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お盆が近いので、試みにご先祖様、讃岐高松家の系譜を考察してみた。自分の代から祖父、曽祖父までは分かるが、そこまででだいたい戸籍制度の開始された明治初期か江戸末期になる。それ以前を調べるとなると菩提寺の過去帳、墓碑銘などからだろうか。残念なことに江戸時代中期から末期の讃岐高松家の詳細は明治期に菩提寺で内紛があったそうでよく分からない。南北朝時代の高松頼重から数えると自分で26代目位の末裔と聞いている。現在もどうにかならないものか調べてはいるのだが(^_^;)・・・。天正年間の高松
『讃岐人名辞書』では高松内匠頭について以下のように記されている。「高松左馬助の子なり。性勇猛にして、武術に達し、特に槍術を能くす。慶長年大坂の時、豊臣秀頼に招かれ、冬の陣の時鴫野にて、一番槍をあわせ、功名し明る。夏の陣には木村長門守(木村重成)が手に属し、五月七日若江合戦に、井伊掃部守(井伊直孝)の手に伐かかり、高名すと云え共、其時、長門守は戦死し、大坂落城せしかば、紀州に遁れかくれ居しに、其後大坂落人赦免ありしかば、故郷なれば讃岐へ帰り、生駒家に仕え天寿を全うせりと、寛永頃の人。」