大同4年(809)の春頃であったろう、和泉国司に対し「空海を京に住まわしめよ」との太政官符が下る。同年(809)7月、空海は満を持して京の高雄山寺に入った。高雄山寺は和気氏の私寺であった。和気氏は清麻呂が最澄(天台宗)の外護者となって以来、次代の広世もこの寺を最澄に任せ、伯母の広虫(清麻呂の姉、出家名「法均」)の追善法会も最澄に頼んで行ったくらいであった。空海はその山に迎えられたのである。最澄は自分の立場の変化をを察知し、進んで空海に住持の座を譲ったのであろう。この人事を根回ししたのは、おそらく