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アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社が発行してきた「国産鉄道コレクション」(全240巻/発行完了)の付録の模型の写真を中心に、全号を順番に振り返る記事シリーズを紹介を始めています。今回は早くも第13巻の紹介です。付録は、国鉄の直流電気機関車の近代化の先鋒となったEF60形直流電気機関車のNゲージ模型です。いつものように、パケージを解くと、一番奥から冊子が出てきます。本号には、私にとっては特に懐かしくまた興味深い内容の特集記事が複数掲載されていました。地元を走る東京急行
おはようございます。足の痛みはレベル0になりあっという間に消え去りました何故か分かりませんが昨日午後から楽になり今朝は無痛バレンタインデーの次の日、今日は美里山倶楽部の誕生日。レベルアップしましたよいくつかというと電気機関車なら1000番台が上越国境を越えてたやつですね。そんなレベルアップの日、自前したプレゼントをまだ未整備中ですが公開しちゃいます。153系「新快速」6両編成をダブルでプレゼント。今ヘッドライトが点いているのが低運転台の方。
アリイのプラモの話題が続くが、幼少のころから「特急・急行」系車両より、いつも身近にいた「通勤・近郊」系車両がことのほか好みだった私はプラレール(トミー)もミニミニレール(バンダイ)もそれらの電車の所有が多く、鉄道模型の世界を知った時も必然的にそうなっていた・・。鉄道模型の世界に足を踏み入れたのは1970年代前半、時代的にはNゲージ黎明期の少し後で、後のNゲージブームはしっかり経験している。しかし、数々出る新製品の花形車両を横目に所有する車両は殆どが103系で一時は有に100両を越えていた・・。
Joshin予約品の「103系スカイブルー」(KATO)が届きました。高運転台です。東海道本線や阪和線の各駅停車が懐かしく思い出されます。機関車1輌分のお値段で4輌編成を楽しむことができます。先頭車輌のクハ103。動力車のモハ103。信号炎管の取り付けやインレタなどの作業は一切必要なし。作業なしで走らせることができるのは楽ちんですが、少し寂しい気もします。シルバーシートのマークも付いています。いいアクセントになってい
非電化越後線、キハ45と47の分割面。共に「高運転台」を名乗っていたが、けっこう高さが違うなぁ。。吉田1980
先日の日曜日に、なんとか内装の貼り付けまで持って行って出場に持って行きました。本当は「車番変更」も残っていますが、あいにく社外のインレタをみつけていませんので、コレは先送り。内装の貼り付けは、オリジナルの実車写真を持ってきて、それをペイントソフトで色だけ抜き出して印刷→両面テープを裏に貼り付け→細く切り出す(てきとう)→貼り付けと言う流れです。今回は末期仕様なので、JR東日本の更新色ですが、時代によって国鉄色になったりします。床面は車番により「更新車」(黄色系)と「特別保全車」(グレ
整備中の「南武線103系(末期)」ですが、昨日のうちになんとか内装貼り付けも終わり、やっと出場となる予定でしたが、その前にもう一個忘れていました。見ての通り、TOMIX製のケースに収納されていますが、オリジナルのインサートの大きさが、あまりにも不自然だったので、外してみました。※右は空箱です。やはりというか、オリジナルインサートの準備工事(笑)でした。写真は2003年に川崎駅で撮影した物で、それをKATOのケースサイズに製作。さらに100斤で売っていた「A4のクリアファイル」の薄いヤ
ほぼ完成に近づいてきた「南武線103系」ですが、今回は屋根のベンチレーターの交換と、JRマークの貼り付けです。交換用ベンチレーターは、ホビセンで購入。これは元々は、大阪環状線用で発売された物を、今でも継続販売してくれています。「JRマークグレイ」は、これ用にオークションで落としていた、TOMIXの絶版品です。現状で手に入れることが出来ないのが、つらいところ。ベンチレーターの交換は、引っこ抜いて変えるだけで、簡単にできます。デジカメデビュー当初の、数少ない写真がコレなんです
前日に引き続き「南武線末期仕様の103系」の話です。昨日は「153系用LEDライト基板交換」と「配管付きカプラーへ交換」を行いました。これだけで、古い製品という感覚では無くなりました。元々印象把握が良いのは、さすがKATO製品です。最終的には「車番変更」まで持って行きますが、社外インレタ探さないと・・・。所属表記は・・・「関スイ」になっているので、これは初期製品の証として、あえて残しましょう(笑)本日の追加は「行き先方向幕」と、「貫通幌」の追加です。方向幕ですが、いくつか持っ
(ちょっとだけ中原電車区チック?・・・チックと言う言葉は昭和のおじさん・おばさん認定かorz)おはようございます、昭和生まれの「かんちょ」です。本日50歳に突入(AM5:30)しました。それに似合うと言えば、103系。と言っても高運転台は末期ですけど、昭和生まれなのは同じ。そんなわけで、買うだけ買って整備を忘れていた103系を整備していきます。元が旧製品の単品(青パッケージ)なので、ちょっと古めな製品。どんなところに手を入れていくか、お楽しみに。※長期戦になるかもしれません。
こちらは3日目です2日目の前回は↓から高松最終日は撮影会になります。とりあえず集合時間に間に合うように…初日に赤連結で撮った運用がちょうどよいらしくそちらに乗車。着いた時にはこうなってました「おぉ…」ってしか言えなかった覚えということで撮影会スタート絵本の中の通勤快特1081-1082側に影がかかるということで前身して頂けました完全主義本当に尊敬しますm(__)m1081側もこの急行灯はシートらしきものらしいですが本物にしか見えない笑ちなみに上のアンテナもお手製のもの
今回は1990年代見沼田んぼで撮影した想い出の風景"武蔵野線103系低運転台車6・8両編成&高運転台車8両編成"の写真を掲載します今週の水曜日に最後の編成がジャカルタへ旅立ってしまつた武蔵野線205系そこで今回は想い出の見沼田んぼの風景として205系の前に武蔵野線の顔として活躍していた103系低・高運転台車の写真を掲載してみたいと思います撮影デ-タ―撮影地武蔵野線東浦和駅周辺見沼田んぼ撮影時期1990年代この頃の見沼田んぼ
ライトのチェック。低運転台の2両はOKですが、高運転台1両が不点灯です。分解しようとしたら、なかなか開かない。ググってようやく分かりました。自力ではムリだわ💦こちらの情報を参考に作業させていただきました。153系分解分解と色差し?KATO153系をいじる2-ものぐさの模列車種別だけでなく軽く色差ししてやろうと再生産されたKATO153系をバラしてい...rail.lazybose.netヘッドライトユニットは生きていたので、銅板部分をピカールで磨きます。仕上げには線路クリーナーを
117系の次は、153系新快速の整備です。低運転台セットに、500番台(高運転台)を1両買い足して7両あります。まだスッピンでした。まずは信号煙管を取り付けます。小さいパーツです。老眼鏡を掛けて、慎重に作業します。取説はシンプル。オッケー👌次は前照灯チェックです。
アシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社発行「国産鉄道コレクション」の付録模型の紹介記事の再掲載を、夕方のシリーズとして開始しています。今回は早くも第13巻になります。付録は、国鉄の直流電気機関車の近代化の先鋒となったEF60形直流電気機関車のNゲージ模型です。いつものように、パケージを解くと、一番奥から冊子が出てきます。本号には、私にとっては特に懐かしくまた興味深い内容の特集記事が複数掲載されていました。地元を走る東京急行電鉄(東急)5000系の記事は、私鉄ファンには
1964年~1988年6月にかけて長年親しまれた103系が山手線から引退して32年です。1963年12月28日に試作車が営業に入り1964年に量産車1970年7月31日に試作冷房車が運用に入り1973年1月に冷房量産車が入り翌年に高運転台が入り1979年10月まで低運転台を置き換えました。山手線の103系
(1980年代までの山陽本線の顔)TOMIXの153系が発売されて3ヶ月強経ちました.お陰様で,発売直後に書いた「低運転台」の記事はよく読まれています.もちろん,「高運転台」の製品も導入しています.馴染みのある顔ですが,やはり153系らしい顔ではあります.車番の選定筆者は,今回の153系を,1975年〜1982年に運行された,山陽本線の快速列車のために導入しています.しかし,転写シートには,その快速列車に使用されたことがある車両の番号が,以下の分しか入っていませんでした.山陽急行の
懐かしの新快速の記事を見かけたので、手持ちの模型を飾ってみました。記事の写真とは違い、この模型は高運転台です。どちらにも乗った記憶はないんやけど、子供心に「カッコええな〜」って憧れていました。当時の新快速は停車駅が少なくて、三ノ宮の次は大阪やったんですね。乗った記憶がないのに納得です。上の段に何故か、トワイライトエクスプレスが...まだヘッドマークを付けてませんけど💦同時期に運行していたはずもないんで、こんな光景は現実には見られなかったですね。トワイライトエクスプレスには2回乗った
5200形昭和32年5000形と同じ性能を持ち、先頭は貫通路付きを採用して登場した。台車もアルストーム方式から軸バネ式に変更し乗り心地が向上した。登場時は2両編成だったが5150形を組み込んで4両固定編成となった。そのため中間車と先頭車の側面が違う。しばらくは特別料金不要の特急列車を担った。110Km/hを軽く出す性能を持つ、後に足回りだけを5300形に譲り、5200形の車体だけは豊橋鉄道に売却された。初期型の5200形です。名古屋本線ナゴヤ球場前(現山王)駅事故
こんばんは~。yasooです。昨日、勿体つけてました車輛は153系でした😁たまたまのグッドタイミングでTOMIXからの発売予定アナウンスがあり、ブログの更新回数もちょうど153回が目前でしたので、ネタを引っ張ってみました。こじつけネタと勘づいてられた方もいらっしゃると思います(^ω^)KATO10-484153系「新快速」高運転台6両セット2019年1月に中古を入線しています。2004年ロットです。前オーナーはコレクションとして所有されていたようで、車輪の汚れも皆無、付属品も未使用
グリーンマックスから30年前に103系非ATC高運転台が出て屋根、妻面はATC時代の金型で正面は、72系970番台で側面は非冷房の金型で内側のクーラーの部分は以前は凹んでましたが2013年から金型をいじられて凹んでない物になりクーラーの撤去は、地道にやるしかないですね。上が凹んでる方で下は凹んでないタイプ屋根を撮ってみました。
いまは新型コロナウイルスで京都なんか行ってられません。落ちついたら行きたいですが……去年の12月21日京都へ行きました。この日はTWILIGHTEXPRESS瑞風の運行があったので京都駅で撮影することにしました。9:40281系はるかハローキティラッピングが施されています。9:41その隣にサンダーバード入線683系リニューアル非貫通でした。この顔やっぱりすきやなぁ10:05次のはるか今度は6両10:09またサンダーバードリニューアル非貫通高運転台の683系40
阪和線にいた高運転台タイプの103系スカイブルーこの頃は、普通や快速、区間快速に活躍していました。確か2012年ぐらいに撮影した写真です。
赤羽~池袋を折り返し運転してた赤羽線から低運転台クハ103が消えて40年101系が山手線から移動し1978年2月末日まで走り山手線用に高運転台が入り低運転台103系が山手線から1月~3月にかけて移動し赤羽線は103系池袋電車区の103系は全部が高運転台に翌年1979年2月6日から高運転台クハ103新制冷房車の中間も入りクハ103-269270271272が赤羽線へ行きクハ103-271と272はウグイスで32編成へ組まれ4950は外され
御訪問有難うございます。103系初期型冷改車と高運転台15連TOMIX今回でエメラルドグリーンは取り敢えず終了です。お付き合い下さい。ヘッドライト昔はこんなすれ違いは日常茶飯事だったんですね。しかし、15連は撮影が大変です。※クリックして頂くと大きな画像になります。テールライトどうもどちらもテールは点灯が見にくいです。本来は皆さまに大きな画像で提供したいのですがスマホがメインな方が多数です。ですから、画像は1/4、圧縮容量は1/100以下にしています。※
御訪問有難うございます。153系急行電車(冷改車・高運転台)基本セット98344高運転台も中々良いフォルムです。フジツボ何て全く無いです。クハ153モハ153モハ152クハ153テールライト流石に15連は撮影が大変なので、何時もの「角度を変えて」は無しです。(15連だと半日位時間がかかっちゃうんですよ)本来は皆さまに大きな画像で提供したいのですがスマホがメインな方が多数です。ですから、画像は1/4、圧縮容量は1/100以下にしています。※クリ
御訪問有難うございます。今回も行きつけのお店での散財です。結局買ってしまいました。TOMIXの153系高運転台です。今月は更にエメラルドグリーンが再生産されますから大変です。別の12連は来月に延びましたから有難いのですが・・・取り敢えずこれで、15連をする予定です。https://www.tetsudo.com/↑鉄道コムへもし、良いと思われた記事にはクリックして頂けたら励みにもなります。m(__)m
昭和56年(1981年)3月高校時代サイクリング部の春合宿で東京駅から153系「急行伊豆」の付属編成で修善寺駅に降り立っていました。当時の修善寺駅は現在の頭端式くし形ホームではなくホームの中ほどにある構内通路を渡ってゆく構造、、、153系低運転台の「伊豆」と顔を並べるのは自社オリジナル車の1000系、、、ちなみに左下に影がありますがこれ!なんの影かと言うと、、、、153系の5両付属編成がもう1本留置されていました。運用を考えると左の編成が先に到着するので右の編成は後着先
1979年2月1日~7月にかけて総武・中央線各駅停車に103系新制冷房車が投入されましたがクハ103は山手線からの転属車でしたが、40年前の今日11月6日に高運転台の103系が入る事になりました。総武線に入った高運転台のカナリアイエロー編成はツヌ307編成でクハ103-805モハ103-738モハ102-894サハ103-492モハ103-739モハ102-895サハ103-493モハ103-740モハ102-896クハ103-812
1979年9月5日でクハ103‐19モハ103‐19モハ102‐19モハ103-20モハ102‐20クハ103‐20他6両が15編成から離脱しモハ103‐716+モハ102‐872モハ103‐717+モハ102‐873計4両が日本車両から品川へ入り10月2日東急車両から最後の高運転台クハ103‐759モハ103‐694モハ102‐850クハ103‐772クハが15編成へ残りのモハが23編成へ最後に残った低運クハ103は青梅線へ鶯谷を出た山手