ブログ記事19件
金八峠は紋別郡遠軽町・紋別市との間の道道305号線の峠です。以前はつづら折りの砂利道でしたが、今は長大トンネルで抜けています。2014年に旧道を歩いたことがありますが、今回はトンネルを車で抜けました。この峠を越えた北には、往時東洋一の金山と称された鴻之舞鉱山がありました。この峠はこの鉱山ん外界を結ぶさうたんルートとして建設されたのです。その名には以下のようなエピソードがあるようです金八峠開山当時、この峠は体を隠すほどの大きな熊笹が生い茂る道なき道でした。また、そんな道をさらに熊
ふるさと納税に目がくらんで大事なことを見逃していないか?とは、キビシ目の指摘だなぁと思ったが、鴻之舞の歴史保存というより、紋別市の財政運営全般への注文らしい。2月の新年度予算案についての記事には、紋別市の一般会計の歳入の約半分がふるさと納税によるもので、他自治体と比べても余裕のある編成、とあった。ほほう、そんなに余裕なのか紋別市は‥。そして、恒久財源ではない寄付金の依存には危うさが伴い、使い道は寄付者の意向に沿う必要もある、としていた。寄付者が
第二次ゴールドラッシュそれは紋別の八十士川(やそしかわ)から始まりました。枝幸で砂金堀をしていた菅原栄之進は枝幸で金が取れなくなると紋別で漁師をしていました。ある時、八十士川の砂利が枝幸の砂金地とよく似ていることに気が付いたのでここに間違いなく砂金があると確信してどんどんと川を登りついに滝壺の堆積している砂金を見つける。・・・とここまでは良いのですが見つけた砂金は誰のもの?その後鉱区の出願競争が始まります。一攫千金
月の固定給の円単位がゼロでなく6円というのは、どんなふうに計算して決めるんだろうか?広告を見てそんなことを思った。そして何より、半世紀も前に閉めた鉱山でも、管理事務所が稼働しているのには興味をそそられた。業務のうち、坑水処理施設の保全とはどんな作業だろう、適性試験とはどんな内容だろう。ヘルメットと安全靴が必須の作業だろうか。時間外労働もあると書かれている。「鴻之舞鉱山」というのは、小学校の教科書にあった気がする。日本国内でも規模が大きく、殊に金の産出量で有名なことと、“こう
今回はおそらく北海道ツーリングでは走らないであろう場所を紹介したいと思います。鴻之舞(こうのまい)という場所を知っている人は、道民でも少ないかもしれません。その場所は、紋別市の南側にあります。私は隣町の湧別町に住んでいた時は、ミニツーリングでよく走っていました。鴻之舞にはかつて人口が13,000人以上いましたが現在の住民は0人です。かつて鴻之舞には鉱山がありました。産出していたのは金と銀、特に金は日本で3本指に入るほどの産出量だったようです。いわゆるゴールドラッシュ
開拓者(パイオニア)の地北海道札幌市在住の断捨離®トレーナー講習生うえだますみです。お立ち寄りいただきありがとうございます。ブログ村ランキング参加中!のボタンをクリックしてくださるとブログを続ける励みになります。にほんブログ村昨日の廃車に続き、今日は廃墟のお話17年前に住んでいた道東の小さな町の近くに鴻之舞鉱山というのがありました。戦前には日本で第三位の産金実績があった住友金属鉱山跡今は知る人ぞ知る心霊スポット…らしい鴻之舞鉱山【心霊スポット北海
昭和48年に閉山をした紋別市にある鴻之舞鉱山跡。今も生活の跡が残る。思いを馳せるには最高の場所です。ここでも紹介しています。nostalgia(鴻之舞鉱山)今回は鴻之舞鉱山跡を紹介します。youtu.be
2022年6月北海道の旅。タイトルを「出会いは億千万」として、人との出会いはもちろん、味覚、景観との出会いを楽しみたいと思います。2022年6月17日上藻別駅逓を出て、しばらく進むと、鴻之舞鉱山関係の碑が並ぶところがあります。鴻之舞鉱山開山100周年記念碑鴻之舞鉱山慰霊碑碑文ちなみに、この周辺一帯は、当時も、そして現在も住友金属鉱山(株)の私有地です。鴻紋軌道記念碑「銀色の道誕生の地」「銀色の道」は鴻之舞がイメージされた曲です。作
先日、面白いCDを見つけて聞いてみました。昭和のスター、「ザ・ピーナッツ」のトリビュートアルバム、「ThePeanutsTributeSongs」。収録曲は昭和歌謡にあまり詳しくないわたしでも知っているようなヒット曲ばかり。そんな曲たちを、最後の「スターダスト」以外は様々な人気歌手の皆さんが歌っています。例えば、「恋のバカンス」はFUNKTHEPEANUTS(ドリカムの吉田美和さんと浦嶋りんこさん)。「ふりむかないで」はLittl
紋別市には東洋1と言われた金山がありました。鴻之舞金山です。鴻紋軌道の取材で何度か訪問したことがあります。紋別市街から丸瀬布に抜ける金八峠(トンネル)方面に20kmほどの場所に、大正15年開設の上藻別駅逓があります。「駅逓」は、北海道開拓期に官営の旅館、郵便局等併用の施設です。馬の貸し出しもしていて、次の駅逓まで馬を調達する、今でいうレンタカーのようなこともありました。道内に数カ所駅逓跡がありますので、詳しくはそこでガイドさんから教わってください。上藻別
今日は夫の運転で高速を通って紋別市まで。新しい仕事の案件で、どうしても先方の社長とお会いしなければならなくなった。全く顔を合わせないままにオンラインだけでというわけにもいかず、「1度お会いしましょう」と決めた日程が今日だった。一緒に打ち合わせをするデザイン事務所の方との同乗は避けて、あえてそれぞれの車で目的地まで。手指消毒とマスクで30分ほどの面談。やっぱりお会いして良かった。あとは、オンラインでスムーズにやりとりができるはず。ホッとしたので、大好き
家にあるお宝商品は?特にありませんね笑笑もしあったとしても、それが凄いお宝なら教える人はいないと思いますが😅ゴールドラッシュと言えばカリフォルニア・ゴールドラッシュが有名ですね初期の頃の採掘者たちは1849年にカリフォルニアに向かった人が多かったことから「フォーティナイナーズ」と呼ばれたそうですそのフォーティナイナーズ達のおかげで、1846年は200人ほどの人口だったサンフランシスコが1852年には約36,000人まで増え都市としての発展を遂げ、1850年にカリフォルニアはアメリカ
こんばんは。今日のブログは非常にマニアックであり衝撃的な内容のため心臓の弱い人は見ない方がいいかもしれない。俗に言う、閲覧注意というやつである。それは、僕に起きた不思議は恐怖体験の話なのですが、まずはこれを見ていただきたいと思います。今から28年前の雑誌の記事である。(この記事はマジに読まない方いいかも?笑)簡単に言うと
道東旅で困ったのは「地名が読めない」→スマホで読み方を検索→カーナビ入力しても結局出ない(;´д`)トホホ…カロ○ツェリアのナビやばいですね・・・GSって検索したら東京の品川のGS、コンビニは横浜まで行かせようとする、「いやいや、ここは道東だが流石にそれほどじゃぁないだろう〜」と毎回笑ってツッコミを入れないと怒りで粉砕したくなるレベルでした♪出発前の旅館の部屋からの景色。これが町の全貌であり、ほぼ明かりが灯らないのでございます。向かいにあった山は全部濃霧と雨で消えていました・・
紋別市鴻之舞にある「開山100周年記念碑」。昨年建立された。坑内の様子が描かれている。背面には歴史が。閉山ではなく開山記念というのが前向きで,心惹かれる。
紋別市にある「銀色の道」の歌碑。作曲者の宮川泰は市内の鴻之舞鉱山の元住人。宮川氏は曲の原点は鴻之舞と語っている。「金と銀」。そこに意図はあったのか?そんな深読みをしながら思いを馳せる。銀色のはるかな道〜♪
北海道の夏も終盤。紋別市の鴻之舞に残るプール跡。当時はプールがめずらしく,大学の合宿もあったとか。今はプール跡とこの碑が残るのみ。以前紹介した夕張市登川のプール跡。往時はにぎやかな子どもたちの声が響いていただろう。今は鳥や虫の声が聞こえるだけ。その落差が遺構探索の魅力。
鴻之舞鉱山で使われていたトロッコ。金山だったので金を運んだことになる。見ているだけでわくわくする。わくわくしたい方は上藻別駅逓へ。
紋別と鴻之舞鉱山を結んだ鴻紋軌道。その橋梁「五号杭橋」。今も送水のための施設として使用されている。なので現役の橋梁。建設から75年、廃線から約70年。土木遺産にグイグイ推したい。
紋別市の鴻之舞鉱山跡に残る「清明寮」跡。門と基礎が残るだけ。三井芦別炭鉱にあった「水明寮」は独身寮。若者が青春のひとときをどう過ごしたのか?その生活に興味が尽きない。
6日目。鴻之舞鉱山へ向かいます。ここはその昔、金が産出されていたところですが、今は廃鉱になってます。初めて北海道に旅した時に泊まった紋別流氷の宿ユースホステルにて教えてもらって以来、気になっていたところです。ますは上藻別驛駅逓に立ち寄りました。車を停めているとおじさんに声をかけられました。上藻別驛逓保存会の方でした。館内を案内していただいていろいろお話を伺いました。すると「時間があれば鴻之舞鉱山を案内しますよ」とおっしゃってくださったので、お願いしたのでした。まずは鉱山の煙突です。丸瀬布