私の実家は流山市にあって、50年前に常磐自動車道建設に際して大きな反対運動がありました。新規に分譲住宅が販売された翌年にその住宅地を横断するカタチでの建設計画が発表されたのです。恐らくは行政の大ボーンヘッドが原因でした。反対派は特定の政党などに依存せず、自らのグループから市議会議員を出して行政に直接参画して行政と連携した活動を行いました。1985年につくば万博が開催されるというタイムリミットが公団に課せられたこともあり住民の要求が相当受け入れられて、住宅地はフタかけ構造となり、その上に公園が作ら