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古空穂(ふるうつぼ)鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪。うつぼ(靱あるいは靭と表記される。矢を入れて背負うための武具のひとつ)がはいまわっているような姿で描かれている。石燕による解説文には「そそ野に命をいたづらに奈須野の原の野干(やかん)をいたる三浦の介(みうらのすけ)上総介(かずさのすけ)が古うつぼにや」とある。「奈須野の原の野干」とは那須野が原(栃木県)で退治されたとされる玉藻前(九尾の狐)のことであり、玉藻前を弓で射止めた武士・三浦介と上総介の使っていた靭であろうか、と述
第1章江戸の闇に生まれた絵師――鳥山石燕の出発享保年間(18世紀初頭)、江戸の町は繁栄の真っ只中にあった。芝居、遊里、学問、そして絵――あらゆる文化が花開く一方で、闇には闇の物語が息づいていた。その時代に生まれ、妖怪絵師として名を残したのが鳥山石燕(とりやませきえん)である。石燕の本名は鳥山信嘉(のぶよし)。生年は正確には不明だが、享保3年前後(1718年頃)とされる。彼は、当時江戸で名を馳せていた絵師狩野派の流れをくむ人物であり、若い頃から絵の修行を積み、緻密な筆遣いと構図の
只今絶賛放送中のNHK大河ドラマ≪べらぼう≫そこに登場した片岡鶴太郎サン演じる鳥山石燕を訪ねて元浅草にある光明寺に行ってきました鳥山石燕は、江戸時代に活躍した絵師で妖怪画が有名ゲゲゲの鬼太郎で知られる漫画家の水木しげるサンも石燕の影響を受けているとか・・・そして恋川春町や歌川豊春らの師でもあり、喜多川歌麿にいたっては師でもあり養父でもありました鳥山石燕のお墓よ~く見るとうっすらと「石燕」の文
今夜のべらぼうです。松平定信たちが読んでいる黄表紙は、鎌倉時代の話で、文に秀でた者、武に秀でた者、何の役にも立たぬ者の話で面白いと蔦重たちを評価しました。又、松平定信にも良い所があり、寺子屋に儒学者の柴野栗山を頼みました。武士や町民の子供ばかりでなく、百姓の子も教育させようと。歌麿は、再び、俺の事を覚えていますか?ときよに会いに行きました。きよは、耳も口もきけません。松平定信が、田沼意次がとうとうくたばったと言いました。田沼は、70歳でした。田沼は、積極的な政治に邁進した稀有な政治家
天明8年(1788)8月23日、鳥山石燕が亡くなりました。もともとは、幕府御坊主を務める旗本の家柄で本名は佐野豊房。幕府に関わるということは絵は狩野派になります。石燕の前半生はあまりわかっていませんが、20代の頃に描かれた肉筆画の奉納額が幾つか残っていて、ここに描かれた歌舞伎役者の姿が評判になったようです。やがて狩野派から独立。30代後半には弟子を持つようになり、そのなかには恋川春町、喜多川歌麿、歌川豊春(歌川派の祖)などが知られています。特に喜多川歌麿は石燕の隠し子説も出ているほど大
文化博物館の総合展示に行きました。まずは、今井憲一の「幻想とリアルのあわい」展です。昭和初期の京都で油彩画を始め、シュルレアリスムの影響で幻想的なイメージを描いた作家。即物的なオブジェを並べて、異質な風景が重なる中に、独自の幻想が感じられます(作品は撮影禁止)。続いては、池大雅。今回は、薬屋・赤萬の井上泰山との書簡を中心に、展示されます(撮影可)。泰山の孫が使いで来た時に、即興で描いた中村富十郎の舞踊図。この軽妙さ。泰山の依頼による、書きか
光明寺には、鳥山石燕の墓があります。今年の大河ドラマ、べらぼうでは片岡鶴太郎さんが演じてます。ひょうきん族の頃大河ドラマべらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜鳥山石燕を演じております。鳥山石燕正徳2年(1712年)頃に幕府の御坊主の家に生まれた。姓は佐野、諱は豊房。字は不詳。船月堂、零陵洞、玉樹軒、月窓と号す。狩野派門人として狩野周信および玉燕に付いて絵を学び、御用絵師であったと伝わるが、詳しい事蹟は不明な点も多い。俳諧は東流斎燕志の門人であった。画業としては肉筆作品や鬼子母神の『
下谷神社から、光明寺に移動しました。本堂裏地蔵尊本堂光明寺1615年(元和元年)、根蓮社善誉によって開山された。元々は蔵前に位置しており、後に現在地に移転したという。当初は「新光明寺」という名称であった。1926年(大正15年)、「西光寺」を吸収合併し、「光明寺」に改称した。御朱印鳥山石燕の墓所があるので妖怪
※今回の感想は、イラストを描く時間がありませんでした。(下書きは描いてあるのですが)次回が明日に迫っていますので、取り敢えず、文章のみ先にアップします。また、後ほど、完成したイラストをアップする…かもしれません(た、たぶん(^_^;))。※※※※※※※※追加しました〜。今回、歌麿がいよいよ自分の絵を描くことになるー。ということで、ポップ無解になるのかと思ったら、ああ(;_;)歌麿〜〜!!蔦重とていさんの結婚とか、色々あったけれど、それなりに過去の傷は癒えているのかなぁ、
3コマ目でご紹介している鳥山石燕の画集は、私が以前買ったものです当時は妖怪の種類を知りたくて買っただけで、鳥山石燕のことには全然関心がありませんでした大河ドラマ「べらぼう」を観て、そういう人なんだあと興味がわきましたこれからの「べらぼう」で歌麿がどう変貌していくのか楽しみです水木しげるさんに関しては、戦後80年ということで水木さんが描いた戦記物漫画を今読んでいます貸本屋のために描いていた時代に戦記物が多かったそうで、復刻されるとは思っていなかったそうです水木さん自身は陸軍の歩
今夜のべらぼうです。賢丸は、成長して、大人になり、松平定信になっていました。白河藩にいます。そこへ、一橋治済より、手紙が届きました。「政に関わってみないか」定信はやる気満々でした。意次も認めました、意次は、田安家を潰したかったのでした。松平定信です。白河藩松平家の家格を上げました。意次も賛成しています。一方で、新しい黄表紙を描きたい歌麿には、亡き実母の亡霊が出て、歌麿の筆は進みません。頑張ってもダメです。今、歌麿は、人気者となり、人まね歌麿、と呼ばれるようになりました。しかし、亡
見逃し・同時配信-大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」-NHK「人まね歌麿」――人気絵師の癖や特徴をそのまま写すことからついた渾名。名前も売れ、蔦重は歌麿に自分の絵を描かせようとする。🎨描きたいのに描けない歌麿は自由に、楽しく、自分の想像を紙の上に広げたい。だが、その前に現れたのは――大火で見殺しにした母親蔦重から金を盗めと脅す母親のヒモ自分が手にかけた二人の亡霊が、「幸福な絵など描かせはしない」と付きまとう。描きたいのに、紙の上に広がるのは真っ黒い後悔
こんにちは、果実帽子です。昔から歴史小説を読むのが好きだったので、中学生のときからNHKの大河ドラマは視てました。今放送しているのが、江戸時代の中期から後期を舞台にした「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で、江戸時代のメディア王と称される蔦屋重三郎を主人公にした物語です。以下は、ネタバレになるので、それが嫌な方は、こで閲覧を止めて離れて下さい。↓↓↓↓↓↓↓↓幕府内では田沼崩しが加速していました。一橋治済からの手紙を、白河藩松平定信が受け取ってい
おはようございます、京やの勝也です。本日7月26日は「幽霊の日」だそうです。江戸の中村座で四代目・鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が初演されたのが1825年の7月26日とのこと。有名な幽霊の一人「お岩さん」の記念日のようです。さて今日は幽霊ということで「鳥山石燕(とりやませきえん)」のお話。石燕は江戸時代後期の絵師・浮世絵師で「画図百鬼夜行」などを世に出しました。それまで漠然としたイメージでしかなかった妖怪や幽霊を「形」で表現したわけです。この後
正体を表した偽宮司と一対一となった星子さん。お辞儀からの突然の一撃を食らってふっ飛ぶ星子さん!その後、強烈な打撃を何とかかわす星子さんは、正確に急所を狙ってくる偽宮司の打撃は読めると、わざとガードを開けて隙を作り、そこを狙ってきた偽宮司のパンチに合わせてカウンターを放つ!まるで超一流のプロの格闘家!が、カウンターが当たったはずの偽宮司の体は霧の様にすり抜ける!逆カウンターくらい倒れる星子さん!そして星子さんは相手が何者かを気づく!その名は煙々羅!一方的に
先日、東京国立博物館『蔦屋重三郎展』を訪れた時表慶館で行われていた<浮世絵現代展>も観覧してきました。浮世絵現代展UKIYO-EINPLAY江戸時代から続く伝統の技を受け継ぐアダチ版画研究所の職人たちが、総勢85名のアーティストたちと木版画を制作。「現代の浮世絵」を展観する特別展「浮世絵現代」の特設サイトです。ukiyoeinplay.jpその時、水木しげるさんによる「妖怪道五十三次」の一部も展示されていてコレって、私が大好きな広重の「東海道五十三次」のオマージュなのでは?!
【喜多川歌麿(きたがわうたまろ)】染谷将太生年不詳~文化三年(?-1806)歌麿といえば、日本を代表する浮世絵師のひとりである。一説に文化三年に54歳没とされることから、宝暦三年(1753)生まれと推察されているが、没年齢については確実ではない。出生地についても、江戸、川越、京都説とさまざま。但し、幼い頃から江戸に出ていたことは間違いなさそうである。姓は北川で、のち喜多川に改めた。明和七年(1770)に「少年石要」として描いた絵が残されていることから、この頃は未だ少年といわれる年で、既
お幸せさまです本日の似顔絵は、大河ドラマべらぼうより妖怪画絵師鳥山石燕(とりやませきえん)役片岡鶴太郎さまいいからお前もかいてみろ録画みるのが追いついてないので、鶴太郎さま。ちょっと、妖怪画風に?いつもと違う雰囲気で。瞑想やヨガをやって食事も一食だそうですね。すっかりインドの修行僧のよう水木しげる先生も鳥山石燕さまの影響をうけたそうです。雑司が谷の鬼子母神堂の中に奉納された鳥山石燕さまの絵馬が飾ってあるそうですので気になる方はぜひ
先日、唐組「紙芝居の絵の町で」を見に雑司ヶ谷鬼子母神へ行った時のこと。参道入口のアーケード看板に「大森彦七図」とありました。七月歌舞伎座上演の「新歌舞伎十八番の内大森彦七」💡ですね。板絵着色大森彦七図|豊島区公式ホームページwww.city.toshima.lg.jp楠木正成を自害に追い込み恩賞を受けた彦七が、ある夜のこと猿楽へ向かう道で美女に逢い、その美女を背負って向かおうとすると俄かに鬼なり…。というお話(太平記巻二十三、大森彦七の事)の美女実は鬼女を背負った図を描いた板絵が鬼子母
【志水燕十(しみずえんじゅう)】加藤虎ノ介享保十一年~天明六年(1729-1786)本名を鈴木庄之助という幕府御家人。狂歌師名を奈蒔野馬乎人(なまけのばかひと)、清水つばくろ(ら)。また鳳城北根津隠士、裏町斎と号す。絵を鳥山石燕に学び、同じ身の上の下級幕臣・大田南畝らと交流を持ち戯作者の道に進んだとされる。住まいが根津の清水町だったことから「志水」、また師の鳥山石燕から「燕」、石燕に入門したのが十歳からだったので「十」からの戯作者名といわれている。安永九年(1779)洒落本📖『一鬼夜
「薪能」の起源として知られ、奈良発祥の4流派観世、金春、宝生、金剛が競演する伝統行事「薪御能」が16日、奈良市の興福寺南大門跡などで始まり、かがり火に照らされた舞が観客を魅了しました。薪御能は平安時代に営まれた興福寺の法会「修二会」の儀式が芸能化し、4流派が演じる古都の名物行事として定着しています。伝統ってすごいなぁって思います。時代を超えた幽玄の舞。古の舞が古都に甦りました【べらぼう18話】蔦重は「北川豊章」が描いた絵が「唐丸」の絵に似
やっべえ!!!鳥山石燕、見えたらしいぞ!あのワンシーンだけで、ざわざわした(寒い!)by「べらぼう」あのシーンだけで、この一話を、DVDに落とすか、思案中(≧◇≦)※ラストに、あの「ぬらりひょん」や「ろくろ首」の紹介まであった(泣)やっべえ!!!鳥山石燕、見えたらしいぞ!あのワンシーンだけで、ざわざわした(寒い!)by「べらぼう」あのシーンだけで、この一話を、DVDに落とすか、思案中(≧◇≦)※ラストに、あの「ぬ|水月あす薫SIRIUSやっべえ!!!
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蔦重はあの絵を見て唐丸だと気付いたんだな、北川だから喜多川歌麿の師匠なのかと思ったら、北川豊章は唐丸に絵を描かせてそれを自分の絵だとしていたのか、北川豊章は悪い奴だな、唐丸は蔦重といた時に追われる身になってしまったから、あまり良い思い出がないのと、あの後の唐丸の生活を考えたら蔦重と話しをする気にならないんだろうな、想像できない相当な苦労をしたんだろうな😊、本当の師匠は鳥山石燕て人なんだな、喜多川歌麿は数奇な人生を送っていたんだな😊
あなたの地元のご当地キャラは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようそうにゃんは可愛いと思うそうだ-̗̀💡̖́-唐丸が戻ってくるのか?居続け特別なサービスです私もホテルとかに居続けたい贅沢〜(ˊᵕˋ*)♩Kが煩くて集中出来ない早く風呂に入れよ老害が凄い(>﹏<*)毎日やにならないのかな?唐丸じゃない!!唐丸じゃない違います!!もっと可愛かった唐丸役の子役横浜流星に僕のこと忘れないでくださいねーって土スタで言ってた渡邉斗翔君だって
こんにちは、果実帽子です。昔から歴史小説を読むのが好きだったので、中学生のときからNHKの大河ドラマは視てました。今放送しているのが、江戸時代の中期から後期を舞台にした「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で、江戸時代のメディア王と称される蔦屋重三郎を主人公にした物語です。以下は、ネタバレになるので、それが嫌な方は、こで閲覧を止めて離れて下さい。↓↓↓↓↓↓↓↓北川豊章が気になる蔦重は、賭場に居ると聞いて覗いてみます。しかしそこにいたのは、中年の武士崩れの男
「べらぼう」に、鳥山石燕が出るらしいあの,有名な妖怪絵師「ゲゲゲの鬼太郎」は、鳥山石燕の妖怪を敵に柳田國男(遠野物語)の妖怪を仲間にして、作られた漫画鳥山石燕、画集も見ているが、たのしみだなぁ「べらぼう」に、鳥山石燕が出るらしいあの,有名な妖怪絵師「ゲゲゲの鬼太郎」は、鳥山石燕の妖怪を敵に柳田國男(遠野物語)の妖怪を仲間にして、作られた漫画鳥山石燕、画集も見ているが、たのしみだなぁ|水月あす薫SIRIUS
「べらぼう」に、鳥山石燕が出るらしいあの,有名な妖怪絵師「ゲゲゲの鬼太郎」は、鳥山石燕の妖怪を敵に柳田國男(遠野物語)の妖怪を仲間にして、作られた漫画鳥山石燕、画集も見ているが、たのしみだなぁ「べらぼう」に、鳥山石燕が出るらしいあの,有名な妖怪絵師「ゲゲゲの鬼太郎」は、鳥山石燕の妖怪を敵に柳田國男(遠野物語)の妖怪を仲間にして、作られた漫画鳥山石燕、画集も見ているが、たのしみだなぁ|水月あす薫SIRIUS「べらぼう」に、鳥山石燕が出るらしいあ
【鳥山石燕(とりやませきえん)】片岡鶴太郎11年前、石燕先生の墓所にお伺いした話し👇吾輩の別ブログをリブログ😐(意味不w)【鳥山石燕(とりやませきえん)】正徳二年~天明八年(1712-1788)幕府御坊主(御数寄屋坊主)の家に生まれ、姓は佐野、諱は豊房。号を船月堂、零陵洞、玉樹軒、月窓など。俳諧師としての顔も持ち東流斎燕志の門人。画業としては奉納額が主なものであったが、奉納額の絵に歌舞伎役者の似顔を用いた事が評判を集めた。浮世絵師のひとりと目されているが、錦絵作品は殆ど確認されておら
小豆洗い小川のほとりで小豆を研ぐ音がしたら、それは小豆洗いのしわざ「怪異現象そのものが妖怪」の典型。誰もいない寂しい山道、小川のほとりから聞こえる奇妙な音。あの音は何だ?!寂しい山道というシチュエーションもあいまって、奇妙な音は昔の人にとてつもない恐怖を与えたことでしょう。人々は恐怖を拭うために、その音は小豆洗いという妖怪の仕業なのだと考えた。だからもし小川のほとりから変な音が聞こえても、「あー、あれは小豆洗いの音やで大丈夫大丈夫。音が聞こえるだけで、悪さはしんからー」と自