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4/21(日)鹿児島空港から神戸空港へ霧がでておりましたが8時少しすぎになんとか離陸開始私の乗る飛行機は定刻出発でした。NMBの公演が昼あればと思っておりましたが当日は夜公演のみだったので大阪は素通りして名古屋へ東山線に乗り換えて藤が丘へレンタカーを予約しており14時に藤が丘出発岐阜県土岐市の道の駅志野織部へヲ友達と待ち合わせをしており、久しぶりの再会でした。短い時間でしたがヲ話ができました。|ー゜)オミヤゲアリガトウゴザイマス恵那市に移動し
昨日の続きで掛川城から移動しまして、高天神社例大祭へ思ったより人が多くてビックリ去年やったスマホアプリのAR体験がまだできるので、やってみた同じ場所はこんな感じで12時から火縄銃演武。雨だの流行病などで6年ぶりの開催初めて火縄銃撃つの見たけど凄い迫力ただし玉は入ってなくて空砲です最後の人やらかしたみたいで撃てなかったみたい新作の御城印も入手しましたさて、昨日の高知城の御城印ですが、飛行機は取れたものの、高知市内の宿がまったく空いてない。なんで?と調べ
昨日から掛川城の桜祭りが始まりまして、なんとかギリで一部だけですが、開花してました掛川市内の掛川城、高天神城、横須賀城の3城の御城印が発売されまして早速購入してきました。コレややこしいんだけど、この3セットは掛川市観光協会が出しているもので掛川駅構内の観光案内所で販売してます。今日は特別に掛川城でイベントがあったので三の丸広場で販売してました。普段は購入してるやつは二の丸御殿で販売してます。そして二の丸御殿では藤井8冠が先日掛川を訪れた際に書いた書が展示されてます。雲外蒼天:努力して苦
この前、ちょいと1泊で出かけられる余裕があったかめへい。お城に行ってみましょうということで、お城巡りランキング↓いきなりですが、やって来たのは、掛川駅。掛川でお城と言えば、ふつうまずは日本100名城でもある掛川城ですが、掛川城へは以前訪問もして、スタンプを押しています。今回の最初の目的城は続日本100名城の高天神城で、そのスタンプがあるという話でやって来ました。で、駅構内の「これっしか処ギャラリー掛川観光協会」でスタンプをゲット。「掛川三
続いては高天神城を目指しました。ここからは、高速で伊賀上野城に向かいました、途中の刈谷PA観覧車が見えました。亀山インターで降りて下道経由で伊賀上野城に到着。この日はここまで、翌日は四国上陸します。(3)へ続く
ちょっと前の話になりますが、あちこちのSNSでお付き合い頂いているにのさん(にの企画)の主催で、中井均先生によるプライベートな高天神城ツアーが開催されるというので、喜んでついていきました。不詳・小城小次郎、どういうわけか中井先生にはちっとも覚えて頂けなくて、この時もなんとかして覚えて頂こうと、かつまた皆様にも高天神城の不思議さを同時にわかって頂こうと、中井先生にあれこれ質問を投げかけたりしてみたのですがどうにも噛み合わず(大汗)。仮に中井先生に覚えて頂けたとしても「変な奴」としか映らな
昨年(2023年)の大河ドラマ「どうする家康」は、私としては戦国時代から大坂の陣までの歴史の再勉強も兼ねて毎週欠かさず見てきました。そして毎週のドラマ最後には、その日放映された歴史的スポットの映像が流れて解説されるのが楽しみで、今日は何処が紹介されるのかワクワクして見ていました。そのスポットの中には、「家康」自身が関わった戦いの場所を始め、居住したり、立寄ったり、所縁がある場所等が登場して、中にはお城やお城に関わる場所が多くありました。そこで、私は昨年11月から「”家康”のでき
昨年の11月29日から大河ドラマ「どうする家康」の総集編ということで「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」シリーズを始めましたが、途中約1ケ月の中断をしてしまい2024年に突入してしまいましたが、引続き最後まで完結したいと思いますので、「家康ファン」「どうする家康ファン」「戦国時代ファン」の方は暫くお付き合いください。<「家康」の出来事>「家康」にとって「遠江」一国の支配をする為にはどうしても「武田方」からの奪還が必要だった「高天神城」ですが、難攻不落のお城攻めとないりますの
祝酒開運ありがたい銘柄ですなぁ~実に旨い!辛口土井酒造場【開運】土井酒造場|土井酒造場の「開運」は、能登杜氏伝統の職人気質に自家精米へのこだわり、そして最新の酒造設備で醸した旨い酒。kaiunsake.com1872年、初代となる土井弥市がここ小貫の里の発展を願い酒造蔵を開きました。小貫の里は豊かな水源に恵まれず、必ずしも酒造りの好適地ではありませんでしたが、徳川、武田の攻防戦で名高い高天神の山麓より、人力で仕込み水を運び入れるなど、工夫を重ね酒造りに取り組んで参
昨年の11月29日から大河ドラマ「どうする家康」の総集編ということで「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」シリーズを始めましたが、12月19日から約1ケ月の中断となってしまいました。というのも、年末年始に「青春18きっぷ」を利用してお城巡りを活発化させまして、この間16城ものお城に訪城したことから、訪城したお城の「お城紀行」を優先的に投稿していましたので中断させていただきました。既にNHK大河ドラマは新シリーズ「光る君へ」が2回目まで進行している中で、「”家康”のでき事と
水野勝成は16歳の時に父と共に「高天神城の戦い」に参戦。初陣でしたが信長から「比類なき活躍」と絶賛されましたが21歳の時に父の忠臣を斬り殺し父から勘当されます36歳の時に家康の仲立ちで親子は和解。父の元に戻りましたが、その直後石田三成の武将に父が暗殺されそれによって勝成が刈谷藩主を相続しますこの功績もあり当時皆に嫌がられていた明智光秀の官名「日向守」を授かりますその後も戦で活躍した勝哉は「鬼日向」と呼ばれるようになりました。
個人的にはあまり面白くはなかったのだが(失礼!)、全48話中、75%ぐらいは視聴した『どうする家康』も先週末に完結。(遠征中につき未視聴。)前半は先輩の岡田君(信長)に喰われてる感の強かった松潤(家康)も、老けメイクのお陰で見られるようになってきて、最終回で遂に大往生となるのかな。それに合わせて、前回3月、早朝すぎて入れなかった久能山東照宮に行ってきた。わざわざ遠征するので、早朝でも可能な城攻めを先に済ませる。まずは、徳川と武田の攻防戦があった遠州の要衝・高天神城を攻めるために、家康の
日付は変わってしまいましたが、昨日2023年11月23日は、仕事で、静岡県掛川市に出かける用事があったので、ついでに、いつもの歴史散策をして来ちゃいました♪掛川駅から、しずてつジャストラインのバスに乗って、まず向かったのは、最大の目的地!「高天神城跡」!写真正面に見える山が、「高天神城」は、戦国時代、徳川氏と武田氏の争奪戦が行われた遠江の要と言える城。尾根に沿って造られた曲輪に、堀切や空堀など、難攻不落の山城!かねてより訪問したい場所の一つでした♪
今日11月23日は、高天神城🏯に行きました(^o^)的場曲輪跡大河内政局石牢道入口大河内石窟天正2年、家康の持ち城だった高天神城は、武田勝頼率いる2万の大軍に攻められ、開城しました(*_*)この時、最後まで降伏しなかった大河内三郎正局が7年に渡って幽閉された石窟です本丸跡築城当時は、木🌳が無いので、よく見えたでしょう御前曲輪跡byXperia1Ⅲ
今日は、掛川の2つの城🏯に行きました(^o^)横須賀城のあとに行ったのは、高天神城🏯です(^o^)山城です\(^o^)/どんどん山に分け入って行きます追手門(表側)ではなく、搦手門(裏側)から登りましたこの階段が延々と続きます(^_^;)こんなとこ攻められないでしょ(^_^;)だから難攻不落の城だったんですネbyXperia1Ⅲ
今日は、3つのお城を巡りました(^o^)まず、掛川駅からタクシーで2つのお城を回りました。最初に行ったのは、横須賀城です🏯今は、外堀はありません(*_*)タクシーの運転手さんの話だと昔はもっと海がせまっていたそうです高天神城を攻めるために作られた城です🏯当時城に入った人たちは、どんな気持ちだったでしょうbyXperia1Ⅲ
掛川駅からタクシーに乗って最初に向かったのは、横須賀城🏯です(^o^)横須賀城は、高天神城攻略のために作られました。戦う城です天正6年(1578年)徳川家康は家臣の大須賀康高(初代城主)に命じて高天神城攻略の拠点として横須賀城を築かせました。天正9年(1581年)高天神城は落城と共に廃城となり、横須賀城が遠州南部の拠点として位置づけられました。以後、明治維新で廃城となるまでの288年間20代の城主を数えます。変わっているのは、石垣ですこんな丸石垣見たことありません(^_^;)横須
今日は、静岡に来ています3つのお城を訪ねるつもりです先ずは、掛川駅から横須賀城と高天神城タクシーで回りますすでに見終わりました横須賀城高天神城静岡駅に移動歩いて駿府城ヘお城三昧の1日になりそうですbyTORQUE5G
それでもあなたを愛してる突然できた休みの日は予定何も決めないまま♪谷村有美を越え掛川市郊外へ花を買いに行こっ
「岡崎の城山」とはなんとも歯切れの悪い表現ですが、遠州にはちょこちょこ「城山」とか「城平」とかいうお城が登場します。これは地元において「城山」と呼称されてはいるものの明確な伝承が残らず、その割には遺構がしっかりしているお城に対し、安易にその場所の字名を城名としてはいけないという慎重な配慮によるものと推察しています。この慎重な姿勢はあくまで筆者の想像ですが、その姿勢は大いに尊重したいと思います。ただ岡崎の城山に関しては、静岡古城研究会がまとめた「静岡県の城跡中世城郭縄張図集成(西部・遠江版)」で
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2023/09/26)【城を観る+】《高天神城》2023〜高天神を制する者は遠州を制す!高天神城跡を観る〜【城を観る+】《高天神城》2023〜高天神を制する者は遠州を制す!高天神城跡を観る〜《高天神城》[読み方]たかてんじんじょう[撮影地]静岡県掛川市[撮影日]2023/09/26[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[YouTube]城を観るhttps://youtube.com/@si
翌日(7月18日)『どこ行く家康「東海の名城」掛川城⑥』(城めぐりに戻ります🏯)鰻で体力を回復させた後再びJR浜松駅から電車で移動『どこ行く家康出世城浜松城⑤』前回の続き『どこ行く家康神君…ameblo.jpブロ友さんの記事やPR動画から凄く興味のあった山城今川氏から始まって徳川氏と武田氏による激しい攻防戦が第1次~第3次まで約10年に渡って行われた決戦の地🚏🚌掛川駅から始発のバスで向かった先は茶畑の先に見える小高い山高天神城戦国時代に廃城となり
キュウリ、トマトが高いし、あまり美味しそうではないので、代わりに?みかんやりんごを食べています。レタスは、少し安くなりましたが、ブロッコリーは298円なので、値が下がるのを待ちましょう。猛暑や日照りのために、農家のみなさんも、たいへんでしょう。肉や魚も、国産を買うようにしています。回らない回転寿司屋では、ホタテをたくさん食べるようにしています。小さな旅のつづきを。一番の目的地は、実は、高天神城でした。左のてっぺんが、本丸で、右のてっぺん(西の丸)に神社がある。駐車場から登って
昨日は、掛川に行きました(^o^)掛川城に行ったあと、目指したのは諏訪原城です最初の目的は、高天神城だったんですが、掛川城を出る頃から雨が降ってきたのと、掛川駅で続100名城の印をもらってしまったのです(^_^;)高天神城は、天気のいい日にして、諏訪原城に行きました。掛川駅から直ぐの金谷駅ここから歩きますここは、大井川鉄道の出発点でもあります(^o^)こんな田舎道をどんどん登っていきますbyXperia1Ⅲ
今回の旅の計画です今日は、諏訪原城、高天神城、掛川城へ行く予定浜松に宿泊明日浜松城、浜松大河ドラマ館を見て帰ります4時起床5時出発byTORQUE5G
ミニアート1/24ドイツトラクター3完成エンジン等は無いので簡単なキットだけどトラクター好きはたまらない。そういえばPLAMAXのF90も触っている。とりあえずきれいに作っただけかな。なんか曲がっている?汚しはしていない。日曜日に掛川城二の丸美術館に行ってきました。お目当ては『根付』これいいでしょう。かわいい現代根付がいっぱいでした。老眼には厳しくてだんだん目が見えなくなってきました。10くらい個ほしい。ドイツ兵にひもを付けたら根付
※こちらの記事は、令和2年6月9日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第19弾として「第二次高天神(たかてんじん)城の合戦」について書きます。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。第1回今山の合戦第2回耳川の合戦第3回沖田畷の合戦第4回小豆坂の合戦第5回長良川の合戦第6回桶狭間の合戦第7回稲葉山城の合戦第8回金ヶ崎城の合戦第9回姉川の合戦第10回二俣城の合戦第11回一言
静岡県掛川市に残る遠江・高天神城址に行ってきました!高天神城は戦国時代に武田氏と徳川氏の攻防が繰り返され、大河ドラマ・どうする家康でも取り上げられた城です。今回行ってみて個人的な3つのポイントを書いてみます。(1)夏でも巡りやすい高天神城は標高132m、比高100mくらいの山城です。山城というと、夏は生い茂っており足の踏み場もない…というイメージですが、山の中は比較的歩きやすい場所が多いです。また入り口をはじめ階段も整備されている場所も多く、夏でも城攻めできる名城だと思い
今日は静岡県菊川市の横地城跡と掛川市の高天神山・小笠山に行ってきました。二の丸跡にある横地神社車に帰ってきました。この後、所用を済ませて掛川市の高天神山へ向かいます。麓の北口駐車場からスタートします。搦手門長い階段が続きます。高天神山山頂付近にある御前曲輪跡(標高132m)本丸跡井戸曲輪跡西の丸跡にある高天神社の拝殿駐車場へ戻り、小笠山へ向かいます。小笠神社の駐車場からスタートします。
「家康の東部戦線:三遠駿をめぐる武田二代との死闘」をKindleで配信中。「高天神を制する者は遠州を制する」といわれた高天神城は、本当に戦略拠点だったのか?徳川家康と武田家の死闘をゲームデザイン的視点で執筆。家康の東部戦線:三遠駿をめぐる武田二代との死闘(歴史ソウゾウ文庫)