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呼ばれたとしか思えないこと2ー鵯越の史跡・多井畑八幡宮・義経腰掛の松いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!昨日の一の谷の話に続きます。実際は生田神社の後、阪急線にのりかえて鵯越霊園の入口にある碑を目指しました。1鵯越の史跡一の谷の合戦というと、熊谷直実と平敦盛の話以外で有名なのは、義経による鵯越の逆落としか思います。諸説ありますが
「畠山重忠」馬を背負うみなさん、おはようございます昨日は夏至でした今日もまだ、同じくらいのチカラがありますから外へ出て太陽を浴びてくださいさあ、今日「6月22日」の國史を学びましょう「畠山重忠」没元久2年(1205年)当初、平氏方に属しますが頼朝に帰順し頼朝が鎌倉に入るときは先陣を務めました情理をわきまえた知勇兼備の武士です一ノ谷の合戦では鵯越の逆落としで愛馬に怪我をさせたくないと馬を背負って急峻な崖をおりたという逸話があります頼朝の死
3月9日木曜日、久しぶりに、鵯越からのトレイルランニングに出かけました。神戸電鉄の鵯越駅です。近年の研究で、源義経が奇襲をかけたのは、こちらではないかとも言われます鵯越です。10時15分、その鵯越駅をスタートしていきます。六甲全縦に力を入れていました頃は、何度となく通過していました、鵯越ですが。チョッと間が開きますと。もう、勘が狂います。線路に沿って、全縦路に入っていくことは、間違えようがありませんが。その後、公園に入りますと。上の段を進むべきか、下の段を走るのが良いのか、もう
皆さま、お早うございます。旅するコピーライターのふじやんです。2023年2月24日(金)〜26日(日)の2泊3日で、今回は、鳥取独り旅を満喫してきました。2023年2月26日(日)鳥取旅3日目。最終日の観光へ向かいます。屋台発祥の地元の方々に愛されるラーメンで、〆た夜の前回は、こちら。『【鳥取編】屋台が発祥の昔懐かしい鶏ガラベースの醤油で数量限定の牛すじラーメンと温かい接客を味わう』皆さま、お早うございます。旅するコピーライターのふじやんです。2023年2月24日(金)
江戸時代から現代の多彩なひな人形を紹介豊前で展示会|NHK北九州のニュースNHKニュースこの展示会は豊前市にある求菩提資料館が企画し、江戸時代以降に全国各地で作られたひな人形とひな道具、およそ2000点が展示されています。大きさや色そっくり江戸期に命名ウズラシギ-中国新聞デジタル中国新聞デジタル県北での観察は1例のみ。雌雄同色、嘴(くちばし)は薄橙(だいだい)色で先端部が黒色、頭央は赤褐色で足は黄色です=写真。江戸時代中期に、「うづらちどり」...江戸時代で日本一
北尾政美鵺退治寛政3年〜6年平家物語に出てくる鵺(ぬえ)ですよね。猿の顔で狸の胴で虎の手足で尾っぽは蛇のはずなのですけど絵は大きな猿のようですね。この後ろの黒い線は何でしょうな?歌川国芳生田森追手源平大合戦天保14年〜弘化4年神戸の生田神社の生田の森です。神戸にゆかりのあるものが出てくると何故か嬉しい神戸っ子です。まるで歌舞伎の一場面ですね。同じく歌川国芳義経之軍兵一の谷逆落シ之図天保11年〜12年有名な義経の鵯越の逆落としです。そのまま自由落下してるようにも見え
ご無沙汰しておりますkatoshiでございます。イメージ曲に選びたい曲が多過ぎて、迷います😰https://youtu.be/x_FIQdFnqo8THEBACKHORNさんのヒット曲であり、男塾?と言うアニメの映画の主題歌でもあったそうです🤔これを耳にする度、私は一ノ谷での戦、有名な鵯越の逆落とし…を思い出します。出だしから、勇ましく馬に乗った武者達が一斉に駆け降りて、平家側に奇襲攻撃をかけて………………とは申しましても、その時代に生きて、武者として馬に乗り、駆け降りた訳ではな
坂東武者の鑑と云われた畠山重忠公、平家追討に義経とともに戦いました家柄も良く桓武平氏の流れをくむ秩父平氏の出です重忠の父、重能が秩父郡吉田郷から男衾郡の畠山郷に移り住んだと云います旧川本町畠山郷にある畠山重忠公史跡公園にある墓所と産土の井戸がある義経とともに降りたヒヨドリ越えの逆落としで愛馬・三ヶ月を担いでいる姿重忠の菩提寺。白田山観音院満福寺(真言宗豊山派)の山門重忠公の史跡公園からすぐの所にあり、のどかな雰囲気の漂う
7月下旬、庭のもみじに鳥の巣が出来ている事に気が付いた。親鳥のしっぽが見えたので、写真を撮ろうとすると逃げてしまった。巣の中を覗くと卵が四つ、どうやらヒヨドリのようだ。それからは静かに見守ることにした。源義経が一の谷の戦いで採った作戦、鵯(ひよどり)越の逆落としは、家からそう遠くない。地名の由来の通り、昔からヒヨドリ(当時は渡り鳥)が多く見かけられた場所だ。2週間ほど温められた後、ひながかえった。大きな口を開けて、親鳥が持ってくる餌を待っている。命の尊さを
5月6日GW期間に訪問「鎌倉殿の13人」では壇ノ浦の戦いも終わってしまいましたが、時代を再び一ノ谷の戦い前に戻してみます。1184年3月、源氏軍は源範頼を大将に西国街道から生田の森に進撃します。一方、源義経軍は、三草山で平氏軍を撃破した後、一ノ谷に向かいます。この日は、義経が通った藍那から鵯越への経路を歩いてみました。△神戸電鉄藍那駅を出発、すぐに山道に入ります。義経と同じ空気感…△相談が辻義経が、どちらの道を進むか思案し、作戦会議を開いた場所とされます山道から星和台の住宅
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黒粕毛の不思議!銀次は銀毛だった⁉️2022年4月29日(金)(祝)桜流鏑馬が終わり、1ヶ月ぶりの紅葉台木曽馬牧場です。牧場に着くと、早速銀次君にご挨拶に行きましたところが銀次君の馬房に見知らぬ馬がんでも良く見ると顔は銀次君ですえ銀次君、セルフ衣装替え「毎年こうだぜ?」と驚く私をむしろ不思議そうに見る親方👀私にとっては、銀次君と迎える初めての春なのですNHKの鵯越超え(ひよどりごえ)の実証でも活躍した銀次君(急勾配の坂にビビってる姿が可愛かったでも降り始めたらカッコよくって、さ
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると読み本系には、延慶本、長門本、源平盛衰記などの諸本がある。従来は、琵琶法師によって広められた語り本系を読み物として見せるために加筆されていったと解釈されてきたが、近年は読み本系(ことに延慶本)の方が語り本系よりも古態を存するという見解の方が有力となってきており、延慶本は歴史研究においても活用されている。らしい。『ウィキペディア(Wikipedia)』を鵜呑みにするのは危険らしいが、延慶本には長門本にない鵯越の由来や定義らしき
第16話での「鵯越」か「鉢伏山」の、奇襲戦か現代でも色々な説があるけれど、最近では「鵯越」ではなかったという説がかなり浸透してきているので、作戦の一つだったということにして実際は…ということで済ませたところが本当に痒いところの届く脚本というか多いに納得してしまいました。第15話で上総介を梶原景時が誅殺する時に息子の梶原景季が出てきていたので、「宇治川の戦い」で佐々木盛綱と先陣争いをするのかと思っていたけれど、畠山を向こう岸まで行かせるための義経の作戦ということにして終わ
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、今ちょうど、須磨一の谷の合戦シーンを放送中ですが…今日また鵯越(ひよどりごえ)にあるお墓に行き、そこから思わず須磨方面(海側)を眺めて見ました。この間別の番組で、義経の鵯越の逆落としについての検証をしていました。その番組では、作戦を考えたのは義経でも、実際に逆落としをしたのは、義経ではなく多田行綱ではないか?…というお話しでした。その時代の貴族が残した書(信頼できる文献だそうです)には、義経は一の谷で平家と戦った…と書かれてある
足かけ3年語られてきた案件『愛馬三日月を背負って崖を下りる重忠』そのシーンはなかった後援会で教授もおっしゃってた史実とは言われていないだけどゼロではない(なかったこととは言えない)うんうん・・・そのシーンはないだろうと思ってはいたけど「鎌倉殿の13人」宇治川&一ノ谷の戦い義経ついに覚醒!梶原景時はサリエリ?畠山重忠は実際“語り草”(スポニチアネックス)|dメニューニュース俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は24日、第16話
今回、戻ってきた時政と、小四郎、八重ちゃんが生まれたばっかりの子供を連れて、頼朝に目通りするシーンから始まったのですか、和やかな周囲の様子とは対照的に、小四郎は、複雑な、浮かない表情で。…そりゃそうでしょうね。上総介が、あんな殺され方をしたのだから。真面目な小四郎は、頼朝を裏切りはしないでしょうが、心はもう、離れてしまったのではないでしょうか。私だったら、こんな男に自分の子の名前つけてもらうの、やだなぁ(ー_ー;)御家人たちが、京から送ってきた文も、(まあ、字が汚いのはあるけれど)『田
『鎌倉殿の13人』の、イケオジたちの魅力にむせ返れ!|cinemasPLUScinemasPLUS今年度のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。鎌倉幕府の勃興と衰退を三谷幸喜が描くこの作品、主人公・北条義時を演じる小栗旬始め、あまたのイケメンが出演し...「鎌倉殿の13人」宇治川&一ノ谷の戦い義経ついに覚醒!梶原景時はサリエリ?畠山重忠は実際...スポニチSponichiAnnex俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)
こん!昨日の『鎌倉殿の13人』で、一ノ谷合戦の放送がありました。源義経の率いる源氏軍が、一ノ谷の平家本陣の後方・鵯越の絶壁を駆け降りる奇襲をかけ、平宗盛ほかを敗走させた戦いですね。この合戦については、吾妻鏡に記録があります。「寿永三年二月七日条雪降る、寅剋、源九郎主、まづ殊なる勇士七十余騎を引き分け、一谷の後山に着く<鵯越と号す>、(熊谷・平山抜け駆け譚省略)、その後蒲冠者ならびに足利・秩父・三浦・鎌倉の輩等競ひ来る、源平の軍士等互いに混じり乱る」と云々…………。寿永三年二月七日は、
アルプスの氷が溶けたら、100年前の兵士の隠れ家が出てきたBIGLOBEニュースステルヴィオ国立公園で見つかった第一次世界大戦の遺物。Photo:StelvioNationalParkviaGizmodoUS※2021年5月16日の記事を編集して再掲載...イギリス人はなぜドイツが好きなのかEU離脱しても変わらぬ愛情GLOBE+第2次大戦中のユダヤ人虐殺の責任者たるナチ高官にハンス・フランクとオットー・ヴェヒターがいた。前者はニュルンベルク裁判で死刑になったが後
あ競馬のパドックの中継放送で、サラブレッドがズラッと並び、「馬体重プラス〇〇キロ」なんて言ってますが、近くで見るとホント大きいんですよね。古来の日本の馬は、サラブレットのようではなかった。時代劇では、そうも言ってられなくて、調教された馬さんたちがズラズラと登場してます。ニホンオオカミのように、近代化によって日本在来馬も、いくつかの種が絶滅してしまい、残っている個体も少なくなっていると言います。・・・・(゚д゚)ハッ!また前置きが長い。。。コチラに寄
芭蕉さんの「ばしばらくは滝にこもるや夏の初め」をお借りしてしばらくは海に逃げるや一の谷うま公のアンコール曲異国の丘うま公寄席うま公の1000円弁当彩り中華御膳エビチリ・・・
/30北海道図にまつわる謎間宮林蔵が全域測量説も毎日新聞蝦夷(えぞ)地測量の指導を受けていたと考えられる。間宮には測量の知識がすでにあったので、応用編および天測について、実地指導を受けていた...西南学院史資料センター企画展「波多野培根--同志社と西南学院を支えた教育者」のお知らせデジタルPRプラットフォーム西南学院史資料センター企画展「波多野培根--同志社と西南学院を支えた教育者」のお知らせ.西南学院大学;2021年02月25日;14:05.『幕末明治大
✡✨✨ぁ。。。この辺には〜!!⇩この辺は!!『鵯越大仏』〜!!✨(笑)神戸市立『鵯越墓園』兵庫県神戸市北区山田町下谷上字中一里山12-1『鵯越』‼『髙尾山』!!『髙尾龍神』『白瀧霊泉』白瀧姫✨。。。『命の水』✨『髙尾地蔵尊』髙尾山‼白川!!九朗‼。。。✨✨『義経馬つなぎ松』(『義経公御陣の跡』)1184年2月6日(現3月26日)晩、『福原』に集まった平家10万の軍勢を攻めるため、義経の軍勢がここに集まり、合戦の相談をした。『高尾山
2人が次に顔を合わせたのは制作課の一久がアニメーター達のいる『作画課』にやってきた所「下山さんすみません演出助手の坂場ですちょっとお聞きしたいのですがこの動画はこれでいいのでしょうか」その声にあ!カチンコくん・・・「これなんですが」「どうかした?」カチンコくんが下山さんに何か尋ねてる「この動画の動きはおかしくないですか?」「おかしい・・・おかしいかな」ん?馬の絵?わんぱく牛若丸の?「それ私が描いた動画ですか?何かおかしいですか?」「おかしくないですかと僕
どうも。日本の騎馬の奇襲戦といえば、義経の鵯越の「逆落とし」が有名です。かの司馬遼太郎先生も、明治日本陸軍で義経と織田信長の桶狭間の戦いの二つを挙げてドイツ人教師を感服させた一節を「坂の上の雲」において書いているくらいです。一の谷の合戦と、鵯越の逆落としはイコールではありません。そもそも、一の谷は平家の本陣ともいうべき土地に当たっていて、その後ろの断崖絶壁があったので挟撃できない「攻めにくい」ところだったんで、勢いに乗る源氏と木曽義仲を追いやった平家とで勢力圏争いの地に選ばれ
水星が逆行しているそうなので、昔のことを思い出してみましたそれは30年以上前のことです私はまだ女子高生の頃、いつものように自宅の部屋で寝ていました夜中ふと目覚めると、足元に、大きな身体の武士の霊が立っていました鎧かぶとを身につけて、暗い雰囲気で、私をじっと見つめていましたその当時は霊能力などなかったので、ひたすら恐ろしくじっと目を閉じて、不動明王の御真言を何度も唱えていましたそうしたら、いつの間にか寝てしまっていて、気がつくと朝でしたそれっきり、その霊が現れることはありませんでした
僕の名前は建皇子(たけるのみこ)(^_^)/今回は、僕ら(正確に言うと、僕の父である天智天皇)の末裔になる義経の驚異的な奇策の一つを少しお話しますね(~_~)「一ノ谷の戦い」後に鎌倉幕府を開く源頼朝軍と平氏軍との戦いの一つでして、その中で、戦況を優位に進めるべく、鵯越の逆落としという奇策を決行した源義経の話ですよ(^<^)と、源氏と平氏の話をすると、タケルくん口調の書き出しで始めるのが癖になった私ですm(__)mただ、源平に興味のある方で、建皇子(僅か8才で死去したものの、