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今日は娑婆に復帰し、南三陸町から涌谷へ。台湾の地震の報道をラジオで聴きながら、移動。南三陸町で高野会館に立ち寄る。東日本大震災の時、ここで、高齢者の芸能発表会が開催されていた。津波が来ると判断した施設の方が高齢者の方全員を施設に留め、最上階に誘導した。高齢者たちや近隣の住民、あわせて327名と犬2匹が無事に救助された。ホテル観洋のバスが止まっていた。ここは同じ「株式会社阿部長商店」の所有。オーイング菓子工房Ryoでマドレーヌを購入し、甘い香りに包まれながら、移動。
みなしゃんお元気ですか、momojiroなんだワン今月の1日の日曜日「道の駅おながわ」さんで目覚めたら小雨模様だったから、ゴハンを食べたら走るよ走る、momojiro号~~~雨でございますからはばかりタイムを済ませただけで出発してしまいましたのよbyしずか寝てれば晴れるのでごじゃるよ~~~by文汰お洋服が汚れますから昨日と同じお洋服でございますのよ・・・・・byしずか海でごじゃるか・・・・・・by文汰こちらは北上川の河口付近でございますねbyしずか
※震災遺構の写真があります。閲覧の際はご注意下さい。前後の記事はコチラから。2023南三陸慰霊の旅|「あずさ」に乗ってどこまでも☆梓エミリーさんのブログテーマ、「2023南三陸慰霊の旅」の記事一覧ページです。ameblo.jp戸倉小跡地の次に立ち寄ったのは、ホテル観洋が所有する民間の震災遺構「ブライダルパレス高野会館」だ。ブライダルパレスという名前のとおり、南三陸町では数少ない総合結婚式場であった。震災当時、高野会館では地域住民(高齢者)による芸能発表会が行われており、
皆さま、こんにちはもう11月今年も2ケ月を切りました。今年も早かった…デス先日、初の仙台に行ってきました。仙台駅から2時間バスに乗り南三陸へ。東日本大震災から11年、現在はすっかり整備されていますが、あの日以降この町には駅はありますが電車は走っていません。語り部バスで被害にあった小学校の跡地や現在も残してある高野会館で貴重な話を伺いました。その後、南三陸311メモリアルへも行きました。隈研吾さんの設計です。とても貴重な体験でした。予期せぬほどの大きな自然災害が起
毎年伊藤さんに語り部ツアーでご案内頂く高野会館。多くの方々の命を救い、今もなお災害対策の教訓を学ばせて頂ける貴重な遺構です。【独自】震災遺構・高野会館のガラスや内壁に損壊被害宮城・南三陸、警察が事件として捜査|河北新報オンラインニュース東日本大震災の津波被害を伝える宮城県南三陸町の民間震災遺構「高野会館」で、ガラスや壁が壊される被害があったことが5日、分かった。所有する同町の南三陸ホテル観洋から被害届を受理した県警南三陸署は、器…kahoku.newsなぜこのような
昨夜は中秋の名月、久し振りにお月様を愛でましたコロナ禍での3回目の夏が終わり、この夏は何をしたかなって、こんなことを昨年も思ったような気がしますそして~旅ブログの続きです民間の震災遺構、高野会館へ団体ツアーへの見学の第1号だそう宿泊したホテル観洋さん所有の建物で、総合結婚式場でした💒4階の少し上まで津波が…あの日、こちらでは町の老人会の集まりがあったそう…あの時間、閉会の時間でした…ホテル観洋さんのロビーの一角に震災に関する新聞記事等がパネルにされて
まだまだ暑い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしそれでも、朝夕は時折涼しい風を感じるようになりました間が空いてしまいましたが、家族旅行三日目の朝目覚ましが無くても、やはり早起きしてしまいます前日の夕食時に配られた紙にだったかな・・・翌日の日の出の時刻が記載されていました携帯で見る予報では曇りか雨で、あまり期待はしていなかったのですが結局、いつも通り目が覚めたら丁度日の出の時刻w色々試行錯誤しましたが窓ガラス越しのため、部屋内が写り込んでしまいましたwしばし堪
南三陸の方々が多く入った登米にある仮設住宅毎月行ってたこともあって、多くの人達と知り合って、いろんなことがあったのも思い出の1つです。ここで知り合った方々住民のかっちゃん。定期的に電話をくれるのだけど、先週も電話がありました。関西からテレビ局の方がこられて取材を受けたとのこと。3月9日に関西で流れるって言ってたよと。困った。なんの番組、、、???名刺をもらったというので、聞いて、取材された会社に電話をしてみると、折り返し、確認してくれて、担当のディレクターさんから電話してくれまし
「南三陸ホテル観洋」宿泊~翌朝~7時朝食バイキングへ~↑前日の夕食とは違う所で食べましたまたまたシャンデリア素敵↓とっても広いホール↑またまたまたまた(しつこい)シャンデリアが素敵でした↓ステージ発見↑なんて素敵なステージなんだ幕があがった所が見たくなる~朝食も沢山美味しそうなおかずがあって、沢山とっちゃったからお腹いっぱいすっごく美味しかったですその後はまたお風呂へ~最後はまた東館のお風呂を堪能してきました~10時のチェックインまで1時間くらいあったので
早いもので、8月も最終日になりました朝は晴れてましたが、とても変わりやすいお天気らしいですね書き始めたのは朝だっけど、結局今は夕方になってしまいました本日もお立ち寄り頂きまして、ありがとうございます昨日に引き続き、被災地について書きますが、まだ1日目の午後ですその日の夜お泊まり予定のホテル観洋さんでランチを頂いて、そこの従業員さんが語り部さんになりますホテル観洋さんは、被災した時も大勢の避難場所として使われたそうで、今も積極的に会社をあげて復興努力をしているホテルですとにかく立地が
久しぶりの車中泊、お邪魔したのは『道の駅大谷海岸』国道45号線沿いだけど三陸道の無料区間にあたる部分なんで通行量は少なめ、少し狭いけど静かで良かった、ただ天気が最悪💦風が強いもんで車が揺れて気持ち悪い😭😭😭それでも何とか気持ちを切り替えて出発❗️最初の訪問地は旧南三陸町庁舎、写真を見れば大抵の人はわかると思います最後まで町民に避難を呼びかけて自身が津波にのまれて亡くなった若い女性の話が有名だと思います、ただこの庁舎では他にも多くの方が亡くなられていますそして防災庁舎近くにもう一つ震災遺
志津川にて。志津川病院と高野会館が見える。破壊された町。病院の2階窓付近、庇に船が乗りあがっていた。震災当時、病院では思うように動けぬ患者を最上階へ必死で運んだ。だが、全員を救うことはかなわない。一方、高野会館では歌や踊りの発表会があって賑わっていた。地震後、従業員が客を引き留め、上階へ避難し助かった。目の前で流されていく人を、なす術もなく見送ったあの日。どうしたら助かり、助けられるのか。様々な改善改良を、今を生きる者は考えねばならない。参考:河北新
皆様いつもご支援ありがとうございます。東北応援ツアーの二日目はタイトなスケジュールでしたので、一つ一つ記事に上げます。毎年必ず南三陸ホテル観洋の語り部バスツアーをお願いするのですが、今回は私達のバスで伊藤さんに乗り込んで頂き、ツアーをさせて頂きました。伊藤さんには二日目の準備をして頂き、感謝の気持ちで一杯です。伊藤さんに語り部として案内頂きました。写真にある戸倉中学校は、時計が2時48分で止まっており(東日本大震災は2時46分発生)、9年前から時間が止まっているかのようでした。
マムとテリーなかよくトラベりな3月21日(土)11時間も寝てしまった・・・おかげでスッキリ風はあるものの前日よりは弱まっていたので、早速移動します午前8時、南三陸町さんさん商店街に到着〜けっして忘れないために、そして後世に伝えるために〜初めて被災地を見て回ります。震災遺構【防災対策庁舎】http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_bosai-tyosya.htmlさんさん商店街からは、建物跡上部しか見えません。保存か解体か何年か話し合われたよう
今週末は3月29日(日)高石・CafePiacere(ピアチェーレ)大阪府高石市綾園1-6-20TEL:072-275-7372Open14:00/Start14:30MC4,000円(1プレート1ドリンク付)YU-ME(Vo.)木須康一(Pf.)※若干お席に空きが出たようです。ご検討中の方はぜひご連絡ください。名古屋を代表するピアニストのひとり木須康一さんと共にお届けします。この機会をどうぞお見逃しなく!その他のイベント情報はこちらからどうぞ「20
そして私達は陸前高田から南三陸町へ。やっぱりこの町もほとんど何もなかった。かつては沢山の人達が暮らしていた町だったのに悲しいほど何にもないのだ。一部開園した復興記念公園の中にある「祈りの丘」からは遠くに海が見渡せる。あの日荒れ狂ったなんて信じられないほど穏やかな碧い海。いま、碧き海に祈る愛するあなた安らかなれと祈りの丘の頂上にある名簿安置の碑。ここには犠牲になった804名の名前を記
朝7時半に気仙沼を出発した気仙沼線BRTの柳津行きは一時間ほどで南三陸町に入りました。さらに歌津あたりから内陸へと進路を変えます。清水浜を過ぎるとBRT専用道を下りて一般道へと向かいます。この先志津川までの区間は地元の生活に寄り添った新しいBRTのルートになっています。まず志津川中央団地から一度大きくルートを迂回して向かった先は、南三陸町役場・病院前。南三陸町役場の本庁舎は平成29年に完成した。BRTはその後再び国道に戻って南三陸町の中心駅である志津川
2020年3月11日で東日本大震災から9年。9年経っても被災遺構を説明する文章や感想がうまくかけません。毎年3月11日が近くなると会社の人たちは、「あのときはこうだった」「こうしてた」「たいへんだったよね」って周りの人は思い出話のように話しますが、私はそういう会話もいやなんですよね。。昨年の10月に南三陸を訪れたのですがブログの下書き用に写真だけupしたもののやっぱり言葉を添えられず。でも語り部さんのお話を聞き実際の遺構をみて写真に収めてこのままではだめだ
おはようございます🌞9/8から日本一周しているおかちゃんです。昨日は雨のため停滞でしたので旅行記ではなく東日本大震災のことを書きたいと思います。本日3/11で東日本大震災から9年が経ちました。僕は今回の旅で9年前に被害を受けた宮古、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻などを通ってきました。沿岸沿いには今は本当に何もありませんでした。「また津波が来たら流される」という思いから沿岸沿いに住む人がいないため何も建てられていないのです。その代わりにどこの地域も震災を風化させ
おはようございます🌞9/8から日本一周しているおかちゃんです。昨日は宮城県の気仙沼市から南三陸町まで来ました。まずは道の駅大谷海岸に来ました。こちらで有名なのほやおにぎりです。そしてホタテおにぎりもいただきました。とても美味しかったです。気仙沼市から南三陸町に入りました。南三陸町は4年前にボランティアで来た事がありどのように復興が進んでいるのか気になります。4年前と比べて南三陸の街は復興が進んでおり生涯学習センターやスーパー・飲食店が新たに出来ており大きく変わったと思いま
東日本大震災から運行されているホテル観洋の「語り部バス」南三陸をバスで回り、あの日何があったのか生死を分けた決断とはそして被災地は今どうなっているのか震災を経験したホテルの従業員が自身の実感も踏まえながら語ります。2017年からホテル観洋に泊まるたびに必ず参加している「語り部バス」道が増えていたり、今まで見えていた景色が盛り土で見えなくなったりと毎回変化を感じます。それだけ、復興は現在進行形ということ。震災から8年以上が経っても、この地に住んでいた人々が戻ってくるために
七月二十八日(日)伊達藤五郎成実である。毎月開催の伊達武将隊バスツアー。今月のプロデュース武将は片倉小十郎景綱!題して、『軍師と行く!南三陸震災復興応援ツアー』。ここ数年、景綱は愛する南三陸町を応援すべく、毎年この時期にバスツアーを開催しておる。供するわしはというと、これまで南三陸町へは足を運ぶ機会が少なかった。此度は景綱の誘いを受け、晴れてバスツアーでの出陣が叶った次第。実に嬉しい!!仙台駅を出発し、南三陸町各地へ赴いた。泊浜漁港ではホヤの養殖を行っておる高橋殿の漁船で南
2015年度に京都弁護士会の副会長をしていたときの理事者5名で、宮城へいってきました。目的のひとつは、多くの児童が被害にあった大川小学校への訪問。ほかにもたくさんの印象的な出来事のあった旅行になりました。何回かに分けて振り返ろうと思います。初日に宿泊したのは、「南三陸ホテル観洋」。震災時には、多くの被災者を受け入れられたということです。お名前が「観洋」というだけあって、目の前が海。素晴らしいながめです。しかし、震災の津波の直前には、この海面が引
南三陸さんさん商店街から見た八幡川。上流側。まだまだ復旧工事の真っ最中。対岸の防災対策庁舎。庁舎の奥では、土砂のかたまりだったのが、丘に形成されていました。河口側国道45号線の橋。高野会館。今後、どうなるのか気になります。
片倉小十郎景綱である!!伊達武将隊バスツアーのプロデューサーとして南三陸町へ赴いた。【これぞ宮城の海!南三陸で漁業体験&震災復興語り部ツアー】南三陸町でお客人と共に巡った地を振り返って参る。【泊浜漁港】地元の漁師W高橋殿の説明を聞き……いざ、出帆!!波の影響もあり、漁業体験ではなく遊覧を愉しんだ。港に戻り、漁師殿が用意した新鮮ホヤの試食会へ。わしにとって、ホヤの殻剥きは容易い事よ。新鮮なホヤをどれほど食したであろうか。10個は口にしたであろう。絶品ホヤ最高じゃ!!(次は
平成30年3月6日から8日まで、東日本大震災の被災地を見学した時のご紹介です。前日、石巻市の被災地を日和山公園から見学し、更に多くの児童が亡くなった大川小学校跡の見学をした後、すっかり暗くなった南三陸町まで走って、「南三陸ホテル観洋」に宿泊しました。このホテルに宿泊した理由は、このホテルは、2階まで津波の被害に遭いながら、600人以上の被災者を180日間も受け入れ、客のようにもてなしたこと。それに、このホテルに宿泊すると、一人でも希望者があれば、このホテルが行
気仙沼には、イースター島から世界で初めてモアイ像が贈られたそうです。チリ地震の頃からのご縁なのだとか・・・。21日に大阪に帰ってきましたがPCの調子が悪く、なかなかブログもアップできませんでした順を追って、記事を書いていきます。気仙沼でマコモのお話を伺った翌日、現地の方に案内していただき、被災地の今を見学することになりました。南三陸町へ連れてイってもらいました。ここは高野会館といって、震災当時は冠婚葬祭場だったビルです。震災当日、イベントが開
雲間から覗く朝日。ときおり小雨の降る天気となった東北旅二日目の朝。ホテル観洋の語り部バスに乗車しました。「東日本大震災の記憶を風化させたくない」そんな想いから始まったというこの企画。ホテル従業員の方からお話をうかがいながら今も残る震災の爪痕・被災地を巡りました。その後、ホテル観洋の女将さんのご厚意で、津波から多くの人を守った高野会館の中を特別に案内して頂くことに。普段は立ち入り禁止となっています。ご参考までに…南三陸の結婚式場「高野会館」(産経ニュース)http://w