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「昭和歌謡」テーマでの記事、5本目になります。昭和30年代に入る頃から、日本経済は高度成長期に入っていきますが、この時期に生産現場を支えたのは、地方(農山漁村)から都会・特に東京大都市圏に働きに出た若い人たちでした。この頃から都市は過密、地方は過疎という人口の偏りが急速に進行していくのですが、その過程で地方で多発した「別れ」を題材とする多くの歌謡曲が流行しました。例えば、昭和30年「別れの一本杉」(春日八郎)、昭和31年「哀愁列車」「リンゴ村から」(三橋美智也)、昭和32年「柿の木坂の家」
デジタル画伯の「yahanのデジタル絵画から」さんから「別れの一本杉」の絵を描いてみないかと宿題を頂いた「別れの一本杉」は「春日八郎」の歌で作詞は若くして亡くなった「高野公男」だと知っていたが作曲が「船村徹」だとは知らなかったネットを調べると「春日八郎」が苦労に苦労を重ねようやく歌手として脚光を浴びてきたころ駆け出しの作曲家「船村徹」がキングレコードの廊下で春日にぜひ聞いて欲しいと「別れの一本杉」をギター演奏し春日は即座に歌わせて欲しいと言ったという私的には
昨日は、栃木県の今市に行きました。日本コロムビア所属、村木弾さんのコンサートの司会でした。会場は、ニコニコホールです。船村徹先生のご当地!「村木弾コンサート~師匠・船村徹を歌い継ぐ」!コロナ対策万全で、お客様に楽しんでいただきました!主役・村木弾さんと、換気中をアピール!↓大作曲家・船村徹先生の数多くの名曲を歌唱し、村木弾さん、圧巻のステージ!!ゲストに、高瀬典子さんをお迎えしました。生バンドの2時間半のショーは、私も舞台袖か
ファミマ~交換品でした~(^▽^)/どれも~先週までの~交換は明日9日までの~同じ商品のど飴は~やはり味違いで交換してきました。黒いブラックサンダーは、100円引き価格で今回で2個目でした。前回の白いブラックサンダーも家にあるので~牛乳(ミルク)買ってきて早めにでも~頂きたいと思います。こちらは~セブンイレブンで明日まで交換のプラスワンです。先週かなぁ?同商品交換に行ったセブンイレブンでは、ごま油味が置いてなくて~バター醤油味うすしお味各1ずつもらってき
少なくとも私のような昭和世代の方は、彼の作品をカラオケなどで一度は歌ったことがあるはず。今日は戦後歌謡界の重鎮にして、歌謡曲の作曲家として初めて文化勲章を受章した船村徹さんの命日・没後5周年にあたります。船村(本名:福田博郎[ひろお])さんは、1932(昭和7)年に現在の栃木県塩谷郡塩谷町で生まれました。獣医だった父親がクラシック音楽レコードの収集家だったことが影響してか、小学生時代に早くもトランペットを吹いていたとのこと。高校時代は音楽部長を務めま
今週のエフエム戸塚(83.7MHz)「モナオのごきげん歌謡曲」。今回のコメントゲストは、村木弾さん。昨年、牛島絹子さんのイベントでお会いしました。村木さんは、1月12日に新曲「友情の星」を発売されたばかり。故船村徹氏と、盟友であった故高野公男氏の友情をモデルに、いではく氏が書き下ろした詩。船村氏に曲を依頼していた最中に、船村氏が他界。今回、船村氏のご子息の蔦将包氏が作曲し、船村氏の最後の内弟子である村木さんが歌うことになったそう。番組では、前作の「ほろろん演歌」と2曲お聞きいただき
浅草演芸ホール7月上席、沢山のご来場本当にありがとうございました。この、ご時世、天候にも関わらず、何日もご来場いただいた方もいて、本当に感謝申し上げます。この芝居は、様々なジャンルの噺を聴いていただきました。私がトリで口演した噺は以下になります。初日・中村仲蔵2日目・お若伊之助3日目・明烏4日目・牡丹燈籠中日・妾馬6日目・景清7日目・宗珉の滝8日目・竹の水仙9日目・茶の湯千穐楽・幾代餅またどうぞ寄席のほうに足をお運びくださいませ。
★全曲へのリンクリストは←こちら~~♪あのときあそこでこの歌を…♪~~「ご機嫌さんよ達者かね」とらカラ349作詩:高野公男、作曲:船村徹、唄:三橋美智也、カバー:とらじろう昭和30年(1955)発売。民謡で鍛えた伸びやかな高音と絶妙のこぶし回しで昭和30年代の日本の歌謡界をリード。三橋美智也(本名:北沢美智也、1930/11/10-1996/1/8、65歳没)は北海道上磯郡上磯町峨朗(現在の北斗市)生まれで函館市育ちの演歌歌手。多くのミリオンセラーを連発。NHK紅白歌合戦に
★全曲リンクリストは←こちら「別れの一本杉」とらカラ012作詞:高野公男、作曲:船村徹、唄:春日八郎カバー:とらじろう昭和30年(1955)2月発売。(レーベル:キングレコード)僕は高校2年生だったんだ!?昔の歌は長きに亘って歌われましたね。若かりしころ都会に就職した僕は望郷の思いで、故郷ものの歌をよく口ずさんだものです。昭和30年代にはこの種の歌が多かったように思います。作詞の高野公男はこの曲が発表された翌1956年に結核に罹り26歳で死去しました。ご訪問ありがとうご
高野公男・船村徹友情無限コンサートに行ってきました。13時半~開場入りが伸びましてでも遅れて始まり地元の歌手2名藤原大さん♪ありがとう妻よ(2015年デビュー)♪いつまでも二人で中川ちさとさん(歌手歴52年だそうです)検索したら鉾田在住で新聞も取り上げられてる。
今日は師匠の無二の親友である高野公男先生のふるさと茨城県に常磐線特急ときわに乗って向かっています🚄9月23日に開催されます船村徹を歌い継ぐ内弟子5人のコンサート「友情無限」の前挨拶も兼ねての訪問で~す🎶最高の天気に恵まれて水戸へ特別ゲストは松原のぶえさんです
昭和31年青木光一さんの早く帰ってコ二郎さんならではの曲「はやくこ〜う」「はやっこ!」この強弱変化感情同じ言葉なのに二郎さんが歌うと違う正に二郎さんの魅力曲力実力思い入れそれをそれを引き立てる感情を倍にする船村徹先生の作曲特に「こ」のあとの笛の音前奏間奏からも感情が生まれる。船村徹先生は偉大。もっと、聞きたい。もっと、もっと聞きたいです。
あの娘が泣いてる波止場昭和30年三橋美智也さんの歌です。弾ちゃんの声量を気持ちがいいです。歌っている間もファンがうまい、うまい、と声が聞こえます。弾ちゃんのパンチは凄い。時に思いますが、弾ちゃんの言葉は「あ」という一文字にも感情が入る気がします。例えば、「だったんだとさ〜」の「さ〜」「あああ〜」あの子が泣いてる…波止場「ばあ〜」確か、小西さんの講座で美空ひばりさんが一文字だけで一小節を歌い上げるというお話がありました。弾ちゃんのパンチのある
2019年2月1日コガ・ミュージアム講座船村徹の世界第1部は、小西良太郎さんの講座船村徹先生の歴史と共に解説と曲が流れました。CDの曲に会場は魅了されて大きな拍手が会場に響きます。波止場だよ、お父つあん哀愁波止場と続き歴史は、高野公男先生へと進みました。ご機嫌さんよ達者かね昭和30年三橋美智也さんの歌を走裕介さんが歌いました。走さんのご機嫌さんよ達者かねは栃木弁がいっぱい聞けてとっても、楽しいです。以前も、走さんは栃木弁で歌って鳥羽一郎
高野公男先生の没後60年祭演奏会が満席の茨城県立文化センター大ホール昼・夜満席のお客様に船村徹先生の熱い想いが伝わりました。9月8日高野公男先生のご命日です。今年2018年9月7日神戸で行われた演歌巡礼神戸で、二郎さんは、「明日が高野公男先生の命日です。」とステージで語っていらっしゃいます。静太郎さんブログ・facebookhttps://ameblo.jp/shizuka-taroh/entry-12403992350.html今年
船村徹先生が回復されて退院されました。先生は親友高野公男没後60年祭演奏会高野公男・船村徹友情無限を、高野公男先生の故郷茨城で2016年9月30日(土)開催されました。船村徹先生は、お元気になられて高野公男先生との思い出を話して下さいました。二郎さんはあの娘が泣いてる波止場早く帰ってコを、披露されました。自身の曲「一徹」二郎さんの前に走裕介さんがロック調の「山が、笑ってら」を歌われました。二郎さんは、ロックから演歌に一瞬で変化させる会場の空気を
先日、茨城県笠間市高野公男先生のお墓参りに行って来ましたすっかり涼しくなり秋を感じました🦗🦗🦗今頃船村先生とあちらで新しい楽曲を作っていたりして〜😅それ‼️絶対‼️欲しいですが叶わぬ夢かな〜😵
9月8日は…高野公男先生の命日…船村先生が欠かさなかった…高野公男先生の御墓参り…先生の意思を継いで…いらっしゃったのですね…先日…茨城でのキャンペーンでも…弾くん…こんなこと…話していました…船村先生…遠くへ行っちゃったんですが…茨城は…高野公男先生の故郷…先生の命日9月8日には…毎年必ずお墓参りに来てました…本当は…別な歌を予定していたのですが…マスターのリクエストで…♫別れの一本杉を…カレーをご馳走になった手前…あまり…この歌…歌ったことないのです…弟
師匠船村徹の無二の親友、出世作「別れの一本杉」の作詞家高野公男先生のお墓参りに静太郎・天草二郎・村木弾の3人で行って参りました。先生がいつも言ってました「高野公男がいなかったら、今の船村徹はいない」と・・・・と、言うことは高野公男先生がいないと自分たち内弟子も存在しないということ。お墓の周りを掃除してお花を供え、手を合わせてまいりました。今ごろあちらの方でお二人して酒を酌み交わしながら、久しぶりの高野・船村作品の構想を練られていることでしょう。僕らがそちらに行った時に一曲でもい
12月26日、今年2017年2月に亡くなった船村徹さんの特集がありました。のっけから、春日八郎さんの「別れの一本杉」と三橋美智也さんの「ご機嫌さんよ、達者かね」がかかり超うれしかったです考えてみたらお三方とも、あちら側に逝ってしまわれたんですよね。でも船村徹さんは80代までがんばられたわけです。いまは、天国で、高野公男さんと4人で、ラジオ深夜便を楽しんでおられることでしょう。やっぱり高野公男さんの詩はすばらしいです。春日八郎別れの一本杉高野公男作詞船村徹作曲
今日は作詞家高野公男先生のお墓参りに行ってまいりました。天気もよく晴れ渡った青空と少し秋を感じさせるような心地のよい風がそよぐ命日の一日でした。今年は24回目のご命日の墓参りです。
前回に引き続き、作曲家、船村徹さんと、作詞家、星野哲郎さんが歩んできた道をたどっていきます。左が船村徹さん、右が星野哲郎さん船村徹さんは、大学在学中に、唯一無二の友、作詞家、高野公男さんと組んで、作曲活動を始めます。なかなかヒット作が出ず、泣かず飛ばずの状態でしたが、春日八郎さんのもとに売り込みにいき、「別れの一本杉」がレコード化されました。「別れの一本杉」は、50万枚のセールスを記録する大ヒットとなりました。Youtube映像ところが
五木ひろし「わすれ宿」(作詞・中山大三郎、作曲・船村徹)「男の友情」(作詞・高野公男、作曲・船村徹)~カップリング曲~(2017年4月26日発売)船村徹先生に追悼と感謝の気持ちを込めて発売します!五木ひろし待望のニューシングル!ファイブズエンタテインメント設立15周年を記念する渾身の力作!五木ひろしがニューシングル「わすれ宿」を、4月26日に発売した。2月に他界した作曲家・船村徹氏の追悼作品で、氏の作曲による表題曲(作詞は中山大三郎氏)は、38年
茨城県笠間市への旅は笠間八坂神社祇園祭見学ともうひとつの目的作曲家船村徹さんとの名コンビで誕生したあの名曲「別れの一本杉」の作詞家高野公男さんの故郷探訪高野さんは現笠間市大郷戸で生まれ大ヒットしたこの曲誕生後26才の若さで世を去った歌手春日八郎(一)泣けた泣けたこらえきれずに泣けたっけあの娘こと別れた哀しさに山のかけすも鳴いていた一本杉の石の地蔵さんのよ村はずれ(二)遠い遠い想い出しても遠い空必ず東京へついたなら便りお