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#168らーめん侘助札幌市東区北21条東16丁目2−2昭和の高度成長からの成り上がりににとって、優勝劣敗は世の常で、他者を駆逐することで大きくなった企業たちの経営陣は、低成長だからといって難しい顔をして設備投資には及び腰。「企業は人也。」とか何の免疫力もない若者に美辞麗句を宣うものの、賃金の上昇(人への投資)も行わない。資本家(投資家)はひたすら富を集積しているわけです。低成長とはいえ、「成長」していることは間違いはないわけですから、成長の結果の少しくらい富の分配をすれば、バブルと
敗戦後、高度成長に向かう頃西欧の豊かな暮らしに憧れた子供の頃夢と希望に溢れていました今、願うこと青年や少年に不安や絶望を与えない希望のある社会を作ること。閉塞感のある現代は戦争へ向かうころの国際世界に似ているのだろうか・・・良い日になりますように(^ー^)ノ
今日はお日様が雲の向こうで寒い1日でしたお日様のありがたさを痛感します今日もお読みくださって有難うございます友達のご主人が団員なのでほぼ毎年行くのですが今年も楽しい公演でした第2部の男声合唱団が歌うなつかCMそして、寸劇面白かったです!おじさまたちが可愛い楽しんで準備したんだろうなって感じましたかっぱえびせん~レナウンワンサカ娘、青雲のうたまで昭和のホントに懐かしい子供時代を思い出すCMソングの数々明るいナショナルとか光る芝とか
今日も新しい自分に出会いたい。たつ龍こと、たつのこ龍次郎です。よくぞいらっしゃいました☆昨日、初めてのシリーズナンバー001を無事に投稿できました☆さて、これからどんな言葉たちが舞い降りてくるか…楽しみにしていてください。【ことばの木】001.仕事中に思わず口をついて出てきた言葉人によっては、なんてことのない言葉もありますが、響く言葉もあるものと自負しております。信じて書き続けます!!さて、今回のこの言葉をふと思い付いた時には、これはまさにこれからの時代を表している言葉に出会った、と
入間のジョンソンタウン米軍ジョンソン基地の住宅群を今に残すエリア身の丈に合ったスローライフもう高度成長など見込めない時代ちまちま節約して古着屋で買うのに何のためらいもない新規入居平屋家賃10万円ですって1950年代の映画のシーンが蘇る西武線入間市駅から徒歩30分路線バスもなく駅からのアクセスが不便なのが難点
昔読んだ本で内容はほとんど忘れていしまったのですが、「朝鮮高校の青春~ボクたちが暴力的だったわけ~」という本は作者の朝鮮高校時代(確か戦後の高度成長期時代だったと思います)を書いた本で、朝鮮学校の寮で暮らす在日コリアンの高校生の青春の様子が詳しく書かれています。在日コリアンの学生の中には朝鮮高校が遠くて、寮から通う子供達もいます。しかし寮から通うと1日中、時には数週間、朝鮮学校の敷地内から出ない事もあったらしく、日本に居ながらあまり日本人と接しないという事もあったそうです。
押入れを整理していたら古い写真が出てきた市内2軒目のデパート虎屋が開業(写真中央)したばかり高度成長の真っ只中の時代▼現在山の手の高台まで高層住宅がひしめき合う昭和39年ホテル松蔵が駅前に当時としては大きな建物の登場にびっくり▼平成時代の駅前大通り一気にマンションブームが到来平成の大合併を経て人口27万。街並みがすっかり変わってしまった都道府県の事務権限の一部を移譲する中核市に指定され
🌃訪問ありがとうございます"見えないインフラ"として復興、成長を支える近代測量が果たしてきた役割近代測量150年-未来へつなぐ地理空間という記事です。測量技術、地理情報はどう進化したのか。地図作成のための測量は、高い山に三角点を設置して行う三角測量から、レーザー測距儀による距離計測へ進化したいまではGPS等の人工衛星システムによって、精度の高い測量が可能となった一方、地理情報に求められるものにも大きな変化が生まれている。カーナビゲーションシステムなど、新たな産業のサービ
まだ未開発の土地が広がる一方で東京並の高層ビルが並ぶホーチミン。若い人にパワーが溢れます。年寄りのおばあちゃんもマーケットで売り込みしています。10人兄弟とか。仕事三つ掛け持ちしたり。家族全員で原付一台に乗っちゃうバイタリティとか。原付バイクの上で昼寝したり昼からビール飲んでるおじさんとかもいましたね。だんだんとバイクより車率が増えて来ました。危なげだけどネ♪そのうちに(すでに?)タイみたく大発展するんでしょう。ひったくりやぼったくりとか軽犯罪はたくさんありますが人情に厚い国
終戦後、約9万人の在日の人達が帰国事業で北朝鮮に渡りました。当時在日の人達は日本で差別にあい、まともな仕事や生活が出来なかったので、当時「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮に渡っていきました。(実際はほとんどの在日の人達が南の方の韓国の出身でした)帰国事業についてのツイッター港に出迎えに来ていた人をデッキから見た瞬間、「騙された」と思いました――。北朝鮮への「帰国事業」で人権を侵害されたとして脱北者が北朝鮮政府を相手取り前代未聞の訴訟を起こしました。被告代表者は「国務委員
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<10/25>おはようございます。え~~~~どうやら寝違えたようなのです。つうかそもそも10数年前首の手術をしてから左右上下の動きは悪く万年常時むち打ちというか寝違えた感覚は消えないのですが、今朝は右肩から首にかけてメッチャ痛い。右手の自由が不自由?・・・何か変。湿布中です。ヘンな夢を見たからかなぁ。夕べ夜中にNHKのドラマスペシャル?「東京ブラックホール~破壊と創造の1964」の再放送?を見た。山田孝之氏主演の東京オリンピック(高度経済成長)にまつわるドラ
昔、俳優のクレイジーキャッツ植木等が、若い頃に、映画で無責任男と言うのをやっていた。型にはまらない男が、会社で業績を上げて、あっという間に出世し、偉くなって、キレイな嫁さんもらって成功していく。日本の高度成長の時代に、無責任で、飲み屋の付けも営業経費に付け回し、やりたい放題だけど、業績を上げる方法を知っている、できる男の内容の映画でした。昔は、どこの学校にも会社にも、声のデカイどうしようも無いビッグマウスの奴っていました。だけど誰も不幸にしない、幸福な映画でした。今の日本はどうですか?
昔、俳優のクレイジーキャッツ植木等が、若い頃に、映画で無責任男と言うのをやっていた。型にはまらない男が、会社で業績を上げて、あっという間に出世し、偉くなって、キレイな嫁さんもらっていた。日本の高度成長の時代に、無責任で、飲み屋の付けも営業経費に付け回し、やりたい放題だけど、業績を上げるできる男の内容の映画でした。しようの無い奴っていました。だけど誰も不幸にしない、幸福な映画でした。今の日本はどうですか?住みやすい良い社会ですか?誰も言い訳していませんか?未来は有りますか?陰険な陰
昨今のニュースを見聞きする中で、言葉が閃きましたのでツイートしています。SNSカウントフリーなのと、本格的にブログに投稿する時間が無いので、ツイートしています。私のTwitterアカウントも、ぜひ読んでください。孤独なクリエイターM@masaru21日本は、高度成長して技術も発展しました。でも、国民の心は、成長していないように思います。子供を虐待したり、行き過ぎた生徒指導が原因なのか自殺する子供がいたり、女性の尊厳を軽んじたりする人がいるので、子供に限らず人を育てることができる人間
昔、俳優の植木等が、若い頃に、映画で無責任男と言うのをやっていた。型にはまらない男が、会社で業績を上げて、あっという間に出世し、偉くなって、キレイな嫁さんもらっていた。日本の高度成長の時代に、無責任で、飲み屋の付けも営業経費に付け回し、やりたい放題の内容の映画でした。誰も不幸にしない、幸福な映画でした。今の日本はどうですか?住みやすい良い社会ですか?誰も言い訳していませんか?未来は有りますか?どこから歯車が違ってしまったのか?こういう時代を思い出すと幸せ自分が、まだ腐っていない証
見せている相手は、大したことがないと思っていても、わかる人にはそれがどういう結末をもたらすかがわかることもある。知らないことでごまかせる段階ではもはやない(いもいも)緊縮財政を憲法に書いているというドイツでさえも、政界の強力な圧力である集団である財界の声を受けて、積極財政に打って出る用意があるという観測気球を上げ始めたニュースがでていた。それは、経済の40%を輸出に頼る経済構造であるドイツの事情を考慮すれば、輸出が儲からなくなってきたということであり、それは中国をはじめとるする世界経済の成
ケンさんの楽しみの一つが、娘のあんことおしゃべりしたり、ウオーキング。いつも、あんこの帰りを待っている。昨日も嬉しそうに出かけた。我が家は、丘陵地帯を造成した地帯。上ったり下ったりの、なかなかの起伏。おんなじルートでも、行きと帰りでは表情が違う。楽しそうにルートを検討するが、ツタヤとゴルフ練習場と学校脇は通る。子ども時代は彼の勤務は、過酷で帰るのは深夜、高校に進学した頃は、単身赴任。何せ、日本の高度成長を支えた時代だから、あんまり家庭にはいない。赤ちゃんの時は、ケンさん
2019年7月29日(4)一日本人の回想29戦後の生活11戦後10年から20年、日本も豊かになったようだ。でも東京からドブの匂いが消え、洋式便所が出来たのは、その頃だと記憶する。給料も上がり、会社の人も多くなり、社用族は大いに恩恵に浴したのでは。私も度々会社の費用で見学会などに参加して、帰りにはお土産まで貰い、半分は勤務、半分は勉強、残りは遊び…こんな生活であった。結構なご時世ではあった…。その頃、接待費で毎日飲んでいた人は病気になったり…あとは大変らしい。歌謡曲も、「サラ
二十一世紀、目覚めた巨象。昨今、新聞や経済誌を賑わしている高度経済成長期を向かえ、世界のIT産業を支えるインド。外資参入の門戸が開かれ、GDPは年率十%の勢いで上昇し、中間所得層の台頭により購買力は劇的に向上しているという。街には高級デパートやショッピングモールが次々と誕生しているらしい。BRICs(Brazil・Russia・India・China)と呼ばれる新興産業国の中でも、英語を話し、数学に強く、政治的にも民主主義の土壌があるインドは、十一億人の
こんばんは!(猛暑日)今日も、ギターヒーラーのブログに来て頂きありがとうございます。高度成長は、遥か昔に終わっています。人口は減り、景気も落ちていますが、これはどの国も同じ道を辿ります。本当に堕ちているのは私たちではなく、支配者や権力者たちなのかも知れませんね。
天下の台所とうたわれた大阪。戦火、高度成長、バブル期による地上げなどによって、その面影の多く頑張って失われたロウソク問屋だった屋敷がショップとして再生。一部は手を加えられて、昔のままではないが、その名残がある。去年の台風の被害で補修中でした。玄関はかなり立派。なんか奉行所みたいな作りだ。玄関の両サイドにある階段。手前の部分は近年の建て増し。奥の部分は昔の作りだ。とても暑かったので、複数ある店舗の1つ「囲茂庵」でイチゴミルクを頂く。ひさしぶりに「頭キーン」を
皆さん、虚しくないですか。私は虚しいです。生きていて、うれしいとか楽しいとか、そういう気分になったことは、15歳のころから40手前の今日に至るまで、一度もありませんでした。私に説教する人は、そういう感情を25年間も、一瞬たりとも味わわずに生きることがどんなものか想像してください。はっきり言っておきますが、私は馬鹿ではないし、努力家でもあります。あなたの才能、あなたの努力、それは私を上回るものですか。私を批判したい人、あなたはいかほどのものですか。ああ、むなしい。生きて
今度は母についてです。母は前述の父より6歳年下、宮城県で生まれたそうですが、幼いころ(たぶん3歳ぐらい)に東京に移り住み、結婚するまで板橋区のものすごく狭い路地の一角にある本当に小さな木造の家で過ごしていました。勉強は出来たそうで、美的な才能があり、一時はデザイナーも目指していたとのことでした。もうすぐ70歳を迎えるという今となっては、どこにでもいそうな普通の太ったおばちゃんですが、若いころの写真を見ると結構美人です。それなりにモテたはずですが、祖父が溺愛して箱入りで育てたこと(
最近、自分の人生が父の人生と結構似てきているのではないかと思い始め、人間には抗えない宿命というものがあるのかしら、と漠然と考えるようになりました。私は中3ぐらいのころから、ほとんど父とまともな会話をしなくなり、20歳の時に父が他界しましたので、父の人生や、父が何を考え、何を感じ、何を思って生きてきたのか、詳しいことは知りません。でも、息子としてみてきた父がどんな人だったのか、考えてみることが、自分自身の人生について考えることと深くつながっていると思うので、今回はそこを記していこうと思いま