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おととい3/16はおらいの父さんの命日でした。亡くなったのが昭和56年(1981年)ですから、もう45年になります。もうそんなに経ったんだなあ。何回も書いてますが.....おらいの父さんは宮城県北の旧中田町という所で生まれたのですが、小さい頃に岩手県の旧藤沢町という所の子供のいない家にもらわれていって、そこで育ちました。おらいの父さんは明治45年生まれですから大正初期の頃と言うことになります。その頃の田舎って一体どんなんだったんでしょうね?そして大人になってから鮎川に来て、鮎川生ま
おらの母親はみんなから「母さん」と呼ばれていました。自分の子供であるおら達兄弟からだけでなく他の人からも「母さん」と呼ばれていたのです。驚くことに実家のばっぱ(つまりおらいの母さんの母親)までもがおらいの家さ来て「母さん居だのが?」とおらに聞いてくるのです。母さんの母親が自分の娘を「母さん」と呼ぶ。よく考えると頭が混乱してくる話なのですが、おらいの母さんがみんなから「母さん」と呼ばれているのが当たり前だったので全然不思議に思わず「はすりさ(台所に)居だど」と答えるおらなのでした。母さん
先日のブログに書いた“拭き掃除の時にスースー言う鮎川のがが様達”の話に対してチエコロさんから非常に貴重なコメントをいただきました。なんでも、チエコロさんのお婆さんは鮎川の隣のぬやま(新山)から来られた方らしいのですが、やはり「スースーレディ」(チエコロさんが命名!...笑)だったそうで、更にご近所のお婆さん方も同じくスースーレディだったそうで、これでおらいの母さんやおらいの奥さんの周りのお婆さん方、更にチエコロさんの証言により、過去牡鹿半島先端部には一定数の「スースー族」(おらが命名....ち
方言もずっと使っていないと、ふと思い出した言葉もはたして本当にそう喋っていたのか段々自信がなくなってきます。そんな、久しぶりに浮かんだ言葉が「きんな」。きんな=昨日。「きんななぬ食ったっけ?」ほいなぐ言ってだいっちゃね?で、おととい(一昨日)はズーズー弁特有でタ行は濁点付くので「おどどい」となりますが、あと「おどでな」っても言わねがったすか?「昨日食ったマッコウのすぎ焼ぎんめがったなあ」「なんだべマッコウのすぎ焼ぎ食ったのおどでなだいっちゃ」んー、どうだべ?あー、段々“ネイティ
「スースースースー.....」これ、なんだかわかりますか?ノーヒントで答えられたらIQ200。寝息ではありませんよ。ヒント!鮎川の昔の母ちゃんがよくやってたこと。わがんねすか?んで第二ヒント!掃除に関係あります。わかった?これでわからない人はもういくら考えてもわからないと思います。というのも、果たして鮎川の母ちゃん達みんながやってたのかはわからないからです。んで、そいな問題出すな、って?まあまあまあまあ.....答えは、おらいの母さんが拭き掃除する時に口にする言葉で
今日はおらいの父さんの命日です。亡くなってからいったい何年経つんだろう?と、計算してみたら亡くなったのが昭和56年、西暦だと1981年だから44年。もうそんなに経つんだあ。まあなにしろ今ちょうどおらが父さんが亡くなった歳の68才だからなあ。なーんか不思議な感じがする。父さんのことは何度も書いてますから前からおらのブログをお読みいただいている方には耳タコの話でしょうが、おさらいの意味で......自分の親のこと書いてておさらいってのも変ですが....笑おらいの父さんは明治45年生ま
またしばらくブログさぼってたらいつのまにか2月になってました。この間年明けたと思ったらもうひと月経っつまった。日にち過ぎるのがほんとはえごだね〜。一日一日大事に過ごしましょうね。ということで、たまに書かないと「なんだべ音沙汰ねーげっとまた入院すたんでねーのが?」と思われると大変なので更新しまーす!さて、おら最近口さみしくて飴を舐めることが多いんですが、先日買った飴を舐めてたらなんとなーく懐かしい味がして......んー、この味何んだったべな〜?と考えたら、あれかな?と.....あ
リクエストが有ったので大洋漁業80年史より捕鯨の写真を貼ります。いずれも昭和20年代のものです。南氷洋出漁の盛大な見送りマッコウクジラの初漁式あんだいの父ちゃん映ってねすか?南氷洋での捕鯨の様子仕留めた鯨を母船に運ぶ曳鯨船船上のマッコウクジラ解体あ、これはどっかの工場だね。船上写真はこっちだ。父ちゃんだぢ頑張ってだんだねー。すて、まだね
石巻くじらフェア2024というのがあり。市役所で500円券GETしてました10月31日までのフェアだけど、現在は配布終了※チケットは10月31日まで使えますと言うわけで鮎川方面行ってきました!今回は定食のみの記録クジラと言う事、ホエールタウンへプラザサイトーでお昼ご飯🍚ここの他にも2店舗ありますよ〜メニューは写真がファイリングされている感じ。クジラ刺身定食!!1品品切れのため2500円が2200円即決でした平日だったので、余裕で座れるスッキリとした店内お水はセルフ
今日はお茶っこで住民さん9人が参加しました。本日は猫の日でした😻迎えに行ったお宅で猫どもがわらわら出てきて、送迎車の周りをウロウロ。出発する時には車の周りや下を確認する始末です・・・おらほの家に着いても猫(いつもの茶トラン)ちなみにこの方が牡鹿の猫使いと呼ばれる方です(笑)午前中は台所が盛況で出来たご飯は白飯にコロッケ、サバの味噌煮(金華鯖)、カニ入りお好み焼き?🦀、柴漬け、みそ汁(しめじ、豆腐、なす、つるムラサキ、長ネギ)です。そうまるで食事会レベルでもう感謝感激のお昼ご飯にな
ちえころさんから、7月20日に書いた西城秀樹さんの記事にコメントいただいて「鮎川ステーション」に有った喫茶店がわがんねみたいなので写真貼っときます。おら高校3年の時だから昭和49年、西暦だと1974年。ひゃー、もう50年前だー!ステーションの海側から見て1階の右側に有りました。ちゃんと「喫茶」という文字が見えますね。店内の様子。右側のポスターは野口五郎さんですね。左上の写真は誰いだべ?一番上は百恵ちゃんみたいだげっと....ん~~わがんね!わかる?ま、それはいいか(笑)
幼い頃の記憶というのはほんと不思議です。ほとんどのことは忘れているのになんでだか知らないけど、ある平凡な日常の記憶がずっと頭にこびりついていたりするものですが、一体どういう塩梅で記憶に残ったり忘れたりするのでしょう?ほんと不思議です。前にも書きましたがおらの一番幼い記憶は、おそらく2、3才の頃だと思うのですが、昼間家の座敷で布団に寝かされていて、ふと目が覚めて辺りを見回すと母さんが居ない。不安になって「母さん!」と呼ぶと庭先で草むしりをしていた母さんが縁側の先から「はいよー」と顔をあげる
牡鹿コバルトラインを走ってきました。参加台数は少なく3台です。コバルトラインは牡鹿半島を縦断するアップダウンの多いワインディングロード。今日はけっこうバイクが走ってました。牡鹿半島の先端にある御番所公園で休憩。藩政時代に伊達藩の見張り小屋があったそうで御番所公園という名前になったとか。金華山(島)が綺麗に見えました。お昼はすぐ近くの鮎川浜の「ホエールタウンおしか」。ここに来たらやっぱりクジラの刺身定食です。
あれは何のお祭りだったのでしょう?いや、はたしてお祭りだったのかどうかさえわからない遠い記憶ですが....鮎川の街中を練り歩いた記憶。金山方面から川沿いに大町方面の辺りの風景が頭に浮かんでくるのですが、「チョーサイ、チョーサイ」という掛け声を上げながら神輿をかつぐ人達の姿。おらもかついだ?いやおらはただズラズラと神輿の後ろを歩いていたような気がする。「チョーサイ、チョーサイ」という掛け声とも一つ頭に浮かぶのが「白虎隊の歌」。♫せいうんくらくひはおちて♫という歌が今でもあの時聴いたま
おととい石巻に行った際に奥さんと一緒に「石巻元気市場」に寄ってきました。場所は昔の丸光が有った辺り。鮎川に行く船の乗降所が有った所です。何枚か写メ撮りました。海側を撮った写メ。右側の山は日和山です。内陸側の「新内海橋」。立派な橋になりました。でも昔の内海橋が無くなったのはちと寂しい。もちろん映画館の岡田劇場はもう有りません。そしてマンガ館。昨日は平日でしたが観光パンフレットを持った夫婦連れ、カップルが何組かおりました。帰りの三陸道の矢本パーキングで「辛子巻き」が置いてあっ
おばちゃんが亡くなりました。おらいの母さんの弟の奥さん。明るくて元気なおばちゃんでした。おら小さい頃、おらいにおぢゃっこ飲み(お茶飲み)に来るといつも冗談を言って笑わせてくれました。鮎川に帰省した時にもいつも声をかけてくれました。でも震災で家を流されて実家に身を寄せていた時は本当に辛そうな顔をしていました。その後、新たに集会所の近くに家を借りて(?)住むようになって訪ねた時には前のおばちゃんになっていたので安心しました。(でも震災の時の辛さはずっと抱えてたと思いますが.....)
宮城県南で働いていると石巻近辺の人と会うのは珍しい。なのでたまに出くわすと嬉しかったりして。昨日初めて見る英会話教室の先生が、夜9時頃雪の中を石巻まで帰るのだと言う。「そりゃ大変だ。三陸道運転気を付けて下さいね。石巻ですか、私は鮎川出身で、高校時代石巻で3年間下宿してましたよ」と言ったら「あ、私は市女高でした!」と言うので「日和山に行った帰り、よく市女高の人すっかげだりしたったよ」と言ったら笑ってたから多分.....すっかげる通じたと思うのですが、どうだべ?早ぐ帰りてのにこの警備員
おら小さい頃、近くの田んぼでよく遊んだなあ。田んぼっつってもおらいの家は半島の高台だから、土地が山に向かって傾斜してるので”棚田“みたいに少しずつ高くなってて、ちょうど何枚かある田んぼの真ん中辺りに道路が通っててね。いったいどなた様の田んぼだったのか存じ上げませんが、ひまになるとよく田んぼに行って遊んでおりました。春になって水が張られるとミズスマシがスーっと表面を走ってって、あれはなんで水に沈まないのか不思議でした。水の中を見ると蛙の卵がユラユラと揺れていて、それを手でブニューっとしたり
「鯨」再開・復活宮城県石巻市旧牡鹿町鯨は食文化日本の大事な伝統歴史です。世界の皆さんに理解してほしいと思います。震災で町の大半が被災し人口も減少しました。「鯨」を復活し元のにぎやかな街になれば・・・。安部孝(あべたかし)ホームページ前宮城県議会議員安部孝(あべたかし)宮城県議会議員の経験を活かし、地域づくり・地域活性化等に取組んでいます。今に生きる人たち、次世代を担う子どもたちが、安全安心に生活できる社会
俺ら小さい頃、鮎川では店に入る時に「もうすー」と声を掛けて入ってましたよね。(語感的にはもーすー、ね)その話をおらより3つ上の職場の佐沼の人にしたら「いや俺はかいすーって言ってましたよ」と言われました。かいすー??あ、買いすーですね。買いますよー、ってんですからそっちのほうが意味わかりますね。なんで鮎川近辺の人達は「もうすー」と言ってたんでしょう?何か物を申すわけでもないのに。※そういえば「申す申す」が縮まって電話の受け答えの時に使う「もしもし」になったそうですが「もしもし」なら
「鯨の街鮎川」で生まれ育った人間としては“鯨”という文字を見るとついつい反応してしまいます。12/10の河北新報にこんな記事が載っていました。「南極海で大型クジラの生息数などを調べる調査船2隻が12/8塩釜港を出港した」という記事。日本鯨類研究所の職員ら調査員9名とチリの研究機関の調査員1名とで99日間掛けて個体の生息数や、鯨の移動経路や潜水行動、皮膚片を採取した遺伝情報の分析などを行うそうです。大型鯨ということで対象になる鯨は、クロミンククジラ、ナガスクジラ、ザトウクジラ、シロナガスク
おら小さい頃は父さんは一年のうち9ヶ月は北海道の厚岸に行ってて家に居るのは3ヶ月位なもんだったけど、それでも思い出がいろいろ有ります。その中でも父さんというとやっぱり「ドンパン節」だべが。何度か書いてますが寝しょんべたれだったおらがやっちまうと母さんの布団に連れていかれ一緒に寝せられるのですが朝起きると母さんはもう起きていて、隣の布団に休みで遅寝を楽しむ父さんが源氏鶏太のサラリーマンものの本読んでたりして、おらが起きると「ドンパン節聞がしっから」と言って歌い出します。♫ドンドンパンパン、ド
☆2023/10/8『民宿泰平荘』お楽しみの夕食美味しいって幸せ#クジラの刺身#ホヤの酒蒸し#ハモの塩焼きこの日は熱燗の気分#ホタテバター焼き#渡り蟹1人1杯✨&カニ汁🦀だんだん酔っ払う皆さん(笑)翌☆2023/10/9#理想の朝ごはんこのひじきの煮物が大好きです今年もお騒がせしました大好きな女将さんを囲んでhttps://i-kanko.com/local_info/%E6%B3%B0%E5%B9%B3%E8%8D%98/泰平荘|一般社団法
★2023/10/8①民宿泰平荘での『バラエティショー』②カンコさんのパペットショー久美さんのゲームコーナー大盛り上がりでした③女将さんの泰ちゃんとトミーに参加してもらいマジック④うたごえタイムパーカッションはカンちゃん鼻笛はやんぴあさん⑤お決まりの希望の歌皆で手話をしながら大合唱です⑥女将さんのお友達や、地元の皆さんが来てくれました⑦終わって乾杯〜御年8○歳のみぃちゃんはお酒好き(笑)また来年も乾杯する約束をしました#キラ旅雑技団#旅の記録#復興応
第五類になったとはいえコロナが終息したわけではなくまだまだ普通に流行っているわけで、先月おらいの奥さんも感染しました。幸い味覚障害とかは無くて熱も下がりましたが、咳が止まらなくて、もう1ヶ月近くになるのにまだ咳をしています。一旦出始めるとしばらく咳が止まらなくて、そのせいで胸の下の筋肉か筋かを痛めたようで、最近は腰痛バンドを胸の下に着けてます。そうすると少し楽なんだそうですが、服の上から腰バンドを巻いてるのでその姿がなんとも.....まるで女相撲大会に出るおばちゃんのようで(笑)。なの
今日はおらいの母さんの命日です。亡くなったのが大震災の前の年だから.....そっかあ、もう13年経つんだなあ。早いなあ。満94才で亡くなったので、まあ長生きしたと言えますね。四男坊(俺ね)、母さんにはいろいろと心配やら迷惑やらかけました。「どごのうぢ(家)さも一人くれおがすねの居るっつうげっともおらいは居ねくていがったなあ、ど思ってだっけ、最後に居だおん!」と言われた言葉が忘れられません。なんとも親不孝者でしたー。母さん、かんべんしてけらいね。あ、でも褒められたこともあります
休職中の私は、7月に入ってから体調が良いので、子供部屋作りの為毎日断捨離をしている。チョイ置きばかりして倉庫になってしまった部屋は随分スッキリしてきた。行方不明だった物がいくつか出てきた。その中のうちの1つが東日本大震災現地ボランティアの資料子育ての内容では無いけれど貴重な経験をしたのでいつかブログに書きたいと思っていた。※結婚後、妊娠前の時期の記録🐋🐋🐋東日本大震災2011年3月11日14時46分18.1秒に発生した東北地方太平洋沖地震およびこれに伴う福島第
このところ頻繁にブログを更新してますが、先日の葬儀で従兄のきはっつぁんやブログ見てくれてる兄から「最近さっばりブログ書いでねんでねーの?」と言われて、あー、こいなほでなすブログでも見でける人居んだがら書がねげねー!と又書き始めております。それに一旦書き始めると、実はお喋り好きな鮎川太郎、いろいろ喋りたくてしょうがなかったりして(笑笑)。てなことでグダグダといろんなこと書きますがひまだれこいでっ時にでも、どれ見でやっか、と覗いていただけますと嬉しい限りであります。さて、昨日牡鹿半島の海写真探
やっぱり牡鹿半島の海はいいね〜これまで掲載した中から何枚か貼りますね黒崎農場から見た網地島御番所から見た金華山6年前にのり浜から見た金華山の夜明け別角度でもう1枚ここからは借り物です震災前の写真です昔の防波堤鮎川ステーション(海でねーべ!)そして十八成浜海水浴場いい所で育ったね〜ほだほだ!もっといっぺ有っけっともこれから労働だからまた今度んでね〜
今日は牡鹿コバルトラインを走ってきました。コバルトラインは有料道路だった時の名前で今は県道220号牡鹿半島公園線です。ワインディングは楽しいのですが木が生い茂っていて景色は今一つです。ちょっと景色のいいところで写真撮影。お昼は震災後にできた鮎川浜の「ホエールタウンおしか」で。何件か飲食店がある中からプラザサイトーを選びました。くじらとまぐろ刺身定食に惹かれたからです。まぐろは中トロくじらは生臭さもなく柔