魚津城の戦いは戦国時代における主力級の攻城戦では珍しい玉砕戦となりました。80日余にのぼる籠城戦を耐え抜き、後詰めに来ていたはずの上杉本軍が分厚い攻囲網になす術もなく退却していくのを目の当たりにし、10人以上の将のそれぞれが首だけになっても自身の名がわかるように耳に名札をつけて自刃することにより終結するという、凄まじいまでの結末を迎えました。しかも落城したその日は本能寺の変の翌日で、魚津城落城の3日後にはその一報が織田軍に届いたことで、魚津城を占拠していた兵もろとも全面撤退となり、魚津城は再び上