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RUNTAHMEDLEYBULEUD第9回させぼ夢大学本日、12月20日土曜日はさせぼ夢大学の日いつもより早い時間14時30分から開講でした。講師はテノール歌手秋川雅史氏トークとミニライブです。きのうは鹿児島で公演だったそうです。忙しいのですね。佐世保での講演が終わると今夜は東京に戻るそうです。ミニライブは、ピアノの伴奏でした。紅白歌合戦で歌った「千の風になって
おはようございます❗旅から帰り今朝は葱と🥚のお味噌汁クロワッサン🥐と☕😃でピタゴラスイッチを観ながら始めています用事を済ませた後に行きたかったところのひとつ高見順氏の生家跡です福井県三国日本海に面した港町にあります🌊静かな佇まいです生家跡前に立ち様々なことを想い感慨深いです因みに今、福井県知事選挙が話題ですね三国は北前船で栄えた港町古く立派な建物の数々銀行なども残りゆっくり町歩きしたい街👣散策する女性たちの姿がありました酒饅頭のお店がありアツアツをいた
作家・高見順は戦争反対派なのに従軍ペン部隊の一員となってビルマに行った理由当時の日本には、作家・新聞記者・文化人を国家が「動員」する制度が存在1938年→国家総動員法1940年→文学報国会(作家を統制)1941年〜→情報局による宣伝統制の強化これにより、作家は自由意志ではなく「国家の要請=準命令」で従軍させられた高見順は若い頃から左翼的傾向・反権力の姿勢で知られ、特高警察にマーク雑誌の発禁執筆制限などを受けていた戦時体制下ではこうした人物は“監
作家の高見順はたしか「旅」と言う詩の中で旅は帰れるから楽しいのであってと書いている私は故郷は無い一応帰る家はあるけれどそこにはもう誰もいない誰も帰りたい帰れない何度かそんなありふれたフレーズの挿入された歌謡曲を聴いたことがあるけれど自分にとっては無縁のことだ帰りたいなら帰ればいいさ自分は帰れないさすずめだから帰るのはもはや意味が無いと行く行くことで帰ると言う感傷を捨てることが出来る帰るところの或る人は帰れない理由がある
『月刊浅草』(東京宣商出版部)10月号では、私、西条昇による白黒見開き2ページの連載『浅草喜劇人銘々伝』の3回目と併せて、カラー1ページの『西条昇の浅草喜劇コレクション』で曽我廼家五一郎篇として、浅草の江川劇場、世界館、三友館、萬成座で興行された五一郎劇(一座)のプログラム、五一郎の経営した浅草田島町のアパートの一室で高見順が執筆した『如何なる星の下に』の初版本など、私の五一郎に関する所蔵資料5点を掲載しています。
アッ、さ~て・・・先日河出書房の日本文学全集(全28巻)が届きましたね~っ、その中から私目が全く読んだ事がない作者を10人程選びまして、その本の中で一番短い「話・年譜・解説」を読んでみることにしましたよ!~~~石川達三・転落の詩集・36P~井上靖・楼蘭・29P~高見順・今ひとたびの・64P~~~折を見て、ボチボチ読み進めて参ります。~~~以上、報告終わり。~それでは今日も良い一日をグッドラック!
アッ、さ~て・・・今日は遅くなりましたね~っ、午前中「コーラス」の練習に行ってましたもので・・・。それでは~先日送られてきた「日本文学全集」全28巻の中から、私目がまだ読んだ事がない作者の分からボチボチ読み始めることにしましたよ。平家物語・西鶴集・徳田秋声・永井荷風・谷崎潤一郎・井伏鱒二・丹生文雄・高見順・石川達三・井上靖~~~これらの中から、「徳田秋声」の~新世帯~を読み始めました。~~~以上、報告終わり。~それでは今日も良い一日をグッドラック!
ムヒカ世界で一番つつましい大統領から日本人へ日本にも来られ、広島の原爆ドームを訪ねられた元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカさん。先日亡くなられて3ヶ月が経過しました。来日のとき語られた幾多の教えが、今でも忘れられません(彼が来日された年代は、今のわたしと同じ年代でした)。そのときの映画が『世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』となっていましたが、「誰が貧しいなんて偉そうに言うのか!」との声が、そのご多々出たので、タイトルを「つつましい」に変えました。終戦80年と
河のほとりに/谷山浩子河のほとりにふたり座ればたそがれ風さえふとたちどまる黙ってこのままそばにいてくださいあなたの肩にもたれていたいのです7月2日は一年の折り返しの日夕食の炊飯器のセットをして、ご飯が炊き上がるまでテレビを観ているのですが地元放送局の番組で、きょうの正午が
好きな言葉は「CarpeDiem」。「今を生きよ」と訳される。一年近く前に「好きな映画は」というテーマで書いたのが、この言葉がキーワードの「いまを生きる」という映画のことだった。『#好きな映画は』好きな映画はたくさんある。ベスト3は「ライフ・イズ・ビューティフル」「グッドモーニングベトナム」そして「いまを生きる」原作となった小説の翻訳版(新潮文庫)…ameblo.jpこれはラテン語で、直訳するなら「今日を摘め」というようなことになるらしい。「今を生きよ」というのは、な
お疲れ様です!着席したすぐ横の壁↓☕️パリ祭に付きましては、実に不可思議なサイトにスルー願います!(笑)創業百十年を超える老舗喫茶店レトロな雰囲気の中での☕️旨し!(笑)店内のパンフから歴史を辿ると、多くの文人、著名人に愛されたらしい…芥川龍之介、菊池寛、佐藤春夫、高見順←義父上👨谷崎潤一郎、、、ジョン・レノン&オノ・ヨーコ等々話は変わり…東京目黒区駒場の日本近代文学館喫茶コーナー(BUNDAN)で提供される☕️ブラジルコーヒー[芥川]ビールの様な酸
石坂洋次郎「麦死なず」(新潮文庫、1956年、初出は昭和11年)を読んだ。これも、高見順「昭和文学盛衰史」で興味を持った本である。あの「青い山脈」や「若い人」の石坂洋次郎がかつてはプロレタリア作家だったということにまず驚いた。そんな彼のデビュー作である「麦死なず」というのはどんな内容だろうか。「麦死なず」は昭和11年(1936年)に改造社の編集者だった上林暁の英断によって「文藝」8月号に480枚一挙に掲載されたという(福田宏年解説279頁)。この頃石坂は同時に「若い人」を「三田文学
丹羽文雄「鮎・母の日・妻ーー丹羽文雄短編集」(講談社文芸文庫、2006年)を読んだ。これも尾崎一雄「あの日この日」や高見順「唱和文学盛衰史」に出てきた丹羽の紹介で知って読んでみたくなった。早稲田高等学院以来の同門で、志賀直哉を読めと丹羽に助言したのだから、最初に興味を持ったのは尾崎の本を読んだときだろうが、高見の本にも丹羽を褒める新明正道の文芸評のことなどが出ていたので丹羽に対する興味が深まった。文壇デビュー作という「鮎」(初出は「文藝春秋」1932年4月)と、「贅肉」(中央公論、
8月は、わたしの愛のすべて父高見順が遠く空へと逝った暑い夏の月お父さんわたしは家族と静かに暮らしています。毎日ここにいられることしあわせに感謝して。愛している。永遠にわたしのすべて、高見恭子🐈⬛Instagram高見恭子onInstagram:"ゆっくりと新しい今日が始まろうとしています。さあ目を覚まそう。#city#citylife#tokyo#tokyolife#morning#Hello#smile#love#lifeisbeautiful"
8月15日、眼球ヘルニア、そして白内障と緑内障(同時)の手術をした眼科医院の開かずのドア前で立っていた。時間は8時20府、扉があくまで30分もある。日傘を刺すように真夏の太陽が降り注ぐ。汗が頭から噴き出してくる。診察開始時間になってから来院すれば、暑いなか立たなくて、涼しい椅子に座れるのに・・・・しかし、待ち時間の計算ができずに待合室で待つより、診察が確実に1,2番になる方を選んでしまうのだ。この77年間、記憶が残るような年齢以降、どんな8月15日を迎えたのだろ
ちょっと下見に。龍翔記念館。入館したことあったかな。成田山のことを県外の友人が九頭竜寺って言ってた。あれ?お寺なの?初詣に行く人が多いから神社だと思っていた。そんなことも知らないなんて。恥ずかしい。三国の丘と海岸に通じる道はあまり通ったことがなかったかも。荒磯遊歩道に。最近読んだ(全部読まずに図書館に返却してしまったけど。また借りるつもり)本に、高見順のことが書かれていたことをこの前もちらっと書いた。当時福井県知事だった阪本氏が
1日で撮った写真を小分けにして記事にしております。鴨池から移動して、海岸の少し高くなったところに。加佐の岬方面。海がツートンになってる。もう夕方だったので芝政に人は少なく。白い風車は薄紅に染まって回っている。雄島橋。島の向こうに陽が沈もうとしている。逆光を受けた橋。まだ暑い。それでもかなりの人が東尋坊に見える。今、三国に関わった作家についてつづられた「湊町ブルース」という本を読んでいる。その中にちょうどこの辺りから写し
🍀2021年10月22日🍀著者通販生活イラストにちょこちょこ悪意があるぞ。笑卓上焼却炉良いな、と思ったらやっぱり大きいのね。大林さんのテレビ論が良かった。志茂田さんのインドの珊瑚の話も素敵。小説の様だ。議員さんの、株で自殺した友人の話は、こんなにライトに書いて良いのか?べドウィンのお茶会素敵~!次回開催時には呼んで欲しい。笑高見恭子さんって高見順の庶子なんだ!知らなかった。ミスターXはスティービー・ワンダーかな?お兄さんの暴走を見逃しているのなら、本人も良い人には思え
4月21日日曜日〜その5P143には、S40年8月18日、高見順氏の葬儀の日取りを問い合わせた事が書かれている。(写真)蔵書の中村真一郎編『高見順闘病日記下』。記述は、7月13日で終わっています。
きのう、金沢から福井へ三国町祖母が、父と暮らした家へ三国、父の家散歩道にも、なっている。『お父さん、帰ってきました』涙が出そう。生家、いまも、まわりの方々、坂井市が、守っていてくれています。感謝。お父さん私は妻にお母さんになって、いまもおだやかに暮らしています。これからもみていてくださいね。高見恭子🌸Instagram高見恭子kyokotakamionInstagram:"朝の陽射しは,私たちに新しくまた始めようと教えてくれる。#fashio
この巻では、同氏の作品「如何なる星の下に」「いやな感じ」のニ作品が収録されています。日本の文学57高見順Amazon(アマゾン)
今回の旅では美味しい食事や菓子を沢山いただいた食べ過ぎないように気を付けながらも⚠️福井県の三国でいただいた鴬餅大和甘林堂250年続く上品なお味創業は享保四年(1719)三国湊に持ち込まれた砂糖と地元産の糯米、小豆、大豆等で精製し三国神社の山王社に鳴く鴬より着想して「鴬餅」と名付けた~と栞にあります。更に栞には、三国の今昔についても説明があります。奥そこの知れぬ寒さや海の音哥川哥川の俳句を冒頭に三国の歴史、北前船のこと偉人について説明があり、加賀の
なんでこんなとこで寝てる??の息子。毎週水曜日と毎月第一土曜日はイオンとなみにて11~16時待機しています。1/6(土)も待機日です。この日はオリーブカイロプラクティックさんとコラボの日です。スピリチュアルカウンセリングは20分3000円、50分5000円(延長は10分1000円)です。毎月第一金曜日は金沢市内の町家「よふ葉」さんにてマクロビティータイム、スピリチュアルカウンセリングの受付をしています。1月は満席となりましたが、2月は空きがあります。マクロビティータイムは1時間250
高見順の『故旧忘れ得べき』は、過去を忘れずに大切にするという重要なメッセージを伝える素晴らしい言葉です。この言葉は、私たちに過去の経験や教訓を忘れずに持ち続けることの重要性を説いています。過去の出来事や人間関係は、私たちの人生を形作る重要な要素です。良い出来事も悪い出来事も、それらは私たちが成長し、学び続けるための貴重な経験です。そして、これらの経験を忘れないことで、私たちは将来の選択においてもより賢明な判断を下すことができるでしょう。この言葉はまた、人間関係に対しても重要な指針を与
<高見順、椎名麟三、永井龍男>1300「如何なる星の下に」高見順長編北原武夫:解説新潮文庫日中戦争がすでに泥沼状態に陥った昭和の暗黒時代、著者はひとり浅草の安アパートに間借りして、人生の裏街に落ちるところまで落ち、なおかつ生きようとする浅草人の哀歓を風俗的に写しとった。著者にとって浅草は憎みまた愛さずにはいられない、一個の性格上の肉親であり、病人が同病者の苦痛を見て惹かれる切実な哀しみにも似た愛情が、あらたな浅草の顔を描かせたのである。
またまた、図書館で借りてきた本の話。私は『昭和史』に大変興味がある。終戦後の混沌とした時代、日本人が何を求め、何を考え、そして、どのような事件が発生したか、ワクワクする。昭和史を研究した代表的な作家は、松本清張、司馬遼太郎、保阪正康、そして、半藤一利がいる。半藤一利氏の著書、『日本のいちばん長い日』は、映画にもなった作品であり、あまりにも有名。そんな半藤氏が齢89才の時に自伝的著書を書き表す。『橋をつくる人半藤一利』平凡社刊最初に、幼少期に実際に体験
朝からの雨が霧雨にかわり山が見えてきました。水蒸気がどんどん上がり雲になりすごい勢いで流れていきます。雨が降っているときは山がまったく見えませんでした。NHKの朝ドラらんまん視聴率がじわじわと上がってきているそうです。舞台は高知から東京へ小学校中退の主人公万太郎が天下の東京大学理学部の植物学教室に紹介状と自分で集めた植物標本と高知の植物目録を持ってアポなしで教授に会いにいき万太郎の植物学への熱意と幼いころから自己流ながら積み重ねてきた知識や技術に教授
清いものは常に汚れたものの中から生まれ出で、光り輝くものは常に暗闇の中から生まれ出る。―――洪自誠傷あとを隠しちゃいけない。その傷が君を君らしくしているんだ。―――フランク・シナトラどんな関係においても大切なことは、何を受け取ったかではなく、何を与えたかです。―――エレノア・ルーズベルト幸せな人は、他の人も幸せにしてしまうわ。―――アンネ・フランク傷ついたのは、生きたからである。―――高見順