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こんにちは。前回は、令和6年秋の鳥取&島根小旅行のダイジェスト版をやりましたが、今回は本編いってみたいと思います。本編の1回目なので改めて今回の小旅行の目的を並べておきます。・今年の目標である「中国地方訪問強化」の仕上げへ・現存12天守の御城印コンプを目指し松江城へ・このところ続いている超メジャー古寺古社詣りの締めのため出雲大社へ・ご当地パンイベントでよく買っていた「ばらパン」を本場ででは、よろしくお願いします。吉川経家(鳥取城跡・久松公園)鳥取城跡近くの高校の前にある
こんにちは今回からの「日本100名城」の紹介は、中国地方を周遊ドライブしたときに、登城した中国エリアのお城です。ドライブは、鳥取から島根、山口を廻り、山陽高速で岡山に・・・。お城は、鳥取城、月山富山城、津和野城、松江城、萩城、津山城の6城を制覇した記録からの紹介です。では、最初に鳥取城を紹介します。鳥取城には、関西から名神高速道路・中国自動車道を経由して、鳥取自動車道で鳥取ICまで行き、国道29、53号を13kmほど走行すると鳥取城に到着します。
こんにちは。今回も、令和4年秋播磨&有馬遠征をやっていきたいと思います。そして今回もまた播磨・三木からになります。よろしくお願いします。別所長治(三木法界寺)三木城跡から車で数分、別所家の菩提寺・法界寺さんにある騎馬石像があります。騎馬像のモデルは秀吉さんの三大城攻めのひとつ「三木の干殺し」の際の三木城主・別所長治さんでございます。中途半端な田舎/都会あるあるですが、正直、この規模の街に不釣り合いの立派なお寺さんでございます。この石像、おそらく三木城跡の騎馬像のレプリカだ
こんにちは。今回も、今月(2022年11月)の初頭に行ってきました令和4年秋播磨&有馬遠征をやっていきたいと思います。前回は有馬温泉からでしたが、今回は播磨・三木城跡からになります。よろしくお願いします。別所長治(三木城本丸跡・上の丸公園)三木の干殺しでお馴染みの三木城本丸にたつ別所長治さんの石像です。こちらも5年ぶり2回目のご対面になります。相変わらずの風貌・私が個人的にきめた「日本三大ザンネン戦国武将像」のひとつかと。何をどうしたら、こういう無国籍な騎馬像になるのか。発
お好み焼に照りと輝きを!伝統工芸品・熊野筆で作られた「お好み焼専用刷毛」が誕生-JapaaanJapaaan尼将軍・北条政子も涙…謀反の疑いで出家させられた岡崎義実、その晩年は【鎌倉殿の13人】.3...鎌倉時代にキスはあったのか?『鎌倉殿の13人』巴御前の“キス待ち顔”を風俗考証担当者が解説SmartFLASH6月26日に放送されたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第25回)で、これまで“鎌倉殿”として物語を引っ張ってきた源頼朝(大泉洋)が、ついに死を遂げた。
今から6年半前。2014年8月に鳥取県を訪れた時に出会った銅像です。日本100名城の一つに数えられる鳥取城の近くに立つ、この武将の像は、かつて鳥取城の城主を務め、歴史に残る惨劇「鳥取の飢え殺し」に見舞われた悲劇の武将、吉川経家公の像です。戦国時代の1580年、全国平定を目指す織田信長の軍勢が中国地方に侵攻。中国攻めを任された羽柴秀吉が鳥取城を攻めると、城主だった山名豊国は降伏し、城を織田家に明け渡す事を決めます。ところが、織田家との徹底抗戦を訴
【7月18日(土)】「鳥取城」元和3年に因幡・伯耆の領主となった池田光政により山麓部分が拡張され32万5千石の大封にふさわしい城郭となったそうです。曲輪、石垣、水堀が残ります。あと復元された中仕切門があり、また近頃擬宝珠橋が復元されました。そして鳥取城と言えば、天球丸の巻石垣!!(復元)所在鳥取市東町①山上ノ丸への登城路、だいぶ疲れていたのでふらふらで降りて来ました^_^;その途中から見る天球丸。②天球丸から見る巻石垣。③二の丸、三階櫓台④二の丸、登り石垣。⑤二の
【7月18日(土)】十神砦を後に久松山(標高約263m/比高約258m)を目指します。久松山山頂には、関ヶ原合戦後領主となった池田長吉が築いた総石垣の近世連郭式山城が所在し天守もありましたが、残念ながら落雷により焼失しています。天守台からは、鳥取市街は勿論、西側には湖山池や鳥取空港、大山。北側には鳥取砂丘まで見渡せ、眺望は素晴らしいです。所在鳥取市東町①分岐点に戻って来ました。②腰曲輪③石垣で固められた虎口④帯曲輪から山上ノ丸本丸下の石垣を見る。⑤山上ノ丸二ノ丸⑥山上ノ
【7月18日(土)】太閤ヶ平から久松山まで案内板では2.3kmとありました。山道の2.3㎞はなかなかです^_^;直線でしたら1.5kmほどなのに...( ̄▽ ̄;)途中、動物のものと思われるガサゴソする音が聞こえてきたのはこの移動の最中でした。さて、熊か鹿か猪か...1.6kmほど歩いたところで鳥取城の石垣で固められた外枡形状の虎口が見えてきます。そこから少し進むと山上の丸へ0.6km、十神砦へ0.1kmの案内板がある分岐点に到達。ここは迷わず十神砦へ。曲輪は削平されておらず真ん
【7月18日(土)】「太閤ヶ平(たいこうがなる)」天正9年(1581)の羽柴秀吉による第二次鳥取城攻め(所謂、鳥取の飢え殺し)における秀吉の本陣です。鳥取城の東方約1.5kmに所在する本陣山(標高約251m/比高約241m)の山頂に築かれています。土塁の高さと言い、空堀の深さと言い、虎口に対する横矢掛りと言い、前年まで繰り広げられた三木合戦における秀吉本陣よりは技巧的でかつ圧倒的に土木量が違います。所在鳥取市栗谷町・百谷①案内板にあった縄張図2つある虎口にかかる土橋に対し、い
【7月18日(土)】狗尸那城の現地説明会が中止との連絡を受けたのが1週間ほど前と言うわけで、ホテルの予約をキャンセルする訳にもいかず鳥取まで行って来ました。現地説明会の無くなった穴を埋めるべく、太閤ヶ平から鳥取城山上の丸の縦走を企画し敢行。朝は曇っていたものの、途中から晴れだして気温も上昇。夏の山城はハードです( ̄▽ ̄;)まずは、栗谷町から興禅寺、栗渓神社経由の登山道で太閤ヶ平を目指します。池田家の菩提寺の興禅寺(黄檗宗)は山門のみ、栗渓神社は鳥居のみの撮影です。この登山道、あまり
鳥取城に行ってきました。鳥取の飢え殺し(とっとりのかつえごろし)として有名です。羽柴秀吉が吉川経家の籠もる因幡鳥取城を兵糧攻めにして凄惨な飢餓地獄となり、4か月の籠城後、城主である吉川経家ら有力者の切腹と引き替えの士卒兵卒の助命が聞き入れられ、開城する結果となりました。車はお城見学で止めてよいとのことで鳥取県庁の駐車場に止めました。駐車場からすぐの場所に吉川経家像があります後ろの山が鳥取城です。山の頂上に石垣が見えます。石垣を見たからには、頂上までいかずにはいられません。水
山登り、好き?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう本日は山の日。盆休み中に祝日があってもな・・・という人々のタメ息が聞こえてきそうですが、私にとっては久々の休日(海の日以来?)です。本日のクイズは山の日にちなんでか、平山城で行われた合戦についてです。それでは、本日の【ケータイ国盗り合戦】のクイズです。秀吉が「干殺し」と呼ばれる兵糧攻めにより落とした城といえば?1.備中高松城2.三木城3.小田原城4.一乗谷城正解は「2.
ケイと相坊の無知、無恥、ふたり旅。こんにちは~。お久し振りです。梅雨に入ったのに、雨が少ないような気もします。皆さま、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。前のブログで、「鳥取城」の「仁風閣」のことを書かせて頂きました。今回はその続きで、「仁風閣」から見えた「石垣」の方へ行ってみますね。鳥取城「中仕切門(なかじきりもん)」です。「中仕切門(なかじきりもん)」は「鳥取城跡」の中でも、その面影を今に伝えてる数少ない遺構です。元のものは台風で倒壊しましたが、昭和50年(1975)に復旧