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2010.5.1遠野の道の駅を出発して奥州平泉へ。高館義経堂北上川が流れている側の丘陵にあり義経最後の場所と言われているところです。近くには芭蕉の句碑『夏草や兵どもが夢の跡』北上川です。パノラマにしようとしてできていません。頭の中で合成して見て下さい(笑)桜が綺麗に咲いていました資料館義経を取り巻く人びと関連図ユニークな仁王御像中尊寺へ入ります弁慶堂境内では着飾った稚児達がいっぱい。何かの行事があったみたいです中尊寺金色堂中は撮影禁止だったので写真はありません
みなさん、こんにちは。岩手の平泉にある中尊寺と毛越寺は世界遺産で、有名なお寺ですね。天台宗別格本山・毛越寺(国指定特別名勝)山号を医王山。慈覚大師円仁によって嘉祥3年850年に開かれました。平安時代に作られた浄土庭園。仏堂と苑池とが一体として配された庭園の代表作です。藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に最盛期を迎えています。幾度かの戦いで、全ての建物を焼かれています。本尊は薬師如来です。大泉が池東西約180m南北約90mの池。宇治の平等院鳳凰堂の池を大きくして再現したと伝
えさし藤原の郷の翌日に、中尊寺や毛越寺を回り、最後にこちらへ来ました。「高館義経堂」。源義経の、人生終焉の地です。小高い岡の上にある義経堂。入場料300円でした。とほほこの岡の上に、義経の屋敷があったそうで。(あんまり広い岡じゃなかったと思うんですが💦)良い見晴らしでした。この景色のすぐ後ろにあった義経堂。義経の像が安置されています。ここに籠って最期を遂げた義経。義経を庇って、無数の矢を全身に浴び、それでも倒れなかった弁慶の仁王立ち。供
地元感を出していますが紛れもなく川崎の人(笑)レンタル自転車で出発です( ̄▽ ̄)あいにくと思われる天気ですが岩手県平泉方面の電気予報は晴れ!早朝に着いたので仕方ないかも知れませんねd( ̄ ̄)自転車なので好きな観光地を好きなタイミングで行けます!電車やバスだと時刻表を気にしますがこの日は気にせずあちらこちらに行けました♪ここ平泉源義経が最期を迎えた土地として紹介されています…まずは仕事でもご縁のある義経公にご挨拶をさせていただきました!「高館義経堂」感慨
2023年7月9日中尊寺から、次に向かったのは、奥州平泉に儚く散った若き英雄・源義経の終焉の地へ東北本線の踏切を渡ってすぐそこにありました高館義経堂(たかだちぎけいどう)岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14毛越寺の飛び地境内となっています。冬期は、拝観休止となってますので注意(毎年11月21日~翌年3月14日)北上川を見下ろす高館と呼ばれる高台にあります。源頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って平泉
昼食の後は毛越寺に昔を偲ばせる風景毛越寺の後源義経と家族の最期の地高館義経堂へ中には義経像が安置されています。松尾芭蕉の有名な歌碑義経堂の裏手からは北上川の絶景が。この時点で3時15分❗️3時51分一ノ関駅発松島に向けた電車に乗らないと💦急ぎ一ノ関駅へ向かいます。途中レンタカー返却するにあたってガソリン満タンにしなきゃいけなくて‥スタンドによるものおしゃべりしたりしててなかなか入れてもらえない😢レンタカー返却3時45分発車まで6分駅まで走ってPASM
中尊寺から自転車ですぐの高館義経堂(たかだちぎけいどう)へ義経堂ご本尊として木造の武者姿の源義経像が鎮座またまた「鎌倉殿の13人」を思い出す。資料館にはかなり年数経ってそうな木造の仁王像、迫力ありました。これ分かりやすーい!義経堂は眺めが良いとこにあります。松尾芭蕉の「夏草や兵共が夢の跡」「つわもの」って兵!漢字って難しい…😅義経終焉の地とされてる奥州平泉。日本各地にある義経伝説、チンギスハンだった伝説などなど、たくさんの伝説がある義経。謎のままがおもしろい…
岩手県遠征の最後は、義経堂です。源義経が、亡くなった場所です。芭蕉も訪れた地です。義経供養塔義経堂義経像義経堂由緒高館は北上川に面した丘陵で、判官館とも呼ばれています。現在では、その半ばを北上川に浸蝕され狭くなっていますが、この一帯は奥州藤原氏初代清衡公の時代から、要害地とされていました。兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経公は、藤原氏三代秀衡公の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判
平泉には東北初の世界文化遺産「平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群−」の中尊寺や毛越寺があります。仙台駅から平泉駅まで新幹線と東北本線を乗り継いで約40分孫ボーイがリクエストした中尊寺・毛越寺・高館を歩いて巡ると4.5km約1時間のコースですが、中尊寺では入口から金色堂まで坂道を少し歩くので、駅前でレンタサイクルを借りました。最初に平泉駅に近い毛越寺を訪ねました。■毛越寺寺伝によると嘉祥3年(850年)慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡から三代秀衡の時代に多くの伽
義経と弁慶終焉の場所とされる奥州平泉。「色かへぬ松のあるしや武蔵坊」中尊寺の僧・素鳥が詠んだとされる句。中尊寺表参道入口前の広場にて写真の弁慶堂は中尊寺参道中程「夏草や兵共が夢の跡」芭蕉高館義経堂高館は北上川に面した丘陵で、中尊寺から脇道入って車で3分程度だが駐車場が狭く、観光バスは駐車むつかしい場所となっています。前回団体旅行でパスされたのも理解できました。残念だった分今回はゆっくり。義経終焉の地小さい館も悲壮感ありました。義経自身は戦闘せ
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送が終了して半年以上が過ぎたわけですが、未だにそのロスから抜けられない〝火打石〟…今年の『どうする家康』が酷過ぎるのがまぁその原因だと思いますが、先日も週末の買い物ついで(?)に夫と清水冠者義高(こちら参照ウィキペディアはこちら)所縁の史跡である狭山市の清水八幡宮さん(ウィキペディアはこちら)をお詣りしてきた…GWは平泉で九郎判官義経公(こちら)終焉の地とされる平泉町柳御所にある高館義経堂(ウィキペディアはこちら)
ショコラのブログにお立ち寄り下さりありがとうございます初めての東北旅②毛越寺を後にして向かうは義経の最期の地高館・義経堂(たかだち・ぎけいどう)義経終焉の地源頼朝に追われ平泉に落ち延びた義経は藤原秀衡に守られこの高館に居館与えられましたが急襲にあい自害したと伝わる地仙台藩主伊達綱村が義経を偲び建立されたそうです松尾芭蕉もここを訪れこの有名な句を詠んだのだとか「夏草や兵どもが夢の跡」この高台からの景色春夏秋冬色んな姿を見せてくれるんだろうなぁ
髙館義経堂に到着!お堂に着く前に、資料館があり、義経の歴史が伝えられています。階段を登り、歩いてそんなに遠くない距離にお堂が建てられています。手を合わせ、目を閉じると、「待ってたよ。さあ、ゆっくり話そうではないか。」そう言って、近くのベンチに座るように指示されました。義経さんは、すごくお話したそうだけど、私は彼に何を聞いて良いのかわからず、旦那さんに質問してもらいました。まずは、義経さん自身が私に「私は英雄なんかじゃない。愚か者だ」そう言ったので、何
こんにちは旭通り校です旅の2日目は大本命の平泉ですここに!ここに来たかったんです!わたしは!ハイテンションで向かった先はお分かりですかこちらは…まず高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河なりの〝高館〟です!義経はこの地に散ったわけですね…そして、北上川もやっぱり撮りますよね‼︎本当に高館から北上川が見られるんだなぁ…ちゃっかり御朱印も旅はまだ続く
中尊寺を後にしたときすでに11時を過ぎていました。ここから高館義経堂経由で平泉駅に着くには1時間くらい必要です。足は疲れてパンパンな状態でしたが、12:25の列車に乗るため、必死に歩きました。それでも高館義経堂に着いたのは12時過ぎ。写真だけ撮って急ぎ足で立ち去ると言う有様でした。こちらが高館義経堂。堂の中に義経像が祀られています。右奥には義経一党の慰霊碑が写っていますが、気づかずじまいでした。こちらは「夏草や兵どもが夢の跡」の句碑です。これも写真を撮ってすぐ立ち去るしか
岩手の弾丸日帰り旅行で頂いてきた、たくさんの御朱印を整理していた日のこと。滞在時間4時間で広大な敷地の中尊寺と毛越寺を慌ただしく巡った日帰り旅行。改めて撮ってきた写真やお寺のHPをゆっくり眺めながら、お友達との楽しかった秋旅を思い起こしていました。弾丸日帰り旅行のお話はこちら。『秋のぷちトリップ☆延長戦!~中尊寺~』10月31日のハロウィン。秋のぷちトリップを楽しんだお友達と、高速バスに乗り込んで弾丸日帰り旅行に出かけていました。今回の旅の目的地は岩手県の平泉方面。秋のぷ…ameblo.j
藤原三代の栄華を極めた平泉には、ひっそりと義経堂が残る。平泉は源九郎義経が兄頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って訪れた地。義経堂は、居城があった場所とされ北上川を見下ろす高台にある。散々北東北の義経の足取りを巡っておきながら、伝説のスタートとなる地を参拝していないのも不思議な感じ・・・。義経が平泉を逃れ北東北を放浪した伝説は、北東北の各所を巡り判官贔屓からくる伝承だと自分の中では完結しているけど、あれだけの強者が、秀衡に打たれるなら納得も出来るけどねえ・・さえない泰衡にやられてしまうとは少
1泊2日岩手県南一人旅初日初日の前半は、はじめて平泉の世界遺産巡りをしてきました。そこでどのように回ったのか、所要時間はどれぐらいだったのかなどについて中間まとめをしてみました。スタートは8時05分一ノ関駅前のオリックスレンタカーから出発です。世界遺産巡りをするにあたりほとんど予備知識がなかった私は、まず平泉文化遺産センターで少し勉強してからにしようと思いました。が、開館が9時からなので、それまでの時間をどうするかということで達谷窟毘沙門
1泊2日岩手県南一人旅初日世界遺産の無量光院跡から高館義経堂(たかだちぎけいどう)に向かいました。▲駐車場は無料です。駐車場から坂道を2分程のぼって行くと到着。拝観料は300円「源義経最後の地」と書いてあります。そう、ここは源義経が最後を遂げた地です。平家との戦いで大活躍した義経でしたが、兄源頼朝の怒りをかってしまいます。義経は戦の天才でしたが、頼朝の許可なく後白河法皇から官位を受けたり、身勝手な行動も多く頼朝はそれを許せな
はじめてこのブログをご覧くださる方は、ぜひこちらをお読みくださいませ。未確認飛行物体と高館義経堂まとめ”写真”は文字通り、真実を写すもの。未確認飛行物体から繋がったお役目に関する記事を纏めました。よろしければご覧くださいませ。『2020.8.1未確認飛行物体を撮影した日』<2020.8.1>この日私たちは、お隣の市でのセッションを終え、県道38号線を走っていました。ふと空を見上げますと、素敵な雲が広がっていたので、…ameblo.jp『2020.8.9
<2020.8.15>『81』にまつわるあるモノを、岩手県平泉にある「高館義経堂」に奉納してきたとX氏から連絡がありました。私が伝えたバージョンではなく、X氏バージョンのものを3日間で作成したそうなのですが、私たちは、二人でそれを写すだけでも1週間近くかかりまして、、、どれほどエネルギーが必要かよく分かります。色々教えていただけるだけでなく、そんな意味でもX氏には頭が上がりません。さて、
東北旅行2日目は、仙台を離れてNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題になった奥州平泉を訪ねました奥州平泉は、平安時代後期に藤原清衡を初代として、基衡、秀衡、泰衡の奥州藤原四代により平泉文化が築かれました中尊寺中尊寺といえば「金色堂」・・・天治元年(1124年)に造立され、堂宇全体を金箔で覆って、経典に説かれた「皆金色」の極楽浄土を表現しているそうです(金色堂新覆堂)金色堂は撮影禁止なので…(旧覆堂)(本堂)高館義経堂源義経公は、高館に居館を与えられ
<2020.8.9>『89』は私のバースナンバーだと書きました。私は、この2020年8月9日で『38』歳を迎えました。先日8月1日に未確認飛行物体を撮影したのが『県道38号線』『2020.8.1未確認飛行物体を撮影した日』<2020.8.1>この日私たちは、お隣の市でのセッションを終え、県道38号線を走っていました。ふと空を見上げますと、素敵な雲が広がっていたので、…ameblo.jp私たちは、同じ数字がシンクロするように現れる時は
今晩は🌛いつもお越しいただきありがとうございます朝からハーブの剪定とそれらの挿し木をやり午後は庭の草退治たーくさん汗をかいたのでシャワーを浴びてからウォーキングに行きました🚶♀️~🎶今回はこちらのつづきになります⬇️地味にコツコツ書いております『螺鈿細工が白く輝く中尊寺金色堂』『中尊寺にはお堂がいっぱい』こんにちはいつもお越しいただきありがとうございます今回はこちらの続きになりますあわせてよろしく
最終日は、『高館義経堂』栗駒山と青々とした水田高館義経堂(たかだちぎけいどう)からの景色北上川義経は兄の頼朝に追われて少年期を過ごした平泉に逃げてきて、藤原氏三代秀衡の庇護のもと高館に屋敷を与えられました。が頼朝の圧に耐えかねた藤原氏四代泰衡の急襲で妻子と共に自害したそうです。ランチは世嬉の一こちらは『こはるこーら』砂糖不使用のクラフトコーラです。お餅御膳一ノ関は江戸時代から餅文化が息づく街。ずんだ、胡麻、こし餡、ネギ餅今回の『ふらっと旅』はいつもの
終焉の地昼食を取って少し休憩した後は、次の目的地に向けてまたバス乗車。降りたところは紫陽花が綺麗に咲いていました。見るからに人気のなさそうな道を歩きます。途中で一組のご夫婦とすれ違い、良かった人がいる~と一安心。登り切った先、北上川が眼下に流れています。この景色を弁慶と義経も眺めたんですね。そう、目的地はこちら。岩手県平泉町高館義経堂岩手県平泉町、義経終焉の地高館義経堂の公式サイトです。ww
おはようございますだらだら書いていますが、まだまだ続きます平泉町にある高館義経堂源頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って平泉に逃れた義経が、文治5年(1189年)最後を遂げた居館のあった場所とされています。毛越寺もうつうじって、読めないよね世界遺産です。とても広くて庭園が美しい〜でも中尊寺の後だったので、くたびれてしまって全部は見れませんでした吉永小百合さんの大人の休日倶楽部のCMにも使われていて、ポスターがありました。御朱印達谷窟毘沙門堂1200年の歴史のあるお寺岩面大佛高
①高館義経堂頼朝に追われた義経が秀衡公の庇護の元、居館を与えられたのが高館の地。義経の木像が安置されています。北上川の向かって左が衣川古戦場のあった場所です。芭蕉が平泉を訪れたのは1699年旧暦5月13日。(6月29日)ちょうど今頃だったのですね。②無量光院跡秀衡が建立した寺院跡。宇治の平等院鳳凰堂を模して造られたとのことですが、現在はこんな感じ・・。お天気が曇っていたせいもあるかも、ですが、工事のカラーコーンがかなりガッカリポイント。ネットでお写真を見て、名前と合わさって憧
こんにちは約2週間ほど岩手での記事より離れていましたが、再開して岩手県で過ごした時間を少しずつ綴ってまいります。次は、源義経公終焉の地、高館義経(たかだちぎけい)堂です。こちらで拝観券を購入します。丘陵地のため、急な階段や坂を登りながら義経堂などへと向かいます。義経堂をおまいりしました。義経は兄の頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びました。この地で妻子とともに自害したと伝えられています。天和3(1683)年、仙台藩主第四代伊
こんにちは。ご訪問ありがとうございます。今日は良いお天気私はレッスンオフなので、松尾芭蕉の【おくのほそ道】をたどる旅の続き、どんどんアップしていけたら、と思います。東京〜仙台〜岩沼〜竹駒神社〜武隈の松〜多賀城碑〜末の松山、沖の井〜鹽竈神社〜松島と回った1日目↓こちらになります『芭蕉の旅2022①岩沼〜松島へ』こんにちは。ご訪問ありがとうございます。今日から三日間、生徒さんのレッスンをおやすみとさせていただき、松尾芭蕉の【奥の細道】をたどる旅へ来ています。何度かこ…ameblo.