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皆様お疲れ様です。今日は出資🐴のレースがなかったから米沢から観光してました。桜花賞の馬券の方は昨日応援📣馬券購入したので昨日行けなかった米沢市上杉博物館へ博物館へ行って良かったです。上杉鷹山公の財政建て直しや戦国時代、伊達家から上杉家への時代の変遷とか勉強になりました。今日は喜多方ラーメン🍜あちこち散策して混雑してたり道に迷って、こんどう食堂さんへ喜多方ラーメンだと坂内食堂とか来夢さんを思い浮かべちゃうけど行ったことないお店へ11時半頃行ったからお客自分1
名称:鶴ヶ岡城別名:大宝寺城城郭:輪郭式平城築城年:鎌倉時代初期築城主:大泉氏(武藤氏)改修者:直江兼続、最上義光、酒井忠勝主要城主:武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏所在地:鶴岡市馬場町4指定文化財:国史跡、名勝続日本100名城外堀二ノ丸大手門跡二ノ丸外北門二ノ丸跡内堀西門跡中ノ橋本丸御殿御玄関跡本丸跡本丸御角櫓渡櫓跡案内図
江戸時代庄内藩の藩庁となったお城鶴ケ岡城本丸を中心に土塁と堀をめぐらせた平城本丸・二の丸跡周辺・・・が鶴岡公園として整備されています堀の周辺には多くの桜の木日本桜名所100選に選ばれているそうです街並みもと〜っても素敵なのでお薦めです
トモです♪YTS山形テレビ、山形いちまる「なんでだろう?山形深ボリ庄内藩401年今昔物語」。のだこころさんとロケ(^O^)。和舟で川下りをしたのですが、テツが台本に無いまさかの行動に!落としたらどうするの!!放送は・・・○7月5日(水)YTS山形テレビ(山形県のみ)夜7時00分~「なんでだろう?山形深ボリ庄内藩401年今昔物語」◎6月19日(月)夜8時00分~YouTube【テツandトモチャンネル】生配信!https://www.youtube
2022年11月27日2010年7月8日致道博物館前バス停で下車すると、目の前は鶴ケ岡城跡の内堀が見えます。内堀の中側が本丸で内堀の外側が二の丸です。大宝館辺りが本丸中門があったところです。大宝館への橋は本丸中橋があったところです。荘内神社は本丸の中央部分になります。宝物館も斎館も本丸内にあります。北門辺りが本丸内北門があったあたりです。荘内神社の南側にある大鳥居のあたりが大手門があったあたりです。本丸南側の内堀跡です。城とは関係ない
酒田に着いた夜は取引先を辞めて山形に帰った、前の担当君とその家族と一緒に食事をしました2軒目は担当君と僕だけで飲み屋に行ったんですけどね結構な量を飲んだんでしょうねホテルの部屋に着いたら記憶を飛ばしてました目が覚めるとまだお酒が残っているような気がしてスッキリ目覚めることができませんでした9時にホテルをチェックアウトで、チェックアウトするときに何やら抽選があるということでルーレットを回したら派手なファンファーレが鳴りました画面を見ると1等当選って宿泊券が当たりま
今回は残っている山形県の100名城。ここは日本海側の庄内地域。山形県でも新幹線の走ってる山形や米沢や新庄あたりとは、まったく文化圏も異なる(ような気がする)わけで、仙台に住んでいた頃もついに一度も行くことはなかったです。仙台からだと山形はすぐだけど、酒田や鶴岡は果てしなく遠く感じたものです。東北在住だったころとてそんななのに、首都圏や関西など他地域の人にとって、もっと行きにくいんじゃないでしょうか。ここへ行くには、新潟北部や秋田の城跡と組み合わせていきましょう。前に秋田編でもどこかで書
「お城」の「天守台シリーズ」第4弾は、「米沢城」「鶴ケ岡城」「二本松城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として
昨日のブログで『明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城』を紹介するシリーズは終了しました。会津若松城(現在は、赤瓦になっている)鶴岡城中の御門跡周辺維新時に東北・北越諸藩で勃発した「奥羽越列藩同盟」と新政府軍との間の「戊辰・北越戦争」については、今まであまり詳しくは知りませんでしたが、今回このシリーズを連載することで、戊辰戦争等の内容や諸藩のお城の事だけでなく、明治新政府が形成していく過程についての全体的な動き、加えて諸藩における動きについて
前回のブログから、明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介を行っています。今回は、「奥羽越列藩同盟」が結成される原因となったもう一つの藩「庄内藩」の「鶴ケ岡城」(山形県鶴岡市)をお届けします。本丸「中の御門」跡と「大宝館」(大正天皇即位を記念に建立、擬洋風建築)前述の「同盟」が結成される原因とは、前回のブログでも触れましたが、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が“朝敵”と決めた「会津藩」と「庄内藩」から、”朝敵“という汚名を外す
本日は、「出羽松山城」(山形県酒田市)に足をのばします。大手門(県文化財)「松山城」という城名は、「伊予松山城」(愛媛県松山市)と「備中松山城」(岡山県高梁市)にいずれも天守が現存していて重要文化財に指定されているので有名ですが、出羽にも「松山城」があります。「出羽松山城」の前身は、14世紀後半南北朝時代に「佐藤正信」が拠点としていましたが、戦国時代には「上杉家」と「最上家」の争いの中で「上杉家」の支配下に置かれたようです。関ケ原の戦い後に、「上杉家」から「最上家」の所領
本日は、1622年から「酒井家」の居城となった「鶴ケ岡(つるがおか)城」(山形県鶴岡市)を訪ねます。藩主(城主)となった「酒井家」のお話ですが、大きく分けて二系統あります。①「徳川家康」が天下を取るのに大いに貢献した武将「四天王」の一人である「酒井忠次」の孫で、「家次」の子「酒井忠勝」は有名ですが、高崎から高田、松代を経て庄内鶴ケ岡13万石8千石で入城しました。②「徳川家康」の父親「松平広忠」の重臣であった「酒井正親」の系統で、更にその息子「重忠」(1)と「忠利」(2)の系統に
さて戊辰戦争150周年奥羽越列藩同盟列伝シリーズもいよいよ最終回、その掉尾は同盟最強の藩の城で参ります。山形県の庄内地方を統治していた庄内藩は余り幕末を舞台にしたドラマなどでは言及されることは少ないです。これは実は余り庄内藩のことを取り上げると、会津藩の悲劇やよく強調されるような「近代化の進んだ西南諸藩VS古い装備で戦う列藩同盟」という構図が出来上がっていますが、庄内藩は連戦連勝、向かう所敵なしで最後まで優勢のまま戦争を終わらせたというまぁ余り悲劇も際立たないし、しかも結局のところ、同盟
https://youtu.be/pnIhI1ru4bY小田急江ノ島線高座渋谷駅の綾瀬市城山公園こた早川城から1248年にやって来た渋谷氏五兄弟。渋谷実重の系統家の拠点となった薩摩川内市東郷町の鶴ケ岡城!漸くその本丸に到達しました。国見城という曲輪しか地元住民も知らないが、大規模な城跡。鹿児島県歴史資料センターや薩摩川内市教育課などで、掘割を調べることから始め、鹿児島県立図書館で鹿児島県立川内尋常高等小学校の資料を見て、やっとこさたどり着きました。3度の訪問で目星つけていた本丸はの
絵巻物のような風情が人気=福岡県太宰府市〔地域〕時事通信太宰府市は年間900万人が訪れる県の観光拠点の一つだが、市は「多くの人が訪れる太宰府天満宮のほかにも、太宰府政庁跡、観世音寺、そして光明禅寺など...日高平和委が釣り鐘供出寺など現地調査日高新報旧陸軍作成のトーチカ、塹壕、壕などの設置計画図「築城施設要図」を基に、御坊市野口に残る砲台跡、同地の浄土真宗安楽寺(伊藤明子住職)の釣り鐘、御坊市..小坂鉄道の遺産価値をテーマにイベント…駅跡の清掃ワークショップも12月9・