ブログ記事12件
おはようございます。暑い暑い毎日ですね。8月葉月のお朔日。高瀬道場の稽古場は半地下にあるので真夏でも比較的涼しい…はす。でも、今年はかなりキツイですね。お稽古においでになる皆様どうか気をつけてお越しくださいね。今月も怪我なく、良い稽古が出来ますように。芸道殺陣波濤流高瀬道場主宰多加野詩子
今日は義父、高瀬将敏の誕生日です。私の若き日はこの義父と共にありました。【稽古中】カシラと呼ばれ、映画の世界で技斗師として素晴らしい仕事をした人でしたが私が会った時、すでに病におかされていました。まっすぐ歩けない。買ったばかりのバイクの運転中左にばかり傾き、転ぶ。十数年、不思議な体の変化に悩んだそうです。どの病院に行っても原因がわからず症状は、どんどん進み、ちょうど私が嫁になる直前に「脊髄小脳変性症」という国指定の難病の診断がおりたところでした。
高瀬道場は、創立52年。そして、30年前の秋にリニューアルオープン。現在の道場です。住宅街の中に隠れ家なように佇む稽古場からさまざまな作品が生まれてきました。その裏で突然、人が三階から飛んできたりウゴーとかアギャーとか斬られる声や物音。近隣の皆様に助けていただいてきた52年です。その、日頃の感謝を込めて11月3日文化の日にちょっとした催しを考えています。昨日は、ご協力くださる皆様とオンライン打ち合わせ。愉快で楽しいメンバーが集まっています。あー、ワ
YouTubeにアクションレッスンの動画をUP⤴︎しました。技斗(アクション)のレッスン@user-gp1et6ve3j高瀬道場での技斗(アクション)のレッスン。基本の手順を覚えるところからサイズや方向を変えてのレッスン。相手との位置が変わると自身のパンチやキックの方向やバレも変化します。また、攻め手と受け手の違いを表現することも大事。体の動く人は特に、自分だけで動いてしまいがち。様々な要素を重...youtu.be2人とも幼い頃より頑張ってお稽古を重ねて来ました。動きだけではな
おはようございます。本日は、高瀬道場創立者であり、現代アクションを「技斗」と名付けた殺陣技斗師高瀬将敏100歳の誕生日。戦前から映画界に身を投じ戦後の苦労を経て日活アクションの多くを担当し、邦画界にアクションの楽しさを伝えました。1971年現在地に高瀬道場を設立。その後、「博多っ子純情」「開花探偵帳」「嗚呼!花の応援団」「けんかえれじい」「特捜最前線」などなど日活時代を含めるとここには書ききれない代表作は多数。私にとっては優しい舅で共に過ごした日々は
白昼銀座の大通りで急ブレーキをかけた男は、何か轢いた気がしたが何もおらず、やがて車体の下から男の遺体が浮かび上がってきて、男は透明人間部隊の生き残りだった。男の遺書は透明人間の生き残りがもう一人いることを示唆しており、マスコミは透明人間のニュースで大騒ぎを始める。すると透明人間を名乗る強盗団が現れて立て続けに事件を起こし、最初の自殺を目撃した新聞記者の小松は、襲撃を受けた現場を取材していると、気になるピエロの男を目撃。男はキャバレー黒船の専属ピエロで、小松は男を尾
今日は7月21日高瀬道場創立者高瀬将敏99歳のお誕生日。名古屋出身チャンバラ師になりたいと家出。伝説の殺陣師・市川桃栗に弟子入り。その後、応召され復員後、東京東映撮影所などで活動を再開。その後、日活に入社。石原裕次郎、小林旭、高瀬英樹らが活躍したアクション映画のほとんどを担当した技斗師。『カシラ』と呼ばれていた。演技の斗い↓「技斗」と名付けた。私と出会った頃は「脊髄小脳変性症」という難病の闘病が始まって四肢の自由が効かず日々、思うように動かなくなる身
今日は、主人の父高瀬将敏の命日です。大好きだった大分の焼酎「二階堂」をお供えしました。名古屋の出身で興行師の息子として幼い頃から剣戟映画に親しみチャンバラ師になりたいと家出。当時、あやめ池にあった市川右太衛門プロダクションに入り殺陣師・市川桃栗の元で修行。大東亜戦争から復員後東映東京撮影所に入所しその後、日活撮影所へ。その後、殺陣師、技斗師として様々な作品を担当。「カシラ」と呼ばれ多くの方に親しんで頂いたようです。私が出会った頃は、難病を患っておりすでに身
激動の2020年あと10日を切りました。最後の最後までコロナに振り回された一年。個人的にも大きな出来事があり叩きつけられたような日々。その中で、たくさんの人たちに支えられて明日を見つめる闘志が少しづつですが、湧いてきました。高瀬と共に長年培ってきた大事なコト。それを守り、発展させていく大事業への夢。時代劇の戦いの演技である『殺陣』と現代劇のアクション『技斗』芸道殺陣波濤流高瀬道場でその素晴らしさをさらに伝えていく為に『殺陣技斗師』として、歩んでいきます。
日々、あっという間です。それは、法人の決算と助成金の申請とひとがこの世から卒業してゆく、手続き。これが一挙に重なってしまって頭がゴッチャゴチャ、テンヤワンヤ😭自分の能力がおいつかずアップ、アップしてしています。でも、その中に心をかけてくださる人達の優しい思いやりがあり思いもかけず、嬉しいお知らせ有り。そんなこんなでなんとか、処理を進めています。ちょっと目鼻がついた今日。あ〜、もう、7月なんだ。あ〜、もう、月が、2つも変わったんだ。7月は、義父の誕生
高瀬道場は1971年日活アクション映画の技斗などを担当していた高瀬将敏(たかせ・まさとし)が現在の土地に創立しました。その後、長男である高瀬将嗣(たかせ・まさつぐ)が引継ぎこの業界で珍しく親子二代で殺陣やアクションに携わる事になりました。来年2021年は、創立50周年。長き者は、父・高瀬将敏の代から40年以上も所属し支えてくれています。主人が最も大事にしていたのは苦楽を共にした、この人達です。有名なビーバップハイスクールの電車落ちでは高瀬の合図で、鉄橋を超
早いもので27年も経ってしまいましたが今日は、高瀬道場創立者高瀬将敏の命日です。日活のアクション映画のアクション監督として石原裕次郎さん小林旭さん高橋英樹さんらのアクション映画を担当してきました。当時の日活撮影所内にあった俳優のアクショントレーニングセンターを現在の場所に移動したのが1971年。現代アクションを技斗と名付けた人でもありました。演「技」の「斗」い。今の芸道殺陣波濤流高瀬道場の根本です。追伸インターネットで高瀬将敏を検索すると高瀬将嗣の