鶴丸城)の本丸跡に建てられた県の歴史資料センター入場券2人800円のところ、JAF割引で600円になった鹿児島の歴史民俗や文化遺産に関する展示があったが、写真NGでした御楼門明治6(1873年)年の火災で焼失令和2(2020年)3月、147年ぶりに再建された
鹿児島県の観光スポットのお話🏯鹿児島市、城山エリア。照國神社⛩️や西郷隆盛像などの観光スポットが集まったエリア。🔶照國神社のお話⛩️『照國神社』鹿児島県の観光スポットのお話鹿児島市内の中心部、繁華街の天文館からちょっと北にいくと、照國神社前交差点があります。国道3号と国道10号が合流する、2つの国道の…ameblo.jp🔶西郷隆盛像のお話『西郷どん』鹿児島県の観光スポットのお話現在、久しぶりに鹿児島に旅行に来ています温泉♨️に美味しい物にいっぱい楽しんでこようと思っていま~すさて
Bardによる解説。鹿児島城は、鹿児島県鹿児島市城山町にある日本の城です。別名「鶴丸城」とも呼ばれます。江戸時代に島津氏の居城として築かれ、明治維新まで薩摩藩の中心地として栄えました。主な特徴江戸時代に島津氏の居城として築かれた城山とその麓に築かれた平山城別名「鶴丸城」とも呼ばれる主な見どころ御楼門(復元)本丸跡石垣城山公園アクセス鉄道:JR鹿児島本線・日豊本線鹿児島中央駅から徒歩約15分バス:鹿児島市営バス「城山公園」停留所下車、徒歩約5分鹿児島城は、鹿児島市
おはようございます2023.6.4(日)鹿児島旅行3日目になりましたこの日は日曜日なので、旦那さまは帰る日ですが、私はもう一泊していきます本来の予定は、朝から鹿児島空港方面に行き、国分や霧島でマンホールカードを貰ったら旦那さまは鹿児島空港から帰宅。私は宿を空港近辺で取ろうとしていましたが、霧島温泉はお高いし、なかなか良い宿が見つからず、結局鹿児島市内で手配したため、旦那さまと別れた後はまた鹿児島市内に戻らないといけなくなります。なのでこの日の予定は変更!私は
鹿児島市の黎明館で開催されているアニメージュとジブリ展に行ってきました。アニメージュとジブリ展は8月10日から開催されており、東京で3DCGクリエイターをしている二男が母の1年忌と初盆に帰省すれば、アニメーションは関連があるので一緒に行ってくれるのではないかと前売り券を購入しました。しかし、忙しいとのことで帰省せず。映画の好きな長男はひとりで先に行き、ぎりぎりになって夫と二人で行きました。スタジオジブリの原点を振り返る”展覧会”ジブリの作品は好きでよく見ていました。歌うことの好き
前日は指宿の白水館で砂蒸し風呂を体験したオッサンですが、翌日も鹿児島県内を徘徊した後、宮崎へ向かうそうです(←義母スポンサーのツアーのため他人事)『指宿白水館で砂蒸し風呂に入ってみた』9月某日、羽田を発ち、フラッとやって来ましたのは鹿児島空港(-ω-)/足湯と・・・西郷さんが出迎えてくれますいつもならココからレンタカーで・・・というトコロで…ameblo.jp自由が利かない反面、ツアー参加のメリットは、『寝てれば着く』こと(笑)バスはいつの間にか池田湖に到着しておりました(ーー;)鹿
9月18日の鹿児島観光の続きです。桜島から再びフェリーで鹿児島市内に戻ってきました。私が買ったフリーパスだと、このバスは乗れないようです。定刻からかなり遅れて到着した周遊バスに乗り、繁華街の天文館へ。絶対に行きたかったお店に向かいます。櫻坂46、大園玲さんオススメの「ラブリー」を、焼きたてで食べられるお店です🍠ウフフフ。入りま〜す。おお、これですね。焼き芋ジュース🍠。+50円、出しますよ❗️来ました〜😋。いっただっきま〜す❗️ほほほほ😊。おいしいなぁ😋。焼き芋ジュースも
400城址巡りの旅🏯321城目は鶴丸城ですよぉー東北3県城(&秘境)巡りの旅舞台を宮城県へと移しまして越県し最初に向かうは鶴丸城跡天守跡直下まで車で乗り入れ可で駐車場から拝む土塁跡が結果的に最も城跡感味わえるスポット堀切跡も状態良く残ってて雑草刈っただけでビジュアル度本丸跡も整備は行き届いてますケドま、お約束のザ・跡地って感じイマジネーションで楽しみます眺望もあって楽しめるし何より山城跡感がそこかしこにあり悪ぅございませんでしたなでは続いて
桜島を持ち上げて。明治村に移築されたお家がある人ね。やってきました!こんにちは。すっかり気をよくしてますね。全く時間がなく立ち寄れず石垣の精密さに感動。帰りの桜島。帯刀さんの正面にセゴドン。鶴丸城には西南戦争の傷跡が。時間の流れ歴史の流れを感じる旅でした。山形の庄内藩のセゴドン熱わかる気がしました
朝のウォーキング途中で見つけたセミのぬけがら鶴丸城の石垣に力強く根を張ったアコウの木鶴丸城のお堀の蓮の花🪷友人夫婦が手作りで製作中のピザ窯完成したらピザをご馳走してくださるそうですゎ‹ゎ‹໒꒰ྀི∩˃ᵕ˂∩꒱ྀི১ゎ‹ゎ‹🍕楽しみです♡
2月某日。鹿児島へ1泊2日で行って来ました『鶴丸城跡』『天璋院篤姫像』【ふるさと納税】<2023年6月末までに発送>指宿の肉といえば上高原!黒豚しゃぶしゃぶ黄金セット(合計1kg)黒豚豚肉冷凍国産お肉しゃぶしゃぶロインバラ【肉の上高原】楽天市場11,000円【ふるさと納税】鹿児島黒豚しゃぶしゃぶ&うす切り肉セット(合計1kg)国産豚肉ロース肩ロースバラ薄切りスライス小分け【米平種豚場ふくふく黒豚の里】楽天市場10,000円
鹿児島紀行1日目その6はこちらから…↓↓↓↓↓ようやく前回のその6で1日目の旅を終えお宿へ温泉のあるホテルでお泊りhttps://www.silk-inn.jp【公式】鹿児島のホテルは天然温泉掛け流しのシルクイン鹿児島-鹿児島でホテルを選ぶなら天然温泉かけ流しが評判のシルクイン鹿児島へ|新規リニューアルの快適な客室に全プラン温泉付が大好評のホテルです!観光・ビジネスで選ばれている鹿児島のホテルはシルクインへ!鹿児島でホテルを選ぶなら天然温泉かけ流しが評判のシルクイン鹿児島へ|新
西郷隆盛像にご挨拶することができました。鹿児島に来たら、やっぱり西郷さんにご挨拶しなきゃだよね西郷隆盛像から徒歩5分ちょっとのところにありました。鶴丸城跡鶴丸城とありますが、元は鹿児島城です。初代薩摩藩主島津家久が、関ヶ原合戦直後に築城を始めた城です。鶴丸というのは、屋形の形状が鶴が羽を広げたようだったからだそうです。う~ん、イメージが出来ませんね昔のお城は、明治6年火事で消失してしまいました残念ですね。御楼門こちらの立派な御楼門は、令和2年に復元されたばかりです。この屋
2日前の投稿の続き…一緒に行った義従姉妹が御城印を集めていて立ち寄った鶴丸城跡🏯御楼門残念ながら鶴丸城の御城印はなかったここから車を走らせ私の母の両親のお墓参りお茶で有名な知覧へ🚙しっかりお参りを済ませて少し移動すると見えてきた薩摩富士と呼ばれる開聞岳🗻その近くで昼食海っ子大皿に盛られた料理をとるバイキング方式何処でも薩摩揚げはあるのね〜次に向かったのは射楯兵主神社(釜蓋神社)⛩入り江の岩礁が突き出た所に鎮座御祭神はスサノオノミコト武の神様で厄除け、開運
参拝第4556社岩劔神社鹿児島県姶良市平松参拝第4557社岩劔菅原神社鹿児島県姶良市平松鹿児島空港から下みちで40分、錦江湾に出て鹿児島方向へしばらく行った白砂青松の遠浅海岸に建つこ小さな博物館『重富海岸自然ふれあい館なぎさミュージアム』、そして『重富民俗資料館』を拝見してから、こちらのお宮に。錦江湾沿いにはいくつもの屹立する山があるようですそのうちの重富駅近くには岩剱城址のある山がその麓のお宮。断崖の見える山肌を借景にお参りいたしました。こちらが民俗資料館
先日"登城"した和歌山城天守閣🏯江戸時代はこんな全貌だったようです・・やはり御三家のお城、立派ですが、上には上がいるもので・・これも和歌山城内に貼ってあった全国お城番付東横綱はやはり、加賀百万石の金沢城ですね。。西は意外と言っては失礼ですが薩摩藩・鹿児島城尾張藩の名古屋城、紀州藩の和歌山城は行司になってますこれで見ると、紀州藩は全国で五番目の石高の大大名だったんですねいくつお城へ"登城"したことありますかは・・25のお城に"登城"したことがあり
第一人称が変わったきっかけは?私はずっ〜とワタシです☝️▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう山城跡廻りをしているとそのお城の時代背景や歴史等にも興味が出て来て、より詳しく知りたくなるのは人の性か🤭詳細に書かれた文献を調べたくなって県立図書館まで🛻💨💨💨県立図書館は黎明館の隣地で鶴丸城の二之丸跡にあたります鶴丸城[鹿児島城]の石垣市立図書館は何度か利用させて頂きましたが県立図書館は今回が初めてで館内の貸出口でドキドキしながら探している文献について
スカートでお城今回は島津氏の鶴丸城幕末モノではいろんな場面で有名ですね鶴丸城前で鶴丸城址に鶴丸城御楼門|観光スポット|【公式】鹿児島県観光サイトかごしまの旅(kagoshima-kankou.com)立派な門を入るとそこは鶴丸城址はるばる鹿児島は薩摩藩に来ました篤姫様(天璋院)と対面!鹿児島潘の島津家分家の御姫様から第13代将軍徳川家定の正室になるんですね。完全な政略結婚ですが、外様の薩摩藩から将軍に嫁入りすること自体が徳川体制の終わりを予感させます・・・
全国お城の「石・石垣シリーズ」は、『「石」の使われ方』において「算木積み」が見られるお城をお届けしていて、本日は「九州後編(岡、府内、高鍋、鹿児島)」のお城を掲載します。「算木積み」は、石垣の隅部において、長辺が短辺の2~3倍の長さの直方体の石を、長辺と短辺とが互い違いになるように積み上げていく手法です。そうすることによって、隅部が一体化されて非常に堅固になります。関ケ原の戦い後には、隅石垣の組み方の技術が一段と進化して、これに併せて規格化された石材が使用されるようになり完成度の高い
3度目の入院、50日目7月27日(金)頭の痛みが少しはいいようだ。7時半頃、鶴丸城跡のお堀の蓮を見に、きーちゃんと行く。大きな葉っぱにピンクのキレイな花。水は濁っているのに、鯉が一匹泳いでいた。きーちゃんも、あまりにキレイなので暫く見とれる。まだ小学生の頃、近くのお寺でお坊さんのお説教を聞いたのを思い出す。蓮の花って本当に神秘なものだ。おばあちゃんがおにぎりを持って寄ってくれる。タカヒロおじちゃん
1月14日。今日から大学入学共通テストが始まりました。自分が受けた時代は「大学共通第一次学力試験(主な通称:共通一次)」と言われ、同じように土日の2日間で受験しました。受験生には日ごろの努力の結果が出るよう健闘してほしいものです。さて、12月26日。維新ふるさと館前バス停からカゴシマシティビューバスに乗り込み向かった先は・・・。西郷銅像前バス停です。乗ってきたバス。鹿児島市中央公民館です。レトロな建物で昭和2年建造だそうです。その前の広
今日も桜島は🌋元気です桜島と廃屋🏚🛳フェリーの甲板わずか15分の船旅🛳頻繁に利用するので珍しくも無く車内で待機🤭オープンすると鹿児島港側(ご乗船ありがとうございます)の看板こちらこそ乗せてくれてありがとうございます🙌🏻鹿児島城(鶴丸城)御楼門今日も一日楽しく過ごせました🤗
小学3年生から卒業までを過ごした鹿児島県鹿屋市花岡町にあった「鶴羽小学校」。廃校になって数年が過ぎている。廃校になるという情報がきこえるようになって初めてなぜ「鶴羽」だったのか?という疑問がわいてきた。直接的は由来は、江戸時代まであった花岡島津氏の居館である「鶴羽城」(その前は木谷城)があった場所に設置されたということは知っていた。疑問は花岡島津氏の居館をなぜ「鶴羽」城と命名したのか?ということ。素朴に考えると、鶴がよく飛来していた場所、だったから。鹿児島県北部の出水市(いずみし
維新ふるさと館の後は鹿児島シティービューという市内循環バスに乗りました。西郷銅像前でバスを降りたところにあったレトロな建物。鹿児島市中央公民館この前が西郷銅像撮影広場になっているらしいのですが、あえてここでは撮らなかった(笑)西郷隆盛の銅像貫禄がありますね!西郷隆盛銅像は東京の上野公園にもあります。溝のある歩道・・・ってこれはお城の濠か!またもレトロな建物を発見明治時代に作られた建物で、鹿児島県立博物館の考古資料館として使われていますが、現在は耐震性
「石・石塁・石垣シリーズ」は、下記の分類表「①②-(6)切込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、日本の北から南にかけてお届けしています。今回は、「九州(筑後、肥前、豊後、薩摩)」のお城(柳川城、島原城、岡城、鹿児島城)の中で見られる「切込み接・布積み」をお届けします。「切込み接(はぎ)」は、積み石の接合部分を徹底的に加工して、隙間を無いようにした方法です。「接(はぎ)」とは接合するという意味です。年代的には、慶長年間(1596年~1615年)の後半以降に広まった加工方法です。石を