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テレビを買い替えました.緊急性はなかったのですが、新しいテレビの世界を見てみたかった。(最近のワイドショーは表が多いので、大画面が便利ですね。アマタツの天気はまだ良いのですが、ほかは一画面に情報盛り込みすぎです。)基本的に私は放送作家なので、テレビは仕事の道具。必要経費として申告しています。できれば令和2年のうちに買いたかったんですがちょっと遅れてしまいました。今回購入したのはシャープの60型の4Kテレビです。なぜ新しいテレビが欲しかったのか、少しお話しさせてく
2021年(令和3年)になりました。今年は辛丑(かのとうし)ということで、痛みを伴う衰退と新たな息吹が生まれる一年と言われています。私は今も、仕事を始めた21歳の頃や、駆け出しの30歳、仕事が増えた30代後半から40代の気持ちでいましたが、気が付けばなんと私は年男!「還暦かな?}なんて思っていたら、あっという間に古希を過ぎ、72歳のおじいさんになってしまった。(天皇ご一家の弥栄を祈り一昨年葉山に建立された梓亭)ご存知のように68歳のクリスマス頃に癌が発覚し、69歳で手術
2020年も、あっという間に11月になってしまいました。人にとって大切なものを考えると、時間も大切だし、一日一日幸福を感じること大切です。1月までは平和でした。2月横浜港の大型客船ダイヤモンドプリンセスで起きた新型コロナウイルス騒動からおかしくなってきて、3月からはコロナ、コロナで騒ぎになって、今も未曾有の混乱と、経済界では大きな赤字と、一般社会では生活の困窮などが続いています。(10月31日湾岸線から横浜市内方面うっすらと富士山を観つつ)しばらく語っていません
私は1980年代に鈴鹿サーキットで本田宗一郎さんと同じブースでF2レースを観戦・取材したことがある。その頃、本田さんはもう最高顧問で、気軽に声をおかけすることはできなかった。(HONDARA271)その後、2代目社長であった河島喜好さんとは、青山本社の最上階で、単独インタビューする機会があり、戦後、「本田宗一郎と21歳の河島青年が初めて出会った瞬間」や、旧陸軍の無線機用発電エンジンをリメイクして原動機付自転車を作った
7月中旬、ドイツ在住の次女が帰国した。前回帰国したのは2月だったから、コロナ騒動が始まったばかりの頃でさっさとドイツに帰り、何事もなかった。今回は羽田空港でのPCR検査があり、公共交通機関以外での移動を義務付けられ私が体調悪く運転できないものだから長女の婿に運転してもらって、無事我が家に帰った。(羽田で渡されたガバメントからの紙)そこから14日次女は我が家から出ることを許されず、時々厚生労働省の電話に出ると言う隔離生活に入った。移動禁止が開けた7月
作家として、詩人として描かなければならないのは、人の心の内側の思い・・・言い方を変えれば「心のひだ」をいかに丁寧に描くかということに尽きる気がする。.人間は、どう生きるかについて悩み、他人が自分をどう思っているかについて悩みながら生きている。それを描くのが作家の仕事であり、それがどんな分野であっても変わることはなく私は書いてきたつもりである。春過ぎから、私のブログも新型コロナウイルスに関連した記述が多くなってきた。今回もその流れで、たどりついた思いについて書きしるしたいと思う。
5月の24日になった。今日は1992年にこの世を去ったレーシングドライバー小河等さんの命日だ。新型コロナウイルスは、未だに世界を覆い尽くしている。かの中国はもうすでに過去のものにしてしまっているようだ。さて私自身、時々忘れているが私は闘病中の身である。2018年に、大きな手術を受け、大学病院のICU(集中治療室)からHCU(ハードな治療室)を経て一般病棟へと移り長く入院した。また2019年には放射線治療と抗がん剤治療を受けるため再入院。大病院での入院生活をたっぷり
①勝者なき戦争。世界秩序の完全崩壊。4月15日の時点で新型コロナウイルス感染者は全世界で194万9210人。死者は123,348人。感染した国と地域は215ヶ国に及んだ。アメリカ合衆国では60万人ほどの感染者。うち2万4485人が死亡している。私のブログはしばらく新型コロナウイルスをテーマに語りたい。新型コロナウイルスが露呈したものはたくさんある。まず第一にあげなければならないのは、世界中の国が、思い思いの方法で、新型コロナウイルスの拡大阻止に当たった。今も激戦だ。これに関して、ど
私は子供のころから色が白かった。母親も色が白く、まあ美人のほうであったし、父親も色黒ではなく、平均より白い肌だった。だから手も足も、体も顔も白く、私が育った田舎の子としては異様なほど、色の白い子だった。(葉山森戸海岸。闘病してずいぶん老けました)赤ん坊の頃、有名な歌い手さんが私を抱いて「博多人形みたいだ」と言ったそうだ。友人のほとんどが肌は浅黒く、夏には真っ黒になるが、私は焼いても赤くなって火ぶくれするだけで、また白く戻る。(1980年代
卒業式で歌う「仰げば尊し」という歌がある。「思えばいととし、この年月~」というフレーズがあるが、多くの人は「思えば愛しいこのとしつき」だと思っているかもしれない。本当は「思えばいと疾し(ものすごく速い)この日々」という意味である。まさしく日々はものすごい早さ「疾風のごとく」過ぎていく。(1月は曇天が多かったですね。ようやく晴れた心境。)1月16日、新年会でフランス料理をいただいた時、僕は出されたものを、ほぼ半分しか食べなかった。それは新年11日から新しい「飲
皆様、明けましておめでとうございます。令和初のお正月いかがお過ごしでしたか?(文中登場するMRJ)私の元旦はここ十年決まっていて、早起きしてコンビニまで歩き、各新聞の元日特集を買ってきて読むことをならわしにしています。なぜ、そうしているかというと、新聞各紙が主張する「これからの国のあり方」を読み解きたいということが一番。次いで、地球全体を俯瞰して「未来はどうなっていくのか?」未来学というか、この先の人類の可能性にワクワクしたいという気持
お久しぶりです。6月の湯河原以来のブログです。7月は体の治療に専念していました、8月に入ると、~旅する自転車レース~ツール・ド・フランス「絶景で振り返る第106回大会」というJスポーツの番組の執筆に入っていました。もはやツール・ド・フランスは、説明が不要なくらい有名な、世界最大の自転車ロードレースですが、実は日本ではNHKが1985年に放送しています。その番組を制作したのは僕の友人で、NHKディレクターだった堀川君です。当時コロンビアから参戦したルイス・エレラ選手を追って、
私の作家人生に、大きな影響を与えた人物の一人として、有名な脚本家市川森一さんの名前をあげねばならない。市川先生についても今回、まさに初めて書くことになる。(上海にて中国の作家と・・。私は二日酔いのようである)1999年(平成11年)6月偉大な脚本家岩間芳樹先生が急逝された。当時、日本放送作家協会の理事であった私は、茫然としてしまったが、2000年になると周囲の推薦もあり、市川森一さんが理事になられ、選挙の結果、理事長の職を継いでくださった。そういう放送作家の「組織としての話
薫風心地よい5月20日の午後、わが家のインターホンが鳴り、家内が応対した。すると血相変えた家内が「パパ大変、出て」と言う。モニターに映った女性と話すと「高桐〇〇と申します。高桐唯詩さんですか?」とおっしゃっている。突然のことなので私の頭も大混乱したが、ひとまず入っていただきお話を伺うことにした。ご婦人は「高桐Mさん」と言い、ご両親とお兄様をここ3~4年で亡くされ、相続のため戸籍謄本を取り寄せ、整理しているうちに、岐阜県の高桐本家にたどり着き、本家の主から系図をいただいたという。
令和元年を迎え、早く所感を書こうと思っていたが、「いや、待てよ。お前は平成について何の総括も出来ていないではないか?」と、私の心が叫んでいて、なかなか令和を祝うことができなかった。(1980年代のF2時代)ほんのちょっと前だと思うが、妻のこんな言葉が耳に焼き付いている。「パパ、家族のアルバム整理をやってね」「うん、わかった。そのうちやる」そう言ったのは、平成に入ってすぐの頃だった。しかし、私はその1990年代の家族のアルバムを整理したことがなかった。なぜなら、私は忙しすぎて、時
若い頃英国で暮らした身にしてみれば、英国の誇りというか、かつての栄光が多少わかる。学問という面では世界最高のレベルであり、イギリス人は頭のいい国民だと思ってきた。しかし、ブレグジット(EU離脱)に関してのまとまりの無さは一体どうなっているんだ。イギリス人って頭悪かったの?と思ってしまう。ヨーロッパを一つにしようという理想はずいぶん前からあり、20世紀の終わりに動き出したが、30年を経て、イギリスがこの仲間から出たいと思ったのはなぜなのか?経済的にも、行き来も、EUにいれば
我々日本人には戸籍があります。家を単位としたID記録であり、これは律令時代から始まり太閤の検地や、明治維新を経て、役人が手書きで続けてきた歴史ある個人認証です。(いきなり余談ですがこの家単位の戸籍って日本、中国、韓国くらいにしかない。世界は個人単位です)さて私という個人を示すのには、戸籍があり、マイナンバーカードがあり、運転免許証、健康保険証、パスポート、社員証や学生証、年金手帳、銀行の通帳、幾多のクレジットカード、幾多の病院診察券、所属する団体のID番号、メディアパスのID、さらに
今日は昔話をさせてください。タイトルを長い英語で書いたので、日本語が入りませんでした。改めて書くと「私をパディントン駅まで連れてって」ということです。1975年9月、僕はたった一人でヨーロッパに旅立った。まずオルリー空港に降り立ち、パリで1泊。ついでロンドンで4泊ほどして、友人だった加藤和彦さんの「サディスティック・ミカバンド」のコンサートをウェンブリー・アリーナで見た。(もちろんロキシーミュージックの前座だった)そして本当の目的であるオッ
去年(2018年)私が書いた「父のアンテナ」ニッポンの田舎にはじめてテレビが映った日という小説は、1950年代にVHFアンテナをめぐって、難視聴地域のテレビアンテナ工事に奮闘したわが父のお話である。世界で使われてきた無線電波は、船舶無線などで使う長波に始まり、我々が良く聞いた深夜放送ラジオなどの中波があり、初期のテレビ放送で使ったVHF帯があり、やがてUHFというように、だんだん波長が短くなり、現在に至っている。さて昨今、雑誌や新聞、WEBメデ
「今年のスーパー・フォーミュラは絶対おもしろい」昨日発表したブログその①では、2019年はすべてニューマシンになること。未知の外国人ドライバーがどっと参戦することを挙げた。調子に乗って書いていたら、字数オーバーし、アップできなかったため、前編後編に分けここから後編です。2019年スーパー・フォーミュラ、日本人ドライバーの動向についても書かねばならない。何と言っても2018年のチャンピオン山本尚貴がMUGENを離れDOCOMOTEAMDANDELIONに移籍した
「今年のスーパー・フォーミュラは絶対おもしろい」と断言したところで「スーパー・フォーミュラって何ですか?」と聞かれると困っちゃうけれど、これはつまり日本最高の自動車レース。歴史的には1970年頃から続く「一人乗りのフォーミュラ(レーシングカー)による日本選手権」で、私は古い人間だから70年代のF2時代からこのレースにつきあってきた。その歴史と伝統が、進化と昇華を重ねて2019年の「スーパー・フォーミュラ」へと発展してきた。そうお考え下さい。「F1とどう違うの?」と聞かれれば、
私は1970年にロック番組のディレクターとしてFM東京で仕事を始めた。71年に初来日したエルトン・ジョンには渋谷公会堂の楽屋で密着し彼がブリーフ一枚になってステージ衣装に着替える所にもいた。その後私は3年ほど国内アーティストの大コンサートを主催していたが、加藤和彦のサディスティック・ミカバンドがロンドン公演をする1975年、英国に渡り、ロキシーミュージックとミカバンドをウエンブリーアリーナで見て、そこから1年オックスフォードに住み、ロックコンサート三昧の日々を送った。そ
天皇皇后両陛下が平成31年1月21日から25日まで葉山御用邸にいらっしゃいました。「平成最後の葉山行幸啓(ぎょうこうけい)」という説があり、地元では「改元奉祝委員会」が作られ、日の丸の小旗を配ることになりました。(21日には4000本の日の丸が配られました)私は葉山に住んで30年になりますので、何回も行幸啓をお迎えしています。おそらく普通の方より何十倍も両陛下のお姿をまぢかに拝しているでしょう。時には、バルコニーからお見送りする「ずぼら」を決めた時もありましたが、今年は
池波正太郎の随筆「男のリズム」を読み返してみた。「池波正太郎って一体誰」という声が聞こえてきそうだが、しかたがあるまい。もうなくなって30年以上が過ぎた有名な作家である。私は池波正太郎が好きで「鬼平犯科帳」や「剣客商売」その他のエッセイをたくさん買い込み、若い頃よく読んできた。もちろん私以上の大ファンは多いだろう。私は中村吉右衛門主演のお芝居「鬼平犯科帳」を新橋演舞場で見たり、池波さんが通った資生堂パーラーに行ったり、定宿にしている山の上ホテルも好きで何泊もしたり、新国劇の人々が
1月7日、日本各地では様々な業種による賀詞交換会が開かれました。一番大きなものは経済三団体による賀詞交換会ですが、映像を見て少しゾッとしました。大ホテルの宴会場に男ばかり集まり、しかもおっさんばっかりで、偉い人が挨拶して、名刺を交換して「今年もよろしくお願いします」と言って、バイキングの寿司をつまんで帰ってくる。この風景は、なかなか海外では味わえない妙なものだと思います。女性が圧倒的に少ない・・。ほぼ全員が背広姿である。あまり外国人の姿が見えない。マスコミは有名企業の社長に「
年末にあたり今年一年お世話になった皆様にお礼を申し上げます。月並みではありますが感謝の言葉しか思い浮かびません。振り返るとまさしく、闘病の一年だったと申し上げるしかないでしょう。1月東京の昭和大学病院に入院し2回目の抗がん剤投与。2月に12時間に及ぶ手術をして集中治療室からハードケア治療室にいました。(初公開。入院中のスナップ)麻酔から覚めた僕の目の前に広がっていたのは清浄な空気と、不思議な静けさでした。「生まれ変わった」そう思わずにはいられない景色でした。3
IwishyourmerrychristmasandHappyNewYear!もう年の瀬ですね。(去年のクリスマスケーキです)今日は2018年12月25日ですが、1年前の事をお話ししようと思います。去年のクリスマスイブは東京の昭和大学病院に入院しておりました。消化器系のがんで21日に入院して24日から点滴による抗がん剤の注入が始まりました。当時はまだ友人にも知らせてなく極秘の入院でしたし、病気のことを書き連ねても、健康な人には興味
先日、検診の帰りに横浜の回転寿司店へ行った。評判の店なので並んだが夫婦でやっと入ることが出来て、隣のスペースに45歳くらいの外国人男性が座った。注文した品物が出来上がったが、店員が間違えて、その彼に僕の寿司を渡した。「きっとそれ、僕のだよ」と喋り始めたらおしゃべりが止まらなくなった。「この店ワイキキにもあるんだけど、すごく高くて、ここは安いからいい」それからの会話を少し描写すると・・・。「いつからいるの?」「一週間前から横浜の(ウィークリー)マンションに
先週、葉山マリーナから船に乗ってサンセットクルージングに出かけた。(葉山マリーナの大型モータークルーザー)これはNPO法人「湘南ビジョン大学」が主催したセミナーで東京オリンピックのセーリング会場の海に出て、夕日と富士山を眺め、優雅なひとときを楽しもうというものだった。(夕方出港するサンセットクルージング)葉山に住んでいるが、忙しくて長らく海には出ていなかった。ここは思い切って参加してみた。イベントのナビゲートナビゲーターは伊藝徳雄というプロセーラーで2