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実は昨日のこと😁国道標識を見ると〝道の駅越後市振の関〟から魚津市までは30㌔ぐらい……明日(今日)はお仕事だけど…まだ暗くなるまで時間あるので…後先考えずw行っちゃえ💨と、実は…魚津市に行っていました!国道8号線沿いに〝道の駅KOKOくろべ〟初の富山県スタンプGETです😁富山名物の蒲鉾も購入〜✨青い蒲鉾〜😲実は北陸の駅スタンプラリーは新潟県と富山県、石川県がセットになっています💦新潟県制覇してもこれからなんです😅期間は来年の3月まで…雪降るのに…ちと不安です💦
高岡から富山へ市電(¥240)で富山城富山市郷土資料館(¥210)富山から魚津へ魚津駅から電鉄魚津(¥240)徒歩10分未満魚津城跡魚津城跡から徒歩5〜6分米騒動発祥の地社会の教科書に登場する歴史上の出来事現在は公園の一部にひっそりとある素晴らしい絶景米騒動発祥の地から徒歩20分ぐらい魚津埋没博物館魚津埋没博物館から徒歩20分以上で魚津駅に戻りました。今年も無事にいろんな観光地を行く事が出来て良かったです。この時期は台風の進路に一喜一憂しながらなので、他の
室田砦このうえ松倉周辺でここと大谷砦を見落としていた。天正10年魚津城攻める際の織田勢の付城(1)、上杉謙信との抗争で築城された松倉支城群の一つとする見解(2)がある。(1)魚津市教育委員会(2012)『魚津戦国紀行ー城と文書が語る魚津の戦国史ー』、魚津印刷株式会社、pp.29-30(2)佐伯哲也(2012)『越中中世城郭図面集Ⅱ』、桂書房、p.48あまりごちゃごちゃ書くまい。北東稜線から土橋で入る土橋の北南城内側から土橋ひと区画おかれ
沸き上がるかのような咲っぷりを見せるのは、魚津市の天神山の桜。見晴しの利く山腹からは、富山湾越しに遠く能登半島が望める景勝の地です。古くは、魚津城の戦いでの上杉景勝・直江兼続の着陣。より奥地にある松倉城の付け城として、湾が迫り平地が狭い新川地域の見張り台だった山城跡です。(城攻め記事はこちら)桜シーズンの末期となると、花桃が輪をかけて盛り上げます。残雪の立山連峰を背景に、華やかさMax!(桜+花桃の記事)Xperia5〈Apr/2024〉
名称:魚津城別名:小津城、小戸城城郭:平城築城年:1335年か築城主:椎名孫八入道か主要城主:椎名氏、河田長親(上杉氏)、須田満親(上杉氏)所在地:富山県魚津市本町1-10指定文化財:市指定史跡
本編のホームページに、魚津城の登城記をアップしました。本編のホームページはこちらです:http://cf916626.cloudfree.jp/index.html魚津城は魚津市の市街地にあった古城です。いつ築城されたのかは、分かっていないそうですが、室町時代には、東南に約8km程のところにある松倉城の出城として機能していたそうです。魚津は上杉謙信が治めるところとなり、1582年(天正10年)には織田軍の柴田勝家、佐々成正、前田利家らが攻め込み、上杉景勝との間で魚津城を巡る戦いとな
魚津城の戦いは戦国時代における主力級の攻城戦では珍しい玉砕戦となりました。80日余にのぼる籠城戦を耐え抜き、後詰めに来ていたはずの上杉本軍が分厚い攻囲網になす術もなく退却していくのを目の当たりにし、10人以上の将のそれぞれが首だけになっても自身の名がわかるように耳に名札をつけて自刃することにより終結するという、凄まじいまでの結末を迎えました。しかも落城したその日は本能寺の変の翌日で、魚津城落城の3日後にはその一報が織田軍に届いたことで、魚津城を占拠していた兵もろとも全面撤退となり、魚津城は再び上
越中遠征も最後になりました。今日はあっさり書きます。松倉城の支城、「魚津城」です。大河ドラマ「天地人」でも描かれていました「魚津城の戦い」の舞台です。「本能寺の変」が一日でもズレていたら越後の歴史は変わっていたかもしれません。今は、址碑しかなく、遺跡もありません。本丸跡に小学校が建っていますが現在は統合されて廃校になっています。城址に建つ学校がどんどん閉校廃校になっています。寂しいですね。行かれる方は「魚津城」よりも「大町小学校」で検索するといいかもしれ
こんにちは。富山県滑川市の運送会社の代表者で下道(国道、県道など)ドライブ大好きなシンです。さて、日曜日は、魚津市にある魚津城跡をのんびりサイクリングで巡ってきました。(おっさん作成の「とやまのお城マップです。127の城跡が登録してあり、これを自転車で巡ろうと考えています。)滑川漁港をスタートしたのは午前7時過ぎ。気温は26度ほどと、まださほど暑くはありません。海沿いのサイクリングロードに入ると、風が気持ち
春日山林泉寺へ。魚津城の戦いで自刃した、吉江宗信さんのお墓。ここは、米沢に行ったら必ずお墓参りに行く。このお墓がきっかけで、米沢商工会議所と魚津商工会議所は2000年に友好提携調印しています。(そこからあれよあれよと、米沢上杉が好きすぎて、魚津産業フェアで米沢の観光案内&物産販売お手伝いを10年もしていた、商工会議所に勤めたりなんかしていない、ただの一般富山県民🙋♀️)武田信清さんのお墓。武田信玄六男。武田家滅亡から逃れて景勝のもとへ。拝観料とは別に、吉江
【問題】天正10年、落城間近の魚津城で、守将たちが名誉のために取った行動とは次のうちどれか?【選択肢】一人ずつ名乗り出た上、大手から出撃して戦死した自らの戦功覚書を地中に埋めて、城に火を掛けた耳に穴を開け、自分の名を書いた札を結び自刃した武士をやめ、僧籍に入って改名した上で降伏した【正解】耳に穴を開け、自分の名を書いた札を結び自刃した【解説】天正10年(1582)、上杉方の魚津城は織田の大軍に包囲されていた。落城間近となり、守将13名はそれぞれ自分の名前を書いた木札を、耳
◇今日の大阪市は雲一つない快晴の一日となっています。花粉症ともおさらばです。爽やかです。もう半袖でもいいくらいの気温となっています。朝刊を読んでいると、大阪市でもいよいよコロナワクチンの接種券の発送日が決まったようです。年齢ごとに発送日が違っていて、私の場合は67歳ですので、5月6日に発送されるようです。接種券をもとに予約となるようなので、6月中にはワクチンを打てそうな感じです。それまでは、不要不急の外出は避けていきたいと思います。◆北国街道を歩く15日目;その3では、ほた
魚津城(別称:小津城)うおづじょう創設年代・・・室町中期創設者・・・・・椎名氏形態・・・・・・・平城遺構・・・・・・・碑城碑大町小学校(魚津城跡)同二代目ときわの松(上杉謙信の歌碑)二の丸跡の忠魂碑絵図古写真同本丸土塁跡?略史1335年に椎名孫八が築城したと言われている。戦国時代、椎名康胤が上杉氏から離反、上杉氏はただちに越中に侵攻し、松倉城・魚津城らを攻め落とし、椎名
名古屋城で春まつり地元の和菓子やフード、桜まつりではライトアップも名駅経済新聞名古屋城春まつり」が3月20日、名古屋城(名古屋市中区本丸1)内で始まる。フードブース「鯱(しゃち)食堂」では、地元和菓子店「亀屋芳広」...広島城天守閣を木造で再建へ市長が方針事業費86億円見込む琉球新報平岡優一市議(自民党・市民クラブ)の質問に答えた。1589年に築城が始まったとされる広島城は1945年8月6日の原爆投下で倒壊し、戦後に...【青天を衝け】“左利き”竹中直人、右
ご訪問くださいまして、有り難うございます。れっつごうです(^^)前回から、2009年NHK大河ドラマの原作にもなった、火坂雅志さんの歴史小説天地人を紹介しています(^^)主人公は、直江兼続(大河ドラマでは妻夫木聡さんが演じました)です。兼続は、若かりし頃、天下を狙うことなく「人が人である美しさ」という「義」にこだわる、師の上杉謙信の考え方が腑に落ちませんでした。しかし、謙信の死後、さまざまな経験を積む中で、心境に変化が出てきます
電鉄富山駅を発車した宇奈月温泉行き特急「うなづき1号」で、電鉄魚津駅を目指す。🚆特急のため停車駅が限られ、通過していく駅が多いが、運転席の斜め後ろの座席から前方を見ると、富山地方鉄道本線は、線路も設備全体も昭和時代から何も変わっていない鉄道と思えた。🛤️2年前に、今回とは逆のルートで糸魚川から富山駅へ、えちごトキめき鉄道+あいの風とやま鉄道に乗車したことがあり、ブログ👇https://ameblo.jp/ippeichanyagane/entry-12366095643
先日、とても不思議な出来事がありました。このコロナ禍で、坂散歩を含めて歴史熱が高まっているわたしに、時を超えたご連絡が届きました。わたしの先祖が故郷富山県魚津市の魚津城の城主「板屋刑部政広」であったことは魚津市民にも知られないマイナーな史実。それ以上に、金沢の鬼門を守る三つの「板屋神社」の存在を知る方は少ないと思います。ですが、金沢の繁栄があるのは、実はウチの先祖の「板屋兵四郎」が辰巳用水を設計施工した功績によるもの・・・それほどの功績がありながら、なぜか、兵四
2018年8月訪問●魚津城豆知識・織田vs上杉・80日間にわたる織田vs上杉信長の死により織田が陥落後1日で撤退。ここは。。。小学校跡地で夏休み中?に来れてよかった場所。通常時だと子供たちいっぱいで入る勇気なかったかも(-ω-;)説明面倒なので。。。看板パシャパシャ小学校敷地内へGOパシャパシャ本当に城跡って感じで。。。なんとなくわかった気になります。説明書きがいっぱいあるんですが。。。。何かの実が落ちて。。。血みたいに(-ω-;)。。。絵が綺麗なんです★
天神山城上杉景勝が訪れた城で、松倉城を中心とした、城郭群の一つ(支城)です。魚津城が望めます。それではスタート右に少し写っている建物(ホテル)は、廃業しています4台は駐車できます。こちらは魚津城評価3魚津歴史民俗博物館に人がいましたが城や博物館について一切説明ができず残念歴史民俗資料館は通常閉まっており、この話題に触れたら、開けるのがめんどくさそうな感じがしたので、お願いはしませんでした主郭に鉄塔がありこれも
魚津城は、15世紀ごろに、山城である松倉城の支城として、椎名氏によって築城され、永禄12年(1569年)に、上杉謙信が椎名氏を攻略し、上杉氏支配の城となった。魚津は上杉氏の本領・越後国との国境近くにあり、上杉氏にとっては最後の防衛線である。そして、魚津が落ちれば、越後は敵の侵攻を食い止めることはできない。天正6年(1578年)、上杉謙信が死去。その直後から越後国内で勃発した「御館の乱」は、2年の長きにわたり上杉家は疲弊し、謙信公時代の勢力が衰えてしまう。このような状況を、天下統一を
「本能寺の変」を決行した明智光秀は、衝動的にクーデターを起こしたわけではない。光秀は反・織田信長連合を組織し、新政権樹立の準備を進めていた。決行日を挟む約3週間における重要人物の詳細な動向を明らかにすることで、現在の「本能寺の変」研究は格段に深まっているという。日本近世国家成立史が専門の藤田達生氏による画期的論考を2回にわたってお届けする。(※)本稿は『本能寺の変』(藤田達生著、講談社)の一部を抜粋・再編集したものです。本能寺の変「前夜」、光秀の密使明智光秀は、すぐれた文武の才覚と幸
本能寺の変とはなんだったのか67/95本能寺の変の全体像13/412024/06/14ここでは近い内に「本能寺の変の全体像01~12」を読んでいる前提で、その話を進めていく。織田信長の人事。前回の続き。-仮公認は結局認められなかった、または厳しい処置を受けて当然だった枠-水野信元みずののぶもと※本能寺の変の全体像07で先述荒木村重あらきむらしげ※本能寺の変の全体像07で先述松永久秀まつながひさひで※本能寺の変の全体
富山の最後の城シリーズは魚津城で締めくくりますしかし魚津城は遺構がありませんイメージとしてはこんな絵面だと【魚津城】築城1335年廃城1615年城郭輪郭式平城天守閣なし松倉城の支城の一つとしては建てられていた室町〜戦国期にかけては椎名氏の城であった。魚津城が歴史的に有名になるのはやはり1582年の魚津城の戦い。織田軍柴田勝家40000と上杉軍守将13による3800により3ヶ月に及ぶ籠城戦で1582月6月3日に敗れ上杉守将は自害して果てた。奇しくも本能寺の
こんちは前回の増山城の次は松倉城ですあと100城まであと少し(笑)越中三大山城(増山城、松倉城、守山城)の一つである歴史的に有名な魚津城は実は昔は松倉城の7支城の一つであった。【越中松倉城】築城1335年普門利清?廃城1600頃城郭山城天守閣なし1335年頃に建てられたらしい南北朝時代は新田氏の配下桃井直常が支配していた。室町期に入り越中の守護北条朝時(北条義時の次男名越流)の被官の椎名氏が松倉城に入り畠山氏の越中東部守護代を勤めた。戦国期越中の混乱
○北陸本線紀行②宮崎から再び列車に乗って東へ途中、梶屋敷駅に下車(時系列は前年冬です)通過する特急「はくたか」同じく特急「北越」能生駅ここから再び西へ戻ります。入善駅富山県東部の重要な町魚津駅新幹線開業前は特急が停車する重要な駅でしたが、現在では普通・快速のみ。新幹線の駅は「黒部宇奈月温泉」駅になったためです。新幹線が開業する際によく問題になるのが、この新幹線の駅ができるか(他所にできて)できないか。それまで特急が停まり、乗り換えなしで行けたのが不便になるからです。さてここで
【問題】魚津城、天神山城、北山城、升方城などの支城を持つ城郭は次のうちどれか?【選択肢】村上城鳥越城松倉城酒田城【正解】松倉城【解説】越中松倉城(富山県魚津市)は周囲に多数の支城を持っており、魚津城、天神山城、北山城(金山城)、升方城などが知られる。松倉城跡は現在富山県の史跡に指定されている。
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前話の「電鉄魚津駅」の続きです。この日は小寒いながらもいい天気。海が近づいて来た。前夜に「魚津城址」を地図でたまたま発見して、この日の朝散歩の目的地にした。城マニアではないですが城好き。聞いた事がない魚津城。魚津城(うおづじょう)は、富山県魚津市にあった日本の城(平城)。別名、小津城、または小戸城。松倉城の支城のひとつ。天正10年(1582年)6月の本能寺の変直前の魚津城の戦いの際、柴田勝家率いる織田軍が攻囲していた城として有名。※Wikipediaよりナビ的にはもうじき到着。⁇、
お通夜で少し遅れましたが、大町公民館での大町未来会議に参加。来年度には小学校統合され、公民館の跡地利活用についてはそろそろその方向性を出さなければならない。従来数年間にわたって、ワークショップなどを重ねて来たが、夢が膨らんでなかなか決め手がない。過去の審議の結果などを整理して出来ることを絞っていかねば。もはや案は出尽くしてしまったように思われる。地方協働課などの市役所側も会議に出てくる必要があるだろう。今までの魚津市側の果たしてきた役割が問われるだろう。予算的な裏付けもない状況の中で何をど