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韓国映画と臺灣映画についての考察『新幹線大爆破』は、韓国・臺灣映画に『夢』を見せたか?第九章『96分鐘』の分析臺灣映画『96分鐘』は、邦画『新幹線大爆破』が提示した「高速移動空間における極限のサスペンス」という骨格を、現代臺灣の都市社会における「技術と人間の倫理」という文脈で再構築した、極めて挑戦的な一作である。この作品が注目すべき点は、単なるパニック映画としての視覚的なスリルを超え、臺灣という島が培ってきた「技術への信頼」と「人間同士の縁」という独自の哲学を、時速三
2012年に天草に行った際に撮影した熊本城。2016年に2度の震度7で崩れ、またしても大地震か。被災者の皆さまにお悔やみ、お見舞いを申し上げます。猛暑の時期に救命や避難、これからが長いです。本ブログ関連では、熊本といえば強兵の第六師団。噴水で涼をとるスズメ以前の回で予告したように、これから「高砂族」についていくつか記事を書く。でもまだ調べ始めたばかりなので、今般は新情報の整理みたいなレベルで終わる予定。なぜそんなに急ぐかといえば、このところの一連のニューギニア記事が戦
韓国映画と臺灣映画についての考察『新幹線大爆破』は、韓国・臺灣映画に『夢』を見せたか?第五章ふたつの土壌さて――。昭和十八年、歴史の荒波の中にあったふたつの地域において、重要なふたつの映画が製作された。前章ですこしばかり触れた、朝鮮半島を舞台にした『望楼の決死隊』と、臺灣を舞台にした『サヨンの鐘』である。これらは、日本の統治下という同じ時代の産物でありながら、その内面に流れる「民族の精神」と、現代へと至る「映画づくりの思想」において、対照的な個性を放っている。『
韓国映画と臺灣映画についての考察『新幹線大爆破』は、韓国・臺灣映画に『夢』を見せたか?第四章映画の背景にある風土と歴史、そして対日観韓国と臺灣の映画表現が、かくも対極的な「動」と「静」、「過激」と「繊細」という分かれ道を進んだ理由を解き明かすには、両地域が背負ってきた地政学的な運命と、日本との歴史的な結びつき、そして、それに対する民族の生存戦略を比較しなければならない。隣接する地域でありながら、その大地に打ち込まれた歴史の「楔」は、両民族の深層心理に決定的な差異を刻み込ん
クロツラヘラサギ(食事中)とコサギ(飛翔中)前回の第四十一師団に続き、今回は第十八軍のもう一方の主力、第二十師団についての戦史叢書の記述を要約する。「三宅部隊のアフア攻撃」という項がある。指揮官は第二十歩兵団長の三宅貞光陸軍少将。二十師の場合、昭和十九年(1944年)7月10日の攻撃開始当初から、右翼に歩兵八十連隊ほか、左翼に歩兵七十八連隊ほかをぞれぞれ配置し(ほかというのは工兵隊と救護班)、両者を三宅兵団長が率いた。渡河した日本軍の退路を米軍が断ち切った7月
二十代の頃、池袋の中華料理屋で台湾人の方がやっている店がありました。そこの台湾人料理人は「台湾は台湾であり中華民国ではない」というのです。中華人民共和国でないというならわかるのですが、中華民国でないというのは当時の私にはよく理解できませんでした。大陸から渡ってきた中華民国、国民党政府ではない。本省人である。外省人ではない。と現在なら容易に理解できますが…。そして数年前、台湾の有名な美脚モデル発掘プロジェクト「Beautyleg」のトップモデルである美希Mikiさんに、FacebookのMes
サブロ(島崎溌)とサヨン(李香蘭)は水を引く山の湖を見に行く。その湖に入った女性には祟りがあるとの言い伝えである。伝説だとサブロ。そしてサヨンが湖に入ったと大声で村中に知らせる子どもたち。村の老人たちを納得させるために、猟で得た獲物を湖の精に捧げたらどうかと村井部長(大山健二)が提案すると、サヨンは承知する。サヨンの湖入りを村に知らせた子どもたちのうち、一人が猟に出た彼女に食事を持ってきてやり、言いふらしたことを反省する。怒ってはいないとやさしく言うサヨン。*****サヨンを助けるため獲
日本統治下の台湾での先住民、高砂族の女性を主人公とする物語で、公開は昭和十八年。主演したのは前年公開の佐々木康監督による「迎春花」と同じく李香蘭と近衛敏明。こちらの監督は清水宏。舞台が変わっても、やはり子どもたちは元気に走り回るのだ。場面はときどき途切れる。「この映画を皇民高砂族の愛国と埋蕃施政に献身せる警察官の熱誠とに捧げる」とある。「海ゆかば」は美しい歌だけれども、戦後の教育現場にその居場所はない。李香蘭(山口淑子)はやっぱりべっぴんさんやなあ。*****高砂族が住む「蕃社」で、医者
ガダルカナル戦の本を紹介するのは4回目でしょうか。『誰が一木支隊を全滅させたのか』関口高史『ガダルカナル悲劇の指揮官』NHKスペシャル取材班前回ブログの『ガダルカナル』辻政信今回は先日本屋で見つけました。『戦争の昭和史』早坂隆2025年5月ワニブックスこの中に「ガダルカナル」のことが書かれてあり、そこに、第二師団の工兵第二連隊の兵長さんの回想があります。そこには、台湾の高砂族2名が加わっていて、密林を切り開き、植物の茎から水を摂ることなど、日本兵はずいぶん助けられたと
本日発売の『歴史群像』10月号に、インタビュー記事「陸軍中野学校出身の遊撃戦要員井登慧」(p.120~125)を執筆しています。今号の特集(日本空母/蒙古襲来/フランス戦車隊)に全然関係の無い軍歴の方ですが、陸軍中野学校二俣分校で、あの小野田寛郎少尉と同期だった方です。陸軍中野学校、特に二俣分校の教育とは?往時の学生たちの本音とは?本年で103歳となる井登慧(いと・さとし)さんの貴重な証言を、ぜひ御一読下さい!
8月1日は元日本人である高砂族台湾人の日8月1日は勤めていた東海(TokyoMarine)の創立記念日ビールは三菱グループのキリンビールを飲みhttps://www.youtube.com/watch?v=KSSunsbqWCMhttps://www.youtube.com/shorts/8m_-RQxYR1M?feature=shareformosa台湾は日本に台湾民政府の活動は日本に
本年秋の、だらだらとした総選挙から、選挙後に開会された国会の痴呆の如き状況を観ていて、思い描いた情景は、鎌倉幕府滅亡後の、「京都の公家社会」だった。彼ら公家の面々は、西国から京都に迫る足利の大軍団から如何に京都を守らんとするのか、考えようともせず、ただ、自分たちの安楽な生活が続くことだけに執着して楠正成が建言した足利殲滅の方策を無視し、彼を湊川の死地に追い払った。現在も同じだ。中東、ウクライナに続いて、我が国が位置する東アジアに動乱が勃発する可能性大であるにも関わらず、
関連記事:https://ameblo.jp/aya-quae/entry-12837144703.html『2024/01/19国際SCHUMPETER学会[ワクチン工学]推進《psycho-war》』《健康的なバウンダリー》を放棄させる間違えた『聖書』の読み方があります。——不幸になるのでダメです。https://franoma.info/ダメなものはダ…ameblo.jphttps://franoma.info/科学者の社会的責任とはliability考察皇后雅子さまアマテラスの
十年ほど前、フェイスブックで昭和天皇と台湾の高砂族について書いた事があります。1923年、まだ日本だった台湾をご訪問された昭和天皇に対しお迎えした日本の将軍が、原住民のアミ族を「蛮族です」と紹介したそうです。すると昭和天皇はお怒りになられました。「朕の国民を蛮族呼ばわりするとは何事か!」と。…その後、舞踊や芸術にちなんだ言葉である「高砂」をとって先住民族の総称は「高砂族」と言われるようになりました。大東亜戦争末期には志願してきた高砂族を「高砂義勇隊」として部隊編成し、フィリ
ごきげんよう瑛美佳です台湾を懐かしんでいたら台湾でお世話になった王さんより沢山のお写真が届きました台湾の山岳には少数民族が独自の文化を継承しながら住んでいますお茶の会社にいた関係で発酵に興味を持ち多い時は年に5回ほど台湾に通っていた時期もありました王さんからのお写真台湾省屏東県魯凱族(ルカイ族)排灣族(パイワン族)台湾の首相蔡英文首相もパイワン族の末裔パイワン族は実は長崎とも縁があります。。。王さん素敵なお写真有難うご
今、台湾有事のことが議論されているが、私は台湾の歴史ついてほとんど知らないのでアウトラインだけでも知ろうとして本書を手に取りました。以下、本書で知り得たことを備忘のため記します。台湾は、沖縄県の最西端の与那国島からわずか120キロのところにある。ポルトガル人が「発見」した16世紀半ばの台湾には、わずかの漢民族系の移住民のほかに、先住民族として、(今日の台湾では、高山族と総称される)マレー・ポリネシア系の人々が住んでいた。今日では、先住民は、台湾の少数民族となっているが、当時はほぼ台湾全
昭和12年日本統治下の台湾の映像2022/08/06storiacafe中華民国(台湾という名称は、先住民族の言葉に由来)首都:台北(たいぺい)市最大都市:新北(しんぺい)市約400万人面積は九州と同程度人口は約2,300万人1台湾ドル(元)=約4円日本との時差-1時間日本の与那国(よなぐに)島と台湾の最短距離は約110km中国本土と台湾本土の距離(台湾海峡)は約150km東京から飛行機で約3時間半台湾と国交のある国家は世
一応、最後まで読んだものの、分かった様で、まだ腑に落ちてません。高砂族とは原始台湾人の事を指す事は分かりましたが、隼人族を平定したのは「八幡神」らしいのですが、大山祇神社から伺われるのは、八幡神=大山祇という印象になります。今は八幡神の人が変わってるので、印象が違うのですが、古代に「小野氏」が八幡宮から神社を勧請している例が何回もありましたので、八幡神が大山祇なら納得です。(八幡神については他の研究者の情報なので、まだその方面から研究したことないのですが、方言などの民俗学的な一致からも
今、『東日流六郡誌絵巻』を読んでいますが、その世界感が分かりそうで分からないので、ブログに思考を書いたら、何か分かるかも知れません。まずは安日彦・長髄彦については否定する要素はないので、長髄彦のルーツについて考えると、ホツマツタヱにカグヤマ(カグヤマツミ、大山祇)の臣という記述があります。母系社会なので、臣に入るのは父親の元というルールがあることは、これまでにも書きましたので、恐らくは大山祇と高御産巣日の娘との間に生まれたのが長髄彦だったのだと思います。これは石塔山に大山祇神社を勧
先月28日は、昭和29年に韓国が「竹島問題」についての国際司法裁判所への共同提訴を拒否し、韓国による竹島の不法占拠が確定した日であり、遅ればせながら駐阪韓国領事館前で抗議文を読み上げ投函(郵送)しました。午後からは一日会。今回の若手講演は、ご自身が台湾高砂族と関係が深い前田一成先生(一日会会員)が台湾高砂族と日本の演題で、◎先史、オランダによる支配、鄭政権、清国の支配、日本による統治、中華民国(国民党政権)そして現代という大まかな台湾史。◎台湾原住民の部族と主な文化。「首狩り」を成
首狩り族の血を受け継ぎ、日本軍兵士として戦った台湾人部隊/高砂義勇隊https://youtu.be/LnEOwv52QVw第二次世界大戦中、日本軍兵士として戦った台湾の原住民・高砂族。彼らは高砂義勇隊として、太平洋戦争を戦います。首狩り族の血を受け継ぎ、勇敢で忠誠心ある彼らは、戦後苦難の道を歩みます。学校では教えてくれない世界史。多くの日本人は知らない歴史を解説します。~~~~~~~この動画を取り上げたのは、大東亜戦争に於いて、
私は台北本社に移ってから毎朝、本社の前のテントのような店で新聞を買うのを日課にしていました。今日も新聞を買いに店に行ったところ、お金を払おうとした時に携帯が鳴って、それは東京本社からの電話でした。話終わると何時もはブスッとした年配のオジサンが「あなた日本人?」と聞いて来て「僕は昔、高砂義勇兵としてラバウルに出征したんだ。日本の上官は俺たちを平等に扱ってくれて、糧秣(食料)が少ない時は皆で分け合って食べたもんだ」と言って軍歌も歌ってくれました。台北の繁華街、林森
台北は商社マンだった父が赴任した地でもあり、昭和16年(1941年)~19年(1944年)、新婚だった両親が台北市の北門町で3年半を過ごしました。大の旅行好きの母は台北での生活に飽きてきたある日、父に「台中近くの山奥に日月潭という神秘的な湖があると聞いたので連れて行った欲しい」と言って、二人で小旅行に出掛けました。日月潭には台湾原住民である高砂族の村があり、そこで撮った写真には4人が写っていて両親から「向かって左端が酋長の娘さん、右端が頭目の娘さんだ」と聞いていました。私が台湾
日本とアメリカと台湾の「日米台三国同盟」構想実現の前提にあるものは、「中華意識と混合した共産党独裁体制」の支配下で生きることを「死んでも嫌だ」とする「自由」の理念、そして、「日本と台湾の絆」だ。次に、私が体験したその「絆」を、思いつくままに記しておきたい。先ず第一に、我々戦後生まれの日本人の意識は、戦前と戦後が「断絶」している。しかし、台湾では、戦前と戦後が「連続」している。昨年の七月三十日、九十七歳で亡くなった台湾の李登輝総統は、初対面の私に、「私は二十二歳まで
先程の高山青の元歌です。
みなさん、こんにちは。この歌はもともと台湾の高砂族の歌です。北京語の部分と原住民の言語の部分があります。でも中国の少数民族の歌になっていますね。お得意のパクリですね。朝鮮族やチベット族と思われる部族も登場しますね(^^;)
進化人類学という物があるそうで、その分野の有名な先生がクラウド・ファウンディングで資金を募って面白い実験をされたそうです。その実験の仮説としてあった史観がとても面白い物でした。日本には、先住民族と言われる人々がいますね。天皇家が天孫降臨して、それら先住民族を支配して行って国としての日本のアウトラインが出来たと言って良いでしょう。これら先住民族の代表として、我々は熊襲や土蜘蛛の他にアイヌや琉球の人々を彷彿することが出来ますが、しかし最近の研究ではアイヌは比較的最近になって北海道に
本間雅晴~かくありて許さるべきや密林のかなたに消えし戦友(とも)をおもへば本間雅晴は明治二十一年(一八八八)、佐渡生まれの陸軍中将。大東亜戦争開戦を前に台湾軍司令官から第十四軍司令官へと転じ、フィリピン攻略を指揮した。マッカーサーが率いる米比(アメリカ、フィリピン軍は、ジャングルと峻険な地形のバターン半島要塞で激しく抵抗したが、その掃討戦に本間は前任地台湾の原住民、高砂族を起用し、募集に殺到した五千名の中から選抜した精鋭により「高砂義勇隊」を編成した。彼らは山岳民族の特性を発揮し、戦場の
歩いた。施設に顔を出して、愛先生のライブ。愛先生のうたい、って、うたいって、どういう漢字なのかしらないけれど、聴いて、泣いていた。何で泣くのか分からないが、ひょっとしたら、れいわ一揆での、安冨先生の涙、聴いている人たちの涙と同じなのかもしれない。今も泣いている。それについては、詳しいことは分からないのだが、ひょっとしたら、倍音という事に関係があるのかも知れない。英英辞典で、合唱、と引くと、「倍音を出すこと」とある。それと日本の古来の歌、あるいは、安冨先生の演説は関係があるのではないかと思