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2日目の前半・JR武蔵境駅⇒武蔵野中央公園このあたりは中央線から分岐線の廃線跡を主に辿った・境浄水場専用鉄道(廃線):武蔵境駅→境浄水場・中島飛行場専用鉄道(廃線):三鷹操車場→中島飛行機工場(武蔵野中央公園)なお、村山貯水池から境浄水場までの送水路の上部は「多摩湖自転車歩行者道」であり、境浄水場から和田堀給水場にまでの送水路の上部は「井の頭通り」である。武蔵境駅北口境浄水場専用鉄道(廃線跡)・濾過用の砂を輸送するためための専用鉄道(引込線)。・玉川上水を跨いで
名古屋市内の戦争遺跡思いつくままに順番に巡ってきた自転車で*-その11-**八幡社(町屋川)創建:1500年代初め(戦国時代前期)(名古屋市緑区)**八幡社前の古民家**大星橋(扇川・天白川)立派な人道橋(名古屋市緑区)**名古屋臨海鉄道東港駅ND602機関車(名古屋市南区)**㉜元柴田公園(名古屋市南区)この元柴田公園に柴田
戦後80年昨今のTV番組も戦争関連が多いそこで...鶴舞公園の戦争遺跡をめぐり撮影してきた*鶴舞公園の扁額明治2年の開園当時内閣総理大臣であった陸軍大将桂太郎の筆による扁額かつては公園の正門ゲートを兼ねたJR中央線のガードに掛けられていた当時の青銅版は戦時の金属回収により供出されコンクリート製の代用品に代えられたが昭和41年に復元された平成28年にふたたび取り外されたが開園110年を迎えた令和元年に
チョッと大江埠頭までサイクリングしてきた*山崎川萩山橋*山崎川落合橋藤原師長と槐女のモニュメント*名鉄呼続駅*山崎川沿いのなんじゃもんじゃ*名鉄大江駅*名鉄築港線大江駅~東名古屋港間*イチョウ並木*ダイヤモンドクロス*名鉄東名古屋港駅**三菱重工大江時計台
[高射砲第131連隊]総無田(総牟田/椎牟田)3式12cm高射砲陣地昭和19年頃、石峯山(八幡製鉄所の南西の山塊)山頂の北西、灘山の山頂(標高220m)に高射砲陣地がつくられた。復員局「本土地上防空作戦記録(西部地区)」によれば、昭和19年6月時点で椎牟田=八高(8cm高射砲)=第5中隊、と記載されているので、昭和19〜20年にかけて3式12cm高射砲(6門)に火砲替えされたようだ。出典:復員局「本土地上防空作戦記録(西部地区)」昭和26年10月調整出典:国土地理院1948
2024年9月神奈川県逗子市新宿5丁目4披露山公園(1958年開園)入口(車で入れます)この先に駐車場があり、私の背後には「披露山神社」があります駐車場から公園までは上り坂で、これは坂の途中で振り返ってます奥に見えるのが駐車場で、あの辺りにかつて兵舍が置かれていたそう駐車場内に、コンクリート製の水槽が残ってたみたいですが、そうとは知らずに駐車したので確認出来ていません同じく、公園へ向かう坂道の途中弾薬庫と推測される壕の入口が、コンクリートで塞がれています階段の上に見える建物は、今は
日野俊基卿墓死亡後550年後に明治政府により突然従三位に。高射砲陣地跡寧ろ、こちらで市民を守ろうとした兵士にsaluteしたい。
前回、藍島の第9照空中隊は六連島、馬島、白洲に分隊陣地を置いていたことを説明しましたが、今回は馬島の分隊陣地についてレポートします。終戦時の防空配置図で馬島の位置を確認。赤色の点線で囲った地域が第9照空中隊の管轄地域となります。馬島(うましま)は北九州市小倉北区に属する有人島です。周囲5.4kmと小さい島ですが、市営渡船が就航しており、本土から25分ほどの乗船で渡ることができます。馬島の300m北東には六連島がありますが、こちらは山口県下関市に属する島です。なお馬島は「小六
藍島(あいのしま)は北九州市小倉北区浅野の北方約12㎞の響灘に浮かぶ島ですが、大東亜戦時中には陸軍の防空部隊や野砲部隊などが駐屯していました。***********************まずは島の紹介から。藍島は周囲13㎞で南北に細長く起伏の小さい島です。標高は25ⅿと低く、写真で見ても平坦なのが分かりますね。島に渡るには市営渡船を利用します。小倉港から馬島を経由して35分の船旅です。藍島は「猫の島」として有名で、休日には整理券を配布して乗船を制限するほど盛況のようで
陸軍倉庫と香椎操車場引き込み線「香椎操車場と占領軍①陸軍の軍需施設」の続きです。香椎操車場は陸軍の大砲や戦車の集積所であり、そして弾薬や食料品・医薬品を貯蔵した近辺の倉庫群はある意味での兵站基地と言える。終戦(昭和20年8月15日)から1ヶ月半後の9月30日に、米海兵隊第5師団の進駐先遣隊300名が香椎操車場駅に降り立ったのは、ここに集積された日本軍の武器弾薬類の接収が目的だった。昭和20年9月30日、香椎操車場駅前に整列した米海兵隊陸軍倉庫と香椎操車場引き込み線の本題に
操車場名島地区と高射砲陣地昭和20年(1945年)8月15日の終戦から13日後の8月28日、連合軍(米占領軍)は横須賀に上陸した。福岡に米占領軍の第一陣が進駐して来たのは、それから1ヶ月後の9月30日。佐世保から列車に乗った米海兵隊第5師団の先遣隊第1陣300名が降り立ったのは博多駅ではなく、秋雨が降る当時の香椎操車場駅(現在は近代都市に生まれ変わった東区の千早)だった。同日の午後、第2陣の本体司令部が博多駅に到着している。昭和20年9月30日秋雨の香椎操車場駅に到着した米海兵隊の3
(杉並・久我山「舷燈」のお造りマグロ、コウイカ、アイナメ)先日飲みトモのAさんと訪問した久我山「舷燈」を家内と再び訪れた。店主の國男さん相手に与太話をしていると、しばらくして常連さんが顔を出した。「あ、ゲイの、いえ、この前もいらしてましたね」「その節はどうも。お住まいはこの辺(久我山4丁目)ですか」「4丁目の〇〇番です」「ということは、昔B29が墜落した辺りですね」「え!そんなことがあったんですか」常連さんはご存知なかったようで、やおらスマホで調べ出した。「ホン
その6では陣地の東側に残る空中聴音機掩体と思しき遺構を見に行きます。****************************************(過去記事)北九州の防空㊵~風師山高射砲陣地その1(概略と陣地南側の探索)北九州の防空㊶~風師山高射砲陣地その2(電波標定機周辺)北九州の防空㊷~風師山高射砲陣地その3(砲座)北九州の防空㊸~風師山高射砲陣地その4(付属施設)北九州の防空㊹~風師山高射砲陣地その5(付属施設②)*****************
その5では、建物(D)から東に向かいます。建物(E)のある平坦地です。建物(D)から(E)までは道が見えませんでしたので適当に進みました。建物の痕跡が至る所に見られます。空中写真で示すと右下の辺りになります。建物(E)から平坦地を西に進むと、コンクリートで囲われた方形の窪みが3つあります。見取図では(F)としました。便槽と推測しました。建物(E)の北側(山側)は壁になっています。真ん中が凹んでいるので上がってみると円形窪地がありました。****
その4では砲座後方から東側に広がる付属施設を見て行きます。見取図に描いたように建物の痕跡が数多く残っていますが、その1でもその2でも書いたように、建物跡は基礎、壁の一部もしくは瓦礫だけですので、建物自体が残っているわけではありません。砲座後方の道から(B)に向けて南に下ります。山に入るとすぐ、コの字型に掘り込まれた窪地が現れます。コの字窪地の中にはコンクリート製の排水溝のような構造物が2本並んでいます。見取図ではこれを(B)としました。2本のうちの1本は出入口に向け
その3では砲座周辺を紹介しますが、まずは配備された高射砲から説明します。風師山には防空第23連隊(のち高射第133連隊)の第1大隊第1中隊が駐屯し、七糎高射砲(七高)6門をもって大東亜戦争開戦時より防空の任に当たっていました。配備された七高は八八式七糎野戦高射砲だと思われます。この火砲は昭和3年(1928)に制式制定された陸軍の主力高射砲で、戦争末期には射高不足により高高度で飛来するB29に対抗するのが難しかったようですが、終戦まで2000門以上が生産されました。遊就館に
北九州市門司区に聳える風師山(標高362m、かざしやま)は、風師岩頭(かざしがしら、風頭とも呼ばれる)、風師山、風師南峰の3つの峰からなり、中でも風師岩頭は関門海峡を見渡せる絶景スポットとなっていますが、昭和期の陸軍はこの山に高射砲陣地を置いていました。昭和19年半ばの北九州の防空地図で場所を確認します。風師山高射砲陣地は矢印の所にありました。(下関の火ノ山から撮影)大東亜戦争開戦時、風師山には七糎高射砲を有する防空第23連隊第1大隊第1中隊の高射砲中隊と照空灯や空中聴音機を有
見晴台遺蹟と笠寺公園見晴台遺蹟は1941(昭和16)年に全国2例目となる銅鐸型土製品が発見されたことで知られるようになりました1956(昭和1)年名古屋市はこの付近一帯に都市公園(笠寺公園)を造ることを決めましたそこで公園造成の前にかっくつ調査をしてどのような遺蹟であるのか明かすことになりました1964(昭和39)年第1調査が行われ溝状遺構が見つかりました溝の中から多くの弥生土器が出土しました胴部に丸い穴があいた丸窓付土器や赤い色が塗られた高坏はこの時に
1944年秋、長野県の松代一帯で大規模な地下壕工事が始まった。「本土決戦」のどこかでアメリカ軍に大打撃を与えて少しでも有利な講和に持ち込むまで、天皇と政府や軍の首脳はそこに籠るつもりだったとか。しかしそれでは戦いが国内の至る所でいつまでも続くことになる。広島も「この地方が一番安全地帯」と、のんびりしているわけにもいかない。まず心配なのが空襲だった。広島逓信病院の院長蜂谷道彦は8月2日、従弟の将校にぶつぶつと文句を言った。……こう物がなくなり、兵隊がお粗末になっては戦いは敗けだ。兵営
笠寺高射砲陣地愛知県名古屋市南区見晴町47笠寺台地と呼ばれる高台にある笠寺公園は、笠寺観音の近くにあり、公園のほぼ全体が、弥生時代~古墳時代の見晴台遺跡となっていている。笠寺公園内にある名古屋市見晴台考古資料館の展示が、実に詳しいので同資料館で撮影したパネルなど交えて書く。*昭和16年(1941年)8月に「名古屋防空隊」が編成され、名古屋市内に展開する各部隊の高射砲の教育をおこなった(同年11月に防空第15連隊に改編)。昭和17年4月、初の本土空襲(ドーリットル
後編では掘削地を経て西南方向に下っていきます。見取図です。照空灯掩体の北側に道がありますので西に向けて進みます。道沿いに窪地Aがあります。写真は窪地への入口です。窪地Aの内部は円形です。見張り位置でしょうか?道を進むと、大きな掘削地が現れました。下りてみた。掘削して平坦に造成されているので、周りを壁に囲われてる感じになっています。下りた所にコンクリート構造物“B”。用途は不明。ところで、照空中隊陣地を探索したのは「西」、「荒田」に続いて「元倉」が3
今日は元倉照空中隊陣地を紹介します。場所はこちら。(北九州の防空についての概略はこちら→→→)北九州市門司区と小倉南区の境界に位置する「元倉」には高射砲第132連隊第13照空中隊の本部が置かれており、小倉地区警戒網の右翼側、周防灘方面からの敵機侵入に備えていました。戦時中の部隊配置図/編成表を見ると、「元倉」の名前が登場するのは昭和19年(1944年)以降終戦までとなりますが、開戦時よりこの地域には照空部隊が展開していましたので、戦時中は一貫して「元倉」に中隊本部が置かれていたか
前編に続き、高射砲が置かれた場所を考察していきます。戦後の昭和23年(1948年)に撮影された空中写真。怪しいコンクリート構造物の位置。赤線で円形に囲った部分は旧第二砲台跡地で、現在はテレビの電波塔が立っています。その電波塔の横には明治期の第4号砲側庫と思われる遺構があるのですが、上部がわずかに露出しているだけですので、第二砲台の周辺一帯は土が盛られて嵩上げされたと思われます。写真で示すとこんな感じ。ちなみに第3号砲側庫は埋もれずに残っています。これに関する考
下関市の関門海峡沿いに聳える火の山(標高268m)には、前回紹介した田向山と同様に明治期に下関要塞の砲台が築かれましたが、昭和期の大東亜戦時下には砲台跡地に高射砲陣地が置かれました。関門地区の防空陣地配置図で場所を確認します。(北九州の防空についての概略はこちら→→→)門司側から見た火の山です。明治の砲台は山頂の平坦地一帯に築かれました。現在は火の山公園となっています。下関要塞火ノ山砲台は明治24年(1891年)に築城。昭和初期には廃止となりました。紹介記事はこちらをご覧くだ
小倉北区と門司区の境界に位置する田向山(たむけやま、現在の表記は手向山、標高76m)には、明治期に下関要塞の砲台が築かれましたが、昭和期の大東亜戦時下には砲台跡地に高射砲陣地が置かれました。場所はこちら。(北九州の防空についての概略はこちら→→→)大東亜戦争が始まった昭和16年(1941年)12月の西部防空旅団の展開位置表を見ると、田向山には防空第22連隊第1大隊第2中隊の高射砲中隊が駐屯していました。その後西部高射砲集団に改編後の昭和19年(1944年)9月の編成表では、高射砲
今日は北九州市小倉南区高津尾にあった照空陣地を紹介します。場所はこちら。(北九州の防空についての概略はこちら→→→)「高津尾照空陣地」は、西に本部を置いた高射砲第132連隊第15照空中隊の展開地域にありますので、同中隊所属の分隊陣地だったと思われます。陣地が築かれたのは小倉競馬場から車で10分の距離にある丸山(標高88m)と呼ばれる低山ですが、史料を見ると終戦時にもこの場所に置かれていたようですので、おそらく昭和19年(1944年)6月の西部高射砲集団に改編されて以降終戦まで存続
先日、「北九州の防空」の概略記事を書き直した流れで、今日からしばらくの間、まだレポートしていなかった陣地跡について書いていきます。(北九州の防空についての概略はこちら→→→)今回紹介するのは尺岳照空陣地です。場所はこちら。陣地は高射砲131連隊と第132連隊の展開地域境界線上にありますが、『福岡県の戦争遺跡』では尺岳の遺構について「高射砲第132連隊、第15空隊、照空小隊の照空灯があった」と記されています。“第15空隊”は「西」に中隊本部を置く第15照空中隊のことだと思いますが、裏
「北九州の防空」の概略については昨年2月12日に書きましたが、写真付きで少し詳しく書き直してみたくなったので、あらためて書いてみました。==========================2021年2月より導入した「北九州の防空」カテゴリーでは、北九州~関門地区に展開した陸軍の防空部隊を取り上げています。ここで言う防空部隊は主に以下の4つとなります。********************************高射砲陣地…高射砲6門編成を基本とする一個高射砲中隊照空陣地…照
今日は鬼塚隊高射砲陣地進入碑を見るため六連島に渡ります。下関市の遺構地図で場所を確認します。六連島(むつれじま)は下関市彦島の北西約5キロに浮かぶ島です。明治期の日露戦争では海軍の望楼が築かれたり、昭和期の大東亜戦争では陸軍の高射砲陣地や照空陣地、海軍の防備衛所が設置されるなど軍事拠点となりました。ただ今ではそれらの遺構は残っていません。島をくまなく歩きましたが標石一本も確認できませんでした...(-_-;)ザンネンそれでは、定期船に乗って六連島に上陸します。島の北部