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石材地方に残る地名から謎を解いてみよう!1.長野県伊那市伊那市は平安時代の頃から石工たちが活躍していたことが知られている。石材は高遠石、青石として知られている。2.東京都あきる野市伊奈平安時代の頃信州伊那谷から石工12人がやってきて、石材(伊奈石)を発見して切り出しを行った。写真は大悲願寺仁王門に築かれた伊奈石を使った石垣。3.東京都日の出町稲村石東京都日の出町にある地名「稲村石」、かつて石材産地だったが現在は地名のみ残っている。道路脇
明けましておめでとうございます。12/31は小諸宿海野宿湯の丸ICのそばなどを散策しました。詳細はこちら『信州の大晦日(1)小諸なる』2023年の締めは信州で迎えることにした。元旦にかけての山は大荒れの天気だし、他にもいろいろ事情があって宿場の風情などを楽しみながら新年を迎えていきます。まず…ameblo.jpまずは小諸の町並みです。道端にすばらしい明治7年の馬頭観音。信州は高遠石工が活躍した地域、こちらの馬頭観音の石工もその流れを汲むものでしょうか。隣には立
小淵沢町の大宮神社へ行きましたら、神社裏に由緒がありそうな建物が。まったく予備知識がなかったので案内板を読んで、教えてグーグル先生!と検索。由緒あるこの建物は義光山矢の堂といい、北杜市の文化財でした☆こちらは“矢の堂の宝篋印塔”といってこれも北杜市の文化財。各面から撮ってみた。文化10年(1813)高遠石工・池上平右衛門周幸の造ったもの各面に僧侶(仏様?)が彫られていて非常に凝った造りになっていました。柵に入った石仏キレイな石仏ですが比較的新しいものみたい。こちらが大宮神社入
高遠石工の摩利支天像があるということで、北杜市の藤岡神社に行ってきました。(2022.4.3)カーナビに住所をいれて行ったのですが、付近をぐるぐるまわっても神社らしきものが見当たりません。近所の人に聞くと、裏山の上とのこと。道を教えてもらって、雨の中、ちょっとした山登りです。意外といい道で、20分程度で到着しました!私はう回路で来ましたが、本当の参道はこちらだったようです。上からでは写真に写らないくらいの急な階段。コワ!!社殿の裏には沢山の石仏さらに奥に
元禄十五年(1702年)創建の神社ですが室町時代ごろの石仏も多数ありました上野国分寺跡からわずか1キロ南ですので古くから栄え信仰があった所なのかもしれません国分寺跡との位置関係。(1998年の地図ですが。。)下の方のピンク印が稲荷神社です。御神灯の笠に宝珠みっつの陰刻。何気ないこういう装飾が好きです。左の灯籠です右の灯籠です安永七龍集1778年初めて見た龍集(りょうしゅう)とは。。コトバンク様より。勉強になります。爽やかな景観。この御神燈は信州の石工さ
昨年訪れた竹宇駒ケ岳神社。その情報を調べていたら、横手駒ケ岳神社にも石仏があるというので、横手駒ケ岳神社のほうも行ってみました。(2022.4)裏手の斜面に、たくさんの石仏・石碑が並んでいます。さあ、摩利支天様を探しましょう!斜面にかわいらしい摩利支天を発見♪登って、近づきます。この丸み、始めて見るタイプです。三面六臂で、摩利支天山も猪もふっくら。猪のお尻の感じがいいですね。ピントずれちゃったよ。また撮影に行かなきゃ。登ると、上の段にもいらっしゃいました
子持町横堀から三国街道の坂道をどんどんのぼってぐんま天文台がある辺りですこの坂は"なぎなた坂"というらしく石造物が並んでいる所がありましたいろいろ寄せ集めている塔石祠宝篋印塔の先端のようですなんだなー?と思ったら庚申塔です歌碑です文字が薄れてほとんど読めませんが。。杖をだに重しといとふ山越えて薙刀坂を手振りにぞ行く道興准后(どうこうじゅこう)(室町時代の僧侶)いきいきとしていますねこの歌を詠み鎌倉へと歩いて行ったとか。。手水鉢か山神宮寛政十二年
信州高遠石工三人による御神燈です十庚申か福蔵寺や八幡宮でも見ました文政三年1820年小道をすこし南へ歩いてみると辻にかなり字を崩してみた"青面金剛"という石塔がありました戻ってから北へ進んでみると灯籠がありました文政十年1827年石工保科要蔵伊藤四良兵エ同市蔵すっきりとして青空に映えますねこの御神燈があるところから人形芝居の小屋を望みます時が止まったような場所でしたおや八幡宮へ戻る途中にこんな入り口があることに気がつきすごいな⭐︎と思
こんばんは連日本日の感動石を彫っているとは思えないこの柔らかな曲線惚れ惚れ石と水に迷いがあったら聞けば良いここに来ればどちらも叶う
高遠石工さんの観音像を発見しました不動堂の左手前に宝篋印塔と向き合って観音像がありました不動堂の方から見た感じですとても高い所にいますどっしりと大きな像です種字が謎です彫り間違えているのか。。?腕の数について。。・思惟の手・左膝に乗せた手は大きくほかに細い腕が三本見えました・向かって左脇の手は如意宝珠持ちか・向かって右上の星形の如意宝輪を持つ手・向かって右の蓮華を持つ手五臂は珍しいかもしれません六臂なら他に数珠を持つ手があります頭上の化仏が綺麗に彫られ
↑この大きな如意輪観音様から。①門前の如意輪観音様台には『二十一夜念佛講中』とありますどっしりとした厚みのある造り力士並みのバランス。。最近迫力のある如意輪観音様との出会いが多いです大きな体や蓮台に対して顔や手がとても小さい手持ちの本には記載がありませんがたしか信州の石工さんによるもの。丁寧な文字も美しい文化十年=1813年②③大きなお地蔵様が二人います左側手前宝暦十三=1763年右側の奥こちらは年号がみつけられませんでした↓この画像の左の↑高いとこ
妙典寺さんお詣りをさせていただきました高遠御堂垣外保科徳次郎さんによる大念仏塔ってどんなものだろう!?と見てみたくてわくわくしてたどり着いたのがこのお寺です年号からしてこちらでした。。。渋川諏訪神社で常夜燈を作った方の作品石工名で追ってみました想像とまったく違いましたが。。よく見てみると石をきっちりと組み清潔さと品格のある整った作品です文化元甲子年=1804年保科徳次郎脇の文字と正面の文字がまったく異なります『融通大念佛塔』の文字はお寺の住職による
こちらは栃木県那須町にある、猪に乗った将軍地蔵の石仏です。2018年に訪れたのをこちらにまだ紹介していなかったのを思い出しました。こちらの石仏は、栃木の石仏・石碑の研究家の方のサイトで知ってだいたいの場所を伺って訪れたのですが、目指していたバス停の路線が廃線になっていて、仕方なく、タクシーで行くことに。しかし、いつものごとく、やっぱり場所がよくわからず、タクシーの運転手さんにも協力してもらって地元の人に聞きまくり、ようやく、崖の上に登り口を見つけることができました。山
華やか鐘楼、再び大修理終わる大和郡山/奈良毎日新聞大和郡山市矢田町の矢田寺(金剛山寺)の鐘楼(江戸初期)の大修理が終わり、創建当初の華やかな姿を取り戻した。老朽化が進んだため瓦をふき替え、部材や...近江鉄道ミュージアムが最後の公開滋賀・彦根産経ニュースミュージアムは大正9年建築の木造建物を改修して平成19年にオープン。駅名看板や免許状の写しといった資料のほか、屋外には大正~昭和初期に製造された...さまざまな文化から大切さ考える「人権メッセージ展」47NEW